第78話 カウントゼロ、文化祭初日の朝

 文化祭当日の朝。

 一日目の今日は校内開放、明日が一般公開となっている。

 雪愛は春陽との待ち合わせ場所である改札前に向かっていた。

 昨日は春陽が美優と会い、どうなることかと心配していたが、二人が仲直りできて本当によかった。

 春陽と美優がこれから姉弟の仲を深めてくれたらと願うばかりだ。

 雪愛も美優と話をさせてもらったが、本当に素敵な人で、これからも仲良くさせてもらえるのが嬉しかった。

 ただ、昨日はそれだけで終わらなかった。

 春陽に急遽予定が入ってしまったため、解散した時間が完全に暗くなる前だったこともあり、送ってもらうことはなく、フェリーチェで別れたのだ。

 雪愛は少し急ぎ足になる。

 早く春陽に会いたい。

 昨日別れてから、雪愛は早く春陽に会いたくて仕方がなかった。

 雪愛には春陽にかけたい言葉があるから。


 いつも春陽がいる場所を視界に捉えると、そこには制服を着て佇む一人の青年がいた。

 思わず雪愛は目を大きくし足を止めてしまった。

 春陽の心の傷を知っている雪愛だからこそ、自分の目に映るものが信じられない気持ちも強い。

 いったいどれほどの勇気が必要だったことか。

 けれどそれ以上に嬉しさがこみ上げてくる。

 美優が言った通り、これは春陽が自分自身のことを認めてあげる第一歩だと思うから。

 歩みを再開した雪愛は、春陽のもとへと向かっていく。

 途中春陽も雪愛に気づいたようだ。

 雪愛の口元に自然と笑みが浮かぶ。

 

「おはよう、春陽くん」

「ああ、おはよう雪愛。……なあ、これ、変じゃないか?」

 雪愛が伝える前に、春陽からそんな質問がされた。

 随分と不安があるようだ。

 だが、雪愛はそんな不安なんて全く感じる必要はないのだと言うように満面の笑みを浮かべる。

「変なところなんて何もない。すっごく素敵だよ」

 これが雪愛が春陽に言いたかったこと。

 雪愛の言葉に春陽は照れたのか頬をかく。

「っ……そうか?……ありがとう、雪愛」

「ねえねえ春陽くん、ちょっと……」

 言いながら春陽の腕をくいくいと引き、春陽に顔を近づけるようにお願いする雪愛。

「どうした?」

 春陽が雪愛の口元に耳を近づける。

「あのね、……大好き」

「っ!?」

 雪愛の思わぬ言葉に、思わず顔を離し雪愛を見れば、自分で言って照れているのか雪愛も頬を染めていた。

 そんな雪愛の様子に春陽は優しい笑みを向ける。

「俺もだよ」

 そう言って今度は雪愛の耳元に顔を寄せる春陽。

「大好きだ」

 こうして朝から熱々な会話を終えた二人は仲良く学校へと向かうのだった。


 駅や電車の中でもちらちらと見られていたが、学校の最寄り駅に着き、周囲が光ヶ峰の学生だらけになると、その視線の数が格段に増えた。

 最近は嘲笑を含んだ視線を向けてくる者が多かったが、今日のは違う。

 特に女子生徒の視線が顕著だ。

 雪愛の隣にいるのは誰だ、あんな人この学校にいたか、いつもはあの彼氏と一緒にいるはずじゃ、いやあれは別人だろう、ありえない、と男女関係なく一緒に登校している者同士で話している。


 話し声なんて聞こえなくてもわかる。

 春陽への認識が改まっていく。

 これだけで困惑する周囲に腹立たしさも感じるが、同時に誇らしくもある。

 私の彼氏はこんなに素敵な人なんだ、今更気づいたのか、と声を大にして言いたい気持ちだ。

 ちょっと性格が悪いだろうかと反省するが、それだけ雪愛もここ一か月はストレスを溜めていたということだろう。


 校舎に入り、教室へ向かう間も周囲の反応は同じだった。

 絶句する者、二度見する者、共通しているのは皆驚いているということ。

 そしてまたひそひそと話し出す。


 ついに二人が教室に着いた。

 そのときの教室内を何と言ったらいいか。

 時が止まったような感じ、というのが適切かもしれない。

 皆雪愛の隣にいる人物が誰だかわからない。

 いや、雪愛の隣に立つ男など一人しかいないのはわかっているが、その人物と一致しないのだ。

 そんな中、それが春陽だとすぐにわかる者達もいた。

 瑞穂達や和樹達だ。

 そんな彼らもわかりはするが、すぐには理解が追いつかなかった。

 なぜなら春陽が学校でこの姿になるのは初めてだったから。


 そして、夏休みにショッピングモールで雪愛が男性と一緒にいるところを見た女子生徒達も驚いていた。

 そこにいたのは、正にそのとき見かけた男性だったから。

 あのときよりさらに爽やかな印象だが、顔は見間違いようがない。

 あんなにカッコいい人が何人もいるわけがないのだから。

 つまりはあのとき見たのは春陽で、春陽は雪愛の彼氏で……。

 自分達が大きな思い違いをしていたことに彼女達は気づいた。


 そんな視線を感じつつ二人はそれぞれ自分の席へと向かう。

 春陽が席に着くと、周囲はさらに驚き、目を大きくする。

 やはり、この男子生徒は風見春陽なのか、と。

 それでも信じられない気持ちが強い。

 見た目が違いすぎるのだ。


 いち早く立ち直ったのやはり春陽の顔を見慣れている瑞穂達と和樹達だった。

 席に着いた春陽のもとに集まっていく。

「風見、あんたどうしたの!?髪は切っちゃってるし、眼鏡も!」

 瑞穂が一番に口を開く。

 以前の雪愛の言葉から、あり得ないことが起きている、そう感じたのだ。

「春陽、どうしたんだ?なんで急に!?」

 和樹も言いたいことは瑞穂と同じだった。

 今まで隠していたのにどうして突然、と。

 それらの声が聞こえたクラスメイト達は本当に彼が風見春陽なのだと理解しどよめきが起きた。

 そう、春陽は長かった髪を切り、眼鏡を外しているのだ。

 それが何を意味しているか。

 陰キャなんてとても言えない、髪を切って爽やかさが増した整った顔立ちの青年がそこにはいた。

「ちょっと落ち着けよ。どうしたも何もない。ちょっとアドバイスをもらってな。……もしかしてやっぱり変か?」

 雪愛にも訊いたが、雪愛は自分のことを悪く言わない節がある。

 だから瑞穂達や和樹達の反応にやっぱり変なんだろうかという思いが再び湧き上がってしまったのだ。

「いや、変って……。どっからそんな考えが出てくるんだよ」

 蒼真が呆れたように言い、

「風見っち、めちゃくちゃ似合ってるよー。絶対今の方がいいと思う」

 未来が素直な感想を言う。

 隆弥と香奈も頷いている。


 そこに悠介が登校してきた。

 クラスの雰囲気が少し変なことに首を傾げながらも、挨拶をしながら自分の席に向かう。

 春陽の周りに皆が集まっていることにも疑問顔だ。

 そして自席につき、春陽を見た瞬間、目を大きくして固まる。

 雪愛も荷物を置いて春陽のもとへとやってきた。

「春陽、おまっ、それ……」

「よお、悠介」

「よおじゃねえよ。どうしたんだ、いきなり……」

「まあ、ちょっと心境の変化、ってやつだな」

 春陽の顔に笑みが浮かぶ。

 雪愛も笑っている。

 それだけで悠介は驚きなんて吹っ飛んでしまった。

「ははっ、何だそれ。随分簡単に言うじゃねえかよ。イケメン野郎が」


 春陽の言うアドバイスとはもちろん昨日美優に言われた言葉だ。

「解決策を言う前に、一つだけ確認。春陽、あんた学校ではいつも今日みたいにしてるんでしょ?それはどうして?」

 春陽の顔を隠すような髪型、眼鏡姿を見て美優が問う。

「……こうしてると、皆俺を根暗な陰キャだって思ってくれて、話しかけられることもなくて人と関わらなくて済むから。それに、そもそも俺は自分の顔が嫌いだからあんまり見られたくもない」

 春陽の言い分に美優はやっぱりと思うと同時に、胸が痛くなった。

 春陽の隣では雪愛も辛そうな、悲しそうな顔をしている。

 そんな雪愛を見て美優は自分の予想が正しいことを察する。

「春陽、よく聞いて。春陽がそんなこと関係ないんだよ。春陽は春陽なの。そこに別の誰かのことなんて重ねないで。誰もそんな人のこと見てない。春陽だけを見てるんだから」

「っ、姉さん……」

 春陽が自分の顔を嫌いな理由を正確に理解しているとわかる美優の言葉に春陽は一瞬言葉に詰まる。

「春陽が嫌いだっていう顔、私は好きだよ。カッコいいと思う。小さい頃から可愛かったけど、今はすごくカッコよくなった。成長したあんたはカッコよくて優しくて、自慢の弟だって私は思う。だから私の自慢の弟のこと、否定しないで?」

 美優は姉としての言葉を続ける。

 大切な弟に少しでも届いてほしいと願いながら。

「隠さないで?嫌わないで?私は春陽のすべてを肯定する。すべてを愛おしく思ってる。そして、それは私だけじゃないはず。ね、雪愛ちゃん?」

 突然話を振られた雪愛は驚くが、返事は簡単だ。

「っ、はい!」

「雪愛……」

「ふふっ。だから春陽も自分自身を認めてあげて?」

 春陽はずっと家族というものを渇望していた。

 本来親から与えられるはずの愛情を何一つもらえなかったため、家族愛に飢えていたのだ。

 だから幼い頃、姉の美優にあれだけ懐いた。

 静香の策略で疎遠になっていってもその気持ちは変わらなかった。

 けれど、美優の言葉を受け、美優も家族ではないのだとそう思った。

 それからの春陽はより一層渇望するようになる。

 その渇きに自身が何も感じなくなるほど限界まで。

 麻理達ともう少し一緒に過ごせていれば違っただろう。

 だが、実際は二年も経たず貴広が亡くなってしまった。

 春陽が彼らを真に家族だと思えるほどの時間を与えてもらえなかった。

 そうして過ごしてきた春陽に今改めて家族ができた。

 それがどれほど春陽の心に影響を与えたか。

 まだ今日の出来事だ。

 それでも確かに春陽の心に潤いを与えた。

 そしてそれが春陽の心を少しだけ前向きにした。

「……すぐには、正直難しい……けど、そう思えるようになりたい、とは思う」

 何よりも家族からの言葉だというのが大きい。

「春陽くん……」

「今はそれでいいよ。でもそう思ってるのは私達だけじゃないからね?」

 少なくとも麻理、そして親友だという悠介という子もそうだろう。

「わかった……。ありがとう、二人とも」

「それで、ここからが解決策だけど、長い髪のままでもセットすれば大丈夫ではあるけど、春陽が髪を切って目元を出して、眼鏡も外して、そうしてあんたのカッコいい顔を見せつけてやればグチグチ言ってくる奴ら全員黙らせることができるよ」

「……そんなことで?」

「信じてないなぁ?それは春陽が自分の顔を嫌ってるからそう思うだけ。言ったでしょ?あんたはカッコいいの。ね、雪愛ちゃん?」

「は、はい!春陽くんはカッコいいです。その、見た目だけじゃなくて全部」

「雪愛ちゃん本当にいい子ね。わかった?変な自信持つのはどうかと思うけど、春陽の場合はもっと自信を持ちなさい。これはその第一歩になる」


 断言する美優に春陽も心を決める。

 そこからは早かった。

 善は急げと、美優が急がせたため、三人での話はそこで終わり、春陽は美優と雪愛を店内に残し、髪を切りに行った。

 春陽は雪愛を送っていくと言ったのだが、それは雪愛が断った。

「美優さん、本当にありがとうございました」

「それはこっちのセリフよ。ありがとう雪愛ちゃん」

 店内に残った二人は笑みを浮かべていた。

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