龍の心臓の瞬き

花壁

プロローグ

 帰る場所があるというのは、ある意味酷だと思う。

 重いため息を吐き出してエリックは煙草の灰を車外に落とした。

「なんだ? 若人が溜め息なんか吐き出して」

 向かいの売店で注文するクロエから隣のランタンへと視線を落とした。

「若人って……前から思っていたけれど、あんたは年寄りくさい言葉が好きなのか?」

「誰が年寄りだと」

「あんたがそれを続けるなら俺はこれ以上なにも言わないけど」

 おぼえている限りでは、ランタンのヴェジーは生前ハロルドとして長官を務めその手腕から名を馳せたそれそれは眉目秀麗な人物だったはずで、異性ではなく同性に想いを寄せているのではないかと噂が立ち果敢に挑んだ強者がきっぱりと断られたことからさらに人気が跳ね上がったと頭の隅に押し込んだ記憶を手繰り寄せた。

「いつまでランタンでいるつもりだ?」

「入る体がねぇんだから仕方ないだろう」

 先日の、表向きには鉱山の事故として片付けられたそれに巻き込まれハロルドとしての肉体は死んだのだろう。

「黙るなよ。俺はこれでもこの状態が気に入ってるんだ」

 そうは言ってもこちらとしては後味が悪い。

「諦めの悪い奴だな」

 まあ、旅をしてたら諦めも悪くもなるだろう。

 殊更、それを荼毘に付したのが自分なのだから。

「第一お前が殺したわけじゃないんだからいい加減放っといてくれ」

「放っておけるか」

「じゃああれだ、俺が死んだらお前がクロエを嫁にもらえ」

「はあああああぁぁ?」

「こっちは老い先短けぇんだ、第一お前が」

「それとこれとは話が違うだろう」

「どう違うんだ、お前さんが面倒をみると言うから俺は」

「それはわかるが、発想が飛びすぎだろう」

「なんだ? 他に女でもいるのか? あ?」

「あのなぁ、俺は……」

「なんだ、ハロルドじゃねぇか」

 突如降ってきた声にぎょっとしてランタンを掴み助手席へともんどり打って距離を取る。

「おいおい、やめてくれよ? そういうのは。俺は血生臭いのはごめんだ」

 両手をあげて戦闘の意思がないことを告げていたのは、嘘くさい笑みを貼り付けた、その服装からみるにおそらく神職者と思わしき男だった。

 うわ、なんだ、なにしやがる。などと背もたれに押しつけられたヴェジーが抗議の声を上げたがどうでもいい。

 確かにいまこの男はハロルドと呼んだ。

「なにをやっているんですかワイアット」

「おい見てみろよ。アルバート」

 ワイアットと呼ばれた男が窓から覗き込んだ隙間に続けて揃いの礼服を纏った男が顔を見せた。

「あんたの抱えてるそれだそれ」

 肝心の彼らの言うところのヴェジーはだんまりで取り合おうともせずランタンに擬態していた。

「お前、こんなところでなにやってんだ。連れのガキはどうした」

 神職者よりもどちらかといえば酒場の方が似合うみてくれで飛び交う疑問に答えるか万が一クロエに危険が及んだらまずい。助け舟を求めるわけにはいかずどう逃げ出すかと考えていると男の視線が半歩ほどずれて後方、おそらくクロエへと視線が向けられていた。

「あれ? あなたは……た、助けてください!」

 なぜか焦ったような彼女の遠慮気味な声が聞こえた瞬間、クロエのひとことによりなにを勘違いしたのか、首元へと伸びた腕によって車から引き摺りだされ続けて首元に膝がめり込むのを体を捻りかわした。

「ほぉ、良い度胸だな。若造」

「悪いがこいつは敵ではない」と俺ではないなにかが俺の声で続ける。

「じゃああの嬢ちゃんの助けはなんだって言うんだ」

「ひとまず、そこに転がってる男の手から財布を取れ」

 指し示された先には同じように地面に倒れてる姿が視界の隅で捉えた。

 拘束が解かれそちらへと足を向ける男がなにやら事情を聞いているらしい。

「いや、なんかこいつ自分で自分の顔面を殴って倒れやがって」

 焦った男の手には掌サイズのものが握られていた。

「なるほど。これはこれは。話をじっくり聞く必要がありそうだ。教会としてこいつは俺が引き受けよう」

 首根っこを掴み上げた男を肩に担ぐとワイアットと呼ばれていた男は踵を返していた。

 野次馬を蹴散らしたおかげで人垣は消え去り体を起こして咽せていると心配そうにクロエから声がかかる。

「……あのふたりは知り合いか?」

 クロエが答える前に連れの、たしかアルバートと呼ばれていた男が近づいてきたのが見え彼女を車へと乗るように促しエリックは男と対峙した。

「先程はうちの者が危害を加え申し訳ありません。私、このあたりの教会区を任されております、アルバートと申します。私の方からも謝罪させていただきます」

 信仰があるわけではないが、教職者の姿に通行人からは視線が寄せられていた。

「あー、いや、べつに慣れてる」

「彼からも改めて謝罪させてもらえませんか? ぜひ教会の方へ。お二方と、それから、……ハロルド、お前もだ」

 虚空を見上げて名前を呼んだ男の姿にどういった知り合いなのかエリックはなんとなく察しがついた。

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