第38話 魔人シトリー
魔人シトリーが巨大な鳥の魔物、ロック鳥から降り立ったのはガドル王国の王都近くだった。夜中なので騒ぎにはならなかったが、シトリーは肝を冷やしていた。
「はぁはぁ……。この移動手段、雑過ぎる」
夜目を効かせて注意深く辺りを観察する。どうやら、夜行性の小動物がいるだけのようだ。
少し息を整え、シトリーは「【擬態】」と呟いた。全身が軽く光ったと思うと、頭部にある捻れた角──魔人の象徴──が見えなくなる。
目つきは鋭く、只者ではない雰囲気はあるものの、外見は何処にでもいる冒険者のそれと変わらなくなった。
深夜だが王都の上の空だけは少し明るい。落ち目だとはいえ、やはりまだまだ栄えているのだろう。
「先ずは王都で情報収集だな」
シトリーは胸元からギルドカードを取り出し、仮の身分について復習する。
『B級冒険者、リドリー』
魔王を支える上級魔人達から与えられた身分だ。シトリーはリドリーに成り切り、盗賊団リザーズと攫われた聖女についての情報を集めなければならない。
もし、リザーズが聖女の石化を解く手段を有しているのなら、大問題だ。魔人国にとっても。彼自身にとっても……。
「さてと」
シトリーはほのかに光る王都に焦点を合わせ、身構えた。そして──
「【隠伏】【縮地】」
気配を消し、高速移動スキルを発動する。【擬態】とこの二つのスキルを持つことにより、彼はリザーズ潜入を命じられたのだ。
シトリーは凄まじい速度で王都に向かい始める。しかし、それに気付くものはいなかった。
#
早朝の冒険者ギルドは人混みでごった返していた。低ランクの冒険者達が割りのいい依頼を得ようとして、依頼票の貼り出されるボードの前で場所の取り合いをしている。
シトリーは少し離れた場所でその様子を観察していた。ざっと見る限り、実力者はいないように思える。
ギルド職員が冒険者の人垣を割り、ボードに依頼票を貼り付け始めた。
一人の若い冒険者──十五、六歳に見える──が抜け駆けして依頼票に手を伸ばし、職員に嗜められる。
「ふふふ。若い冒険者は我武者羅ね」
すぐ側で女の声がした。シトリーを意識しているようだ。
「そうだな。昔の自分を思い出す」
「見ない顔ね。王都は初めて?」
女冒険者は探るような目つきをしている。
「あぁ。普段は帝国で活動している。今はここが一番熱いって聞いてね。わざわざやって来たのさ」
「ふーん」と言いながら、女は更にシトリーに近付いた。
「私はイザベラ。A級よ」
「リドリー。B級だ」
シトリーが胸元から冒険者カードを取り出して見せると、イザベラは片眉を上げて、驚いた表情をする。
「外した。絶対A級だと思ったのに。あなた、昇級を拒むタイプでしょ?」
シトリーは困惑しながらも話を合わせる。
「あまり縛られたくないんだ」
A級冒険者になると冒険者ギルドから直接が依頼が来ることが増える。という事情はシトリーも知っていた。
「少し時間をもらえないかしら? 悪い話じゃないわ」
イザベラは冒険者ギルドの階段を指差しながら誘う。二階に応接室でもあるのだろう。
A級冒険者の誘いを断り、不興を買うのは得策とは思えない。
「分かった」と静かに答え、シトリーはイザベラの後に続いて階段を登った。
#
「この部屋は防諜の魔道具が仕掛けられているから安心して」
イザベラはシトリーにソファを勧める。腰を下ろすのを見届けた後、彼女はシトリーの真正面に座った。「逃さない」というように。
「貴方の気配の消し方、見事だったわ。私以外、存在に気付いていなかった筈よ」
シトリーは【隠伏】のスキルを解いていたが、それでも普段の癖で気配を消していた。イザベラはそのことを評価したようだ。
「性分でね。目立つのが嫌いなのさ。本気になれば、誰にも気付かれない自信がある」
シトリーは敢えて、情報を出した。
「更に奥の手があるようね。頼もしいわ。実は、頼みたい仕事があるの」
イザベラは悪戯っぽい笑みを向ける。
「どんな仕事だ? わざわざこんな部屋まで連れて来たんだ。真っ当な依頼じゃないんだろ?」
「そんなこと無いわ。ただ秘匿性が高いだけ。貴方、このタイミングで王都に来たってことは、リザーズを狙っているんでしょ?」
少し悩むが、話に乗る方が自然に思えた。
「あぁ。ただの調査依頼なのに莫大な報酬が得られると聞いた」
「下の階のボードにもリザーズの調査に関する依頼票は貼ってあるわ。でも、あれは囮用なの」
「囮……」
シトリーは呟く。
「奴等は今や、国にも匹敵するような戦力を有しているわ。何の策もなく情報を得られるような相手じゃないの。盗帝コルウィルは切れ者よ」
聞き慣れない言葉にシトリーは首を捻るが、イザベラは続ける。
「高い報酬で釣った一般の冒険者を囮にして、高ランク冒険者がリザーズ帝国に侵入するの。そして、この魔道具を仕掛ける」
イザベラは胸元から小さな宝石のようなものを取り出した。
「これは音を飛ばす魔道具。王国の魔道研究所が最近開発に成功したものよ」
音を飛ばす……? つまり、リザーズの拠点内の会話を盗み聞きするつもりか。
魔人達にはない技術にシトリーは警戒心を強めた。人族は侮れない。
「そんな難しい顔をしないで。作戦自体はシンプルなんだから。さっきも言ったように、囮の一般冒険者が拠点を守るアンデッドとやり合っているうちに、この魔道具をばら撒くだけ。ちゃんと実力者を揃えているからきっと上手くいく筈よ。だから、協力してくれない? 報酬は凄いわよ?」
イザベラは今までにない真剣な表情を見せる。
「ここまで聞いておいて、断ることなんて出来ないんだろ?」
シトリーは両手を挙げて「降参だ」というジェスチャーを取った。
元々、リザーズの拠点には潜入する予定だったのだ。人族を囮に出来るのなら、願ったり叶ったり。というのも、スキル【隠伏】はアンデッドには効果が薄いからだ。アンデッドは生者に敏感に反応する。この作戦はまさにシトリーの為に立てられたようなものだ。
イザベラに悟られないように、シトリーは心の中でほくそ笑んだ。
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