第13話 まさかの事態
結局、薔薇の花束はモリンの縁のある場所で、引き取ってもらうことにしたのでした。
「あの、モリンさん。孤児院に花束を置き去りにするようなことして、大丈夫なのでしょうか?」
『ええ、大丈夫よ。たまに善意で物を置いていく人もいるから。きっと、みんなで綺麗に飾ってくれるわ』
教会の裏手、奥まった場所にひっそりと佇む古びた建物。
――ソラスタ孤児院。
モリンは成人するまで、ここで暮らしていたとか……。
『良かったわ。思い出すことが出来て。なんか、こう心がざわざわしてて、落ち着かなかったから』
玄関に続いている階段の一番上に、私は薔薇の花束を置きました。
「知りませんでした。孤児院って、夜も明るくしているんですね」
ここに至るまでの通りの方が、薄暗くて不気味な感じでした。
もっとも、すべてを思い出したモリンの道案内は完璧でしたけど……。
屋内から、皓々と灯った明かりの残滓が漏れ出ています。
『それは違うわよ。夜も子供が働いているからよ』
「えっ?」
私は耳を疑いました。
「子供が夜も働いているのですか?」
『最初は孤児院の運営費が稼げなかったから、みんなで力を合わせて働いてたんだけどね。ほら、ちょっと前まで戦争していたから戦災孤児も増えて……。私も昼は食堂で働いて、夜はここで内職を手伝っていたの』
「それは、国が悪いんじゃないですか?」
『本当にねえ。皺寄せは弱者にくるのよ』
「だから、モリンさんは権力者を毛嫌いしているのですね?」
『……そうよ』
外の世界には、私の知らないことが山程あるようです。
先程、シエルが纏っていた花の香りが微かに漂ってきて、ふと、耳を澄ますと、子供の泣き声が聞こえてきます。
窓から覗く誰かの気配を感じて、私は身震いしました。
「モリンさん?」
『さっ、誰かに発見される前に、行きましょう』
「でも……」
『私が死んだことで、更にみんなが苦しくなってないと良いけれどね』
モリンさんの呟きが、私の心にずしんと染みました。
(彼女が天国に行くことが出来ない理由って、このことと関連があるのでは?)
だったら、何とかしてあげたいのですが、何をどうしたら良いのか、私にも分かりません。
「モリンさん。やっぱり、一目でも」
『駄目よ。死んじゃった私には、どうせ何にも出来ないんだから……』
後ろ髪を引かれる思いで、私はモリンを追いかけて、屋敷に戻ることになったのでした。
――そして、翌朝。
私が少し仮眠を取ってから、モリンは思い出した内容について丁寧に語ってくれたのでした。
『あの人がつけていた花の香り。あれ、孤児院で作っていた「匂い袋」のものよ。あの香りで、私すべて思い出したの』
ああ、だから孤児院でも同じ匂いを嗅いだのですね。
『リリンの魔法っていうの。リリンって美の女神にちなんだ名前ね。使用している草花とかは教会と孤児院の敷地内で、雑草みたく生えているから、摘み放題で……。最初は経営の足しにでもなればって細々作ってたのよ。それが、私が死ぬ少し前に、貴族の間で有名になっちゃってね』
「そうだったのですか」
『ちなみに、昨夜の女性は歌姫のレイラ。リリンの魔法を愛用してくれている著名人だわ。彼女のような人が持つことで、売り上げが飛躍的に伸びたわけ』
「……へえ」
『あっ、私知っています。リリンの魔法! 巷では「良縁」を叶えてくれる香りって有名でしたよ。私も死ぬ前に、欲しいと思っていました』
ミネルヴァが寝台の上に飛び乗って、興奮気味に捲し立てました。
「何も知らないって、いいわよね」
モリンが浮かれているミネルヴァを横目で睨んで、溜息を吐きます。
『馬鹿馬鹿しい。良縁だなんて。作っている方は地獄だったのよ。変に有名になっちゃったせいで、欲を出した孤児院の管理者が孤児院の権利を、がめつい貴族に売ってしまって。それで、また労働時間が増えて、粗悪品作らされたりしたのよ』
「でも、モリンさんは孤児院を出て働いていたんですよね? 昼も夜も無理して働く必要なんて……」
『孤児院の子が心配だったのよ。私ったら、とんだお節介でしょ?』
「モリンさん……」
『はいはい、この話はもうやめましょう!』
モリンはしんみりした場の雰囲気を変えようと、わざとらしく声を張り上げました。
『まあ……。商品としては自信を持っていたし、出来ることなら、ラトナちゃんにも一つ贈ってあげたかったけど』
「いや、でも……。私なんかが良縁を招く花の香りなんて、似合いませんよ」
「あら、どうして? 欲しいならそれで良いじゃないの」
モリンからあっさりと言われて、私は卑屈な謙遜をしてしまった自分に、腹が立ちました。
(自分が好きならそれで良いのに……。どうして、私は他人を意識してしまうのかしら?)
――もしも。
昨夜出会ったレイラのように、花の香りを身に纏って、高い踵の靴を履いて、毅然と背筋を伸ばして夜道を闊歩することが出来たら、もう少し私は自信を持つことが出来るのでしょうか?
分かっていますよ。
元々、生まれ持った顔もあるので、彼女そのものになれるとは思ってもいませんが……。
『ラトナちゃんは、レイラと同じ香りじゃ、嫌?』
「まさか、違います! あの綺麗なレイラさんと私が……。同等に考えられないだけです」
『でも、エオール様とレイラって、恋人同士ではなかったんですよね?』
ミネルヴァが爛々とした瞳で念を押しました。
本日、三度目です。
好きですよね。女の子はこういう噂話。
『ええ。あれは、むしろレイラに迷惑がられている類だわ。エオール様もご愁傷様よね』
モリンはもはや堪えきれずに、目尻に涙を溜めながら大笑いしています。
「だ、駄目ですよ。嗤っちゃ」
エオールの純粋な想いを、嗤ったら失礼です。
……なんて、諌めたつもりの私も、つい口元が緩んでしまいました。
もちろん、エオールに対しては私の治療には寛大でお金の上限を設けず、一室を用意してくれたことには感謝をしています。
だけど、何ともいえない、もどかしい感情を彼に対して抱いていることも事実でした。
「レイラに対する一方的な想いだったのなら、私と結婚までする必要もなかったような気もするのですが?」
『色々あるのではないですか? 公爵様ともなると』
ミネルヴァの言葉にうーんと考え込み始めた私に、こんこんと叩くノック音が響き渡りました。
――と、同時に「来た」という、幽霊たちのざわめきが聞こえてきて、私は首を傾げました。
一体、何が来たというのでしょう?
「ラトナ様」
渋い声の男性が扉の向こう側から呼んでいます。
いつもの愛想のない侍女でもなく、形式的な呼び掛けでもありません。
ぴりりと、緊張感の孕んだ声でした。
(もしかして、昨夜外出していたことがバレた?)
でも、誰ともすれ違わなかったし、今朝の使用人たちの態度も変化なしでした。
――しかし。
私の心当たりの更に上を行く出来事が、その時、発生していたのでした。
「旦那様がお越しです」
(……旦那様?)
ここに来て、初めて聞く敬称でした。
(誰だっけ?)
エオールの父君でしょうか。
いいえ。
だったら、大旦那様のはずです。
この屋敷の責任者が旦那様であるというのなら、答えは一つ……。
(ま・さ・か?)
反射的に、私は毛布に包まって、自分の姿を隠したのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます