煙草心
六辺香 文華
第一章
第1話
「ただいま…」
誰もいない部屋に、虚しく俺の声が響いた。
『今日も、疲れたな…』
俺は机に置いてあったタバコの箱を手に取り、そのままベランダに出た。そして一本火につけ、大きく息を吸った。
フゥ…
白っぽい煙が東京の夜空に広がっていく。
[まったく、いい医者がタバコなんて吸うもんじゃありませんよ!!]
今日の昼に、看護師長から言われた言葉を思い出したが、すぐに煙で消し去った。
『悪いな、いい医者で』
ふと、タバコを持っている手元を見た。
『俺は…タバコはやめれないんだよ』
「…あれからもう10年、か」
10年前。
僕は高校3年で、医大に向けての受験勉強で多忙な日々を送っていた。
そんなある冬の日のこと。
予備校からの帰り道の途中、歌が聞こえてきた。
ここの駅は大きいから路上ライブが行われてる事が多い。
どうせ今回もありきたりの歌なんだろうな。
『…いいよな。暇な人は』
そう思い、ライブ会場を通り過ぎた瞬間だった。
ー♪ー♫ー♪!
『!!』
なんだ、この歌は。
拙い。けど、心に、何か訴えてるような…
「凄い…」
いつの間にか、僕は最前列でライブを見ていた。
歌ってたのは、僕とほとんど年齢が変わらない、1人の少女だった。
真冬なのに、彼女の周りだけまるで春のような温かさがあった。
「ー以上、
パチパチとまばらに聞こえる拍手と共に、音楽は消えていった。
『ああ…もっと聴きたかったな…』
「ねえねえ!」
「えっ」
僕はびっくりして、つい声を出してしまった。
歌ってた少女ー瀬凪乱がこっちを見てニコニコしてる。
「君だよ君!」
「ぼ…僕ですか」
「そう!君、途中からずっと最前列で聴いてくれてたよね!ありがとう!」
「あ…はい」
彼女はルンルンで僕に近づいてこう言った。
「ねえ今からついてきて欲しいんだけど、どう?」
「え…でも…僕は…」
「いいからいいから!ちょっとだけ!ね!」
彼女はよいしょとギターを背負い、僕の手を引っ張った。
「ぷはぁー!やっぱり美味いなぁこれ」
とある路地裏で、彼女はオヤジのように言った。
「ごめんね、急に誘っちゃって」
「…えっと」
『まずい。こういう時どうすれば良いんだ。適当に話しして帰るか…』
「大丈夫です。では失礼します」
僕はクルリと180度回転し、緊張と寒さでカチコチになった身体をなんとか動かして帰ろうとしたが、
「まって」
と呼び止められてしまった。
「まだ名前すら言ってないじゃん」
あははと笑いながらタバコを吸って大きく息を吐いた。煙が、僕の顔にまとわりついた。
「ケホッ…なんで名前をいわなきゃいけないんですか」
「いいじゃん、もう私たち仲良しなんだから」
「はあ?大体あなたみたいな不審…」
「私は瀬凪乱。君は?」
彼女は僕の話を完全に無視して、質問を投げかけてきた。僕は仕方なく
「…
とポツリと言った。
「シオン、だなんて、まるで女の子みたいでカワイイね」
カアッと顔が赤くなるのを感じた。この温度は、怒りか、恥ずかしさか。けど、実際何も言えないのがこれまた悔しい。
瀬凪乱はさらに喋り続けた。
「紫音君は〜みた感じ高校生?」
「…そうですけど」
「じゃあ同じだ」
ニカっと笑い、再びタバコを口に当てた。
「僕と同じなら、タバコ駄目じゃないですか。」
「いいのいいの」
彼女はフウと細い息をした。
「『これ』は私のアイデンティティみたいなものだから」
「…」
「あ、君も一本、どう?」
そう言いながら彼女は僕にタバコの箱を差し出した。
「いらないです。僕は君とは違う」
「そう?案外似てると私は思ったんだけどなあ」
「…そうですか」
しばらく、沈黙が続いた。もういいだろう。いい加減帰らないと、門限に間に合わなくなる。僕はそう思い、
「…すみませんが、今日はもう帰らなきゃなので」
といい、今度こそは歩き出すことができた。
「そっか。じゃあバイバイしなきゃだね」
「はい。それではー」
「私毎週月曜日と金曜日に同じ場所で歌ってるから!」
「あ…」
「また聴きに来てよ、最前列で!」
返事が、できないまま、僕は表通りへ出て急ぎ足でその場を去った。
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