城壁

「健太もさぁ、そろそろいい人、いないの?」

「いるわけないじゃん……」


 またか、と思った。去年の夏に帰省したときも、同じことを言われた記憶がある。僕はため息まじりにすげなく答えた。


 僕はどうせ、失敗作なのだ。孟子に「不孝に三有り、後無きを大為だいなりとす」という言葉がある。二十一世紀になってもやはり、孫の顔を見たいのが親心なんだろう。望みがないにもかかわらず息子への期待を捨てられない母は憐れだし、期待に応えられない僕はみじめでしょうがない。


「あんたももう三十でしょ。このままじゃ一生独りぼっちよ」

「まぁ、そうだろうな」


 それだけ言って、僕は二階に上がった。実家の二階にある僕の部屋は、家を出る前とさほど変わらない。当時読んでいた漫画や小説が、そっくりそのまま本棚に挟まっている。


 僕はそのまま置いてあった勉強机の棚から、中学の卒業アルバムを取り出した。そこには赤崎香奈がサインペンで書いた寄せ書きがあった。そこには「いつまでも頼りになる松倉くんでいてね」と、やたら丸い文字で書いてあった。


 僕はその丸い文字を、そっと指でなぞった。


 赤崎香奈。僕が知らない間に知らない男と結婚して、その男との子を産んでいた赤崎香奈。在りし日に僕が脳内に作り出した像と、現実世界に生きる彼女は、もうすっかりかけ離れてしまった。けれどもは、僕の脳の片隅に居座り続けて、消え失せることはないだろう。


 僕は結局、人生において堀と城壁ばかりを築いていた。守りに入ってばかりで、馬を駆って野に繰り出し、実りを得んとするようなことは少しもしなかった。中島敦の名著の言葉を借りれば、僕は「全躯保妻子くをまっとうしさいしをたもつの臣」そのものだ。いや、僕には妻子すらいない。リスクを避け、変わらない日常を守り、己のを全うするために生き永らえているだけの男だ。


 ……でも、そんな人生でも、悪くはないんじゃないかと思っている。食うには困っていないし、心身疲労することはあっても、大過なく日常を送れている。自ら進んで平穏に亀裂を入れ、瓦解させるようなことを望む必要もない、と思ったりする。


 床の上に大の字になって、天井を見上げた。そっと目を閉じる。まぶたの裏では、晴れた空の下、まだ中学生だった赤崎香奈が、誰かの手を引いていた。大人になった後の彼女を見ていないから、僕の頭の中では未だに中学生のままだ。だからきっと、彼女が引くその手は僕の手なんだ。他の男のものではありえない。


 頭の中の僕は、その手を強く握り返した。

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籠城 武州人也 @hagachi-hm

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