03-10


 図書館の外に出ると、湿気と熱気が前方から襲ってきた。

 だが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。埃っぽさと黴臭さよりはずっとマシだと思えたからだ。


 まだ日は高く、その眩しさに目が眩む。

 

 ピリリリリリリリリ。


 携帯端末からなる電子音。

 恐らく、というか十中八九ヒカリだろう。約束の時間だし。目的のものを送ることが出来た訳だし。


「応答を許可」


 一瞬の間を置いて、端末から声が響く。


「あっ、サトル! やったね! よく見つけられたね、お手柄だよ!」


 端末の画面にはニコニコ顔のヒカリが手を振っている。

 横からサイカワが現れた。涙目で笑っている。


「サトルくん! 本当にありがとう! 僕は最初からきみはやってくれるヤツだと思っていたよ!」


 嘘つけ。最初思いっきりこっちの能力を疑っていたじゃないか。調子の良いヤツだなぁ。……まぁ、いいか。コイツにとってはやっと見つけられた希望の光なんだから。


「なんとか見つかって良かったよ。……楽譜、読めるのか? というか歌うのか?」


 ……よくわからないけど、一般的な彼氏彼女の間柄において、歌のプレゼントって相当歌が上手いか、かなり上手に雰囲気作りしないと、プレゼントとして成立させるの難しくない? 


「恥ずかしながら歌うのはそんなに得意じゃないからね……打込みで音源を作ってCDに焼くことにするよ」


「そうか。プログラミングだけじゃなくて、そういうのも得意なんだな」


「……昔、芸術の方面で何かを作ることに憧れてね。自身にその方面の才能がないことに気付いて諦めてしまったのだけど。こんなところで活きてくるのだから、わからないものだね」


 ……その諦めの結果、コンピュータウイルスに熱意が向いたのかと思うと、それこそ人生何が起こるかわからないもんだな。

 一体何をどうしたら芸術からそっちの方面に行くんだよ……。


「よーし! じゃあ後はサイカワくんががんばって彼女さんのために徹夜して打込みするだけだね! 私達、手助けクラブとしては依頼完了で良いかな!?」


 ヒカリが一際大きな声でその場を閉めようと音頭を取る。

 当初の依頼に対する成果はしっかり上げられているはずだ。

 ヒカリと一緒にサイカワの顔を見る。

 朗らかな笑顔だった。


「……うん。きみ達は十分すぎるほどの成果を出してくれたように思う。ヒカリくん、サトルくん。本当にありがとう。あとは僕次第だ。急いで帰って明日に間に合うように作業に取り掛かろうと思う」


「どういたしまして、サイカワくん! 私達としてもいい経験になったよね、サトル!」


 ヒカリはここ最近で一番の笑顔でこちらを見つめている。


「あぁ。……図書館での本の探し方も学べたしな」


「……きみは事前に調べるとか、もう少し賢い方法を考えるクセをつけた方が良いと思うぞ。がむしゃらなのは悪くないが」


 ……うるせえよ。初めてのことでそんな機転がきくか。


「……はいはい。お前はもう少し言葉遣いに気をつけた方が良いと思うぞ。ひと言多いってよく言われないか?」


「ぐっ」


 サイカワは図星を突かれたのか、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 わかりやすいその反応に、思わず吹き出すと、サイカワの横にいたヒカリも吹き出した。サイカワも馬鹿らしくなったのかクスクスと笑い出す。

 もう耐えられなくなって、3人一緒にからからと笑った。



――――――



 帰りの自転車。背後からの朱い日によってその影は長く伸びている。

 敢えて日が落ちるまで待ってから図書館を後にした。その方が涼しいからだ。その選択は正解だったようで、行きに比べて随分と身体的な負担は少なく感じる。やはり日差しは体力を奪うな、もう二度と来ない……いや、本を借りたのだった。返しに来なきゃ。

 自転車のかごに置いた鞄の中に目を落とすと、先程気まぐれで借りてしまった本が一冊、存在感を顕にしている。


 ノアの方舟構想。

 一体何のことだろう。

 タイトルをぱっと見ただけでは何のことを書いているかわからなかったし、本の中身を読んでも理解できるかわからないのに、何故か手に取ってしまった。読まなきゃいけないと思った。

 ただの直感的なもので、なんの根拠もなく、妄想の域でしかないのだけれど、いまのこの"世界"の実情と、先日見たシノノメの状態と、この本のタイトルから感じる何かが妙に符合するような感覚を覚えた。


 なぜ自分でもそう思えたか、わからない。

 その後見た、あの童謡の歌詞もその感覚を強めているのかもしれない。


 あの歌詞も――知らなかった部分の歌詞の全てを見た瞬間、妙な胸騒ぎを覚えた。なぜだろう。分からない。けど覚えていなきゃいけないと思った。



 道路の脇からは蛙の大合唱が聞こえる。

 頭にはあの童謡、「あわれなおにのゆくすえ」の歌詞が浮かぶ。


 ゴメンマチ ノブコはどんな思いであの歌詞を作ったのだろうか。

 刻々と藍色を強める東の空を見上げながら思いを馳せるが、妙案はちらりとも浮かんでこなかった。


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