02-07



 珍しく、雲が多い空だった。

 青色と灰色がせめぎ合う、その隙間から覗く太陽は、いつもより少しだけ気弱そうに見えた。


 今日は日曜日。

 ミレイを連れて隣の県の町、シノノメに行く日。

 時刻は朝の8時50分。約束の出発時間の10分前だ。


 窓を開けた車の運転席に腰掛け、ラジオに耳を傾ける。天気予報によると曇り時々晴れ。雨の心配はないらしい。

 良かった、せっかくので雨というのは残念だからな。


 昨日のうちにあらかたの準備は終えた。

 まずは車の整備。と言っても、バッテリーが上がらないように最低でも1ヶ月に1回は動かしているから、エンジンがかかるかとかライトの電球が切れてないかとか、その程度のチェックしかしていない。大事なブレーキ周りだって、10分くらい運転してみて異常がなさそうなことを確認したくらいだ。


 そう、このご時世にガソリン車である。骨董品の類に該当すると思う。ジャンク品を駆使し、あれやこれやと部品を交換しながらだましだまし乗り続けてきた。

 仕事で必要とはいえ、よくもまぁ今日まで維持してきたものだ。ガソリンを給油するのも大変なのに。


 人の数の減った物理空間においては需要の集中する都市部――と言っても町とか村とかの方が当てはめる言葉としては適切な程度には規模が小さい集落だが――にしかガソリンスタンドがない。しかも数えられるくらいの数だけ。

 俺のように郊外に住む人間は、ガソリンを入れにいくためにガソリンが必要になるのだから困ったものだ。


 ガソリンの残量に気をつけないとな。

 まぁ、ガソリンは満タンだし、過去の記憶が確かなら片道2時間くらいだから、寄り道しすぎなければガス欠の心配はないだろう。


 それと念のため、昨晩、シノノメまでの道を地図で追ってみたが、大きめの県道をずっと道なりに進むだけで着きそうだった。

 道に迷う心配がない点、大きめの幹線道路の方が老朽化がそれほど進んでいなさそうな点、いずれの面からもありがたい。


 アスファルトの道路を進んでいたはずなのに、いつの間にか道路がボロボロになっていて、もはやオフロードと変わらないような険しい道を走るハメになったこともこれまでに何度かある。

 足回りが汚れるし傷みそうだし、何より荒道を運転するのは疲れるから、そういう道は通らないに越したことはない。



 さて。

 そろそろ来るかな?


 メーター類の左隣、エアコンの吹出口のすぐ手前に固定用金具を介して取り付けた携帯端末に目をやった。

 携帯端末の画面には、真っ白な四角い部屋が映っている。

 部屋の中心にはソファーとテーブルがあり、その奥には壁一面に広がる大きな窓。

 そこから見える景色は、俺が今乗っている車のフロントガラスから見えるものと同じ。

 これがだ。



 ピンポーン。


 チャイムが鳴った。


「解錠」


 無機質な声を端末に返す。


「おじゃまー」

「おじゃまします」


 何度も聞いた気の抜けた声に続いて、緊張気味の少しばかりハスキーがかった声が響いた。


「おう、おはよう。ヒカリ、ミレイ。……ミレイ、これがだ。まずは俺の家の前の景色をフロントガラス越しにお届けするよ」


「おはよう、サトルくん。今日はよろしくね。……ちゃんとソファーやテーブルもあるのね。このカメラは……ああ、なるほど、サトルくんはこのカメラを介してこの部屋を見ているのね。うん、なかなかよいお部屋。とても快適な時間を過ごせそうだわ。…………そしてこれが物理空間の景色……。推測していたとおり、こちらの世界よりも自然が豊かそうね……」


 ミレイは興味深そうに周囲をキョロキョロと見回しながら、部屋の中を歩き回っている。

 そして、この部屋自慢の大きな窓の前で足を止めると、まじまじと興味深そうに外の景色を眺めはじめた。


 ……初めて人を同時に2人入れたけど、特に部屋の動作に問題はなさそうだ。重そうな様子もない。

 念のためトラフィック量を確認してみよう。

 予想通り増えているけど……2倍までにはなっていない。ヒカリだけのときの1.5倍くらいか。単純計算で2倍のトラフィックになるわけではないんだな。

 ん? ということは、ヒカリの方がトラフィック量が多いのか。……なんかいつも余計なことでも考えてそうだしなぁ、お菓子とか。まぁ、それほど気にするようなことでもないか。端末の処理性能を超える量ではないし。


「物理空間の様子を見るのは初めてなんだよね? 草ボーボーでしょ? たぶん今日は電脳空間では見られないような自然をたくさん見られるよ」


 ヒカリが先輩風を吹かせている。

 昔はこっちに住んでたしな。物理空間に住んでいたからこそ持ちうる知見を、電脳空間と比較しながら話すことができるのはこの場ではヒカリだけだ。

 ゲストたるミレイに存分に伝えてもらいたいものだ。


「えぇ、電脳空間は国有の景観地くらいしか自然らしい自然は残っていないものね。緑々しい景色も楽しみだわ。……お母さんもそんな景色が最後に見たかったのかしら」



 ……待て。今なんて言った?



「……ミレイ。聞き間違いじゃなければ、いま、と言ったか? ……いや、答えたくなければ答えなくても良い」


 聞いて、その後すぐに後悔した。

 自身の好奇心のために、踏み込みすぎてしまったのではないか。

 ミレイは顔を伏せている。


 最期に。それを言うということはすなわち、ミレイのお母さんはもう……。

 そう思ったが、ミレイの答えは予想を裏切るものだった。


 ミレイは顔を上げて、カメラを――俺をまっすぐと見据えて答える。


「…………ごめんなさい。騙すつもりはなかったのだけど、真実を伝えることで重荷に感じてしまうかもしれないと思って黙っていようと思っていたの。…………お母さんは、いま、行方不明なの」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る