黒き調和
結井 凜香
第1話 黒き調和
誰にだって、思い出しただけで赤面するような恥ずかしい過去はあるだろう。人は、それを「黒歴史」と呼ぶ。
かくいう私も、黒歴史を数えればキリがない。だけど、その黒歴史があったから、今なおこうやって元気に生きている。
それはなぜか。
実は、若者たちにとって、この「黒歴史」こそ重要な栄養なのだ。黒歴史こそ、殺伐とした現代社会を生きるうえで必要な文化の一つなのである。
今回は、この黒歴史について、私の経験を踏まえながら話をしていきたい。
ある説によると、人間は、小学校5年生、中学2年生、高校1年生の時に好きになったものを長く好む傾向があるそうだ。
音楽、文芸、漫画、アニメ、ゲーム、ファッションなど、この時期の嗜好は、自我が形成され始める多感な少年少女たちにとって、大きな刺激だ。
これまで親にされるがままだったものに、初めて自分の意思を持つ時、いわゆる「ハマる」という現象が始まるのだろう。
私も、振り返ってみれば、この時期ぐらいにハマったものは今でも大好きだ。
私がハマったのは、小説を書くことと、クラシック音楽を聴くということだった。
中学1年生の頃、たまたまクラスメイトが小説を書いているのを見て、かっこいいなと思ったのをきっかけに、私は小説を書き始めた。
初めて書いた内容は、ストーリーも設定もめちゃくちゃで、とても読めたものではなかった。
しかも、その原稿を書いたメモ用紙を学年のいじめっ子たちに見られてしまい、一大騒動になってしまった。その恥ずかしさから、私はなるべく自分の作品は人に見せないようにしていた。当然、親にも見せることはしなかった。だから、テスト週間の時の早帰りや、親が寝静まった深夜、親がどこかに出かけて留守番をしている時は、最高の時間だった。誰にも邪魔されずに自分のストーリーと向き合い、思いつくことをそのままメモ用紙や余ったノートに書き綴った。
そして、その年の年末、私は生まれて初めてある作品を書き上げた。その作品は、分厚いキャンパスノートまるまる1冊に書き上げた、私の「処女作」でもあった。
ストーリーは、クラシック音楽に携わる音楽家の家族と、その周りの人間たちの関わりを描いたものだった。
私はその時の部活が吹奏楽部だったことから、クラシック音楽にも興味を持っていて、そのことから思いついたのである。
原稿を書いている時は、生まれてから12、3年の間、まったく感じたことのない熱を感じた。当時好きだった英語の勉強にさえ、ここまで強く情熱を持てたことはない。
とにかく、自分の考えを文にして、一つの壮大なストーリーを紡いでいた。
しかし、私のその情熱は、周りのスレた白い目によって一気に消されてしまった。
小説を書き終えると、私は、当時の友人に、意気揚々とその作品を見せた。だけど、反抗期も迫っていて、ひねくれていてる真っ最中の12、3歳の子どもが、真剣に他人の作品を読むわけがない。趣味程度のアマチュアなんて、彼女たちから見れば鼻で笑う程度だ。
ちょっと序盤を読むと、彼女は私にノートを返した。そして、「こんな設定ありえない」「展開が早すぎる」と、初心者には辛辣な講評をした。
せっかく書いたのに・・・。私の生命を燃やして書いた渾身の1作が、まさかその一言で壊されてしまうとは。幼く、無知なだけあって、ショックは大きかった。
しかし、さすがにそんなことを親に話すのは恥ずかしい。というか、私はこの1作を書くために、部活を相当日数サボり、日々の勉強もおろそかにしていたので、逆に叱られるのが怖くて、それどころではなかった。
ただひたすら独りでその悲しみに暮れ、しばらくは意気消沈していたように思う。
しかし、何を思ったのか、私はしばらくして再び執筆を開始した。詳しい経緯は覚えていないが、中学3年生の頃には親のお古のノートパソコンを使って、原稿を書いていた。
その時のストーリーも、オーケストラに関わる人たちとその周りの人たちとの関わりや恋愛についてだった。
恋愛要素を入れたのは、当時の自分の恋がうまくいかない鬱憤を晴らすためだった。そして、このカタルシスこそ、後の私の作画に大きく影響していく。
そして、その小説を書いている時、私はある同い年の女の子と、運命的な出会いを果たす。
それは、私がある私立の女子校のオープンスクールに行ったときのことだった。もともとその学校に興味があったのは、オーケストラ部があったからで、私は当時憧れだったチェロを弾かせてもらって大満足していた。また、オーケストラの生演奏も素晴らしく、もともとクラシック音楽が好きだった私の心は大きく高ぶっていた。
しかし、帰りの時間まで少し空き時間があったため、私は暇を持て余し、すぐ近くにあった図書室に入った。
すると、そこにいた数人の子たちから声をかけられた。しばらく話をしていると、なぜか話は私が小説を書いていることになった。すると、彼女たちは、「あの子も小説書いてるよ」と、あるひとりの女の子を紹介してくれた。彼女のジャンルはファンタジーだった。
そして、2人とも携帯電話を持っていなかったため(当時はガラケーが普及したばかりの頃で、ガラケーを持っていない子もザラだった)、昔ながらの文通をすることになった。
私はもともと手紙を書くのが好きだったため、すぐに彼女との文通に夢中になった。そして、彼女は私のどんな作品も褒め称えてくれた。
それが、私の死にかけていた小説へのやる気に火を点けた。
高校入試を控えているのに、塾での勉強の合間に、ノートパソコンでガンガン小説を書いた。親に読まれるのが嫌だったので、当時まだ主流だったフロッピーディスクを親に買ってもらって、データはそれに隠していた。
大っ嫌いな部活は、夏のコンクールが終わったと同時に辞めたので、下校してからの時間は最高だった。当時好きだった様々な人をモデルに、ありとあらゆる恋模様を描いた。常識で考えれば、絶対結ばれることがないものだったから、私の妄想は山火事のように広がって消えなかった。
そして高校に上がると、クラシック音楽のCDを買い足し、それらをBGMにして、文通している友人から影響されたファンタジカルな世界を自分なりに組み込んでいった。
しかし現実はというと、それこそ小説のネタにしたほうがいいんじゃないかというほど凄惨なものだった。
愛知県特有の管理教育によって、常識として知っていることさえ何度も学年で指導され、普通に過ごしていれば怯えることのない、全くいじりようもなく普通に着ている服装を何度もチェックされ、内申や雰囲気によって教員たちからバカにされ、一般常識のある私はうんざりしていた。
同級生たちも、人への思いやりに欠ける自己中心的な者たちが多く、私は馴染めなかった。一時期、学校に行ってもすべてが退屈で、校舎が大きな棺桶に見えたほどだ。そんな私を慰めるかのように、思えば小説の登場人物たちはすぐ傍にいた。iPodのイヤホンに耳を通せば、お気に入りのクラシック音楽たちが華やいだ。
私は当時、吹奏楽のクラシックと、管弦楽は主にバレエ音楽を聴いていた。チャイコフスキーやプロコフィエフ、ラヴェルあたりだ。ちなみに、そのことがあって私は今でもロシアの音楽家が大好きだったりする。
クラシック音楽とは不思議なもので、聴くだけで、遥か遠くのこの世でもあの世でもない異世界へ連れて行ってくれる。そこには、華やかさがあり荘厳さがあり、周りの同級生たちの喧騒をかき消してくれるものがあった。
また、小説の登場人物たちは、(自分がそのように書いているからであるが)人に対して多かれ少なかれ思いやりがあり、それは形になっているものもあれば、後で分かるというものもあった。
私の嗜好やその当時恋していた人の特徴にに合わせて、作品は姿を変えた。
あるときは音楽家、あるときはロック好きの数学者。
数学者に焦点をおいたのは、当時通っていた塾の数学の先生に恋していたからだ。ちなみに恋こそ叶わなかったが、彼とは今でも親交がある。
彼は国内外問わず有名な数学者の家系の子息で、小学校高学年のときには高校レベルの微積分学に取り組んでいたそうだ。
国内の有名進学校を経て大学に入ったものの、上には上がいた。彼はそこで大きな挫折を味わい、学者への道を頓挫したという。それからは、情報系のエンジニアを経て今に至るというのだ。それでも、自分を数学者と自負するその心意気は、胸を打たれるものがあった。
幼い頃からキュリー夫人に憧れ、科学者になりたいと思っていた私に、尊敬と憧れの念を抱かせた。
その思いから、私は彼をモデルに小説を綴った。数学に必死で、人のことなど顧みない数学者の男性が、とある女子高生とひょんなことから出会い、友情を紡いでいくというものだ。
しかし、いつの頃からだろうか。私の頭の中で、そういったカタルシス小説を書くことが妙に恥ずかしく、バカバカしく思えてきたのだ。
どうせ叶わないのに。そしてモデルが現実にいる。実際に顔を合わせることもある。そのたびに恥ずかしくなった。
浪人を経て大学に上がる頃には、私の創作意欲は著しく低下し、やがて小説を書くという私の趣味は、大学1年の秋頃、初めて彼氏ができた辺りでパッタリと潰えた。
これが、黒歴史の卒業というものだったかもしれない。黒歴史の卒業、というのは、急に来る。だんだん嗜好が大人になるにつれて、世の中の常識や羞恥心を学んでいく。すると、今まで自分が好きだったものが急にバカバカしくなったり、恥ずかしくなったりして、プツリとやめてしまうのだ。そして、人は一般社会に溶け込んでいく。
しかし、クラシック音楽が好き、ということだけは変わらなかった。アルバイトを始めて、稼いだお金をCDに使った。そして、いつか自分のお金で生のオーケストラを聴きに行きたいと願うようになった。
ところが、執筆をやめて、大学の小論文の課題で教授にボコボコに叩かれ続けていると、どんどん文章を書くことへの自信が無くなってきた。
もともと、一般人でも難しい内容、しかも明確な答えがない問題についていきなり答えろと言われても、無理なものがあるのだが・・・。
その教授は、旧日本軍の上官のように厳しかった。グループトークでも何でも、すぐに発言できないと不合格、と言うのである。ビンタが飛んでこないだけまだマシだったかもしれないが。
実社会に出てみて、別にそんなことはないと思うのだが、当時はそれが本当だと思った私は、大きなプレッシャーに苦しんでいた。
また、学科内でも課題は山積しており、それらとの戦いも容赦がなかった。アルバイトと課題に奔走するうち、私の中で小説を書くことは記憶から無くなり、趣味さえも楽しむのは悪、という、今思えばかなり不健康な生活をしていた。実際それで、燃え尽き症候群か抑うつ状態に近い状態になってしまい、学生生活が大きく乱れてしまったこともあった。
そんな私が、また小説を書こう、と思い立ったのは、社会人になってからだった。
趣味を楽しむ、遊びは悪、というド偏見によって、社会人1年目、教員生活1年目でパワハラや職員いじめにあった私の精神は、決壊しそうなダムより崩壊寸前だった。
それを見かねた彼氏が、今までの趣味を再開したらどうだというのである。
まっさきに、小説を書くことが浮かんだ。今まで、バカだの恥ずかしいだので封印していた私の最大の趣味。でも、今の私の心は大地震直後の欠陥住宅並みにボロボロだ。
事実、鬱憤や欲求不満を自分でケアすることができず、周りの友人や彼氏に当たり散らしていた。でも、それを止めたい、とも思っていたのだ。
それを止めることができるなら、と私は再び創作活動と向き合うことになった。最初は自分が持っているスマートフォンのメモに書いていた。でも、ここでも私が書いたのはカタルシス小説だった。当時授業を受け持っていたクラスの生徒で、親しかった子や喧嘩ばかりしていた子をモデルに、フリースクールの物語を書いた。
ここでも、音楽高校から挫折してフリースクールに来た、という設定を入れた。また、主人公の少年が、コンサートで大活躍するという描写や、その友人の少年と激しくいがみ合う描写も描いた。これが、中高時代に書いてきた小説と決定的に変わった要素だったと思う。
今までは、どこかみんな仲良しでほのぼのして、という描写しかかけなかった。でも、現実で、私も様々なマイナス要素を経験したからこそ描けたのかもしれない。
そして、教員生活2年目、岐阜の工業高校の機械科で常勤講師を勤めた時、私の小説執筆への熱を、確かなものにしたことがあった。
同じ機械科の実習助手の先生に、恋をしたのだ。その人は、出会った当時40代後半で、ここに至るまで、辛酸をなめるような散々な苦労をされてきたという。そして、その苦労が終わることはなかった。一緒に勤務していても、苦しそうな表情は垣間見えた。年齢は遥かに下でも分かるものがあった私は、勝手にシンパシーを感じていた。
そして、その人にどうか幸せになってほしい、という願いと、私が1年しかその機械科にいられないことを思い、少しでも今この幸せを書き遺せたら、と思い、私はその時から彼をモデルにした初めての完結作品、lost answerを書き始めた。
5年後、初めてこの作品を同人誌に掲載していただくことになるのだが、私の中では葛藤が募った。もしこれを、本人が見たり、本人の友人知人が見たりして、モデルが特定されてしまったらどうしよう・・・。という恐怖があった。実際、小説の中には、モデルとなった人と揉めて裁判になった例もある。私は怖かった。しかし、周りの先輩方の、「ありのままに書いていいんだよ」という励ましによって、ほぼ勢いで私は書き上げた。
自分が好きだった人をモデルにして書くのは、たとえ失恋していてもその人が愛おしく感じる。未練だというのは分かっているし、これもまた黒歴史としてノミネートされていくのだろう。でも、もしこれを読んだ人が、工業、機械に興味を持ってくれたら、モデルの彼に声をかけてくれたら、と思うと、書かずにはいられなかった。また、今までパワハラやいじめに苦しんでいた自分を慕い、教えを乞うてきた愛すべき教え子たちのことも書いておきたかった。何かで感謝を伝えることができたらと思った。
もちろん、モデルとして書く以上はすべての人の状況をすり替えて、架空の設定にしているのだが。
失恋したからこそ、別れてしまったからこそ、心の傷は痛い。でも、書くことで、私の心の悲しみは癒えていった。
作品を脱稿した時には、その人への想いは薄れ、スッキリしたものになっていた。
だからこそ、小説を書くことは私にとって必要不可欠なのだろう。
また、その人をモデルにしたまったく新しい作品も、同時にいくつか思いついた。それに、いつかは中学生の時、高校生の時、頓挫した作品を蘇らせて描いてみたいと思う。
思い出すだけで恥ずかしい黒歴史は、大人になった時、その人を病から救う元気のもとになり、生きる希望になる。
また、インターネットが普及した今では、同じような黒歴史を抱えた人が次々出てくる。そういった人たちと関わることで、友達ができなかった過去を癒やす人もいる。
黒歴史は、若者の文化であると同時に、若者の心の平和を保ち、悲しみを癒やし、大人になったときの他人とつながるための重要なツールなのである。
どうか、周りの大人たちは、小説を書いたりイラストを書いたり漫画を書いたりする子どもを馬鹿にせず、そっと見守っていてほしいものだ。いつか、その力を開花させる時が来るその日まで。
そして、中学生の頃、私の小説をひと目見て馬鹿にしてきた奴ら、クラスで大騒ぎして辱めた奴ら、今でも忘れてないからな。
黒き調和 結井 凜香 @yuirin0623
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
どん底実習助手/結井 凜香
★34 エッセイ・ノンフィクション 連載中 14話
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます