第24話 遺言(ジャスパーの手記)



 国境線が破られてすぐ、隣国は勢いのまま進軍を続けた。

 目標は国境の街「ホライン」と王都に繋がる街道の街「ヘイヴン」。国軍の敗残兵によってもたらされた報を、ジャスパーはレイラの墓石に寄り添うセスに伝えた。


「……セス様、国境線が破られました。隣国の進軍目標はヘイヴンです。離脱を希望する者は離脱させ、住民は避難させます」


 離脱し避難したとして、結局は蹂躙されるのが先延ばしになるだけ。ジャスパーは内心で自嘲する。一度は国境線を制圧目前まで追い詰めた。隊列が整う前に敗残兵を追うほど、隣国はバラカルト国側を恨みに恨んでいる。最も功績をあげた傭兵団を見逃すことはないだろう。

 あの日、王宮で決意したように、ジャスパーはセスと運命を共にする。でも部下たちに強制するつもりはなかった。身辺整理に踵を返しかけたジャスパーは、ゆらりと立ち上がったセスの気配に足を止めた。


「……近隣から民兵を集めさせろ。中央入口に防御壁を築き、裏通りに誘導しろ。表通りの全ての路地を塞げ」

「セス、様……」


 衝撃を受けて立ちすくむジャスパーの前で、セスはレイラの墓石の前に跪いた。


「レイラ、待っていてくれ。すぐ戻る。心配するな。ここには誰一人立ち入らせない……!」


 セスの瞳に灯ったのは明確な怒り。ここを守る。誰も来ないように。レイラが残した言葉が墓石を抱きしめるだけだった、セスを立ち上がらせた。

 誰一人欠けることなく抗戦会議に紛糾していた傭兵団は、姿を現したセスに息を呑んだ。涙さえ浮かべて、次々と檄を飛ばすセスの命に目元を拭いて駆け出していく。

 逃げるための荷物を担いでいた住民は、セスの姿に荷物を取り落とし槍を握り締めて戦列に加わった。朱に傾いた陽に照らされ、風に濃藍の髪を靡かせる歴戦の戦神の姿は、人の心を動かすだけの何かがあった。


「ジャスパー、お前は後方待機だ。裏通りの統括を任せる」

「……はい」

 

 夜も明けきらない早朝、遠くから聞こえていくる馬蹄の地響きが、隣国の第一陣の到達を知らせた。


「……三千だ」


 大剣を手に目を閉じていたセスが、目を開け呟くと立ち上がった。地響きは徐々に大きくなり、軍馬の嗎と怒号が近づいてくる。正面の防御壁に取りついて破壊を試みる集団を避け、勢いに任せて裏通りに兵が雪崩れ込んでくる。高台から左右の裏通りがみっしり詰まったのを確認したジャスパーが旗を掲げた。

 表通りの石造りの家屋の影に潜んでいた民兵が、煮えたぎった油を垂れ流し悲鳴が上がる。そのままもう一度振られた旗を合図に、火矢の一斉掃射が浴びせられた。表通りとは違って木造ばかりの裏通りは、垂れ流された油に引火して一気に燃え上がる。

 同時に簡易に積み上げられた中央通りへの防御壁が、裏通りが燃え上がると同時に破られた。路地を塞がれた表通りを、一直線に敵兵が雪崩れ込んでくる。火力を増す裏通りからの熱風と、黒煙の隙間から敵兵たちの頭上に矢の雨が降り注いだ。

 それでも後ろから押し出されるように、進軍は止まらなかった。左右は炎上し活路は、そこにしかない表通り。その終点に大剣を手に仁王立ちする、かつて戦場を蹂躙した戦神・セスの姿。

 最初にそこに辿り着いた兵が、目を見開き悲鳴をあげた。忽然と戦場から姿を消した戦神。死んだと噂され、それが隣国の士気を高めていた。


「……せ、戦神だーーー! 戦神・セスがいるぞーーー!!」


 恐怖に引き攣った叫び声が上がる。その叫びをあげた兵士の首が、血飛沫を撒き散らしながら一刀のうちに空中に舞い上がった。戦場に一瞬の静寂が落ち、鞠のように落ちた首が地面で跳ねる。セスはグッと上体を落とし、驚異的な速さで敵兵へと躍り出た。

 打ち鳴らされる剣戟と悲鳴と怒号が入り混じり、大剣で薙ぎ払うセスの後に続いて傭兵団が雪崩れ込んでいく。降り注いでくる矢を大剣一振りで薙ぎ払い、そのまま取って返した刃が敵兵を刈りとった。

 舞い上がる血飛沫の位置で、ジリジリと城門へと前線が押し上げられていくのがわかった。敵陣に目掛けて跳躍し、降り立ったその場で舞うように振り抜かれる大剣が、次々と兵を薙ぎ倒し吹き飛ばす。

 敵味方なく戦場を魅了した、猛々しく躍動する戦神・セスの姿。同じく後方待機を命じられたカルゼンが鼻を啜り、ジャスパーの胸も熱く震えた。

 太陽が中天から下がり始める頃には、戦意を喪失した敵軍は後退を始める。城門まで逃げ惑う兵を追撃をしてたセスが、逃げきれなかった兵の背中を切り捨て立ち止まった。セスはレイラの墓所のある「ヘイヴン」を一歩たりとも、離れることはなかった。

 返り血で真っ赤染まったまま仁王立ちするセスの姿に、一斉にヘイヴンのそこかしこから快哉が上がった。

 

 のちの歴史書に「ヘイヴンの奇跡」と記された、押し寄せた一万七千の軍勢を退けた隣国との最後の大戦の最初の一戦だった。


 陽のあるうちに敵兵の死体は街から運び出され、隣国とつながる街道に延々と並べられる。進軍してきた兵は積み上がる遺体に怯え、戦神・セスの健在の報に大きく士気を下げた。

 陽が落ちた夜には、敵軍の野営地に奇襲。視界も効かず地理に疎い敵軍は、仕掛けられた夜襲になす術なく逃げ惑う。昼夜問わない奇襲への恐怖で、脱走する兵士が後を絶たなかった。

 確実に陥落させられると踏んでいたヘイヴンの敗戦に焦り、隣国が散発的に進軍をしたことも敗因となった。初戦で疲弊しているとみて三個大隊規模で送り出した、第二陣第三陣が敗走。その間に、戦神・セスの健在と勝利の報が知れ渡り、伝令を飛ばした近隣から民兵・敗走していた国軍が集まり出す。

 ついに隣国は一万規模でヘイヴン制圧に乗り出した。対峙したのは戦神・セスが率いる傭兵団と、民兵と国軍の混合部隊。十倍の戦力差への対処は、もうこの頃には単純に正面衝突による武力制圧のみだった。

 のちの歴史家は明暗を分けた理由を、戦神・セスが一瞬たりとも「ヘイヴン」から離れなかったことにあるとこぞって書き記した。市街戦で侵入経路が限られ、戦神・セスの圧倒的な武力の前に数の有利で押し切ることができなかった、と。

 戦闘は「死闘」のただ一言だった。

 純粋に力と力がぶつかり合う原始的な争いは、太ももを貫いた槍を引き抜いて取って返して相手を串刺しにし、命が尽きる最後までがむしゃらに目の前の敵を打ち倒す単純な構図だった。

 敗走続きの隣国よりも誰よりも多くを屠り、幾つもの致命傷を負ってもなお止まらない、戦神・セスを擁立するバラカルト軍の士気が上回っていた。命が尽きるその瞬間まで、バラカルト兵はより多くを道連れにしていくことで、圧倒的な戦力差は縮まっていく。

 三日間続いた激しい戦闘は、凄絶な抵抗を見せたヘイヴン防衛部隊の勝利で決着した。


「……セス様!」


 ごぼりと血を吐いて傾いだセスの身体を、ボロボロのジャスパーが支える。全身血に塗れたセスの姿は、もうどこが致命傷なのか分からなかった。


「……レイラ……今、戻る……」


 駆けつけたカルゼンの手を押しのけて、セスの囁きにジャスパーは頷いた。よろよろと黒の森に歩き出すセスを、生き残った者達が見送る。

 黒の森の泥濘む道を、セスは何度もよろけて倒れ込みながらひたすら上を目指して歩いていく。セスの腹から流れ出る血に歯を食いしばりながら、ジャスパーも必死にセスを支えた。


「レイラ……戻った……心配、するな……誰も、ここには来さ、せない……」


 墓石に寄り添い、セスは囁くように語りかける。


「……ジャス、パー……俺の……全てをお前に……遺す……だから、どう、か……レイラと二人……静かに……眠らせてほしい……」

「……はい! はい! セス様、お約束します。私の命が及ぶ限り、私の血筋が絶えるその時まで……必ずこの地を守り抜きます……!」

「……頼ん……だ……」


 小さく目を細めて、セスはほんの少しだけ笑ったように見えた。


「あぁ……レイ、ラ……迎えに……」


 囁くような呟きを遺して、セスは目を閉じた。


「セス、様……セス様! セス様ーーーーー!!」


 ジャスパーの絶叫が響き渡る。哀悼の絶叫は黒の森に響き渡り、夜空の彼方に消えていく。

 誰もが戦場で躍動する戦神・セスに憧れた。溢れる覇気に、輝く生きる意思に、美しく勇壮なその姿に。誰もが夢を見た。戦場の神、生きる意思そのものに。誰もが希望を見出し、英雄と称えた。

 けれど戦神・セスが望んでいたのはただ一つ。

 万民のためでも国のためでもない。たった一人のための英雄であろうとした。命尽きる最期の時まで。


 ジャスパーは黒の森で三日を過ごした。血まみれになるのも構わずセスの墓標をナイフで一心に刻み、レイラの墓標に添わせると決意を胸に森を去った。

 「ヘイヴンの奇跡」を最後に、長く続いた国境線の戦は幕を閉じた。隣国は内乱に倒れバラカルト王朝もまた、後を追うように歴史の波に消えてく。


※※※※※


 息子よ、娘よ、子孫達よ。

 私はその後、妻と出会い結婚した。メリドからヘイヴンに姓を改めたのに、特に意味はない。決意の表れとでも言っておこう。

 お前達が生まれ今こうして生きているのは、あの日セス様が物資の簒奪に来てくださったからだ。

 今こうして得ている糧は、セス様が遺した財があってのことだ。

 それはどんなに時が流れても、変わらない我が一族の真実だ。

 

 ジャスパー・ヘイヴンとして遺言をここに書き記す。

 

『この遺言を真に理解した者に、ヘイヴンの全てを引き継がせる。心で理解したものに全てを遺す。手段は問わない。その生涯を尽くしてセス様の遺言を守れる者だけが、このヘイヴンの全てを手にする権利を有す』


 この遺言を違えたときは覚悟しろ。私は間違いなく化けて出る。

 「シュッツの誓い」に夜な夜な呪いを込めておいた。神殿やら怪しげな呪術者にも金を積んだ。ありとあらゆるものを込めておいたから、きっと効くはずだ。

 代々当主に引き継がせろ。不届き者どもにも周知しろ。

 この遺言に辿りつく資格すらないものが手にすれば、多分死ぬ。正しくない者が手にしたならば、おそらく病気になる。真に理解する者ならば、その人生に大いなる幸福をもたらすものになってくれるといいなと願ってる。

 やむなく金策に売るときは、神殿に相談したほうがいいだろう。念のため、な。

 

 息子よ、娘よ、子孫達よ。幸福に生きよ。

 セス様は全く意図しておられなかったが、新しい時代の礎を築いてくださった。そうして迎えた新しい時代が、美しく幸福であることを願っている。大いに謳歌し幸福であれ。

    

                                               ジャスパー・ヘイヴン

 

                                  

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