私が愛した彼女は物語の中に
坂本 ラッコ
第1話(全1話)
彼女のロッカーから、小さなボトルに入ったガムのようなものが落ちて来た。
それをキャッチしラベルを見ると、「プラセンタ配合」と書いてあった。彼女は、わぁー、と慌ててそのボトルを私から取り上げると、「あのね、お菓子屋さんで買ったんだけど……育乳に効くんだって。」と真っ赤な顔で言った。
その当時確かにそのガムは少しだけ流行っていたのだが、実際に買っている人を私は見たことが無かった。
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その彼女は、私の友人だった。
だった、と過去形で言うのは、私がもはや彼女が元気でいるかさえも知らないからである。
彼女と出会ったのは、高校時代である。
身長167センチ、体重はおそらく50キロ台だったと思う。 キリリとした切れ長の一重瞼にびっしりと豊かな睫毛に漆黒の長い髪。東洋美人の彼女はいつも一人静かに教室の片隅で古典の資料集を読んでいた。
あまり共通点のあるタイプではなかったが、たまたま席替えで前後になったことをきっかけに、私たちはよく話すようになった。 彼女は抜群に成績が良かった。 どの教科でも必ず3位以内にランクしていたが、それをひけらかすようなことは一切なかった。 正確に言うと、そんなに混み入った話をするような友達が彼女には居なかったのだと思う。
ただし、決して嫌われていたわけではない。むしろその逆だ。
私達の学校は一応、進学校の女子校であった。 ほとんどの授業が習熟度別に分かれており、いずれも席は自由だった。 私は仲の良いグループといつも一緒に座っていたし、彼女はその時々で違う人の隣に1人で座った。彼女は人に自ら進んで話しかけるようなことはほとんどなかったが、相手が誰であろうと話しかけられれば、涼しげな表情で応じた。
彼女のことをよく知らないという人は多かったが、嫌いだと言う人は1人も居なかった。
彼女は決して「一人ぼっち」ではなく「孤高」の人だった。
彼女は不思議だった。
さっきまで、いわゆるスクールカースト上位の派手な女の子達に話しかけられて談笑していたかと思えば、お世辞にも成績の良いと言えない彼女達の輪からサラリと抜けて1人で特進コースの授業に向かう。 そしてそこでは、マイナー漫画を好む子達に自然と溶け込んで話をする。授業が終わってホームルームに戻ると、今度はバスケットボール部の女の子達と一緒にお弁当を食べたり、日によっては古典の資料集を読みながら1人でお弁当を食べたりしていた。
誰と居るも、居ないも、すべてはおそらく彼女の気分次第だったし、誰もそれを咎めることはなかった。彼女ほど孤高で自由な人を、私は知らない。
彼女と打ち解けるにつれて気が付いたのは、彼女がえらくマイペースであるということだった。
彼女はどんな話題にもついていくことが出来た。特に自分の興味のあることは前のめりで聞いた。ただしそうでもないことは、へぇー!とか、わぁー!と大きなリアクションをとって聞いていたが、おそらく聞いているふりでもしていたのだろう。
ただ、とても上手な間合いで相づちを打つものだから、私以外の人はおそらく彼女の聞いているふりに気付かなかったのではないかと思う。
彼女はこの世の何よりも、勉強をすることが好きだった。
特に現代文の授業で扱うような散文や短歌、古典物語、古代史を愛していて、授業の合間にはずっと資料集を読み耽っていた。 私は理系だったので彼女のそういう話を一度も深く聞いたことはなかったが、彼女が他の何をも差し置いてそれらに熱中していることだけはよく分かった。
私はセンター試験対策のためだけに現代文の授業も受講していたが、習熟度別では真ん中のクラスだった。彼女は当然、特進クラスだった。特進クラスの授業には、私たちのホームルームが使われた。
特進クラスは若い女性が担当していた。 決して分かりやすいと評判の授業ではなかったから、彼女は授業後にいつもその先生のもとに駆け寄り、質問攻めにしていた。疑問点が解消されると、彼女はぱぁっと明るい表情をして、深々と先生にお辞儀をして自席に戻った。
私は、文系の学生はすべて暗記に頼ってばかりで物事の本質を見ようとしないモノグサだと決めてかかっていたが、彼女を見て、それが自分の思い込みだったことに気がついたし、真に本質を見ようとしないのは一体どちらなのか、自分自身を強く恥じた。それくらい、彼女は本当に探究心が強く、思慮深く、尊敬できる人だった。
そんな彼女にはおそらく、1つだけコンプレックスがあった。 抜群のスタイルを誇っていたが、ものすごい貧乳だったのだ。 彼女がたまにお弁当を一緒に食べていた体育会系の女の子達からは、「美乳」をもじって「微乳」だといじられていた。
ある日、ロッカーの前で彼女と一緒になった私は、彼女が丁寧に教科書を仕舞い込むのを待っていた。
すると彼女のロッカーから、小さなボトルに入ったガムのようなものが落ちて来た。それをキャッチしラベルを見ると、「プラセンタ配合」と書いてあった。彼女は、わぁー、と慌ててそのボトルを私から取り上げ、「あのね、お菓子屋さんで買ったんだけど……育乳に効くんだって。」と真っ赤な顔で言った。
その当時、確かにそのガムは少しだけ流行っていたのだが、それを実際に買っている人を私は見た事が無かった。ただいつもクールな彼女の慌てている姿は可愛らしいな、と思った。
高校3年生になると、受験に向けて授業は選択制となり、ホームルームが無くなった。みんな登校するや、そのまま自分の選択した授業の教室に向かうため、私が彼女と顔を合わせることはほとんど無くなった。 私はひたすらに勉強に励んだ。
受験が終わり、結果を報告するために職員室に登校したある日、久しぶりに彼女に会った。 センシティブな話題なので避けようとしていたのだが、あまりにいつもと変わらない彼女の様子と健康的な顔色を見て、私はきっと彼女の受験は上手くいったと確信した。
どうだった?と訪ねると案の定、彼女は第一志望の大学の3つの学部に合格し、うち最も志望していた学部に進学するとのことだった。私も彼女ほどの難関校ではないものの、第一志望の大学に合格したため、彼女と喜びを分かち合った。
私は彼女の進学するが学部を知らなかったが、あんなに文学が好きな彼女だから、きっと文学部に進んだと思っていた。
そしてうっすらとだが、彼女は古典文学の研究者になるのではないかと思った。 たとえそれで生計を立てることが難しかったとしても、彼女なら軽やかに、そしてマイペースに困難を乗り越え、堂々と研究成果を発表し、学会を湧かせている。なんだかそんな明るい未来が容易に想像できた。
卒業式で彼女にさよならと言った日を境に、私は彼女と会うことはなかった。会いたくなかったというわけでは決してなく、会わなくても彼女がきっと元気に、そして自由に生活しているだろうなとわかっていたから、特段気にかけることがなかったのだった。
それからしばらくして、高校で仲の良かった他の友人とランチに行った。その時、話の流れで彼女の話を聞いた。 彼女は文学部ではなく商学部に進学し、経営学を学んでいるとのことで、それを聞いた時に私はものすごく驚いた。
彼女と経営学はまったく結びつかなかった。 いや、私が知らないだけかもしれないが、経営学の中にはどこにも古典文学に通ずる要素がないように思った。なにより経営学はいわゆる実学である。そこも研究者気質の彼女にはまったく似合わないと思った。
彼女に一体何があったのだろうか。 もしくは、私は彼女のことを何か見誤っていたのだろうか。 不思議でならなかったが、なんとなく彼女に聞いてもはぐらかされるような気がして、ついに連絡をとることはなかった。
そこから10年が経った。私は27歳になっていた。 ある日何の気無しにインスタグラムを開くと、そこには一枚の結婚式の写真があった。新婦側の友人席につく、5人の知った顔と、1人の知らない顔。
私達の高校は少人数制だったから、知らない顔はいないはずだった。
私は好奇心から、写真を投稿した女の子にラインをして、写真の一番右に映っている子ってなんて名前だっけ、と訪ねた。
その子は、あの孤高の彼女だった。 友人も10年ぶりに会って彼女の変わりように驚いたらしい。
というのも、あんなにスタイル抜群だった彼女は、目視30キロは増量していて、なんだか居心地の悪そうな、ぎこちない笑みを浮かべていたから。
参列者の友人が近況を聞くと、こう話したらしい。
彼女は大学を無事に卒業してから外資系の企業に入社し、昼夜問わずに働いていた。 頻繁に海外出張をしており、常に時間に追われてストレスが溜まっていた。そのストレスから逃れるために美味しいお店巡りを繰り返していたところ、気付くと少しだけ太ってしまった。
パーソナルトレーニングに通って体重を落としてから会社の先輩と結婚をしたが、彼女のマイペースな性格が神経質な彼女の旦那を苛立たせてしまい、常に喧嘩が絶えない。そしてそのストレスから逃れるため、またしても美味しいお店巡りをする……。そして太る……。
彼女の自宅にあった大量の本は旦那が嫌がるという理由で、結婚を期に処分したらしい。
彼女の知性を宿した表情は昔と何も変わりがなかった。聞き上手なところも。ただ、求められるがままにおどけて自分語りをする彼女に、あの高校時代の孤高さは見る影もなかった。 思えば彼女が商学部に入ったと知った時から、私の彼女に対する違和感は拭えない。あまりに彼女の人生が、そういった俗物的なものと掛け離れていたから。
もしかしたら、彼女には私の、いや、私達の知らない一面があったのかもしれない。 思い当たることがないわけではない。
プラセンタのガムをこっそりと食べていたこと。いつもぶかっとしたセーターを着てその抜群のプロポーションを隠していたが、何故かスカートだけは巻き上げ、超がつく程のミニ丈にしていたこと。
繁華街で彼女そっくりの派手な女性と一緒に歩いていたこと。
ごくたまに夜の街を太ったサラリーマンと歩いていること。一人っ子と言ったり、離れた所に弟が暮らしていると言ったりすること。
父親がいないこと。予備校に通わずに、独学で勉強をしていたこと。
夏は半袖のシャツが規定なのに、いつも規定外の長袖のシャツを着ていて、先生に注意を受けていたこと……。
ついに彼女が本当は何を考えていたのか、私は知ることはなかった。
それに彼女に訪ねたとて、きっと彼女の全てを私にさらけ出してくれることは無いと思うし、この世の中に、彼女が彼女の全てをさらけ出して話すような人が居るかどうかも、私にはあまり確信が持てない。それくらい彼女は孤高だった。
現在私は、ある業界で商品開発に携わっている。商品コンセプトは文系社員が考えることが多いのだが、私は技術面からアイデアの実現可能性を検証する。 この職に就いてから、ジャンルを問わず様々な物をインプットするようになった。
この間は美術館に行き、源氏物語の展示を見てきた。 相変わらず興味はもてなかったが、色鮮やかな十二単を着た引目鉤鼻の女性たちが、絵巻物の中で思い思いに舞っている姿には惹き付けられた。
その時ふと、数年ぶりに彼女のことがよぎった。
もしかしたら彼女はいつも教室の片隅で資料集を読みながら、現実を忘れ、源氏物語にでてくるような女性達に思いを馳せていたのかもしれない。 家柄が良く、日がな一日恋に溺れ、叶わぬ恋の和歌を読んでは枕を濡らす、そんな女性達に。
一体彼女を取り巻くどんな現実が、彼女をそんな美しくも惚けた世界から俗世間に引きずりだしたのか、私は知らない。それに本当の彼女が何を考えていたのかも。
そして今彼女が幸せに暮らしているのかどうか、相変わらず私にはわからない。
だけど、彼女の長い人生の、あの短い高校時代の、あのたった10分間の授業の合間に食い入るように見入っていた資料集に居る古典文学の女性達は、永遠に彼女の味方であり、友達であり、彼女が辛いときの心の拠り所であり続けるに違いない。私はそう願っている。
完
私が愛した彼女は物語の中に 坂本 ラッコ @tofu_16
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