城壁
「健太もさぁ、そろそろいい人、いないの?」
「いるわけないじゃん……」
またか、と思った。去年の夏に帰省したときも、同じことを言われた記憶がある。僕はため息まじりにすげなく答えた。
僕はどうせ、失敗作なのだ。孟子に「不孝に三有り、後無きを
「あんたももう三十でしょ。このままじゃ一生独りぼっちよ」
「まぁ、そうだろうな」
それだけ言って、僕は二階に上がった。実家の二階にある僕の部屋は、家を出る前とさほど変わらない。当時読んでいた漫画や小説が、そっくりそのまま本棚に挟まっている。
僕はそのまま置いてあった勉強机の棚から、中学の卒業アルバムを取り出した。そこには赤崎香奈がサインペンで書いた寄せ書きがあった。そこには「いつまでも頼りになる松倉くんでいてね」と、やたら丸い文字で書いてあった。
僕はその丸い文字を、そっと指でなぞった。
赤崎香奈。僕が知らない間に知らない男と結婚して、その男との子を産んでいた赤崎香奈。在りし日に僕が脳内に作り出した像と、現実世界に生きる彼女は、もうすっかりかけ離れてしまった。けれども頭の中の赤崎香奈は、僕の脳の片隅に居座り続けて、消え失せることはないだろう。
僕は結局、人生において堀と城壁ばかりを築いていた。守りに入ってばかりで、馬を駆って野に繰り出し、実りを得んとするようなことは少しもしなかった。中島敦の名著の言葉を借りれば、僕は「
……でも、そんな人生でも、悪くはないんじゃないかと思っている。食うには困っていないし、心身疲労することはあっても、大過なく日常を送れている。自ら進んで平穏に亀裂を入れ、瓦解させるようなことを望む必要もない、と思ったりする。
床の上に大の字になって、天井を見上げた。そっと目を閉じる。まぶたの裏では、晴れた空の下、まだ中学生だった赤崎香奈が、誰かの手を引いていた。大人になった後の彼女を見ていないから、僕の頭の中では未だに中学生のままだ。だからきっと、彼女が引くその手は僕の手なんだ。他の男のものではありえない。
頭の中の僕は、その手を強く握り返した。
籠城 武州人也 @hagachi-hm
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます