人間不信の俺が恋なんてできるわけがない

第７話 近づく距離と微妙にすれ違う言葉

　翌日の昼休み。

　雪愛は未来、瑞穂、香奈のいつものメンバーでお弁当を食べていた。

「ねえ、ゆあち。今日は休み時間にどこか行ったりしないけどもういーの？」

　最初に切り出したのは未来だった。

　瑞穂と香奈は黙って雪愛を見ている。

「ええ。それはもういいの」

　未来の言った通り、雪愛は今日普通に休み時間を過ごしていた。

　昨日麻理に誘ってもらえたことで焦る必要がなくなったためだ。

　だが、そんなことを知らない三人はこれで終わらない。

「探し人が見つかったってことかなー？」

「えっ！？なんで―――」

　未来が人を探していたことを知っているのか。

「雪愛、あんた二年の全クラスを何回も見て回ってたでしょ。すっごい噂になってるよ」

　瑞穂の言葉に香奈も未来も同意するようにコクコクと頷く。

「噂って？」

　ちょっと各クラスを廊下から見たくらいでいったい何の噂になるというのか。

「ん～簡単に言うと、ゆあちの探し人は男子で、それはゆあちの想い人って感じかなー」

　実際は、雪愛に好きな人ができた。それは二年の誰かだが、クラスがわからない。だから探しているのだという流れで、誰だ誰だと特に雪愛に好意のある男子の間で盛り上がっている。ほぼ正解のニアピン賞をあげたいくらいの精度だ。実際はフルネームすら知らないのだが。

「なんでそんなことになってるの！？」

「雪愛ちゃん目立つから。皆雪愛ちゃんに気付いて色々と話してるうちにってことじゃないかなぁ」

　香奈の言葉に雪愛はすかさず反論する。

「でも、廊下からちょっと教室を見ただけよ？」

「それが二日間、何度もね。だからでしょ」

　瑞穂がすぐにぶった切る。

「みずっちの言う通りだねー。それで、それでー？実際どうなのー？男子を探してたのー？見つかったー？」

「みずっちはやめろ」

　瑞穂のツッコミは三人にスルーされた。

「はぁ……確かに探してたのは男子で、まだ見つかってないわ」

「本当に男の子だったんだ」

　香奈が目を見開いている。

　瑞穂も似たような表情だ。

　二人の驚きは雪愛の男嫌いを知っているからこそだろう。

「かなちもみずっちも驚きすぎだよー。でもそっかー。ゆあちにもとうとう春が来たんだねー」

「！？そういうのじゃないんだけど……。ただちょっと気になるっていうか…」

　一瞬未来の言った春が別の意味に聞こえて雪愛は肩をビクッとさせた。

　だが、雪愛の気になるという言葉にさらに香奈と瑞穂は驚愕する。

「けど、見つかってないのにもういーの？」

「ええ。連休中にまた会えることになって。その時にわかるはずだから」

　雪愛は昨日麻理が言った言葉を思い出す。

『その日ならハルは普段通りだろうから。雪愛ちゃんの知りたいことわかると思うわよ？』

　その後も未来、瑞穂、香奈から質問攻めにあう雪愛。恋バナは彼女たちも大好きだ。しかもそれが今まで一度もその手の話題の中心になったことのない雪愛なのだから彼女たちの好奇心はとどまるところを知らない。

　ただ雪愛自身わからないことだらけなのだ。

　最終的には、三人とも雪愛が戸惑っていることがわったのだろう。わかったら言うという雪愛の言葉と昼休みの終わりという制限時間によりこの話は終わった。

　その日の放課後。

　雪愛の帰った後の教室内で未来、瑞穂、香奈の三人は話していた。

「結局ゆあちの気になる人って誰なんだろうねー」

「さあ。でも雪愛にとっては初めてのことなんだろうね、あれは」

　瑞穂は昼休みの雪愛を思い出しながら言った。

「何ができるかわかんないけど雪愛ちゃんの力になってあげたいね」

　三人は近いうちに雪愛の変化にさらに驚くことになる。

　そうして春陽にとっては平穏な、雪愛にとっては待ち遠しい日々を過ごし、ついにその日がやってきた。

　空はよく晴れており、絶好の行楽日和だ。

　臨時休業の札がかかったフェリーチェの店内には、すでに麻理、悠介、楓花がおり、そこに雪愛が入ってきた。

「こんにちは。今日はよろしくお願いします」

「いらっしゃい、雪愛ちゃん。ハルが来たら出発だからもう少し待っててね」

　はい、と返事をして雪愛は悠介と楓花の方へと近づいていく。

　メンバーは事前に聞いていたので、チェック柄のレイヤードワンピースを着ている彼女が悠介の妹だろう。

「こんにちは、佐伯くん。それと初めまして。佐伯くんのクラスメイトの白月雪愛です。よろしくね」

「あ、はい！佐伯楓花です！中三です！お兄がいつもお世話になってます！よろしくお願いします！」

　楓花は、さすが悠介の妹という感じの整った顔立ちをしており、ハーフアップのツインテールがよく似合っている可愛らしい女の子だ。

「楓花、お前緊張しすぎ」

　悠介は雪愛に、こんちは、白月と返事をし、楓花にジト目を向けた。

「だってお兄！雪愛さんめっちゃ美人だよ！あ、雪愛さんって呼んでいいですか？私のことも楓花って呼んでください！」

　悠介への言葉は小さめに、雪愛へははっきりとしていた。

　だが雪愛へももちろん聞こえてしまっている。

「んなことわかってるっつの」「え、ええ。わかったわ、楓花ちゃん」

　そんな自己紹介をしていると再び扉が開いた。

「あ、ハル兄来た！」

　その瞬間、雪愛は自分の身体が強張るのを感じた。

　そして、ゆっくりと振り返るとそこにいたのは――――

「風見…くん？」

　目を見開いて驚いて固まっている春陽が立っていた。

　今日の春陽はジーンズに長袖のTシャツとラフな格好で、髪型や眼鏡などは学校の時と同じだ。春陽にとっては、これがデフォルトのため、学校のある、なしは関係ない。

　ちなみに、雪愛の服装も今日の予定を聞いていたため、春らしい淡い黄色のフレアスカートに白のカットソーと水色のカーディガンというカジュアルな装いをしている。

「なんで白月が……！？」

　青天の霹靂とはまさにこのことか、というほど春陽は驚愕している。

　今日は毎年の言わば恒例行事だ。

　理由はわかっているため、麻理にはやらなくていいと言っているのだが、聞いてはもらえない。

　そんな日にどうして雪愛がいるのか。

　春陽の頭の中は混乱の極みだった。

　雪愛も混乱度合いは春陽と似たようなものだ。

　今の春陽はあまりにもハルのときと印象が違う。

　髪型や眼鏡でここまで変わるものなのか。

　他のクラスを探しても見つからないはずだ。

　まさか、クラスメイトである彼がハルだったとは。

「あら、ハル来たわね。じゃあ全員揃ったし出発しましょうか」

　麻理はあっけらかんとそんなことを言うが悠介がすかさずストップした。

「いやいや麻理さん！この空気なんとかしてから行きましょうよ。向こうに着いてからじゃ美味しく食えないですって！」

「もう、しょうがないわねぇ。雪愛ちゃんはこの間話したときに誘ったのよ。ハル！もう諦めてちゃんと自己紹介しなさい」

　麻理の言いたいことはわかるようで全くわからない。

　だが、言われた春陽は、聞こえてはいたのか、

「……風見春陽です。……ここでバイトしてます」

　まだ頭が追い付かず、茫然とそれだけを口にした。

　空気はおかしくなったままなのだが、麻理はこれでいいでしょ、と言わんばかりだ。

　悠介はそんな麻理に、雑すぎると深いため息を吐いた。

　駅までの移動中、春陽は悠介からなぜこうなったのかを聞いていた。

　雪愛は麻理と楓花の三人で歩いており、そちらはそちらで春陽のこと、雪愛のこと、楓花のことなど色々と話して盛り上がっていたりする。

「…それは、麻理さんの嫌がらせということか？」

　話を聞いた上での春陽の結論はそれだった。

「そうじゃねえよ。麻理さんがんなことするわけないだろ。…白月とのことがお前にとっていいことだって信じてんだと思うぞ？」

「…わけがわからん」

　電車で一時間。電車の中では春陽も持ち直したが、雪愛と春陽が直接話すことはなかった。

　辿り着いたのは、川が目の前を流れているキャンプ場だった。近くには温泉もある。

　今日の予定はまずここで、バーベキューだ。

　このキャンプ場は手ぶらでバーベキューができるので結構な人気スポットだ。麻理たちは毎年この日に予約をしている。雨天の場合は一応室内でできるように設備はあるらしいが、麻理たちは幸運にも利用したことはない。五人は受付で食材などを受け取り、割り当てられた場所で早速準備を始めた。ちなみにドリンクはコップ交換制の飲み放題となっている。一つだけ色が違うのは麻理の分でアルコールもOKのものだ。

　春陽がすぐに火を起こし始め、麻理は食材を箱から取り出し、雪愛たちは五人分のドリンクを取りに行った。

　そうして、すべての準備が整って、麻理が乾杯の音頭を取った。

　麻理の持っているコップだけビールで、後はジュースだ。

「それじゃあ、今日は食べて飲むわよ！かんぱーい！」

「「「かんぱーい！」」」

　春陽だけは無言でコップを掲げた。

　それからは皆思い思いにバーベキューを楽しみ始めた。

　焼き係が春陽なのは毎度のことである。

　悠介は食べる専門で、焼き場の側で皿を持ちお肉を食べ続けている。

　春陽も焼きながら自分でも食べたり、悠介経由で麻理たちに焼けたお肉を渡したりしている。

　麻理たちは焼き場の近くに椅子を囲うように並べ、中心に簡易テーブルを置き、そこに座って話しながら食べていた。

「私、バーベキューって初めてです。外で食べると何だか余計に美味しく感じますね」

「そうなのよ！それにビールが美味しいのなんのって」

「いつもより食べ過ぎちゃうんだよー」

「この後もあるのに麻理さんそんなに飲んで大丈夫ですか？」

「大丈夫だよ雪愛さん。麻理さんってばすっごいお酒強いから」

　大分打ち解けたようで、楓花の口調は雪愛に対しても砕けたものになっていた。

　実際麻理は食べるよりも飲む方が進んでいるが、全く酔っているようには見えない。上機嫌に楽しんでいるだけだ。

　時間は進み――――。

「ハル兄！お肉無くなっちゃったからちょーだい！」

　悠介は飲み物を取りに行ったのか焼き場のところには春陽一人だった。

「自分で取りに来い楓花」

「えーいいじゃん！焼けたら持ってきてよー」

「あ、じゃあ私が―――」

「いいの、いいの。雪愛さんは座ってて。ハル兄お願いねー」

　雪愛は自分が取りに行くと言おうとしたが、楓花に止められてしまった。

　はあっと春陽は深いため息を吐き、焼けたお肉と野菜を皿に乗せ、三人の座る場所まで持っていくのだった。

「ほれ」

「ありがとー！」

「楓花、肉だけじゃなくって野菜も食えよ」

　お皿を差し出す前に春陽が言った。

「むー。バーベキューはお肉を食べるものなんだよハル兄」

　受け取ろうとしながら反論する楓花。

「や、さ、い、も食えよ？」

　一度皿を上にやり、念を押す春陽。

「もう！わかったから！早くちょーだい！」

　そうして春陽から肉と野菜の乗った皿を受け取った楓花。

　その二人のやり取りを麻理と雪愛は微笑ましそうに眺めていた。

　さらに時間は進み、みんないい具合にお腹も膨れてきて、食べるよりもおしゃべりが中心になってきた頃。

　ふと雪愛が焼き場の方を見ると悠介が焼いており、春陽がいなかった。

　あれ？と思い周囲を見てみるが、見当たらない。

　すると雪愛の様子に気付いた麻理が察して声をかけた。

　ハルなら多分川辺にいるわよ、と。

　ちなみに、麻理のお酒のペースは未だ衰える様子がない。

　雪愛は一言断りを入れ、席を立つと意を決して春陽を探しに行った。

　川辺に辿り着くとすぐに春陽は見つかった。

　座ってぼんやりと川を眺めていたようだ。

　そこに雪愛は近づいていき、隣にしゃがんだ。

「…ハルくん。ハルくんが風見くんだってわかって驚いたわ」

「白月…。黙ってて悪かったな」

「ううん、責めてるとかじゃないの。あの、これからは何て呼んだらいい…かな？」

「好きに呼んでくれていい。ただ店では今までどおりに、逆に学校でハルは辞めてもらえると助かる」

「ええ！わかったわ！」

「……白月はなんでそんなに俺のことなんか気にする？この間のこと、助けたなんて言える程のことをしたとも思えないが、それを気にしてのことならもう気にする必要はないぞ？」

「そんなんじゃない！きっかけは確かに助けてもらったからだけど、あなたのことを知りたいって、仲良くなりたいって思ったのは純粋に私がそうしたいからだもの」

「それがわからないんだけどなぁ。俺は白月がそんな風に思うような人間じゃないぞ？」

「そんなの私が決めることだわ。………それとも…ハルくんにとっては私がいると迷惑？」

　最後の問いは身体にギュッと力が入った。

　それほど答えの怖い質問だからだ。

　チラッと雪愛に目を向けた後、春陽は言った。

「……迷惑ってほどじゃないけど。困惑はしてるな。前にも言ったろ？一人が楽だって」

　春陽には本当に雪愛が何を考えているのかわからなかった。こんなにグイグイ来るのは悠介以来だろうか。

　あの時も思ったものだ。こんな、生まれたこと自体を忌まれ、疎まれ、結局家族を崩壊に追いやってしまったような人間にどうして関わろうとするのか、と。春陽にとって、人と関わるのはひどく怖ろしいことだ。何が原因で相手を怒らせたり傷つけたりしてしまうかわからない。そして、恨みや憎しみのこもった目で見られるのはとても辛いのだ。

「でも、佐伯くんとも楓花ちゃんとも仲良くしているように見えるわ」

「あいつらに対しても最初は白月に言っていることと同じことを言ったし、思ってたよ」

　何気なく自然に出た春陽の言葉。だが、雪愛は嬉しくなった。

　仲良くと言っても否定していない。それに、『最初は』ということは今は違うと言っているようなものだ。春陽の様子から無意識なのだろうなとは思う。けれど、ここに来る前、駅まで歩いているときの話を雪愛は心底納得できた気がした。

『ハルはね、人と関わるのをとても怖がっているのよ。だから遠ざけようとする。けど、その内側に入ったらあいつはもう遠ざけるなんてしないわ。だって本当のハルはすごく優しいから』

『ハル兄には押せ押せドンドン！ですよ！』

　ならば、自分も楓花の言う通り押せ押せドンドン！だと雪愛は意気込んだ。

「ねえ、ハルくん。私のことも名前で呼んでほしいのだけど」

「？いきなり何言ってんだ？」

　どこから名前で呼ぶとかっていう話が出てきたんだと春陽は訝しむ。

「いきなりじゃないわよ。今日ずっと思ってたもの。私以外みんな名前で呼んでるのに私だけ白月って。ちょっと疎外感があるのよ？」

「……悠介だって白月って呼んでるだろ」

「佐伯くんは関係ないわ。今はハルくんの話」

「…………」

　黙ってしまった春陽に、ちょっと強引だったかしら？と雪愛の心臓はドキドキと煩く鳴っている。

　一方、春陽は頭の中が忙しかった。名前で呼ばれなくて疎外感があると言っておいて、悠介は関係ない。これも先ほど雪愛が言っていた仲良くなりたいというのに繋がっているのだろうか。名前で呼ぶことに特に問題はない。…いや、学校の人間に知られたら厄介だろう。自分のような陰キャが雪愛を名前で呼ぶ……うん、間違いなく大事件だろう。絶対に騒動になる。そうなっては自分の平穏な学校生活が遠のいてしまう。だが、この場にいるのは悠介だけだ。そんな心配はない。ならば―――。

「………やっぱり嫌、かな？」

　雪愛は春陽の沈黙に耐えられなくなり、哀しげな表情を浮かべていた。

　春陽は一度、ため息を吐くと言った。

「……雪愛。これでいいか？」

　このメンツの時ならば問題ないだろうと春陽は思った。

「っ！ええ！うれしい！これからはそう呼んでね、春陽くん！」

　雪愛は輝かんばかりの満面の笑顔だった。

『雪愛』と呼ばれた瞬間、雪愛の心臓がドクンっと大きく高鳴った。ドキドキしてちょっと苦しくて、顔も熱くなってきて。けどそんなことどうでもいいほど嬉しくて。名前を呼ばれただけなのに、こんなことになるなんて雪愛にとって初めてで。そんな雪愛の内面が隠しようも無く出ていた笑顔だった。

　その笑顔を見て春陽もちょっと驚いていた。嫌だったからじゃない。なんだか胸の奥がポカポカするような何とも言えない感覚になったのだ。

　さらには『春陽くん』。春陽のことを『春陽』と呼ぶ者は多くない。近しい者でも悠介くらいだ。なんだかそれにもむず痒いようなそれでいて悪くないような不思議な感覚を覚え――――春陽は笑った。

　その笑顔に雪愛の心臓はまたも大きく高鳴った。心臓が壊れてしまうんじゃないかと思うほどドキドキ鳴っている。バイト先での仕事として浮かべている表情ではない。初めて春陽の笑った顔を見られた。

　それが雪愛の心臓に大きな負担をかけている。

「そろそろ戻ろうか、雪愛」

「っ！そうね！行こう春陽くん！」

　二人は並んでみんなのいる場所へと戻っていった。

　その後、五人はお肉も野菜もすべて平らげ、麻理はまだまだ飲みたそうだったが、次があるということで皆で手分けして片付けをした。

　そして、

「さあ！次は温泉に行くわよ！」

　麻理が高らかに宣言するのだった。