06-10


 ふと上を見上げれば、周囲の木々に切り取られた空はいつの間にかどんよりと暗い灰色の雲に覆われていた。

 しばらくラジオで天気予報を聞くのを忘れていたが、今日は珍しく雨模様のようだ。


「……待て。いまなんて言った? ミレイが……」


「自律型監視AI『目』のプロトタイプ初号だよ」


「……嘘だろ?」


「目の前に証拠があるじゃないか」


 目の前の墓。

 サイカワ ミソノの眠る墓。

 これが真実ならば、サイカワ ミソノは物理空間側の身体を保持しながら電脳空間で生活していたことになる。

 電脳空間「ボックス」の利用規約――身体の電脳化プロセスが完了するまでは、妊娠・出産に制約がかかる――。

 サイカワ ミソノがこの墓に納骨されているならば、10年前に亡くなるまで物理空間側に身体が存在していたことになり、すなわち、彼女は10年前まで電脳化プロセスを完了していないということになる。

 ならば、どうやって電脳空間にしか存在しないミレイを産むことができたと言うのだろう。


 サイカワ ミソノがミレイの母でありつつ、だが有機的にはミレイを産み出していない。

 この矛盾に見える無理難題を解く一つの解は――サイカワの言うとおり、ミレイは人間として産み出されてはいないと言うことだ。


 作られた意思。人工知能。


 墓誌に刻まれた名前がそれを裏付ける。

 なぜ、オニヅカ ミソノという名前がここに刻まれていないのだろうか。

 その答えはきっと――。


「……そうか。ミソノさんは、ミレイを産むどころか、オニヅカ家に嫁いですらいないのか」


「そう。ミソノはノアボックスと敵対する一技術者でしかないのさ。君たちを動かすために、ミレイが都合よくその名前を使っただけさ」


「内通者はサイカワ、と言っただろう? ――内通者はサイカワ ミソノ、これが情報通――僕が渡した情報の全文だ」


 内通者はサイカワ ミソノ。

 これが情報通からの――と、ちょっと待て。

 今、聞き捨てならない言葉が聞こえたぞ。


「情報通がお前だと言っているように聞こえたが、俺の聞き間違いか?」


「そう言ったよ。ネコタニくんの言う情報通とは僕のことさ」


「……そう言えば、ミキちゃん、その情報通のことを気障なところが鼻につくと言っていたような」


 これまで黙っていたヒカリがポツリと呟く。

 アサギふれあい広場の慰霊碑の前での会話がフラッシュバックする。

 たしかにそんなことを言っていたような……。


「もしかして、アサギふれあい広場の幽霊のことをミキちゃんに焚き付けたのもサイカワくん?」


「流石だね。そのとおりだよ、ヒカリくん。電脳空間側で噂を広めたのも、ネコタニくんにその噂を伝えたのも僕さ」


 ということは、アサギふれあい広場の幽霊騒動は全てこの男に仕組まれたものだったということだ。


「……どうしてそんなことを?」


 純白の部屋に映る若い二枚目は顔色一つ変えずに、柔らかな微笑みのまま答える。


「――もちろん、君たちに真実を知ってもらうためさ。事前の調査で、ネコタニくんがヒカリくんと懇意にしているのは知っている。必ず君たち――サトルくんに話が行くと確信していた」


「先ほども言ったとおり、サトルくんは僕たちにとってのキーマンだ。僕たちが何を目的にして何を成し遂げたいと思っているか、背景から知ってほしかった」


「――これから全て話すよ。役者に全て出てもらってからね」


「……役者?」


「あぁ、君たちにあの慰霊碑を見てもらわないと、わざわざ噂まで流して、目立つような真似をした意味がないからね。ダメ押しで彼女にも出張ってもらったのさ。」


 ……彼女。

 サイカワの彼女のことを指しているのか?

 出張ってもらったとはどういうことだ?

 あの幽霊騒動のとき、サイカワの彼女も何かしらの行動をしていたというのか?


 ヒカリをこの部屋に連れ戻したのは、ミレイによく似た女性だったと言う。

 あのときのヒカリの問いに対して、サイカワは――。


 アサギふれあい広場の夜を思い出す。

 橙色の屋外灯の真下から、真っ暗闇の奥の方――慰霊碑の手前で見たあの幽霊を。

 ぼうっと淡く、青白く光るワンピース。

 かつての依頼者によく似た女の幽霊の姿を。



 ポツリ。

 頬に大きな水滴が落ちてきた。

 ごろごろと鈍く腹を揺らすような雷鳴が鳴っている。


 あぁ、これは本格的に降るな。

 このような雨らしい雨は何ヶ月ぶりだろうか。

 そう、現実逃避のようにぼんやりと思ったその時。


 ……ザッ……ザッ……。


 左耳の方から誰かが歩く音がした。

 こちらに近づいてきている。

 視界の左がぼうっと青く光り、徐々に照度を増していく。


 ……ザッ……。


 その誰かは、こちらから数メートルくらいの位置でその歩みを止めた。


「……来たようだね」


 携帯端末から声がする。

 不思議と、恐怖は無かった。

 

 目の前の墓石から視界を滑らし左を向くと、そこにはかつて見た女の幽霊が立っていた。


「紹介するよ。僕たちのシリーズの最終個体。僕の彼女――のフリをしてくれた自律型監視AI『目』のプロトタイプ三号だ」



 雨が強くなってきた。


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