がんばれ! 多岐商女子ソフトテニスクラブ

もじ文字ヒーロー

第1話 3年ぶりに

・・・2023年4月4日(火)・・・


 多岐商業高等学校に新しい校長が赴任して来た。

校長の名は、高橋 満 (58歳)、多岐商業の卒業生で、ソフトテニス部OBでもある。

 そんな高橋は、母校で、どうしても成し遂げたい事があった。

それは、ソフトテニスクラブの復活である。自分の高校時代の思い出といえば、テニスの思い出しかない。もう、テニス=青春 的な感じで、高校時代を過ごしてきた。

 そのテニスクラブが男女とも、廃部となっている事は、赴任前から知っており、まずは、いかにクラブを立ち上げるか、既に計画を立てて、多岐商へ来たのである。


 職員履歴書から、クラブ顧問は、男子が、 小田 雄二先生(英語担当)、女子は、宮下 茜先生(音楽担当)と、直ぐに決め、即刻、二人に打診した。

 

 小田先生(51歳)は、現役のテニスプレーヤーである。20代後半からは、全日本代表メンバーや、国体選手として活躍し、国際大会団体優勝・国体優勝もしていた。192cmの恵まれた体で、スポーツ万能である。ただ、性格は堅物で、曲がった事は大嫌い、質実剛健という言葉がピッタリの人物である。冗談が通じない事も少しあり、それが無ければ、今頃、教頭先生か っていう人物である。(現在は主任)


 お互いの仕事の関係で、41歳の時、15年間一緒だった後衛とペアを解消した。それ以降、大会への出場は控えめにし、体力・技術が目立って落ちないようにする事を目的に、テニスは続けていたのである。


「ゼロからの出発ですか。面白そうですね。私で良ければ、宜しくお願いします」

小田は、嬉しそうに、そう言った。



 宮下先生(23歳)独身は、中学校1年生の時、1年間のテニス経験あり。履歴書の特技蘭には『ソフトテニス』と記載がされていた。アイドルのような、かわいい先生で、生徒の人気を集めそうな先生ではあったが、バリバリの文系女子で、運動音痴。それも並みの運動音痴ではない事が、後で判明する。

 しかし、こと、音楽に関しては、歌唱、エレクトーン、ドラムと何でもござれ的に出来、音楽教師としては、素晴らしい才能を持った先生であった。(びっくり)


<ま いいか。でも顧問の先生が、ほぼほぼテニスが出来ないとなると、問題は女子テニスのコーチだな。さて、どうするか?> 

校長は悩んだ末、小田先生に。「誰か、コーチを引き受けてくれそうな人は、いませんかね?」と持ち掛けた。


「名賀屋市での活動が主でしたので、申し訳ないのですが、こちらの学校でコーチが出来そうな人物は、ちょっと心当たりがありません」


「そうですか・・・・では、学校のホームページに、コーチ募集の記事を載せてみますか」


「そうですね。それがいいと思います。私も探してみます」


「よろしくお願いします」


(早速、事務の先生に頼んで、コーチ募集の記事を、ホームページに載せてもらった)


 で、で、次の日、ふら~と、職員室に現れたのが、葉山という人物であった。

 

「あのぉ~、テニスクラブのコーチ募集の記事を見て来ました、葉山 俊博と申します」


「葉山さん!」突然、大きな声が、職員室内から飛ぶ。・・・小田先生であった。


「あれ、小田先生。こちらにお見えでしたか」


小田が、20代後半から、ペアを組んでいたのが、葉山であった。

お互いに仕事が忙しい事もあり、ここ5~6年、連絡を取れずにいたのだが、これも運命だろうか、再び、黄金コンビが誕生したのであった。


 コーチ採用は即決であった。校長より、

「後は、小田先生、宮下先生、葉山さんに、全てお任せします。私はバックアップに徹しますので。もう既に、校内の各クラブ部員募集活動は始まっています。来週には、ほぼ決まってしまいますから、急ぎで部員を集めてください」


「はい、わかりました」


「事務的な作業は、校長権限で、前倒しで進めておきます。部員が集まった段階で、直ぐに、クラブ活動に入れるよう手配しておきますので」


 校長の意気込みがすごい!そして行動力が半端ない!

顧問・コーチにとって、こんなに心強い事はなく、3人は、何としてでも校長の意気込みに答えたい! と強く思うのであった。


「では、私は、男子のコーチを探します。私一人では、限界もありますので」と小田先生。


「あっ、それなら、一人心当たりがあります。野田 鈴也(のだ すずや)という後輩なんですけど、中学生のコーチをしていた経験もあり、人間的にも、とってもいいやつで、本人も、またどこかで、学生を教えたいって、先週も言っていましたから」


「先週?」


「実は、私の会社の社員なんです。テニスの話題で、話も合うものですから、よく飲みに行く間柄です」


「決まりですね。校長先生」と小田。


あれよあれよと言う間に、物事が決まっていく。

校長の、気迫・熱意が、いい流れを呼び込んでいるんだと、葉山は思った。



 ・・・・・翌日・・・・・


「麗華さん、すまんが、営業部の野田君に、こちらへ来るよう連絡してくれないか」

「はい、わかりました。社長」


5分後、野田がやって来た。


「いやぁ すまんね。忙しい時に」

「いえいえ、お話ってなんでしょうか」


「実は、仕事の話じゃないんだ。

前に、テニスコーチを、もう一度したいって言ってたが、男子生徒のコーチでもいいか?」


「えっ、はい。全然かまいません。と言うか、男子の方がいいです」


「君は、そっちだったか」

   ・・・・・・

「多岐商業高校に、この春、ソフトテニスクラブが出来てな。優秀なコーチを探していて、君を学校側に紹介したら、是非という話になって、野田君がOKなら、即決なんだが」


「高校生ですか。やりがいがありそうです」


 高校生の時は、並みの選手であったが、大学に行き、そこで才能が開花。

最高成績は、インカレ個人優勝で、天皇杯にも出場しており、現在も社会人クラブで活動を続け、国体等において、好成績を収めている。

 大学で伸びたのは、優れた監督・コーチのおかげであった。

社会人2年目の時、ひょんな事から、中学生のテニスコーチを引き受ける事になり、【指導する事の喜び】を知ったのである。中学コーチは3年間で終わったが、いつかまた、機会があれば、コーチというものをやってみたいと思っていた。

 『男子高校生が良い』 と言ったのは、自分がもし、高校生の時に、しっかりとしたテニス指導を受けられていれば、もっと良い成績が挙げらていたんじゃないのか。もっと素晴らしい高校生活が送れていたんじゃないか。という思いがあったからである。

 決して、葉山が考えた そっち側 という事ではない。


 元々、ジュニアテニスが盛んな地域で、ソフトテニスの競技人口が、他地域と比較しても多かった。だから、在校生の中にも、ソフトテニス経験者は思いのほか多くいる。

 勉強とかが関係し、年齢が進むにつれ、テニスを続ける人数は少なくなっていくのだが、経験者にとっては、【テニスの面白さ】は、なかなか忘れられる物ではないのである。

 だからクラブが出来れば、きっとメンバーは揃うと考えていた。

 3年ぶりのクラブ復活という事で、ほぼ真っさらな状態からのスタートという面も、過去のしがらみなどが無く始められるので、その点も良いなと、野田は思った。


「社長、一つよろしいでしょうか」


「なんだね」


「実は、来週から、アメリカ出張へ行かさせて頂きますので、学校へ顔を出せるのは、4月後半になってしまいますが、それでもいいでしょうか?」


「ああ、そうだったね。別に構わんと思うが、念のため、小田先生に電話しとくか」

そう言って、スマホを取り出し、小田先生と話を始めた。

・・・・・

「小田先生から、『よろしくお願いします』との事だった。

では、これで本決まりと言うことで、野田君、仕事も大変な中だが、よろしくお願いします」


「はい、こちらこそ、よろしくお願いします」


 多岐商男子ソフトテニスクラブの体制が整った。

顧問は、小田先生で、平日の指導を行う。土日祝日は、極力、野田も加わり指導を行う事になった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る