第8話 エオールの独白

 三カ月前、全方位に喧嘩を売るようにして、エオールは妻を娶った。

 名門ミノス家の嫡男で一人息子が独身なんておかしいという世間の目と、隙あれば、見合いを突っ込んでくる両親に嫌気が差したこと、それに自分の呪われた運命を考えた末の決断だった。

 相手選びには、一応頭を使ったつもりだ。


 ――深窓の令嬢。

 ――派手で男好きな社交界の華。

 ――バツイチ子持ちの保護者のような女性。


 大勢の候補があったわけだが、そのどれもしっくりこなかった。

 どうしたって、エオールは妻を置き去りにするだろうし、顧みないだろうし、興味を抱かないだろう。子供なんてもってのほかだ。

 結婚の条件を突き付けて、先方側も最初はそれで良いと言うかもしれない。

 でも、未来は分からない。

 彼女たちだって、お飾りの立場でいることに、引っ込みがつかなくなってしまう事態が訪れるかもしれない。

 無闇に人を傷つけたくはなかった。

 相手にも利点があって、自分にも利点がある。

 しかし、後腐れのない関係。

 そんな時だった。

 ――主治医のロータス医師から、根治できない病気の娘がいるという話を聞いたのは。


 こんこん……と、二回ノックの音がして、エオールは仕事を切り上げて、顔を上げた。


「旦那様、ロータス医師がお見えになりました」


 耳障りの良い、使用人の声。

 エオールが今暮らしている王城近くの別邸には、有能な者ばかりを集めたつもりだ。

 職人気質の実直な男を多めに採用したので、在宅中も色目を使われることもないし、いらぬ気を遣わずに済んで、仕事も捗って気分も良かった。


(もう、そんな時間か……)


 約束の時間ぴったりの来訪だった。


「どうぞ」

「失礼いたします」


 綺麗なまでの白髪頭のロータス医師が使用人に誘導されて、室内に入って来た。


「三カ月ぶりかな。先生」

「ええ。そうですね。貴方が多忙のため、まったくと言って良いほど、時間を取れなかったために、報告が遅れてしまいましたが、今日は奥様の定期健診の報告に参りました」


 ぺこりと頭を下げて、姿勢正しく佇んでいるロータスに、エオールは長椅子に座るよう促して、自分も手前の長椅子に腰を掛けた。

 ロータスとは長い付き合いになるが、それでもお互い弁えた距離感で接している。

 詮索もしないが、話があるなら、とことん付き合う。

 そういう関係がエオールには心地よかった。


(この人と出会ったのは、戦地だったな)


 ――五年前に勃発した隣国との戦争。

 以前から悪化した関係が、国境付近の小競り合いが激化して戦争へと突入してしまった。

 およそ、二年間の戦いを経て、ようやく休戦へと持ち込むことが出来たわけだが、両国とも能力持ちの優秀な人材が多く亡くなったのだ。

 聖統御三家の跡取りであるエオールは、本来、最前線に出向く必要などなかったのだが……。

 けれど、大勢の知り合いの死を受け流せなかった。

 周囲の反対を突っぱねて、戦地に赴き、その悲惨さに心を病んだ。

 ロータス医師と出会ったのは、まさにそんな時だった。

 次から次へと運ばれてくる怪我人を治療している懸命な姿に心を打たれ、自分の主治医になって欲しいと懇願した。

 ロータスは専門ではないと固辞したものの、エオールの熱心さに折れて、特に何事もなければ、半年に一度、定期的に健診してくれることを約束してくれたのだ。

 彼とは検診の度にいろんな話をした。

 好条件で妻を娶ることが出来たのも、ロータスのおかげだ。

 ――もっとも、彼は偽りの「婚姻」をするなんて、絶対反対だったに違いないが……。


「まあ、書類上は妻ということになるんだろうが、奥様と言われると慣れないな」

「……でしょうね。貴方はたった一度、ちらりと顔を見た程度ですからね。それっきり本邸にも顔を出さないので、私は手間がかかって仕方ない。おかげで、助手をこき使う羽目に。ああ、失礼しますよ」


 温和な笑みを浮かべながら、ロータスは延々と嫌味を言い、ゆったりと腰掛けた。


(相変わらず、こういうところは正直だな)


 ラトナは彼の大切な患者だ。

 説明不足。強引。諸々……。

 言いたいことが山のようにあるのだろう。


「彼女とは会わない方が良いだろう。しょせん、戸籍だけの夫だ。まあ、会わざるを得ない時が来たら、ちゃんと会うつもりではいるが……」

「しかし、彼女は貴方の妻です。貴方自身の口から、きちんとした説明をしなければいけません。私の口からは……この事態を説明できませんよ」

「説明したところで、意味なんてないんじゃないのか?」

「どうせ、彼女が死ぬからと……仰せなのですか?」


 じろりと鋭い目で睨まれて、エオールも自分の失言に気がついた。

 さすがに、それを口に出すのは不謹慎だ。

 エオールは咳払いをしながら、頃合い良く使用人の運んできた茶を飲んだ。

 いつもは美味しく飲み干す甘い茶も、今日はさすがに味がしなかった。


「分かっている。私だって一度くらいは、彼女の体調が良い時にでも、会いに行こうとは思っている。しかし、いつも死にそうなくらい、しんどいんだろう?」

「いいえ。彼女は驚くほど快調ですよ。水が良かったのでしょうかね? 私も主治医として鼻が高いです。少なくとも、あのまま実家で過ごすより、遥かにマシでした」

「……なら、良かった。私の両親も大概だが、さすがに毒までは盛らんだろうからな」

「今となっては、助手のシギの口の軽さに、少しばかり感謝はしていますよ」


 ――半年前。

 エオールの定期健診に訪れたロータスが、陰鬱で暗い溜息ばかり零しているのが気になった。

 一体、何があったのかロータスに訊いてみたものの、何でもないの一点張り。

 彼は理由を明かそうとはしなかった。

 しかし、だからといって、はいそうですかと、引き下がるエオールではなかった。

 ロータスが本拠地として活動している北方の貧しいスフォル領。

 そこで、彼が留守の間、代理を務めている助手のシギの方に、使いを出して接触を図ったのだ。

 助手のシギはすぐに白状した。

 口が軽いというよりは、彼もよほど腹に据えかねていたのだろう。

 スフォル領のリーランド家の当主の妹に対する振る舞いが目に余るのだと、彼は訴えてきたのだ。


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