小さな勇気

kanaria

1話

 毎日の鬱屈した生活、つらつらと続く日々の中で生きる希望を見いだせずにいた。積み重なる会社からのプレッシャーや上からのしわ寄せのストレスからいつしかどんなことにも無気力になっていた。以前まで好きだったはずの音楽も今はなんとも思わなくなってしまった。悲しいも嬉しいも楽しいも、何故働いているのか何故ここまですり減らしているのかわからなくなってしまった。寝静まることのない都会の街は今の自分には眩しすぎる。このコンクリートの上を歩いていると自重にすら押し潰されそうだ。

帰宅して誰もいない部屋に向けて

「ただいま」

と言ってみる。当然帰ってくる言葉はなく虚しく六畳半の部屋に吸い込まれた。椅子に腰掛けてスーパーで買った弁当を口にする。けして満腹になる量ではないが少し残してしまった。シャワーを浴びて泥のようにベッドに横たわる、スマホを確認してみると時刻は3時を回っていた。明日はいつも通り6時に起きて出社する。また同じ一日が始まる、思考を停止し明日の朝、目覚めないこと祈りながら目を瞑った。

 朝はいつものようにやってきた。鉛の身体を起こして洗面所へ向かう。鏡を見ると日を重ねるごとに窶れていく自分が無様で笑ってしまった。初めの頃はため息をつくほどの余裕が心にはあった。だが今はため息をつくことすら出来なくなっていた。

「行ってきます」

待つ人の居ない部屋に記号のように音を発する。

今日は運良く通勤の電車で座ることができた。睡眠の足りていない中でこの幸運は逃せない。目を瞑り少し眠る。

降車駅の一つ前で目が覚め、問題なく目的の駅で降車する。駅からは徒歩10分圏内に職場のビルがある。雑居するビルの中にひとり歩みを進めていく。職場に到着し自分のデスクに荷物を置き勤怠をきる。ここからまた長い労働が始まる。いつしかこの瞬間に手が震えるようになってしまった。不安も吐き気も噛み殺して業務を開始する。

業務開始から8時間後の17時にようやくの休憩をとる。いつもこの時間は職場から少し離れた行き慣れたカフェに遅めの昼食を食べにいく。一ヶ月前から新人の店員が入ったようで店内は活気付いて先輩と思われる店員が指導をする姿が見受けられた。

「いらっしゃいませ!」

明るく無邪気な笑顔が自分を見ている。眩しいなと思いながら軽く会釈する。

「いつもありがとうございます!お好きな席へどうぞ!」

案内を受け、いつもの窓際の席に腰掛ける。

一息ついた時あの元気な店員さんがお冷を丁寧に持ちやってきた。

「お冷どうぞ!ご注文はお決まりですか?」

「Aセットで」

「Aセットですね。お仕事終わりですか?」

「いえ、休憩中です」

「そうなんですね。いつも来てくださってますよね。ちゃんと寝れてますか?」

「あ、えっと、、、」

突然のことに言い淀んでしまう。傍目に見て分かるほどに顔に出ていたのか。

「いや、急にごめんなさい。いつも見てて思ってたんですけど、隈がその。心配になって」

「大丈夫。ありがとう、その気持ちだけで十分ありがたいです。」

返答になっていたか自信がない。こんな会話を久しぶりにした気がする。

「わかりました。すぐに、用意しますね!Aセット!」

忙しなくキッチンへ向かっていく背中は小さくそして今の自分にはとても眩しかった。

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