第10話 秘密の共有



「もう少し休んでからにしたらどうだ?」


 子供を宥めるような顔のレナルドに、朝食のパンを口に放り込みながらエイダはツンと顎を逸らした。


「いやよ。現当主様直々の感想会はパスしたじゃない。続きが気になるの。今日から始めるわ」

「……わかった」


 ため息をつきながらレナルドが渋々頷く。その様子がレナルドの本心から心配を伝えてきて、胸の奥をくすぐられたような気分になる。本当にレナルドはお人好しだ。


「最初はすごい剣幕で追い返そうとしてたくせに、随分と過保護になったのね。私と話すのが楽しくなっちゃった?」


 くすくすと笑いながら揶揄うエイダに、レナルドは仏頂面のまま顔を上げる。


「まあな」

「え……」


 まっすぐ見つめられて、真顔で返された返事。てっきり憎まれ口が返ってくると思っていたエイダは、ポカンとするとみるみる頬が熱くなるのを感じた。それって。


「エイダにとっては取材の一環でも、本来はヘイヴン家次期当主の最終試験だ。ヘイヴンにおける当主の権限は絶対で、どの事業も最終権限は当主に集約されてる。だから手記を許されたヘイヴンの候補達と、こんな風に手記について語り合ったことはなかった」

「あ、そういう……」


 勘違いしかけたエイダの頬が、ますます熱を持ち隠すように俯く。


「楽しいよ。こうして話せるのは」


 そう呟いたレナルドは言葉とは裏腹に、自嘲めいた笑みを浮かべる。寂しそうにも見えるレナルドに、エイダは頬から手を離しながら口を開いた。


「……他に手記を読んだ人もいるんでしょ? 当主なら血筋とかだって関係するんだろうし……」

「当主は血の濃さで決まらない。直系だろうが資格がないと当主が判断すれば、手記に辿り着くことすらない。逆に傍系でも能力を示して試験を突破すれば、そいつが当主でここに住む」

「そう……」


 ヘイヴン家の影響力は絶大で、本拠地の「ヘイヴン」においては絶対的だ。その権力が血筋ではなく、当主選定試験で決まる。それであれば、確かに手記の内容を語り合うようなことはないだろう。

 手にするものを考えれば、試験を終えた後にもきっと遺恨は残る。もし仲がよかったとしても、なおさらもう気軽に語り合える相手には戻れなくなるのかもしれない。

 感想会はエイダも正直楽しかった。自分たちだけが知っている歴史の真実を手に入れた興奮と、互いの知性に裏打ちされた弾む会話は、確かに知的好奇心を満たしてくれる。

 心を抉る凄惨な戦神の幼少期の記録。肩を貸してもらえたエイダとは違い、きっとレナルドは一人で耐えなければならなかった。

 ジャスパーの手記は置かれた立場で、こうも違う意味を持つものだったと、エイダは今更気がついた。


「その点、君は外部の人間だ。なんのしがらみなく手記の内容を語り合える」

「そう、ね」


 ヘイヴン家の中でも、ごく限られた者だけが知ることができる手記。現当主の古狸は選別する側で、レナルドは次期当主として選別される側。資質を証明し続けなければいけない相手。エイダと同じように語り合うことはできない。

 今エイダにとってレナルドだけが、レナルドにとってエイダだけが、この手記の秘密を気安く共有できるのだ。

 賢人・ジャスパーと戦神・セスへの純粋な敬愛を、隠された歴史を紐解く喜びを、語れるのは今お互いだけ。


「貴方にとって私が、どれだけ得難いか理解できたってことね。別にいいわよ? 今からでも初対面の無礼を詫びてくれても」


 気づけなかったレナルドの孤独。秘密を分かち合う価値がある誇らしさ。自分だけだという嬉しさ。全部をあえて軽口に乗せたエイダに、レナルドは顔を顰める。


「……悪かったよ。僕は新聞記者やら学者にはアレルギーがあってね」


 過去の所業に目元を染めながらレナルドが、照れ隠しのようにぶっきらぼうに言い放ちそっぽを向く。


「何よそれ」


 くすくすと笑い出したエイダに、レナルドは肩をすくめた。


「……信じてないな?」

「まぁ、記者は分からなくもないわ。でも学者にまでは過剰じゃない?」

「理由ならちゃんとある。証拠を……あ、いや、手記を進めるんだったな。なら出かけるのは終わったらか……」

「出かける……? ってどこに?」

「ヘイヴンの市街地」

「どうして?」

「僕のアレルギーの原因を教えてやろうと思ってね」


 首を傾げたエイダに、レナルドがニヤリと笑った。


「エイダ・クラソン記者は、スキャンダルをすっぱ抜く記者にしては、感受性が豊かすぎるからな」


 グッと唇を引き結んで、エイダが顔が熱くなるのを堪えた。暗に戦神の壮絶な過去に食事に手をつけず閉じこもったのは、俯瞰で捉えるべき記者としては未熟だと揶揄うレナルドを睨みつける。


「邸にずっと閉じこもるより、気分転換にもなる。よし、決まりだ、準備しておけよ」

「え……! ちょ、そんな勝手に……」


 ひらひらと手を振って出ていくレナルドに、一人食堂に残されたエイダはストンと椅子に腰を落とした。


「……お出かけ」


 ポツリと呟いた独り言にじわりと頬が熱くなる気配を感じて、エイダは慌てて水を飲み干すと訳もなく急いで部屋へと戻っていった。


※※※※※

 

 ノックの音にエイダは弾けるように顔をあげ、読み込んでいた本を閉じると扉を開ける。


「……早かったのね」


 顔を覗かせたレナルドから微妙に目を逸らし、滑り落ちた赤みの強い焦茶の髪を耳に掛ける。


「そうか?」


 首を傾げたレナルドがファイルを差し出そうとして、エイダの持つ本に気がついた。そのまま眉根を寄せて腕を組んだ。


「エイダ、まさかガイドブック見てたのか?」

「えっ! これは……別に、楽しみだとかじゃなくて……」


 エイダが手に持つ本に顎をしゃくり、レナルドがムッとようにため息をつく。

 手記が届く間、ついヘイヴンの観光地を調べていたことを知られた気まずさに、エイダは慌てて両手を振る。これでは楽しみにしているみたいに見える。


「忘れてるみたいだけど、ここに生粋のヘイヴン育ちがいるんだがな」

「え……それは…」


 扉枠に寄りかかっていた身体を起こし、レナルドがエイダの持つ本を見つめる。

 

「それとも行きたいところがあるのか?」

「う、ううん……ここに来る前に主要な所は見てきたし……」

「じゃあ、僕に任せてもらっていいな? エイダを連れていきたいところがあるんだ」


 ふふんと鼻を鳴らしたレナルドに、エイダはふわりと笑った。自分だけではない。レナルドも出かけるのを楽しみにしている。それがなぜだかやけに嬉しくて、エイダは芝居がかってレナルドを覗き込む。


「なら全面的にお任せするわ。レディーのエスコートは紳士の役目だしね?」

「はいはい。レディー・エイダ。僕にお任せを。あ、でも格好はレディーにしないでくれ」


 気取って礼を返して見せたレナルドが、思いついたようにエイダを足元から眺めた。じっくり見られることに、エイダの顔が熱くなる。


「ちょと、紳士じゃなかったの? ジロジロ……」

「パンツスタイルにしろよ。靴もヒールじゃない方がいい。割と歩くことになる。初めてウチに来た時の感じで。似合ってたし」

「え?」

「ほら、これ。前回みたいにあんまり入り込みすぎるなよ。じゃ、明日な!」


 レナルドはファイルをポンと手渡すと、そのまま手をヒラヒラと振って部屋を出ていった。カチャカチャと鍵を閉める音が外から聞こえる。


「似合ってたって……」


 じわじわと胸が熱くなり、エイダは頬に手のひらを当てる。女のくせにと眉を顰められたことはあっても、パンツスタイル自体を褒められたことはない。記者エイダとして選んだ服装。その矜持のありかを認められた気がした。


「……靴はあれにしよう」


 履き心地に徹底的にこだわったオーダーメイドの靴。軽快に歩き回れる実用重視の仕事用のお気に入り。明日はヘイヴン育ちのレナルドの案内で、現在と過去が入り混じる不思議で魅力的なヘイヴンを、思う存分歩き回るのだ。

 パタパタと明日の準備を済ませると、そのまま顔つきを正してファイルに向かい合った。


「賢人・ジャスパー。今回はお手柔らかに……」


 そっとファイルに向かって囁いて、エイダは歴史の真実の欠片に手を伸ばした。


 

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