夏の悪魔

他支店

夏の悪魔

 左側は、夏の暑さ除けのために開けた窓から、鈴虫の「ピーピー」という鳴き声が、右側からは、エアコン代をけっちたからか、扇風機を強にした時の「ぶほぉぉー」という鳴き声が聞こえてくる。


 二つが共鳴した部屋の中でも、俺は、集中を途切れさせない何たって、作家志望の将来有望で、秀才、鬼才、天才どの表現でも物足りない俺だから。


 22:30、(夜も更けてきた、そろそろ窓を閉めるか)


 真横の窓にディスクチェアに座ったまま腕を伸ばす。少し汗ばみ、べた付いた指を取っ掛かりのないガラスに張り付かせ、スライドさせる。


 その瞬間、集中が切れたからか、今まで気づかなかったその気配を察知する。それは、「夏の悪魔」言葉の通り多くの人が恐怖し、その醜悪に目をつむりたくなるような。畏怖の対象。


 緑色の体、六本の足、頭から生える二本の長い角、背中には大きな羽を付け空を 「ぶーんぶーん」と飛び回る。永遠と繰り返すその音。


 回転しながら少しずつ高度を落としていくそれは、立体駐車場を降りてゆく車にも見える。


 俺はすぐさま東南アジア帰りの友人からもらった、竹で出来た赤と緑に染色された、如何にもな、団扇で臨戦態勢をとる。少しずつだが確実に、弱い人間の反応を楽しむように近づく。

 

 ほんの少し、長い角が俺の頬に当たったのではないかという距離にまで来たとき急旋回、反対側のL字出窓の上、白い壁に張り付く。

 

(まずい、これは大変まずいぞ。まず私は虫が苦手だし最悪この団扇で叩き殺してやってもよいが、それでは奴の”あの”力が解き放たれてしまう。)


 地球の自転より早いのでは?という速度で思考を巡らし、唯一の勝利方法を思いつく。


(封印……これしかない)


 すぐさま二階の部屋から一階に下り透明なそれをキャップ付きであることを確認し部屋に持っていく。

 

 奴の位置は変わっていない、人間ごとき何もできないと、高をくくっているのだろう、今すぐに目に物を見せてやろう。ゆっくりと近づき、出窓に足をかけ、縦幅四十㎝、横幅百㎝程のスペースに体を乗せる。


(大丈夫、奴は先ほどからうんともすんとも言わない、バレていない)


 体勢を立て直し、手汗で滑らないように器を持ち直す。しかし、誤算もあった、入り口と奴の体の大きさはほぼ同じ、更に言えば長い角は簡単にはみ出てしまうだろう。そして半身を乗り出すような不安定な体制。


(やるしかない、やるしかないんだ……!)


 震える手を押さえながら、自分を鼓舞するように言う。


 後、十㎝、八㎝、六㎝、(無理だぁぁぁ、俺には……くそッ)


 寸でのところで止まったのは、恐れからか、それとも正しい判断なのか、どちらにせよこの作戦は失敗に終わった。


 (何か新しい策を講じなければ……)


 出窓から降り、冷静を装うように考える。


 (こういう時こそ、大胆に行かなければ)


 デェスクのペン立てから、おもむろに鋏を取り出したと思ったら器を半分に切った。頭が狂ったのか、子供のころの工作を思い出すように、切り口がなるべく真っすぐになるように切っていく。

 

 (いけるこれなら!)


 器のちょうど真ん中——膨らんだところで切ることによって入り口を広げることに成功した。これなら、奴の体どころか長い角もしっかり入るだろう。


 しかし、こうすることによって入り口は広がったが、閉じる物がなくなってしまった。これでは、封印することができない。


(いや、これで行ける)


 赤と緑色の団扇を右手に、半分に切られた内のより断面がきれいな方を左手に持ち、戦場へと向かう。


 半身を乗り出し、改良された武器を持つ。


 今度はビビらない、しっかりと手に持ち、ゆっくりと近づけていく、(バレない、バレない)念じるように、願うように繰り返す。


 ほんの一瞬、奴のすきを見逃さずに、覆いかぶせる。壁に接着したまま、動かし奴を壁からはがし、器の奥の方に追い込む。手も足も出ないといった感じにひっくり返り、手足をばたつかせるそいつを見ながら、慎重に団扇をかぶせる。


(成功だ……成功したんだ……奴の封印に!)


 心の中でガッツポーズを決め、出窓から降りる。そのまま一階に下り、玄関のカギを静かに開ける。


 外は思ったより涼しく、冷涼な風を感じるのは、先の戦いで汗をかいたからだろう。


 ゆっくりと器から団扇を離し、奴を——カメムシを封印から解き放つ、背中に生えた羽で透明なペットボトルから飛び立つ。

 

 後を目で追う。夜の闇に溶けて消えたのか、はたまた星にでもなったのか、いずれにせよ奴は、俺の前から姿を消した。

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