02-08
どんよりとした雲が空を覆っている。
青色と灰色のせめぎあいは、灰色が制したようだ。
開けた窓から入ってくる風に、仄かな湿気を感じた。
本当に雨は降らないんだよな……
そんな疑念を抱きながら車を走らせる。
ミレイの告白を聞いてから、車内、そして部屋には重い空気が漂っている。
ずっと沈黙しているわけにはいかないから、とりあえず車を出したわけだが……そのままかれこれ1時間は経ってしまった。
どうしよう……思ったよりも道の状態が良かったからか、もうあと1時間もしないで着いちゃいそうなんだけど………
このまま会話無しというのはどうも……なんて思っていたら、ヒカリが切り込んだ。
「ミレイちゃん。嫌だったら断ってくれて良いんだけど……さっきの話、詳しく教えてくれないかな? ……助けになりたいんだ」
こういうときのヒカリは強い。
取り繕わず、まっすぐと。相手の心に気持ちを届ける。
普段の柔和な雰囲気は影を潜め、力強さを醸すその目はまっすぐとミレイを見つめている。
――これがあるから、ヒカリには敵わないと思ってしまう。
ミレイは静かな声で答える。
「………えぇ。わかったわ。黙っていてごめんなさい、何からどう伝えればいいものやらと思考がまとまらなくて……」
「ううん、ありがとう。ゆっくりで大丈夫。ミレイちゃんのペースで大丈夫だからね」
ヒカリにいつもの柔和な雰囲気が戻る。
少しだけホッとしたような顔をして、ミレイは語りだした。
「……ありがとう、ヒカリちゃん。……うん、先程お話したとおり、私のお母さんはいま行方不明なの。私はお母さんの行方を追っているわ」
「お母さんが行方不明になる前日の夜、お母さんの部屋の前を通りかかったの。ドアが閉まりきってなくて、少し隙間が空いていたから、中が見えてしまって。そうしたら、お母さんが真っ暗な部屋で食い入るようにパソコンの画面を見ていて……そうしながら呟いた言葉が」
「シノノメを見に行かなきゃ、だったの」
泣きそうな顔になりながらミレイは続ける。
「その時のお母さんはいつもと雰囲気が違くて、鬼気迫るようで……怖くなった私は、お母さんに気付かれないように自分の部屋に逃げ込んだの。そして布団を被って寝たわ」
「きっと気の所為、夢でも見てたんだわ、明日になればいつものお母さんに戻ってるって自分に言い聞かせてね。けど、あれが最後だった。翌日の朝にはお母さんはいなくなっていたわ」
「翌日の朝、朝食の時間になっても起きてこないから、心配になってお母さんのお部屋に行ったの。そうしたらお母さんの部屋は鍵がかかっていて……。嫌な予感がしたから、じいやとお手伝いさんを呼んで無理矢理扉を開けてもらったのだけど、中には誰もいなかった。窓も鍵が閉められていて」
「門番も昨晩は誰も通っていないと言うし、家の中の見回りをしていた警備の人も、昨晩お母さんらしき人は見ていないと言うの」
「……以上が私の依頼の背景よ。お母さんがいなくなったのは2週間前。警察には捜索願を出しているけど、今のところ音沙汰がなくて……それでいてもたってもいられなくなって、自分でも探そうと思ったの」
「じいやにも話して、まずは電脳空間上のシノノメを調べてもらったけれど、電脳空間上のシノノメは国有の自然公園として整備されている区画で、とても人が行って何かをするような場所ではなかったわ。建物はひとつも、廃墟すらなかったらしいの」
「前日の様子から見るに自殺とも考えにくいし、というか考えたくない。……もう物理空間上のシノノメしか手がかりがないの」
不気味な話だった。
鍵のかかった扉と窓の中にいたはずの人が忽然と姿を消すなんて。ありえることなのだろうか。
しかも、使用人の面々もミレイの母を見ていないと言う。
なんとかして密室を維持したまま部屋を抜け出たとして、門番にも見つからずに家の外に出ることなど可能なのだろうか。
……どんな家かにもよるか?
それに、電脳空間上ではシノノメが国有の自然公園となっているのも気になる。
10年前の時点で物理空間上では廃墟となった空き家が点々としていた。電脳空間上のシノノメがどういう歴史を歩んだかわからないが、「ボックス」の起こりは物理空間のコピーだから、物理空間上で廃墟になる前の建物は電脳空間上にもあったと思われる。とすると、少なくともそれらは自然公園にするためにわざわざ整備されたということだ。
いつの間にそんなことしたんだ。
たしかに景観は悪くなかった気がするが、国有化するほどだったろうか。……こればっかりは実際に行かないとなんとも……記憶が朧気だからな。
「話してくれてありがとう、ミレイ。その……お母さんが見つかるよう、出来ることは何でも手伝うよ。……話を聞いていて気になった点がいくつかあるんだが、お母さんの部屋には隠れられるようなところや隠し扉は無いんだよな?」
そんな特殊な家があるとは思えないが念のため。
「ありがとう、サトルくん。えぇ、お母さんが誰も知らぬ間にそういった類のものを作っている可能性も考慮して、部屋の中を隈なく調べたけれど……何も見つからなかったわ」
「そうか……じゃあ、門番がいるところ以外に人が家の外に出入りできそうなところはないのか?」
「それも考えにくいわ。家は3mくらいの塀で覆われていて、門があるところ以外もカメラで常に監視されているから。死角で見えない箇所がないようカメラは多数設置されていると聞くし、塀に穴が空いているなんて報告は上がってないわ。人が出入りする門も1つしか無いし」
……いよいよもって、どうやっていなくなったかわからないじゃないか。
いや、どうやっていなくなったかはそれほど重要じゃあないか。後で考えれば良い。
お母さんを見つけるためには、どこに行っていそうかを考えるほうが重要だ。
「……どうやっていなくなったかは一旦置いといて、どこに行っていそうかを考えよう。ある情報は、シノノメ、だけか…………ミレイが最後に見かけたときにお母さんがいじっていたパソコンには何か手がかりはないのか?」
「えぇ、私もそう思って調べたけれど、何も……。いえ、正しくはパソコンにアクセスすることができなくて、手がかりのありそうなものを探すことすらできていないという状況よ」
「それほどロックが強固なのか?」
「えぇ、お母さん、結婚するまでウチの会社のセキュリティ部門に勤めていたらしいから、そういうのめっぽう強いらしくて」
……ウチの会社のセキュリティ部門。
お母さんの行き先は検討もつかないが、それとは別に抱いていた1つの疑念はこれで確信に至った。
塀で囲えるほどの大きな家。
話し方から察するに、警備含め多くの使用人がいる。
つまり、かなり裕福な家庭だ。
一般的な自営業や、サラリーマンの家庭でそれほどまでの大金を得て、維持できるとは考えにくい。
大企業の社長か、役員レベルでないと無理だろう。
そんな家庭の娘が電脳空間に妙に詳しい。
そしてその娘が言う「ウチの会社」にはセキュリティ部門があって、その娘の名字は、オニヅカ。
自分の思い込みかもしれないと思いつつ、聞いてみる。
「……ノアボックスのセキュリティ部門か?」
俺の質問を聞いて少しだけ目を見開いたミレイは、すぐに表情を戻し淡々と答えた。
「えぇ、そうよ、サトルくん。私のお父さんは、この電脳空間を開発し運営するノアボックスの社長。そして、私のお母さんはかつてノアボックスのセキュリティ部門に勤めていた元社員よ」
やはり、そうだったか。
……とすると、こちらの素性ももう知られているかもな。
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