第18話 古狸の策略



 エイダはパーティー会場から抜け出て、一人テラスで通り抜ける風にホッと息をついた。肌を撫でる風が重くのしかかる疲労感を、優しく慰めてくれる。


「……エイダ」


 遠慮がちな静かな声にエイダはムスッと眉を顰めると、カクテルグラスを持つ気まずそうなレナルドを睨みつけた。


「流石にこれはコムソルのデザートごときでは、すまされないわよね?」

「……ごめん。お祖父様の装いまでは、本当に知らなかったんだ」

「……装い、ね。なら挨拶までは知っていたってことでしょ?」

「あー……」


 胡乱に目を眇めるエイダに、レナルドは視線を泳がせた。やっぱり。腕を組んだエイダは、憤然と鼻息を荒くした。

 今日の主役のビリーがわざわざエイダの色味を身に纏い、その上あいさつの間は壇上に呼び寄せる過剰なサービス。ミアどころか、集まったヘイヴン一族まで一網打尽だった。さすがに事前に一言あって然るべきだろう。


「おかげで突き刺さる視線に、私はハリネズミよ」

「……豪華なアクセサリーだと、ここまで攻撃力は高くなるんだな……」

「豪華すぎるでしょ! 勝手に攻撃力を上げないで!」

「……ごめん」


 ミアを蹴散らすためのアクセサリーは、次期当主の「レナルド・ヘイヴン」から、現当主「ビリー・ヘイヴン」に勝手にランクアップした。想定以上の攻撃力に予告なく成り上がられては、もしもエイダが気弱だったら間違いなく視線に射殺されていた。

 上目遣いで肩を落とすレナルドを、冷たく睨みつけながらエイダが詰め寄る。


「いい加減白状しなさい! シュッツの誓いの謂れは何? 反応が普通じゃなかったわ!」


 ヘイヴン一族の尋常じゃない注目と目つきは、あいさつの間もずっとシュッツの誓いに注がれていた。ミアと令嬢もこれを見た瞬間、顔色を変えたくらいだ。もう知らないまま、身につけてはいられない。

 仁王立ちするエイダに、レナルドは観念してため息を吐き出した。


「……怒らないでほしいと頼んでいたのを覚えてるか?」

「聞いてから決めるわ!」


 エイダの当然の主張に、レナルドは情けなく眉を下げるとボソボソと話しだした。

 

「……シュッツの誓いはヘイヴン一族の家宝の一つだ」


 透明度、色合いからして一級品。当然予想の範囲内の回答に、エイダもここまでは冷静にレナルドを睨みつけていられた。でも続く言葉には、とてもじゃないが平静ではいられなかった。


「ルーツはバラカルト王国の国宝で、ヘイヴンの奇跡における国王からの戦神・セスへの褒章品の一つだ」

「なっ……!!」

「伝わっているもので、珍しく盗品じゃない。戦神から賢人に正式に譲られている」

「ちょっ……! なんてものを身につけさせるのよ……!」


 ただの家宝などではない。歴史的にもヘイヴンにとっても、象徴的なネームドジュエル。時代を代表するような宝石で、ヘイヴン家そのものとさえ言えるもの。顔色を変えたエイダに、


「ごめん……」


 レナルドも素直に頭を下げた。


「こんなのつけて生誕パーティーにのこのこ出向いて、当主直々に呼ばれた挙句貴方と一緒に挨拶って……もう婚約発表じゃない!」


 普通じゃなかった視線に、ようやく合点がいく。次期当主の妻として必要以上に注目されていたわけだ。唇を震わせるエイダに、レナルドは気まずそうに頷いた。


「そう見えるな……」

「そうしか見えないわよ! まさか、レナルド……貴方、わかってて……」


 こんなことをするくらいなら、素直にミアをエスコートするべきだろう。そんなに嫌だったのかと呆れたエイダは、気まずそうなレナルドを睨む。その表情にふと頭の中で浮かんだ思考が、パズルのピースのようにはまり始めた。


「え、ちょっと待って……まさかご当主様はこのために……」


 呟いたエイダは、目を見開いた。信じたくない考えは、どんどん確信めいて綺麗に隙間にはまっていく。エイダが額を覆った。

 なぜエイダに面会の許可が降りたのか。ソムヌスの森の立ち入りは許可しないのに、どうしてわざわざヘイヴンに呼び寄せたのか。奇妙な条件でも受け入れるだろうと、そうわかっていてビリーは手記をちらつかせた。

 その理由が、今日この日にシュッツの誓いを身につけさせ、エイダとレナルドを壇上に上がらせるためだとしたら。恐る恐る顔を上げたエイダに、レナルドが諦観に眉を顰めて頷いた。


「……呼ぶにしても生誕パーティーを控えたこの時期なのは、おかしいとは思ってたんだ」

「気づきなさいよ!」

「ごめん……でも忠告はしたろ? ヘイヴン当主を甘くみるなって」

「孫の貴方が気づくべきでしょ? 私は初対面だったのよ?」

「だから悪かったって……」

「信じられない! どうしてそんなに、のほほんとしてられるの!」

「そこまで言うことないだろ? 謝ってるのに……」

「謝ってすむような話?」

「なら言わせてもらうが、お祖父様の思惑を事前に把握できたとして、君は手記を諦めて首都に帰ってたか?」

「それは……」


 口ごもったエイダに、レナルドは瞳を眇めた。


「絶対に帰ってなかったね。賭けてもいい。それなのに僕ばかりを責めるのはどうかと思う」

「わからないじゃない……」

「エイダ・クラソンだぞ? 帰るわけない!」


 言い切ったレナルドに、エイダは言い返せなかった。多分受け入れていたと自分でも思うから。手記はそれだけ魅力的だった。

 

「でもここまでは流石に許さなかったわよ! ご当主様が私の色まで纏う必要ないじゃない。そんなの公然の婚約と同義だもの!」


 普通に挨拶するだけなら、婚約を検討中の恋人程度ですむ。それが事前にきちんと準備しなければ用意できない、エイダの色を取り入れた装いだったのだ。両家が合意した上での、公然の婚約と取られかねない。普通はここまでしない。

 

「そうだなぁ……」

「のんきなの? これはこの先貴方にとって、明確な瑕疵になるってわかってる?」


 婚約を検討しています程度ならエイダが首都に戻り、別れたんだろうと思わせる期間を空けるだけで良かった。あくまで婚約を視野に入れた恋人関係。うまくいかなかったで済んでいた。それが当主まで出張ってきた。エイダの色を纏って。ヘイヴン家の公式行事で公然と紹介したのだ。

 両家合意で婚約が確定していると発表したようなものだった。婚約しなければそれが破談になるほどの何かが起きたと思われる。クラソン家ではレナルドを紹介していないため、醜聞はヘイヴンにだけ集中する。つまり今後レナルドだけに確実についてまわる瑕疵になるのだ。


「私はクラソンなのよ? 首都だけじゃなく、クラソン文化財団は国中にあるの!」


 文化財の保護と芸術品といえばクラソン。宝石をはじめ絵画、演劇。それらの多岐にわたる取引きには、ほぼクラソンが少なくなく関わっている。影響力は大きい。そんなクラソンと婚約で拗れた家門とみなされれば、間違いなく影響が出る。クラソン家の直系息女と、婚約で揉めた男との結婚は簡単に決断できるものではない。


「……君はとんだお人よしだな。真っ先に僕の結婚の心配か?」

「なっ……!!」


 呆れたように呟くレナルドに、エイダは目を剥いた。


「騙し討ちされたのに、何より心配するのが僕の瑕疵とか……変な壺とか買わされたりしてるんじゃないのか?」

「……貴方には言われたくないわ!」


 レナルドこそお人よしで、なんなら祖父の企みにも気づかないくらいのんき。変な壺を買わされるとしたら、間違いなく自分よりレナルドだ。プリプリするエイダに、レナルドはどこか嬉しそうに目を細める。


「別に瑕疵とかどうでもいい。言ったろ? 僕の理想はあの二人だって」

「だったらなおさら瑕疵なんてつけるべきじゃないでしょ!」

「瑕疵に怯むような相手に、純粋な愛情を期待できるか? 選別できてかえっていいさ」

「……それでもないに越したことはない。レイラだって傷ついてたじゃない」


 セスについた誰かの匂いを。実際は何もなくても、イヤだと必死に洗い流していた。生きるためと理解していても、傷つかないわけじゃない。どれだけ苦しかったか。


「真実を聞きもしない。信じすらしない相手と人生を共に歩めると?」

「そうだけど……」


 誰だって無駄に傷つきたくない。レナルドの瑕疵はそもそも本当は存在すらしていない。俯くエイダにレナルドは肩をすくめた。


「レイラは逃げ出したか?」

「……いいえ。受け入れて辛さを分け合うことを選んだわ」


 辛くても離れることは微塵も考えていなかった。正面から受け止めて、その上で自分も選んだ。セスだけに重荷を背負わせないと。分け合いたいと。


「セスは受け入れなかったけど……」

「僕でも受け入れない。今日の君を見て、セスの気持ちを理解したよ」


 首を傾げるエイダに、レナルドはエイダのドレスに視線を巡らせる。


「……現代版の泥化粧。恋人やパートナーに自分の色を纏わせるのは、セスの泥化粧と同じ理由なんだなって分かった。好みの美人が自分の色を纏ってるのは、想像以上に気分がいい。セスは隠したけど、現代では難しいからな。所有の証をこれでもかと纏わせて、見せびらかすのが現代流だ」

「何よそれ……」


 首元のシュッツの誓いを握り、自分の声が震えることにエイダは俯いた。

 まるでレナルドが、エイダを隠したがっているように聞こえる。それができないから、現代版の泥化粧で所有の証を主張しているように聞こえる。二人のような関係を理想とする恋愛観を持つレナルドが、まるでエイダとならそうなれると思っているかのように。

 エイダは顔を上げられなかった。レナルドがどんな表情を浮かべているか知りたくても、火をついたように顔が熱かった。


「だから心配しなくていい。瑕疵になろうが僕は困らない」

「……心配なんかしてないわ。怒ってるのよ。何も教えずに巻き込んだことを!」


 嫌だったのではなく、何も知らされないまま翻弄されることに怒りが湧いた。


「巻き込まれるなら、知った上で巻き込まれるわ! 今度からはちゃんと事前に話しなさいよ」


 そしたら怒ったりしない。エイダだって選んだはずだから。セスに匂いがつくことを嫌がったレイラのように。レナルドに望まない匂いがつかないように。きっと何かの行動を起こしただろうから。ここまではしないけど。

 エイダは幸運だ。あの二人よりもずっと多くの選択肢から、より望む手段を選び取れる。そうできる平和で豊かな時代の礎と、戦神・セスが勝ち取ってくれた。


「なんだ、次もまた付き合ってくれるのか。本当に君はお人よしだな。そうするよ。約束する。なあ、エイダ。考えたんだけどいっそ……」

「失礼します。お話中に申し訳ありません。レナルド様、ご当主様は体調を崩されているようで……退出された方がよろしいかと……」

 

 焦ったようにやってきたラルゴの言葉に、レナルドの話が遮られる。


「……すぐに行く! エイダ、また後で!」


 緊張を孕んだ声で返事を返すと、レナルドとラルゴは急いで会場へと向かっていった。

 優しく口調を変えたように聞こえたレナルドの、言いかけた言葉の続きを気にしながらエイダは二人の背中を見送った。

 

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