02-11

 


 震えながらも立てたミレイの人差し指がの窓を幽かに叩く。

 カタカタと静かに響くその音は、得体のしれないものを見た恐怖がどれ程かを表しているように思えた。


「……ミレイ。あのロゴ、ノアボックスのだろう。ここにこんな大規模な工場が建っているなんて知っていたか?」


 ミレイの様子を見れば知っているわけがないとわかるだろうに。

 自分でも意地の悪い質問だと思いながらも聞いた。


「…………いえ、知らなかったわ。じいやからも、お父さんからもそんな話をきいたことはなかった」


 彼女の回答は予想通りだった。

 ……そうだろうな。もし知っていながらその反応ができていたのなら、主演女優賞ものだ。


 ヒカリはじっと窓の外を見つめたまま動かない。

 このカメラの画角からは彼女の顔は見えないが、その背中はひどく小さく見えた。


 窓の外を見続けていたミレイが、意を決したようにこちらに振り返り、カメラに向かって話しかける。


「……サトルくん、申し訳ないけれど、車で工場の近くまで向かってくれるかしら。もう少し近くで見て、これが何物か確認したいの」


 凛としたその美しい顔には、少しの畏れとそれを塗り替えんとする覚悟が見て取れた。


「……わかった」


 首肯して、短く返す。

 ヒカリは何も言わない。敢えて尋ねることもしなかった。できなかった。


 ブレーキを踏む右足の力を緩め、ゆっくりと車を発進させる。


 右手には灰色の怪物。

 かつてそこに広がっていた雑草まみれの緩やかな斜面は見えない。

 それが発する得体のしれない圧力をじわりと感じながらゆっくりと町に繋がる道を走ると、しばらくして道路を塞ぐ建造物が見えた。格子状の巨大な門。高さは2mほど。その上には有刺鉄線が張られている。そして、道路の脇には門に続く形で3m程度の塀がどこまでも伸びていて、塀の上にも有刺鉄線が張られていた。


 ……こんなもの、10年前にあったか? この工場らしきものと一緒に建てられたのだろうか。

 門のギリギリ手前まで車を寄せてみるが、案の定、門はうんともすんとも動かない。守衛らしき人の影も見えず、赤色のパトランプがチカチカと光っているだけだった。


「……誰もいないようだ。いくら日曜でも守衛の一人くらいはいそうなものだが」


「そうよね。なにかこの門の中にいる人と会話が出来そうな設備はないかしら? インターホンとか。……最悪監視カメラとか。私が話してみるわ」


 社長令嬢直々に話をつけたいそうだ。たしかにその方が自分としても助かる。この工場に勤める人間からしたら俺はただの不審者でしかないからな。捕まってもおかしくない。


「わかった。携帯端末を持っていくからちょっと画面が揺れるぞ、酔わないようにな」


 そう言ってハンドルの横の固定具から携帯端末を取って、車から降りた。

 携帯端末を持った左手を胸の前に伸ばし、カメラを前方に向けゆっくりと門に近づく。

 近づくにつれ、その詳細が見えてきた。格子状の構造は金属でできているようだ。白い塗装は所々小さな剥げがあって、赤茶色のサビが見えた。

 道路との接地面には直径10cmほどの戸車が付いている。客人が来たときはこの門は開くのだろう。……開かないってことは俺たちは少なくとも現段階では客人とは思われてないってことだ。知ってた。


 インターホンの類があるとするならば、この格子状の門ではなく道路の脇、塀が伸び始めるあたりであろう。配線の施工の都合を考えれば、可動する門に取付するのは面倒だろうからな。

 そう睨んで、右側のパトランプが付いている方の塀まで少しずつ近づいてみるも、パトランプ以外には何も見当たらない。インターホンの類も、ましてや監視カメラと思しきものさえ見つけられない。のっぺりとしたコンクリートの塀の上に刺々しい有刺鉄線が伸びているだけ。

 パトランプが付いている方と反対側の塀も見に行ってみたが状況は同じであった。

 

 うーむ。仕方がないな。

 ふっと一息吸って。


「すいませーん!!」


 自分でもこんな声出せたのかと思うほどの大声を張ってみた。この一回こっきりでもう喉が痛い。この大ボリュームが予想外だったのか、画面の中のミレイは一瞬だけ驚いたように見えた。


 少しばかりの恥ずかしさを覚えながら発した声に、反応するものは無かった。やまびこのように我が声が反射を繰り返すだけだった。


「監視カメラすら見当たらない。人の気配すらない。……無人なのか? かと言って塀を乗り越えるのは……痛そうだ」


「怪我をしては大変だから無理に乗り越えるのはやめて頂戴ね、サトルくん。……中の人間と会話出来そうなインターフェースは無いのね。監視カメラの1つも無いなんて……」


 ミレイは少し残念そうだった。

 中の誰かと会話さえできたら自身の立場も踏まえて色々なことが聞き出せたかもしれないのに、それすらもできそうにないから、もどかしくもあるだろう。


 しかし監視カメラの1つも無いのはたしかに妙だ。警備の観点からはあった方が良いに決まっている。

 ――敢えて設置していないようにさえ感じる。

 けどなんの意図で? …………わからない。


「……いま現時点でこの門を越える術はない。せめて人が居そうなときに来ないと、中に入らせてもらう交渉の余地も無さそうだ」


「そのようね。折角ここまで来てくれたのに、ごめんなさい」


「ミレイが謝ることじゃあない。…………しかし、ミレイのお母さんが見たかったものは一体……」


「……わからないわ。けど、なんの根拠も無いけれど、お母さんが見たかったのは少なくともこの工場に関連しているものだと私は思うの」


 ミレイは静かに答えた。

 その発言は推測の域を出ないものだったが、不思議と疑う気にはなれなかった。


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