第25話 現在を生きる者たち
ジャスパーの手記を読み終えたエイダは、憤然と青の紐を引っ張った。しばらくすると廊下に足音が響き、鍵を開ける音が響く。
「エイダ……読み終わったの……」
「ちょっと! なんてものを着けさせたのよ! 「シュッツの誓い」めちゃくちゃ呪われてるじゃない!!」
「あー……大丈夫だっただろ?」
「結果論よ! 信じられない!!」
次期当主の妻として注目を浴びているのかと思っていたが、それだけではなかったらしい。
深い青の妖しいまでに美しいサファイア。来歴は滅亡したバラカルト王朝の国宝で、戦神・セスから賢人・ジャスパーへ。その賢人・ジャスパーが夜な夜な丹精込めて呪い、手間とお金までかけて色んな
「病気になったり、ジャスパーが毎晩夢に出てくるようになったりしたら、どう責任取ってくれるのよ!?」
「オカルトは苦手か?」
「あり得ない話じゃないでしょ! 賢人・ジャスパーよ! なんかできそう!」
「……まあ、確かにできそう」
短く認めたレナルドを、エイダは睨みつけた。
「それなら尚更大丈夫だろ? 真に理解するものなら幸福に恵まれる」
「その人生に大いなる幸福をもたらすものになってくれるといいなと願ってる。でしょ? 願望じゃない!」
「それをいうなら病気やらも願望だろ? 大丈夫、僕も身につけたことはあるし、今最高に幸福だ。エイダは真に理解する者で、今幸福だろ?」
ぷりぷりするエイダを抱き込んで、レナルドが額に口付けを落として笑みを浮かべる。
「挨拶がまだだった。おはよう、エイダ」
「……おはよう」
赤くなったエイダは額を押さえて、むすりと挨拶を返す。楽しそうに笑うレナルドに、機嫌をあっという間に直されたのが悔しい。
「……今後、ヘイヴン伝来の宝石は絶対身につけないからね。うっかり呪われたくないもの」
「はいはい。宝飾品は僕が君に貢ぐことにするよ。新品をね。それで、全ての手記を読み終えたわけだが、一応確認するよ。公表するかい?」
「……いいえ。貴方も正しく狸の血筋ね……」
眉根を寄せたエイダに、レナルドはくすくすと笑った。提示された奇妙な条件を思い返す。
一つ、ヘイヴン家直系先祖で、戦神・セスの副官だった、ジャスパー・ヘイヴンの手記を読破すること。但し読破後、公表するかは本人の裁量に任せる。
二つ、ジャスパーの手記は門外不出。そのため一つ目の条件を受け入れる場合、ヘイヴン本邸にとどまる。
三つ、上記の条件を全て達成したからといって、ソムヌスの森への立ち入りを許可するものではない。
「……よくできてるわ。手記を一度に開示せず、感想会まで挟むのは内容に感情移入させるためね?」
感想会という思考と考察を挟むことによって、記された歴史により深く没入することになる。
「その通り。手記を読んでそれを公表しようと思う者は、人として大事な何かが欠如してると言えるね。そもそもその危険がある者には、間違いなく提示しない。エイダが何年も手紙を送り続けるほど熱心で、そこに綴られた内容がお祖父様に開示に問題ないと判断させたわけだ」
「……はあ、光栄すぎて涙が出るわ。公表のするかの裁量は私に任せるとか、そもそも選択肢なんてなかったじゃない。私はまんまと釣り上げられたってことね」
「お祖父様は約束は守るぞ」
「しないわよ。できるわけないじゃない」
誰に言われなくても、エイダ自身が望まない。ただ二人で静かに眠ることを望んだ、戦神・セスのささやかな願いをエイダ自身が守りたい。墓所が存在すると明らかになれば、開示すべきと声が上がることは目に見えている。
「……私だった理由は嫌というほど理解できたわ。ヘイヴン家だけで守りきれなくなる前に、クラソン家を引き込みたかったのも」
移り変わり目まぐるしく情勢が変わる時代に、より強固に秘密を守れるように選んだのが文化財団を率いるクラソン家だった。
「でも私には、クラソンを動かせるほどの力はないわ……」
「別に構わないさ。クラソン家と繋がっていることが、お祖父様としては重要だっただろうから。僕はいくらクラソンだろうが、君じゃなければ結婚しなかった」
「……貴方ってそんなに歯の浮くようなことを言うタイプだった?」
「婚約者には特別仕様なんだ」
「…………」
耳まで熱くなった顔を伏せて押し黙ったエイダに、レナルドはにっこり笑みを浮かべてふと表情を変えた。
「……なあ、エイダ。こういうのはどうだ?」
抱き込まれたままのエイダの耳に、レナルドがそっと囁いた内容に目を丸くする。ニッと笑ったレナルドに、エイダは笑い出した。
「……いいわね、それ! さすが狸一族の次期当主!」
「そうだろ? お祖父様に一泡吹かせられる。それにそれでこそ本当に意味を持つと思わないか?」
「そうね、その通りだわ。私もそうしたい!」
「決まりだ!」
「でも、貴方は大丈夫なの?」
「言ったろ? 僕は妻の味方なんだよ」
「ふふっ……」
頬に触れるレナルドの口付けにくすぐったく笑いながら、最高の未来の夫を手に入れた自分を褒めてあげたかった。
※※※※※
「そうか、婚約を決めたんだね」
視察から戻ったビリーは、レナルドとエイダの婚約報告ににっこりと笑みを浮かべた。穏やかに見える笑みは実際内心では、ニヤリと会心の笑みを浮かべていることだろう。エイダはすまし顔で頷いた。
「はい。手記を読み終えて、レナルドと一緒にヘイヴンを守っていきたいと……」
「そうか……」
「なので首都に帰ります」
「……なっ!!」
ニコニコ頷いていたビリーが、ぴたりと動きを止めた。固まるビリーにレナルドがエイダの手を握り、ふふんと鼻を鳴らした。
「僕も行きます」
「レ、レナルドまで、なんで!!」
唖然として立ち上がったビリーに、エイダは堪えきれず噴き出した。レナルドもつられて笑い出した。見たかった顔が見れて、エイダの溜飲もすっきりと下がっていく。
目の前で笑う二人に、呆気に取られているビリーに、エイダはニヤリと顔を向けた。
「今の私ではエイダ個人としても、クラソン家のエイダとしてもなんの力もありません。単なるクラソン家出身のエイダ・ヘイヴンになるつもりはありません」
「し、しかし……」
「ご当主様はクラソンの血筋ならお飾りの嫁でも満足のようですが、それに意味あります? 狸一族の末裔として恥ずかしくありません? もっと貪欲にならないと。記者エイダとして、クラソン家のエイダ・クラソンとして何ができるか。それを見つけて、力をつけて戻ってきますよ」
「だが……そんなに……」
「ヘイヴンが狸なら、クラソンは狐です。嫁いだ娘にクラソンがどの程度力を貸すと? しっかりと地盤を固めてきます」
仕事を辞めてヘイヴン家の若奥様として優雅に暮らす。お飾りの妻になるのは簡単だ。これまでクラソンの事業に関わってこなかった。そんなエイダが万が一が起きたとき、一体何ができるだろうか。今までしてきたことが、全て無駄なわけがない。エイダにしかできない役割が必ずあるはずだ。
今あるものが全て。その全てを使って、それでも足りないところを補う武器を作る。それは首都ででしかできない。だから帰る。首都へ。
「お祖父様、婚約は急ぐつもりですよ。僕のエイダに悪い虫がつかないうちに。そのためにも僕も首都に行って、婚約の許しを得てそして見聞を広げてきます」
「何を言っている! お前は次期当主なんだぞ! 私はもう歳だ! これからはお前が……」
「あら? ステーキ三枚も平らげて体調を崩すほどお元気じゃありませんか。まだまだ当主として辣腕を振えますでしょ?」
「……グッ!!」
エイダが丁寧にあて擦った皮肉に、ビリーはバツが悪そうに押し黙る。コテンパンにされる祖父と、楽しそうに叩きのめす未来の妻に苦笑しながら、レナルドはエイダの手をしっかり握った。
「……長くは待たせません。お祖父様も心配だったのでしょう? 目まぐるしく変わる時流に、ヘイヴンの本分を全うできるか。そうでなければ、クラソン家との婚姻を画策するとは思えませんから」
「……エイダ嬢は、お前にぴったりだと思ったんだ……」
「ええ、それは間違いありません。感謝していますよ。だから夫としてより相応しくあるために、お祖父様が安心して引退できるように、僕も武器を増やしてきます。この先もヘイヴンを守っていけるように」
「レナルド……」
エイダとレナルドの真っ直ぐな視線に、ビリーはため息をついて肩を落とした。
「……やれやれ、引退はまだ先か。エイダ嬢のじゃじゃ馬っぷりを過小評価していたようだ。この重大事を見逃すようでは、この先の時流にはついていけんだろう。耄碌したものだ」
「まだまだ矍鑠とされてますわ」
ご機嫌なエイダを苦々しく睨みつけ、ビリーは肩をすくめた。
「……行ってきなさい。それまでは私がこの席を守っておくから」
「ありがとうございます。お祖父様」
「跳ねっ返りの嫁に逃げられんように、しっかりと捕まえておきなさい。二度は見つからんとびきりのじゃじゃ馬だ」
じろりとエイダを見やったビリーに、レナルドがにっこりと頷いた。
「もちろんです。逃しませんよ」
ビリーの前でやめて欲しい。エイダは熱くなった顔を背けたが、握り合った手は離さなかった。
「出立はいつだ?」
「三日後には。私は先に行ってレナルドの住む場所とかを……」
「エイダの部屋には転がり込めないのか?」
「ちょ……! 結婚前なのよ?」
「今更評判を気にするのか? ならせめて徒歩でいける距離で探しておいてくれ」
レナルドも赤くなるくせに、物言いはいつもストレート。エイダはますます赤くなった顔を俯け、レナルドとビリーがくすくすと笑う。
「では、出立前にセス様とジャスパー様に
ビリーの言葉にレナルドが息をのみ、エイダは思わず顔を上げた。
「次期当主として、その未来の妻として。これからヘイヴンを担っていく挨拶を」
「「……はい!」」
探し求めていた伝説の戦神・セスの墓所への許可。でも今胸に抱く思いは全く逆だった。暴くためではなく、護るために。
勇壮な武人として英雄として歴史に燦然とその名を輝かせる戦神・セス。でも本当にエイダの心を捉えたのは、たった一人のための英雄であろうとした、人としてのセスの在り方だった。その生き様が愛おしかった。エイダのこれまでの人生と、これからの人生さえも変えるほどに。
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