きみの内側に届かない
清一色
制服の第2ボタンが外れた
宇部光には小さい頃からの友人がいる。
同い年の高校3年生である白川遥陽である。
彼女とは家が近く、家族ぐるみの付き合いを続けていた。幼い頃は異性として意識したことはなかったが、時を経るにつれ、遥陽は可愛らしく成長した。
いまでは高校一の美女と言われている。
しかし、そんな遥陽には彼氏がいたことがない。ガードが堅いのもあるのだろう。何より、高嶺の花として意識されているようだった。
光は、そんな遥陽の事が好きだった。中学生くらいからだろうか。昔は一緒にいても何も思わなかったはずなのに、今ではふとした瞬間に顔が赤くなってしまう。
多分、向こうも自分のことを好きだと思う。
けれど、一歩踏み出して、告白することはできないでいた。
今の関係を変えてしまうことが怖かった。
それに、光は今の遥陽との関係も悪くないと思っていた。普段は二人で過ごし、下校するときも、自然と二人一緒であることが多い。
周りから、「夫婦」と揶揄われることもある。そんなときは、笑いながら二人で否定する。だけど、決して悪い気はしなかった。
しばらくはずっとこんな関係なのだろう。もちろん、光は将来的に、遥陽と結婚したいと考えている。
とはいえ、今の中途半端な関係も、光は嫌いではなかった。
@@@
「宇部先輩、これ、白川先輩に渡しておいてくれませんか」
放課後。
委員会活動の途中で、本棚を整理していたところを、光は呼び止められた。
目の前に立っているのは、爽やかな顔をした青年だった。
彼の名前は遠野翼。
光や遥陽の一つ下である高校2年生であり、バスケ部のエースでもある。
そのルックスと人当たりの良さから、学内に密かなファンも多い……らしい。
そんな校内トップの男子が自分に一体何の用だろうか。光は思った。
翼は恥ずかしそうな顔をしながら、手にはなにやら紙を握っていた。
光は少し驚きながらも、またこのパターンかと思った。
「えっと、遠野君、だよね。これは何?」
翼は少し目を背けながら言った。
さすがはイケメン、こんな様子でも絵になるものだった。
「その、手紙です。白川先輩への……」
「友達として……みたいな?」
一応聞いてみたが、その言葉に、翼は激しく首を横に振った。
「あー、じゃあそういうやつ?」
翼はブンブンと首を縦に振った。察してくれと言わんばかりだった。
翼はもう耳のところまでピンクに染まっていた。
そして、蚊の鳴くような声出会った。
「……前から好きだったんです」
少しの間、二人の間で沈黙が続いた。
つまるところ、これはラブレターだった。
それも光宛てではない。
光はただ、伝書鳩の役割を押しつけられただけである。
もっとも、後輩の男子から一世一代の告白をされたところで、光は困惑するだけで終わるだろうが。
「本当に好きなら、こう言うのは、直接本人に言った方がいいと思うんだけど……」
「はい。でも、白川先輩に告白するなら、宇部先輩のところを通してからじゃないとと聞いたので」
「え、何それ。そんなこと誰に聞いたの?」
光は驚きながら言った。
そんなことは聞いたこともなければ、言ったこともなかった。
「先輩方に聞きました」
「そんなことないよ、勝手に告白すればいいじゃん!」
「でも、ルールだそうです」
そう言う翼は、意外に頑固そうだった。
光は呆れた。素直に馬鹿だと思った。
なぜそんな妄言を正直に信じているのだろう。
告白なんて、本人に勝手にすればいいのに。
というか巻き込まないでほしい。
どうして光にわざわざ言いに来ようとするのだろうか。
当てつけか。
なぜ事前に言いに来る相手が光なのかも謎だ。
そもそも、光と遥陽はいくら仲がいいとは言えど、付き合っているわけではないのだ。
もちろん、将来的にはお付き合いしたい。それに結婚したい。
けれど、今の時点では決して付き合っていないのである。
というか、そんな入れ知恵をしたのは一体誰なんだ。光は思った。
しかしそれに対しては容易に答えが出た。
前にもこんなことがあったのだ。
すなわち、光達と同世代の男が、遥陽に告白しようとするときは、大抵窓口として光を通していたということがあったのである。
おそらく、翼にいらぬ知恵を仕込んだのは、光達と同学年の生徒なのだろう。
この学校の男子生徒は、律儀なのか律儀でないのかわからない、と光は思った。
「まあ、とりあえず渡しておくけどさ、どうせ断られるだけだと思うよ。前に来たやつもバッサリいかれてたし」
「ありがとうございます!」
翼は光に向かって勢いよく頭を下げた。
体育会系だ、と光は思った。
そうして翼は部屋を出て行った。
満足そうにして去って行く翼の後ろ姿を見て、光は軽い哀れみすら覚えた。
結局、この手紙を遥陽に渡したところで、遥陽がこの後輩に靡くことはないだろう。
残念ながら、同じような形で過去に何人もの勇者が門前払いされている。
結果が分かりきっているのにぬか喜びさせることには少々罪悪感を抱かなくもない。
しかし、光は現状利用された立場であるし、それにこうして後輩の頼みを聞いてやるのも、たまには悪くはないと、光は思った。
@@@
「っていうことがあったんだ。で、これがその手紙」
昼休み。
光は遥陽の机で一緒に弁当を食べていた。
「おお~翼君が」
光の言葉を聞いて、遥陽は驚いた様子だった。
そして、それを聞いて光も驚いた。
「あれ、遥陽知り合いだったの?」
「うん、2年生のときに、委員会が一緒だったんだ。運動会委員でね。係の最中は結構暇だったから、割とよく喋ったりしたんだよね」
初耳だ。
遥陽には男っ気が一切ないと思っていたので、光にとって意外だった。
「そのときからそういう雰囲気はあったの?」
光は少し当てつけのように聞いた。
「まさか!そのときはただの友達……というか、弟、みたいな? けど最近は喋ってないからねえ」
遥陽は光から手紙を受け取ると、箸を置いてそれを開け始めた。
「だけど光、いっつも私宛のラブレターもらってるね。なんか申し訳ないかも」
封を切りながら遥陽が言った。
「別に気にしてないよ、そこまで時間を取られる訳でもないしね」
口をうごかしながらモゴモゴと光は喋った。
「それに、いっつも私の面倒見てくれてるしさ。ふふふ、なんだか光、私のボディーガードみたいだね」
「なっ……」
遥陽はそう言ってクスクスと笑った。
思わぬ不意打ちに、光は盛大にむせた。
遥陽の横顔に、胸が高鳴る。
自分の顔が赤くなるのがわかる。顔を背けることしかできなかった。
「それにしてもさ、この時期に告白なんて結構攻めたことするよね」
取り繕うようにして光は言った。
「確かに、もうそろそろ受験だし、それが終わったらもう卒業シーズンだもんね」
遥陽は言った。ラブレターを読みながらの返答だった。
今の時期はもう高校三年の後半だった。そろそろ大学入試が始まる。
光と遥陽は推薦組なので、あまり気にはしていなかったが、なるほど、たしかに最近、教室の空気はピリつき始めていた。
「でも、だからこそなのかもな」
「と、いいますと?」
キョトンとした様子で遥陽が訊いてきた
「だって、卒業したらもう会えなくなるからね。僕なんかは遥陽といつでも連絡取れるけど、LINEとか知っとかなくちゃ、それだって無理だ」
そう考えたら、光はなんとなく翼の気持ちがわかった気がした。
翼も今が最後のチャンスだと思っていたのかもしれない。
「なるほど~」
遥陽は納得したように言った。なんとなく気の抜けた返事だ。
彼女は偶に頭が足りてないときがある気がする。
「それで、手紙の中身はなんて書いてあったんだい」
光は遥陽の後ろに回って、手紙の方を覗きながら言った。
「えー、内緒!」
「そんなこと言わないで、教えてよ」
「だーめー」
遥陽はなるべく光からラブレターを遠ざけようとして腕を伸ばした。
しかし、光が見苦しく駄々をこねてみれば、案外遥陽はあっさりと教えてくれた。
「……明日の昼休み、屋上に来てくださいって」
遥陽はちょっと恥ずかしそうだった。
いつも告白されるときは、もっとサバサバしている気がするのだが。
知り合いだからかもしれないと、光は思った。
「行くの?」
光は少し心配そうに尋ねた。
遥陽は引き締まった顔で答えた。
「うん、行くよ。一応、勇気出して伝えようとしてくれてるみたいだし」
光の胸中を一抹の不安が襲った。
光はそれを誤魔化すようにして、捨て台詞のように言った。
「ふーん、まあ、断るときも優しくしてやりなよ」
「うん、付き合うかどうかは話を聞いてから考えようかなって思ってる」
それもそうか。光は思った。
そして最後に、遥陽が念押しのように言った。
「光、いくら心配だからって着いきたりしないでね?」
行かないよ、さすがに。
@@@
それから、二日が過ぎた。
その間、二人はいつものように過ごしたが、そんな中でも、光は落ち着かない様子でいた。
遥陽が翼の告白をどうしたのかが気になった。
いつものように、彼女は断るだろうという気持ちもあった。
けれど、間違いなく心の中には一抹の不安も存在した。
とはいえ、遥陽にそうと悟られるのは嫌だったので、彼女に事情を問い詰めることはできなかった。
光は何気ない会話を遥陽としながら、それとない雰囲気で告白の話を聞く機会を伺っていた。
しかし、その話は日常の会話の中で、脈略なく、唐突に始まった。
「そういえばさ、翼君に告白された件なんだけど」
遥陽はここで一旦間を置いた。これから言おうとしている言葉を反芻しているようだった。
そして大きく息を吸い、覚悟を決めたような顔で、遥陽は言った。
「私ね、翼君と付き合うことにしたの」
「え?」
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