第24話 エオールの葛藤
ラトナに監視の目をつけることにしたのは、彼女がエオールの提案した部屋の引っ越しに難色を示したからだ。
(離れのままが良いだって?)
彼女がエオールの両親を恐がっているのなら……と、部屋の場所にも気を配ったつもりだった。
それなのに、ラトナは体調が悪いから動けないの一点張りで、このままうやむやにするつもりのようだった。
昼間でも薄暗く、埃まみれで、黴臭い、離れの部屋で好んで療養を続けるなんて常軌を逸している。
それこそ、病を治したいのなら、なおの事だ。
(……何かあるのでは?)
そういうことで、彼女の様子を限定的に見張ることにしたのだ。
もっとも、エオールの命令を無視して、ラトナを離れに追いやった本宅の使用人たちは信用できなくて、従弟に頼むことになってしまったのだが……。
エオールの従弟は、千里眼能力者だ。
彼は知人であれば、念じるだけで、標的の人物を視ることが出来るのだが、面識のない人間の場合は、動物の目を介したりするので、準備が大変らしい。
嫁相手にそこまでするのかと、散々嫌味を吐かれつつも、何とか彼に監視を引き受けさせたエオールだったが、ラトナは意外に警戒心が強く、すぐには尻尾を出さなかった。
……しかし、エオールが離れを訪ねた翌々日の夜に、こっそり一人で出かけたらしく……。
なんでも、都外れの空き屋を訪問した挙句、そこに乱入した不審な男の手によって、孤児院に連れて行かれたのだとか?
(……なぜ、孤児院?)
街で遊興に耽るでもなく、空き家から孤児院に連れて行かれる?
従弟は、余程介入しようか悩んだそうだ。
(ラトナは王都に土地勘なんてないはずだが?)
「彼女はそこで数時間過ごして、深夜、駆け足で屋敷に帰りましたよ。独り言をぶつぶつ言いながら歩く姿が人目を引いていましたね」
従弟はエオールから余所余所しく視線を逸らしながら、報告してきた。
暗に、お前のせいで嫁はおかしくなってしまったんじゃないかと、責められているようだった。
(一応、公爵家の嫁なんだし、変な噂を立てられたら溜まったものではないのだが……)
何が、体調が悪い……だ。
絶好調ではないか。
それも全力疾走できるくらいに。
(私は騙されていたのか?)
問い質すつもり満々だったエオールだったが、しかし、解せないのは孤児院の存在だった。
ソラスタ孤児院の経営者は、レオナード伯爵。
事業家で慈善家でもあり、社交界でも貴婦人に人気のやり手の男だ。
(孤児院で作らせた物を、慈善事業の一環だと貴族たちの間で流行らせて、法外の高値で売り裁いているという噂は聞いたことがあったが……)
夜会で何度か顔を合わせたことがあったが、仮面のような笑顔を張りつけている気味の悪い男だった。
先の戦争に関わっていないことを自慢にしていて、平和主義を掲げてはいるが、実際は責任回避で逃げただけの卑小な男。
エオールにとって気に入らない相手の筆頭であった。
(奴の関わっている孤児院に、どうして彼女が?)
いらぬ火の粉を勝手に被って、ラトナは何がしたいのだろう?
とにかく分からないことが多すぎて、調査させているうちに、彼女はいよいレイラのもとに一人で行ってしまったのだ。
その報せを受けた時、エオールは発作的にラトナを追いかけようとしてしまったが、もう昨夜の出来事だと聞いて、動くことが出来なくなってしまった。
どうせ、その夜にはレイラに会うつもりでいたからだ。
『スノードロップ』。
看板はないが、戦争で傷ついた者、退役軍人なども多く集う王都の小さな酒場。
名前の由来を尋ねたら、花言葉が「慰め」だからだそうだ。
慰めが必要な聴衆を前に、今宵も美声を轟かせたレイラは、普段は自分から客のもとに来ることはないのに、その日に限って、真っ直ぐエオールの前にやって来たのだった。
「こんばんは。ミノス公爵」
初めてだった。レイラに自分の名前を呼ばれたのは……。
まさか今までエオールの身分を知らないはずはないと思っていたが、レイラはいつもエオールのことを「お客様」と言うだけで、名前を呼ぶことはしなかったのだ。
(ラトナ。一体、何をしたんだ?)
かえってラトナのことを訊きづらくなってしまい、エオールは彼女の出方を窺うように薔薇の花束を渡して微笑した。
「今日も素晴らしい歌声でした。レイラ」
「また綺麗な薔薇を、ありがとうございます。嬉しいですわ。私の歌が貴方様の心の奥にまで届いたのなら……」
意味ありげな言葉と薄笑い。
いつもの甘い花の香りが彼女から漂っていた。
例の「リリンの魔法」だろう。
彼女は花束を抱きながら、胸元から手作りらしい小さな巾着を取り出すと、これ見よがしにエオールに見せつけた。
「実は、私が身につけている「これ」を作っている孤児院。在所している子供たちを法外に働かせて、その稼ぎを運営している貴族さまが横領しているらしいのですよ。ミノス公爵はご存知ですか?」
「……はい?」
唐突に浴びせられた台詞に、エオールは目を瞬かせた。
しかし、口を挟む隙を与えず、彼女の棒読みの長台詞は続いていた。
「そういうことなので、一度お調べになって頂きたいのです。すでに過労が祟って亡くなった娘もいたみたいなので。ちなみに、その娘の住まいに、彼女が貯めていたお金があるそうなので、それを孤児院に正式に寄付して頂いて……」
「ちょっと待って下さい。レイラ」
「とりあえず、私ちゃんと伝えましたからね。もっとも、貴方様のことです。すでにご存知かもしれませんが?」
「……私は何も」
もしかしたら、ラトナを尾行させていたことに、彼女は気付いていたのかもしれない。
いつも澄まし顔をしているレイラが、忌々しげに唇を噛みしめている。
一連の告発が彼女の意思でないことは、よく分かった。
ラトナが絡んでいることも察している。
しかし、どうしてレイラがここまでするのかが、エオールには理解できなかった。
「……まったく」
「レイラ?」
「ご結婚されたんでしたよね。公爵様」
「……」
「もう、私のことは放っておいて下さいな。何をしたところで、あの人は帰ってなど来ないのですから」
「……ですが」
「あまり、奥様を苛めないでやってくださいよ。彼女を怒らせると、大変な凶事が起こりますから」
「大変なこと?」
「暴動が起こります。仮にも夫婦なんですから。奥様と会話、しっかりなさって下さいね」
作りこんだ微笑のまま一礼すると、長い黒髪を風に流しながら、レイラはかつかつ靴音を響かせ、夜の帳の中に消えて行ってしまった。
「何なんだ。一体?」
ともかく、絶対にもう一度ラトナに会わなくてはいけない。
しかし、苛めるなと言われても……。
(私はどうしたら良いのだろう?)
尾行していたこと。
レイラとの関係も含めて、すべて白状するべきなのか。
(それこそ、すべて告白したら、暴動を起こされるんじゃないのか?)
エオールはここに至って、ラトナと距離を置いたことを後悔していたが、元気になった彼女とどう向き合って良いのかまったく分からずにいた。
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