第2話 個人レッスン

 基本的に吹奏楽部の練習は毎日ある、腹筋を鍛えるための筋トレもある。体育会系文化部と言われるゆえんだ。

 入部二日目から、隆は美子と二人っきりで練習を始めることになった。

 もちろん最初のロングトーンは全員だが、それすら隆には難しい。ほかの部員は、各自譜面読みを行うことになっている。五月の体育祭での演奏、秋の文化祭のステージがすでに決まっている。


「体育祭で、行進曲二曲と得勝歌(ヘンデル作曲、勝利をたたえる歌)は吹いてもらいたいなあ」

 美子は満面の笑顔で無茶なことを言う。隆は譜面すら読めないのに。

「大丈夫、私が絶対に吹かせるから」

 O中学には音楽室と練習室が各二室そのほかに楽器保管室とレコード保管室とがある。

 

 もう一つの音楽室は合唱部が使っている。吹奏楽部と違い、合唱部は部員が百名弱、音楽コンクールで全国一に何度も輝いている。

 力関係で言えば、全部の部屋を合唱部に取られても仕方なかったが、楽器は外で演奏するとうるさいということもあって、小部屋二つも吹奏楽部が使っている。


「葛城君、保管庫行くよ」

 ロングトーンが終わると、美子が声をかけた。

「葛城、中沢先生の言うこと、ちゃんと聞けよ」

「美子ちゃんの顔ばっかり見てたらあかんよ」

 どいつもこいつも勝手なことを言う。たぶん男どもはやっかんでいるに違いない。美子は、百四十センチほどの伸長に丸い顔、どう見るかは個人の好みだが、たぶん可愛いという範疇だ。少なくとも隆にはど真ん中だった。


 だが、二人っきりの練習はそんなに甘くはなかった。とにかく美子は厳しい。

「ね、隆君、私の言うこと聞いてる、昨日も言ったよね。この記号の意味は? スケールちゃんと覚えた?」

 練習中、八割は小言を言われている。

 あっという間に三か月が過ぎているが、相変わらず二人っきりの練習が続いていた。


 よくピアノ教室の先生は厳しいとか聞いていたけれど、こんなものなんだろうなあと思う。

 一度練習をのぞきに来た福田と川西が、お前も大変だなと同情して帰ったことがある。

「隆君、私怖いかな」

 ある金曜日、美子がちょっとしょげたように聞いてきた。休憩の時に、隆が大きく息を吐いたのを、見たのかもしれない。

「なんで、そんなことないよ、俺のためでしょ。むしろもっと厳しくてもいいけど」

 美子の顔がパッと明るくなった。


「おかげで、楽譜読めるようになったし、ちょっとは吹けるようになったもの」

「だよね、実はさ、びっくりしてる。体育祭こなしたもんね、すごいと思う」

「中沢のおかげだよ」

 本気でそう思う。とりあえずだが、『得勝歌』と行進曲『士官候補生』『ワシントンポスト』が何とかなったのは驚いた。


 まあ出来は良くないが、とにかく二千人が歩くためだけなら上出来だった。

「ほんとに、じゃあ、お礼にデートして」

 美子はほんの少し頬を赤らめた。

「冗談、ちょっと言ってみたかっただけだから気にしないで」

「冗談なの、なあんだ、俺も中沢とデートしたかったのに」


 隆も冗談めかして答えたが、そもそも断る理由が思いつかなかった。

「ほんと嬉しい、あのね、あのね、動物園に行きたい」

 動物園? いいけど、なんで、美子の考えることはよく分からない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る