第44話 氷龍ニドホッグ

 岩山の中腹に空いた大きな穴からはいつも、冷気が流れ出ていた。山の洞窟から冷たい風が出てくるのはよくあることだが、この場所は少々事情が違った。


 まず見渡す限り、植物が生えていない。年がら年中、大穴から冷気が流れてくるので枯れてしまうのだ。


 当然、生き物だっていない。それはそうだ。緑もなく、こんな寒いところでは暮らしていけない。ある一体を除いては。


 氷龍ニドホッグ。


 この岩山の主であり、冷気の原因だ。


 透き通った水晶のような鱗に包まれた巨体を動かすと、大穴の冷え切った空気が外に流れだす。


 ニドホッグは首を振り、自分の腹に抱えている石像を確認した。ちゃんと、ある。今日も大丈夫。


 魔人の少女の石像はとても大事なモノらしい。


「肌身離さず守って欲しい」と友人である魔人達に頼まれたのだ。


 ニドホッグにとって、魔人達は恩人でもあった。


 まだ幼龍だった頃、ニドホッグは人大陸で暮らしていた。そこで人間に襲われ、傷を負い、この魔大陸に逃げて来たのだ。


 傷は深く、死にかけていた。そこを魔人達に助けられたのだ。


 それ以降、ニドホッグはずっと魔大陸で暮らしている。


 大体、穏やかな毎日だ。


 しかし、その日は様子が違った。


 山に自分以外の生き物の気配を感じたのだ。その気配はどんどん強くなる。


 警戒心が極限まで高まる。いつでもブレスを吐けるように力を溜める。


 もう足音まで聞こえ始めた。そして、声も。


「人間が! 人間が攻めて来るぞ!!」


 今にも吐き出そうとした氷の息を押し止める。「人間が攻めて来る」ということは、声の主は人間ではない。


 やがて現れたのは頭に捩れた角のある二人の魔人だった。


 一人は若く、もう一人は随分と年老いていた。


「何事ダ?」

「その石像を! 人間達が奪いにやってきた……!!」


 若い魔人が石像を指差した。ニドホッグの顔が険しくなる。


「人間ドモニ我ガ力ヲ思イ知ラセテクレヨウ」


 立ち上がり、前脚で石像を掴む。絶対に人間には渡さない。強い意志が瞳に篭っていた。



 カチ、カチ、カチ、カチ。


 プレートアーマーが擦れる音が穴の中に響き始めた。一人や二人ではない。ざっと百人を超えている。


 魔人達が焦っていたのも無理はない。


 人間達はゆっくりと、しかし確実に、ニドホッグの巣を侵攻していた。


「止マレ! 人間ドモ……!! ソシテ今スグ、引キ返スノダ……!!」


 だが、プレートアーマーの軍勢は止まらない。聞く耳を持たないようだ。


「ナラバ、喰ラウガイイ……! 我ガ、ブレスヲ……!!」


 大きく息を吸い込んだ途端、ニドホッグの体が青白く光った。その光がより一層強くなった瞬間──。


 ゴゴゴゴゴと氷の息が吐き出される。


 先頭のプレートアーマーが一瞬で凍りつき、動きを止めた。そしてそれは連鎖する。転瞬の間に、約百体の氷の彫像が出来上がっていた。


「凄い……」


 若い魔人が思わずこぼす。


「所詮ハ人間。容易イモノヨ」と得意気にした時、年老いた魔人がニドホッグに近寄り、その水晶のような鱗に触った。


「【盲従】」


 途端に体が動かなくなり、意識が朦朧とし始める。


「よっしゃー! 上手くいった!!」


 地面に穴があき、男が飛び出してきた。一人だけではない。次々と出てくる。


「鮫島君、何もしてないじゃん」

「何もしないことで、作戦成功に貢献してるんだよ!」


 小賢しい人間どもめ。今すぐ腕を払って打ちのめしてやりたい。ニドホッグは体に力を込めようとするが、しかし、どうにも動かない。


「よし、リリナナ。女を下ろしてくれ」

「アウグスト。下ろして」

「女ヲ下セ!」


 年老いた魔人が声を上げると、体がひとりでに動いて、女の石像を地面に転がした。若い魔人が駆け寄り、小瓶を取り出して液体を振り掛ける。


 女の石像が眩く光った。そして──


「「「戻った……!」」」


 ──幾つもの声が重なる。


 石像ではなく、石化した魔人の少女だった。ニドホッグは混乱した。魔人達に頼まれて守ってきたのに……。どういうことだ……?


【盲従】のスキルが更に効いたのか、意識が混濁し始める。



 ニドホッグの前に大柄で年老いた魔人が立つ。老人が頭を触ると、ポロリと角が取れた。


 その様子を見て、記憶の底からある人間のことが浮かんできた。その人間は特別なスキルでドラゴンをも支配した。名前は確か──


「アウグスト。頑張った。偉い」


 人間の少女が老人を労う。


 あぁ。そうだ。アウグストだ。この男から逃れる為に、魔大陸に来たのだった。


「よし、鮫島。マーキングだ」

「オッケー!!」

「や、やめろ……!!」

「さっさと、やれ。次の予定がある」

「そんなの、聞いてないぞ!」


 若い人間の男が壁に何かを書き始めた。別の男が止めようとするが、跳ね除けられる。


『盗帝コルウィル参上! 俺は全てを奪う!!』 


 ニドホッグは更に混乱した。本当に一切のことが理解出来なくなった。そして考えることを完全に放棄した。



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龍帝アウグストの回収、完了!!

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