レンタル婚約破棄〜リリアナは王子様が大嫌い〜

@999915

第1話




 王子様


 それは魔法である。女性の多くは彼らに恋情に似たものを抱く。不遇な少女には白馬に乗った彼が訪れる。婚約破棄された令嬢にも王子様が颯爽と現れる。輝いて美しく、紳士的で礼儀正しい彼らは女性の心を鷲掴みにする。


 何故か。


 そういう魔法があるからだ。



 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞



 羊皮紙の上を羽ペンが滑る。


「契約書はこちらでよろしくて?」


 品の良い伯爵令嬢が差し出したそれを、顔に深くベールを被った女性が受け取る。ベール越しに視線を走らせて深く頷いた。


「全く問題ありませんわ。しかし、本当によろしいのですね。」


 令嬢は涙を零して頷いた。


「もう嫌だもの。金輪際、彼とは会いたくないから。」



『代理婚約破棄


 一、婚約破棄が行われるであろう参加必須の会場に、代理で出席する

 一、婚約破棄に関する対応としては、打ち合わせの通り実行する

 一、つつがなく実行した場合、報酬として金貨五十枚を支払う

 …………』


「承りました、それではこのように。」


 ベールを被った女性は、胸元に宝石の付いたネックレスを取り付ける。するするとベールを持ち上げると、伯爵令嬢と全く同じ顔が現れた。



 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



「クラリス!お前との婚約を破棄する!」


 卒業パーティ。アホっぽく人差し指を突きつけるのはクラリスとの婚約者。お馴染みなことに、隣に胸デカ不遇美女ヒロインをぶら下げている。

 クラリスはまぁ、と驚いたように眉を上げ、口元を隠していた扇子を折りたたんだ。


「何故ですの?」

「お前が、このアリアを虐めたからだ!」


「お言葉ですが、わたくしはそのようなことなどしておりませんわ。大体、その方はどなたですの?」

「酷いわ、クラリス様!あたしのこと覚えてないなんて!」


 クラリス令嬢に扮したこの物語の主人公は、心の中で盛大な溜息をついた。同時に、一生懸命なバカップル二人の声も朧気に聞こえる。


(茶番以外の何者でもないわ。こんなもの、金以外の何物にもなりはしないのに。)


「聞いているのかクラリス!」

「あ、ええ。」


 現実に引き戻された主人公は、脚本通りこてりと首を傾げた。


「以上で終わりですの?」

「なっ、」


「婚約破棄は受け入れますから、いちゃつくのは他でやって貰えませんか?」

 扇を広げ軽い欠伸を隠す。退屈な劇は終了とばかりに、クラリスに扮した何者かは立ち去った。



 ∞∞∞∞∞∞∞



「本当にありがとう!」


 伯爵邸へ馬車を走らせてもらい、事後報告を行う。令嬢に手を握られた令嬢そっくりさんは優しく眉を下げた。


「契約ですから、そこまでしていただく道理はございませんわ。」


 影武者が報酬として受け取った金貨は契約したものより心ばかり多い。返そうとした金貨を令嬢はやんわりと押し留めた。


「私の気持ちよ。貴方の素顔も素性も知ることはしない。でも、貴方への感謝は忘れないわ。ありがとう。」


「ええ。それでは、失礼いたしますわね。」


 衣装を返し、持ち込んでいたベールを被りネックレスを外す。令嬢よりもわずかに身長が高くなり、スラリとした体型に戻る。


「二度と会うことは無いでしょう。お幸せに。」



 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



 ベールを被った女性は公爵邸の裏口から抜け出し、ネックレスをもう一度つけ直す。町中で圧倒的に目立つベールを脱ぎ、鞄に押し込んだ。

 茶髪茶目、目立ちはしない少女。しかし身体の特徴を明記しても変装用の姿だから特に意味はない。


 茶目茶髪の町娘は尾行を巻くかのように複雑な経路を通って、下町の二階建ての家にたどり着く。戸を変わった拍子で叩くと、きぃと扉が開いてガタンと閉まる。


 扉の内側で、少女はネックレスを外した。髪は真っ直ぐで長い銀髪に、目は深紫色へと変わる。スラリと高い身長と程よい肉付きの体。少しきつい目つきと仄暗い瞳を引いたとしても、絶世の美女の地位は揺るがない。


「戻ったわ。おばあさま。」

 扉に施錠をした老婆は、ぶっきらぼうに杖を床に叩きつけた。


「リリアナ、首尾は?」

「上々よ。」


 リリアナは鞄を放り出して眉を上げて答えた。老婆は鞄を漁り、小馬鹿にしたように笑う。


「ふんっ。金が手に入ったのならいい。」


 言葉とは裏腹に、老婆にとってリリアナの帰還は嬉しいものだったらしい。リリアナには見えない角度で胸を押さえて安堵の溜息をついた。


「おばあさまこそ、次の金蔓は見つけてきたのでしょうね。」


 老婆は魔女の如く微笑み、引き出しの中身をばら撒いた。


「公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。爵位全部揃ってロイヤルストレートフラッシュだ。」

「ふうん。」


 リリアナは老婆から婚約破棄代理に関する手紙を引ったくり、手当たり次第に読み込んだ。


 この世に婚約破棄などという悪行が広まったのは先代の王太子から。愛だの平民出身の令嬢リリスを婚約者にすると言って擦った揉んだし、挙句の果てにその平民が王太子に魅惑の魔法を掛けていた事が判明した。


 結局、リリスは王太子の婚約者に反撃され魅惑を掛けた令嬢として修道院送り。王太子は廃嫡され臣籍へ下り、第二王子が婚約者と結婚、後を継いだ。彼が今や国王である。


 しかし、悪い意味で婚約破棄という風習は残った。上手くやればいい、玉の輿を狙えるかもしれない、そうした事を考える阿呆が沢山いるのだ。実際に、三回に一回は上手くいくのが現状。悪役令嬢役ならば慰謝料をもぎ取れるのが利点。が、悪役令嬢も人間、トラブルに弱い令嬢は精神的ダメージを負って寝込むこともある。


 故にそんな会場に赴き婚約破棄を受け入れる『レンタル婚約破棄』という職業は非常に儲かるのだった。それが出来るのは、変身能力のあるネックレスと他人の癖を細部まで真似られるリリアナ、類稀な二つが揃っているからではあるが。


 めぼしい内容がないと分かり、リリアナは隣の引き出しを物色する。無造作に入れられた大量の手紙の中から、目当ての一枚を引っ張り出した。


「次はこれにする。ヘンダーソン公爵令嬢、王太子の婚約者様ね。やっぱり血は争えないんだわ。」


 手紙には、王太子が男爵令嬢を引っ提げて歩いている、しかし先の代のような大事にはしたくない。婚約破棄の場になり得る公式の場に出席して一芝居演じて欲しい、と書かれていた。


「王子様って魅力的よね、とっても。そうは思わない?おばあさま。」


 深紫の瞳で老婆を見上げながらリリアナは魅力的な微笑みを浮かべる。老婆はその目に怒りが滲んでいるのを見て取った。


「リリアナ、『鑑定』を疑うのかい?それらは『嘘』と出た手紙。鵜呑みにするんじゃないよ!」

「嫌だわ。」


 老婆のスキルは『鑑定』だ。依頼の表裏を見抜いてきたのも彼女であるし、リリアナが使用しているネックレスを古道具屋で買い叩いたのも彼女だ。


「小娘が!命を無駄に使うんじゃない!」

「おばあさま、その老体で私を止めるの?大丈夫よ、元暗部のおばあさまが、私を色々としばき倒したの忘れたの?」


 リリアナは皆まで言わせない。


「千載一遇のチャンスよ。お母様の無念を晴らすために、ね。」


 手紙の文字を満足気になぞって、天井から遠くの青空を見上げた。リリアナの頑固な調子に呆れの溜息をついて、老婆が慈愛に満ちた背中で語る。


「リリアナ。」

「なあに?」

「止めても行くのだろう、くれぐれも抜かるなよ。」

「わかったわ。」


 庶民には決して有り得ない、紫の瞳を瞬かせ銀の髪を翻し、リリアナは家の二階に消えた。



 ∞∞∞∞∞∞∞∞



 王城で催された国王在位二十周年の記念式典、その後祭りで騒ぎは起こった。


 依頼人であり、緩やかに巻く銀髪を持つ公爵令嬢が一人佇む。彼女は王太子の従兄弟であり、臣籍となった国王の兄の娘である。王太子とは従兄弟同士であり、婚約破棄動乱によって弱まった国力を回復する為に仕組まれた縁談であったのだが。


「ヘンダーソン公爵令嬢!貴様との婚約を破棄する!」


 相対するは銀髪碧眼の王太子。見目麗しい彼は、これまた可愛らしい女性を引き連れている。宣言と同時に、王太子のファンと称する女性の間から黄色い悲鳴が上がった。


 リリアナはネックレスを身に着け、その渦中にいた。花のように美しいピンク色の髪、小柄で庇護欲をそそる体、妖精のような金の瞳を潤ませて王太子にしがみつく。


 そう、リリアナが扮しているのは悪役令嬢ではない。頭の中ぱっぱらぱぁの不遇正統派(?)ヒロインである。依頼内容によってはこちら側の役をするときもあるのだ。


 依頼人の公爵令嬢は、顔色すら変えずこちらを見下している。

「どのようなご理由か伺いたく存じます。」

「学園において、このキリルに嫌がらせを繰り返したであろう!」


 表では不安げに瞳を揺らしながら、リリアナはため息がちに意識を明後日の方向へ飛ばす。


 公爵令嬢はリリアナが公爵の手の者であることを明かすつもりだ。キリルは王太子、公爵令嬢二人が用意した桜であると、この場にいる全員を丸め込む。王太子はキリルがスパイと知れば、自らの保身のため公爵令嬢の芝居に上手く合わせてくるらしい。


 本物のキリルはリリアナが衣装を引っ剥がし、王宮の掃除用具入れに突っ込んである。

 ついでに、王太子にこのキリルという女と付き合うよう薦めた奸賊共を暴き一掃する。それが公爵令嬢の立てた脚本だ。


 けれども、リリアナは違う。リリアナの本当の目的は、手の内に仕込んだ毒。これを王太子の肌に突き刺すことだ。蚊に刺されたような小さな傷しか残らないが、毒には一生『ある魔術』が使えなくなる作用がある。王太子だけじゃない、子、孫、ひ孫に至るまで。そして、王太子目掛けてキャアキャア声を上げる女どもが一生泣かないようにしてやるのだ。


 現実に引き戻されたー劇中に予定にないセリフが混じったのはその直後である。


「殿下、真実の愛は理解いたしました。ですから、その手は離さないでくださいませ。」

(公爵令嬢、セリフが違う……)

「ああ。」


 王太子はリリアナの両手をぎゅっと握った。

「まぁ殿下!」

 表側で頬を桃色に染めながら、裏の顔はドン引き真っ最中だ。


(なになになに?気持ち悪いんだけど!公爵令嬢がセリフを間違えるはずがない、何が一体どうして。)


 ずいと近寄る王太子はきらきら輝いて、王子様という絵姿が脳裏に焼き付く。魔法にかけられたような現状に、リリアナがずっと閉じ込めていた感情が沸騰する。


(憎い憎い憎い。このきらきらする魔法を壊したい。ぐちゃぐちゃにして、殺してやりたい。)


 リリアナは生来持つどす黒い感情で王子様の誘惑に耐える。いや、耐えるというより、一度燃え上がった憎しみを制御するのに躍起になっていた。


「公爵令嬢、もういいだろう。捕らえたぞ。」

「い゛っ!」


 王太子の強力な握力が、手首にめり込んだ。リリアナの身体ならともかく、変装したキリルという女性は骨が脆くて力に耐えきれそうにない。


「皆様、猿芝居はここまででございます。」


(猿芝居……私を見世物にする気だったのね。)


 仮面の裏でリリアナは歯ぎしりをした。しかし、表の顔は不思議そうに王太子を見つめるだけだ。


「痛いですわ、殿下。それにお芝居とはなんですの?」


 与えられた無垢な聖女という立場は未だ捨てない。一方、公爵令嬢はヒールの音を響かせて、取り囲む人を睥睨する。


「皆様もよくご存じとは思います。最近、何でも婚約破棄を代理で受け入れる『レンタル婚約破棄』というものが存在していること。そう、王太子の横にいる彼女がそうですわ。」


 衆人の目がリリアナに集まる。どうやら、これから始まるのはリリアナの断罪のようだ。公爵令嬢は扇子の先をリリアナに突き付けた。


「最近『円満な婚約破棄』が横行しているのは彼女のおかげですの。彼女が誰かの振りをしてその場に立ち、不釣り合いな婚約を解消させるのです。」


 明瞭な声で王太子が言葉を発した。人を魅了するような声音がリリアナの背筋をなぞって一層の怒りを沸き立たせる。


「婚約とは家の利、貴族の利として結ぶのが正常であり、そうあることを求められるのが貴族という階級である。近年愛と宣いそれらの重要な関係を無視しようとするものがあるが、言語道断である!」


 心当たりのある者たち、リリアナの元顧客は気まずそうに顔を背ける。


(巫山戯るな!)


 リリアナは堪えきれず、表の顔を歪め唇を噛み締めた。


(他の誰でもない、王太子、お前の父親の兄が愛を騙った!騙って謳って、今の状況を作ったんだ!)


「素性の知れぬ者が家同士の関係を変えてはならぬ!そのようなことが許されてはならぬ!」


 王太子の手がリリアナの手首をぎりぎり締める。


「正体を表せ、キリルに化けた何者かよ。」


(お芝居はここまで、ね。針を刺す余裕は……)

 壁際の魔術師は、とうの昔にリリアナを凝視し、照準を合わせている。

(ないわ。)


 リリアナは覚悟を決めると、老婆に習った身体操作を使って王太子の手を払い除けた。威厳すら漂わせ、近くの兵士を睨み付ける。


「……この暑くて鬱陶しいドレスを早く脱がせろ。」


 天使のような令嬢は不敬の塊の単語を吐いた。あっけに取られた衆人を置いてきぼりにして、さらに言葉を重ねる。


「このまま元の姿に戻ったら、このコルセットに肺が潰されて悶絶死するだろうが、察しろカス共。ドレスは自分じゃ脱げねぇんだよ。」


「無礼であるぞっ!」

 槍を向ける衛兵を公爵令嬢は黙らせ、侍女を呼んでリリアナのドレスを脱がせる。逃亡の恐れがあるためか、プライバシーの配慮はない。


 リリアナは全く気にせず、軽いワンピース姿になると靴を脱ぎ化粧を拭い去る。そして手を後ろに回しネックレスを外した。

 身長が伸び、切れ長の目とツンと高い鼻が現れる。


 ふわりと肩を覆う髪。

「その銀髪は……!」

 そう、王太子や公爵令嬢と同じ、王家に連なる髪色。


 瞼が震えて開く。

「見て、紫色の目よ!」

 そう、一世代前の王太子が腕にぶら下げていた女性と同じ瞳の色。


「皆様、ご機嫌よう。私は現公爵令嬢が庶子、前聖女リリスが娘、リリアナと申すものでございます。」


 リリアナは下着の薄いワンピースの裾を摘んで優雅にカーテシーをした。


「公式にはございませんが、公爵令嬢、貴方の異母姉にあたり、王太子殿下の従兄弟として名を連ねるものでございます。」


「なっ……!」

「なんですって……!!」


 想像以上の展開に、王太子も公爵令嬢も二の句が継げない。


「国王陛下、違います!前聖女リリスは身籠ってなど居ないと医者も申しておりました!これは偽物、そして濡れ衣です!」


 前第一王子、リリアナの父にあたるはずのヘンダーソン公爵が声を荒らげた。国王は手を挙げてそれを制す。


「お前の母は我が兄に魅了を掛けた悪女であり、修道院で子を成さぬまま死んだと聞く。どういうことかな、嬢とやら。」


 明らかに名前を間違えるという国王も、リリアナのことを見下している。貴族の間からも失笑が飛んだ。


「私の母はクソ親父に魅了を掛けたのではありませんわ。」


「不敬だぞ小娘!」

「お父様。」

 声を荒らげたヘンダーソン公爵を娘である公爵令嬢が止める。ちょっとした仕草がリリアナの炎に油を注ぐ。


(ああ、なんて良い親子なんでしょう。私の母の苦労も苦しみも知らずに。)


「クソ親父が『王子の魅了』を我が母リリスに掛けたのですから。」


 白い大理石の上を白い足がぺたりぺたりと歩む。


「この国の神殿には泉が有りますでしょう?聖女はそこに神力を注ぐ。そうしますとね、王子に魅了の力が宿るのです。王子は魅了の力を使い、女性を口説き落とし、自分の行いを隠蔽し、正当化し、民衆を引き付け、国を動かすのです。」


「な、ぜ……知って……。」

 国王の目が見開かれるのを見て、リリアナは悪女らしく嗤った。


「そしてその『魅了』は身分の低い女性にこそ効く。私の母は平民出身。当時の王太子だったクソ親父、あ、親父ではありませんね、『ただのクソ』は母リリスに魅了の魔法をかけて、自分を好むよう強いたのです。」


 リリアナは振り返って、自らの父であるヘンダーソン公爵を射殺さんばかりに睨む。


「しかし、王太子としての情勢は悪くなる一方。最悪、断種毒杯の道だと悟った『ただのクソ』は王子である内に自身の『魅了』で女性魔道士を誑かし、自身に有利な情報をでっち上げ、我が母リリスに罪を被せた!!」


 おばあさまと一緒に面会に行った日。母はにこにこ笑って、頭を撫でてくれた。

 紫色の目から涙が溢れる。


(王子様なんて大っ嫌いだ!)


 リリアナは優しい子に成りなさいって言った母。

 銀色の髪が視界で揺れる。


(貴族なんて大っ嫌いだ!)


 驚愕と同情の視線を寄せる王太子を、リリアナは涙で赤く充血した目で突き放す。


「母様が貧しい修道院で苦しんでいる間!『ただのクソ』は保身のため臣籍に下り!のうのうと美味い飯を食い!のうのうと結婚して子供を拵え!」


 リリアナの顎が震えて声が嗚咽に塗れる。最後に一言だけ、絞り出した。


「母は一度たりともお前の悪口を言わなかった……!」


 会場中が沈黙に包まれる。その中でただ一人、沈黙を破った。


「そうか。」

 ヘンダーソン公爵、王弟でありリリスの父だ。

「そんなことより、お前はどうして産まれたのだ。医者にも再三確認させた、リリスが子を孕んだなどと……」

「お前がリリスの名を呼ぶな!」


 リリアナは皆まで言わせなかった。恐ろしい剣幕に、公爵が腰を抜かしたのを見てようやく溜飲を下げたのか、開き直って国王に淑女の礼をとる。その片手に握られたネックレスの宝石が、物言いたげに鈍色の光を放ったのだが。


「私が話せることは以上ですわ。さぁどうするのです?国王陛下、現王太子殿下。」


 リリアナは涙を拭いてくすくす笑った。


「厄介者の処刑は何時ですの?」




 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞



「リリスの監視役はわたしだった。健気な女性で、牢に入れられた直後、神に祈りはじめた。『私の腹には子が居るのです。どうか無事に産まれますよう。どうか無事に大人になれますよう。』ってね。

 そりゃ最初は相手にしなかったさ、今更赦しを乞うたって、なんて浅はかな女だろうって。

 王太子すら魅了したんだ、今度は神を魅了する気に違いねぇって。」


 老婆は白い歯を見せてカッカッと笑った。


「しかしねぇ、産まれて来る子に罪は無い。悩んでいたちょうどその時、古道具屋で不思議なネックレスを手に入れてね、リリスに話を持ちかけたんだ。

『子を産むまであたしが入れ替わってやる。』ってね。

 リリスは初めは信用しなかった。しかし、医者の検診が迫った晩、覚悟を決めて問われたんだ、

『何故ですか』って。」


 老婆は持っていたジョッキを酒場の机に叩きつけた。強いアルコールの匂いが漂う。


「その時、あたしは五十を過ぎていた。暗部に居たせいで婚期を逃し子は望めない。だからこう返した。

『あたしを扱き使った権力者に、ちょっとした意趣返しだよ』。

 リリスと示し合わせて、リリスを出産まで逃した。その間あたしはリリスのフリさ。出産が終わったと同時に、リリスは収監先の修道院に戻ってきてこう言った。『この子を頼めませんか。私がここで働きます、今までありがとう』ってさぁ〜〜。この国はそこそこ広いんだ、あたしを放って逃げれば良かったのさ!」


 老婆はジョッキを見事なフォームで煽って、机の上に突っ伏した。


「リリアナもそうさ!きっちりあの女の血を引いてやがる!止めたって聞きやしねぇ!ああそうとも、聞きやしねぇんだ!」


 やけ酒に酔い、ぐでんぐでんで机の上に伸びている老婆に、聞き役を努めていた若い衆が発破をかける。


「おいババァ、元暗部なんだろ、王城に行ってリリアナでもリリスでも救い出してこいよ。」


「ああリリー、かわいいリリー。きちんと錠前開けや護身術は教え込んだんだがなぁ。しかし、元暗部のあたしだから分かる。あの娘の腕では王太子の居室は開けられても、王城の壁までは出られまい。あたしゃこの通り老体だ、暗部の面影は残っとらん。」


「チッ。」


 金を支払い装備を整えて、酒場を出る若い男。その後ろ姿に、酔った老婆の『鑑定』スキルが誤作動を起こした。


『漆黒のハイエナ

 本名:ギルド フォン エルドラン

 職業:冒険者

 基礎スキル:あらゆる人物を追跡する能力を持つ

 戦闘力:優れる

 隠密性:この国で右に出るものは居ない。

 特記事項:

【亡国エルドラの直系王族である】』


 老婆は睡魔に襲われつつ声を荒げる。

「あの娘に言うんじゃないよ……!

 あの娘は……王子様が……大嫌いだ……」


 ギルドは不敵に笑った。


「ああ、気を付ける。」

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