コミュ障魔女の拗らせ結婚生活

滝野れお

第一章 突然の結婚

第1話 危険手当のあるお仕事



「うわぁっ、火トカゲだぁ!」

「こっちへ来るぞ!」


 急に、天幕の外が騒がしくなった。

 負傷者を介抱をしていた救護助手のイリーナは、緩く編んだ亜麻色の髪を揺らすほどの勢いで、ビクッと肩を震わせた。



 ここは〈魔樹海ドグエルテ〉。魔獣の棲む魔の森だ。


 大陸の中央に位置するグランウェル王国は、北を高山、南を〈魔樹海〉に挟まれているため、異国から侵攻されたことがない。

 その代わり、人や家畜を襲う魔獣と戦って来た歴史は長い。


 古来から異能を持つ者を取り立ててきたグランウェル王国は、数年前、選りすぐりの魔法騎士を集め、羽ばたく白鷲の旗を掲げた〈白鷲騎士団〉を設立した。

 彼らの仕事は魔獣から王国を守る事であり、〈魔樹海〉では定期的な魔獣討伐が行われていた。



(魔獣に……手こずってるのかな?)


 イリーナはビクビクしながら、長い前髪越しに天幕の入口に目を向けた。


 その時、天幕の入口にかけられた垂れ幕がバサリと乱暴に跳ね上がり、小隊長クラスの若い魔法騎士が怖い顔をぬっとのぞかせた。


「救護班、急いで退避しろ! グズグズするな!」


 鋭い声でそう言うと、若い魔法騎士はすぐに垂れ幕の向こうに姿を消してしまう。

 事態はかなり切迫しているらしい。


「アレク先生、ここは一旦引きましょう!」


 同僚の救護助手ミレシュが、白いローブを着た黒髪の青年治療師ヒーラーをうながしている。


 魔獣討伐で一番大切なのは、治療師の安全確保だ。

 数の少ない貴重な治療師に怪我をされては、騎士団が全滅してしまう。


 例え治療中の負傷者を捨て置いても、治療師を避難させるのが救護助手の仕事であり、本当に最悪の場合、体を張って治療師の盾になるのも、イリーナたちのような救護助手の役割だった。


「イリーナも、逃げるよ!」


 青白い顔でアレクが急にこちらを向いたので、イリーナは慌てて目を逸らしながら「はい」と頷いた。


 イリーナは人と目を合わせるのが苦手だ。長い前髪で目を覆っていても、まともに相手の顔を見ることが出来ない。

 幸いこの救護班の人たち────治療師のアレクと助手のミレシュは、そんなイリーナのことを温かく受け入れてくれている。

 少々危険な仕事ではあるが、その分お給金も良いし、イリーナにとってはとても良い職場だった。


「ほら、先生! 行きますよ!」


 ミレシュが赤毛の三つ編みを弾ませながら、アレクを天幕から追い立てる。

 二人の後について天幕の外へ出たイリーナは、叫び声のする森の奥へと目を向けた。


 ズシンズシン、と地響きのような足音が近づいて来る。

 木々の枝を燃やしそうな勢いで現れたのは、人間の二倍はある巨大な火トカゲだった。


(あれが、火トカゲ?)


 炎を纏う魔獣に目を奪われて、イリーナは天幕の前に立ち尽くした。


 魔獣を倒すには、その魔獣と逆の力を持つ魔法騎士が必要だ。目の前にいる火トカゲならば、水や土の力を持つ騎士だ。


(……でも、私は違う)


 天幕の前に立ったまま、イリーナは火トカゲを見据えた。


 火トカゲは後ろ足で立ち上がり、炎に包まれた長い尾を振り回して、騎士たちを蹴散らしている。

 火トカゲの速い攻撃に魔法騎士たちの攻撃が追いつけないのは、魔力を練る時間が圧倒的に足りないからだ。


 燃える尾で攻撃された騎士たちの隊服は焦げ、素肌は炎で焼けただれている。


(ちょっとだけ……ちょっとだけなら良いよね? お母さん……)


 いつもお世話になっている騎士たちが、重い火傷を負って地面に伏している。

 いくらイリーナが魔力なしをいるとしても、彼らを捨て置いて、自分たちだけ逃げ出すのは心苦しかった。


(ほんのちょっとだけ、手を貸すだけだから……)


 立ち止まったまま動かないイリーナに、火トカゲが炎のようにあかい目を向けた。女子供を好んで喰らう魔獣が、イリーナに気づかぬ訳がない。


 森を渡る風が、火トカゲの炎に焙られて熱風に変わる。

 イリーナが前髪を搔き上げると、救護助手の白い帽子が風に乗って落ちてゆく。

 亜麻色の三つ編みからこぼれたおくれ髪が、ふわりと舞い上がる。

 露わになったすみれ色の瞳が、火トカゲの赤い瞳を捉えた瞬間、金色へと変化した。


(────お願い、そこで、止まって!)


 グガァァァァァァ

 咆哮を上げた火トカゲが、突然足を止めた。


 その隙を見逃す魔法騎士たちではない。

 周りを囲んだ騎士たちが、四方から魔力をぶつける。


 炎を失った火トカゲが大地を響かせながら倒された頃には、イリーナは森の外へと逃げ去っていた。


 ────だから、イリーナは気づかなかった。

 火トカゲを倒した魔法騎士がひとり、イリーナの後ろ姿を見送っていたことを。


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