連鎖の結末

森本 晃次

第1話 父親の失踪

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年5月時点のものです。ちなみに、話の中には、「フィクションであるが、限りなく事実に近い」という話も入っています。フィクションと思うかどうかは、読者の意思ですが、作者とすれば、フィクションですとしか言いようがないといっておきます。


 世の中には、連鎖反応などと言う言葉は、たくさん溢れている。

「食物連鎖」

 などと言う言葉も、そうである。

 これは、「食べる」、「食べられる」と言った、それぞれの立場から、生物群集内においての、連鎖をいう。

 例えば、肉食動物が、動物を食べる。その動物は、植物を食べる。植物は、動物の死骸や、排せつ物などを肥料として育つと言った形での連鎖を繰り返すことで、生物の生存がバランスよく確立されていくことになる。

 しかし、これはあくまでも、バランスの問題で、どれかの生物が劇的に減ってくると、それを食物にしている動物も減ってくる。さらに、それを食物にしているものは……。

 ということで、バランスが崩れると、すべてに影響が出て、連鎖の中に入っているものは、共倒れということになるのだ。

 それが、いわゆる、

「食物連鎖」

 と呼ばれるもので、一種の循環であったり、堂々巡りのような感覚だといってもいいだろう。

 例えていうなら、

「ヘビが自分の身体を、尻尾から食べて行っているような感覚だ」

 と感じるの人も少なくないのではないだろうか?

 ただ、この場合の発想は、実は難しかったりする。自分の身体を自分で食べるというのだから、しかも、尻尾からである。次第に食べていくと、どんどん身体が小さくなっていき、最期には口だけが残る。

 もちろん、身体の柔らかさなどを考えると、ある程度のところで、食べられなくなるのは分かるのだが、それを考慮しないと考えれば、ものすごい矛盾にぶち当たることになる。

 この矛盾は、

「メビウスの輪」

 に通じるものがある。

「紙テープを一回転させて、端と端を糊で結んで、その中のある地点の紙の真ん中から、テープに平行になるように線を引いていくと、最期には重なる」

 というのが、

「メビウスの輪」

 の正体であるが、本当にそんなことが可能なのか、実に疑問である。

 実際に、やってみると、できるはずがない。それこそ、

「時空の捻じれ」

 が発生し、異次元へのパスポートが発行されるのではないだろうか?

 これが証明できれば、ヘビが自分を尻尾から食べて行って、最期にはなくなってしまうということを、証明できるのではないだろうか?

 ただ、そこには、

「時空の捻じれ」

 の存在が不可欠であり、もしその時空の捻じれが本当に存在するのであれば、食物連鎖が崩れたとしても、

「人間だけは、生き残っていける」

 ということも可能なのかも知れない。

 ただ、そこには、越えなければならないハードルが無数にあり、食物連鎖から、人間の滅亡を考えるよりも、もっと他のことを心配した方がいいのかも知れない。

 だが、この問題は、放っておける問題ではなく、いずれは立ちはだかる問題なのだろうが、逆に他を解決することで、こちらの問題に当たる際に、少しは違った発想が生まれてくるのではないかと思うと、食物連鎖は、

「他からの連鎖によって、防げることなのかも知れない」

 とも、思えるのだった。

 しかし、連鎖というと、あまりいいイメージを持っていない人の方がいいのではないだろうか?

 例えば、

「何かのトラブルが起こった時、連鎖反応で、それが続く」

 ということがある。

 不景気になって、会社が倒産していく時も、

「連鎖倒産」

 などという言葉もあり、大手が破綻してしまうと、零細企業などは、その会社から仕入れが、ほとんどだったりなんかすると、完全に連鎖倒産となってしまう。

 というのも、会社が破綻して、破産宣告などと裁判所に起こしたりした場合、

「民事再生」

 という法律があるが、これは、ある意味、その会社を生かすために、

「他に犠牲になってもらう」

 というやり方である。

 つまり、

「一定期間よりも前の仕入れに関しては、債権者は、債券を失う」

 というもので、下請けなどの、零細企業は、債権放棄を余儀なくされて、そのまま倒産してしまうことになるだろう。

 破綻した方の会社は、民事再生を申請し、再建計画をしっかりと練り、それを、取引銀行が了承し、それに沿って再建を行う必要がある。

 そして、再建に必要不可欠なものが、

「スポンサー」

 である。

 この会社に、まだ未来があるということで、支援してもらえるスポンサーが、しかも、しっかりとした経営ができている会社がスポンサーとして名乗りを上げてくればければ、銀行は、再建計画を了承しない。

 何しろ、仕入先に、再建棒引きをさせるのだから、このまま営業を進めていく場合に、仕入先がなくなることになる。

 仕入先に対しては、

「仕入に関しては、現金で行う」

 ということにして、サイトが存在する、

「掛け売り」

 は、原則禁止になる。

 つまりは、手元にお金がなければ、仕入もできないということである。

 民事再生の場合は、民事更生法と違って、会社の破綻の責任を、経営者が取る必要はなく、会社によっては、社長が変わらないということもありえるのだが、実際には、上層部の、総入れ替えということも行われるだろう。

 特に、

「同族会社」

 などの場合は、社長が世襲というような、昔からの流れの元に、会社が成り立っていたりすると、完全に時代に合っていないことになる。

 そもそも、そんな同族会社が、今まで生き残っていたというのも、まるで化石のようで、そのような状況が許されていたこと自体、

「世の中のどこかが狂っている」

 といえるのではないだろうか・

 それこそ、時代の捻じれであり、そんな連鎖反応を起こさないようにということで、今は弱小会社を合併したり、吸収したりして生き残ってきたのだ。

 だが、実際に連鎖というのは、ひどいもので、倒産すると、まず、倒産した会社の資産を凍結し、在庫も差し押さえられる。

 お金ももらえないうえに、在庫も差し押さえられ、納入先とすれば、納品した分がまるまる損である。

 それどころか、それまでに収めた過去の分の代金がもらえない。在庫も焦げ付いてしまい、賞味期限のあるものは、すべてが、廃棄処分ということになるだろう。

 倒産させた会社を生かすために、零細企業を切り捨てるというと聞こえは悪いが、倒産した会社の再生も基本的には、なかなか難しい。前述の、現金仕入れというのも、問題だし、何と言っても、数社のスポンサーが必要ということで、一社ならともかく、複数ともなると、ほぼ難しいのではないだろうか。

 トップの入れ替えが行われても、その事情は、

「海の者とも山の者とも分からないトップ」

 ということであれば、銀行が融資をするわけはない。

 やはり、スポンサーがしっかりしたところがついてくれないと、企業の再建など、難しいのだ。

 鈴村健吾の父親は、そんな会社に勤めていた。何とか会社の再建はなったのだが、そのための代償はかなりのものだったという。今は、昔であれば、定年を迎えて、ひょっとすると継続して勤務していた時期なのかも知れないが、定年と同時に会社を退職し、知り合いの事務所で、細々と事務のような仕事をしている。

「さすがに、会社再建に尽力してきただけあって、かなりの手腕が期待できる」

 と、友達は言っているようだが、すでに、父親の気持ちは、余生に向かっていたのだ。

 休みの日になると、会社の社長である、友達といつも、釣りに行っていた。

「釣りだけが、俺の愉しみみたいなもので」

 といっているが、まさにその通りであった。

「竿を投げている時のあの快感は、釣りを始めた子供の頃とまったく変わっていない。お前もそういう趣味を持てるようになるといいぞ、お父さんは、お前には、そういう人生を歩んでほしい。仕事人間が悪いとは言わないが。変にのめりこむとトラウマになってしまうことになるからな」

 といっていた。

 まさにその通りで、父親が、家族を寄せ付けないあの頃の姿を嫌というほど見せつけられた。家族のために頑張ってくれているのは分かっているのだが、あそこまで卑屈になって会社にしがみついていた父親を見ているだけで嫌だった。

 だからと言って、

「そんな会社にしがみつく必要はない」

 などと言えるわけがない。

「誰のために、こんな思いをしていると思うんだ」

 と言われてしまうだろう。

 もちろん、家族のためというのは当然のことであり、父親の辛い気持ちも分からなくもないが、

「誰のためって……」

 そう、家族が悪いわけでもない。

 だから、この話になると、結論など、どこにもないのである。出るはずもない答えを探したって、それは時間の無駄でしかない。

 つまりは、平行線を描いているだけなのだ。

 絶対に出会うことのない接点を、いくら話したって、見えてくるものなどありはしない。子供や奥さんは、会社というものを知らないからだ。

 いくら、世間で、

「バブルが弾けた」

「最悪の不況と、就職難」

「リストラの嵐」

 などと言われても、分かるはずはない。

 時代的に分かるとすれば、あれは高校生だった頃だろうか。

「派遣切り」

 などと言われていた時代、年末年始など、公園でボランティアが炊き出しなどを用意して、公園で寝泊まりしてい人に振る舞っていた光景を見たくらいである。

 何となく覚えているのは、大きな駅などでは、真夜中の電車の走っていない時間帯も、コンコースに人が入れていて、ホームレスの連中が、入り込んでいて、駅の係員が困っているような姿を覚えている。

 今では、何か事件があったようで、それからは、最終が出てから、始発が動き出すまで、駅構内は、完全に締め切って、立ち入り禁止にしているようだ。

 本当なら、そんな人たちは、市役所の生活保護関係の人の手引きで、生活保護を支給させながら、仕事を探すのが、本当なのだろうが、どちらが悪いのか、なかなかうまく進まない。

 役所側も、いろいろ面倒なことを言ってくる。最初は仕方なく支給してはくれたが、落ち着いてくれば、

「家族で養ってくれる人はいないのか?」

 だとか。

「生活保護を受けるための条件」

 などと一パオ出してきて、なるべく支給しないようにしてくるのが、億劫になり、

「これだったら、ホームレスの方がマシだ」

 ということになるのである。

 支給を受ける方も、仕事についても、社員ともめたりして、なかなか定着できなかったりする。

「俺たちのような外れ者は、もう、どうしようもないのさ」

 といって、ホームレスに戻っていく。

 そんなホームレスに、いつの間にか父親はなっていた。

 最初は、会社を辞めたことを家の誰も知らなかった。

 てっきり、会社で仕事をしているものだと思っていたが、公園などで時間を潰していたようだ。

 最初の頃は必死になって、社会復帰を考えていたようだが、社会復帰を考えるまでもなく、仕事をするのが、嫌だというよりも、身体が動かないのだからしょうがない。

 当然、頭が回るわけもなく、会社に行って、仕事をしようとしても、難しかった。

 友達は、何とか助けてやろうとしたが、その友達というのが、すぐに影響されやすい人だということだった。

「このままだと、俺までどうにかなっちまうよ」

 と、父親にその辛さを話したが、

「そうだよな。お前にはもうこれ以上迷惑はかけられないからな」

 というと、

「後少しじゃないか、定年まで、それでもダメなのか?」

 というので、

「申し訳ない。会社にいるだけで、身体の拒否反応がハンパないんだ」

「それなら、どうしようもないな」

「ところで申し訳ないが、家族には黙っておいてくれないか? バレた時は、俺から黙っているように頼まれたと正直に言ってもらって構わないから」

「それはいいが、俺も知っている家族を騙すというのは、どうも、気が載らないな」

「本当に申し訳ない。今の俺はいっぱいいっぱいなんだ」

「お前がそこまでいうならしょうがない。それくらいまでは、俺の方で何とかするが、お前も無理するんじゃないぞ」

 という会話が繰り返させたらしい。

 もちろん、そんなことを知ったのは、少し経ってからのことだった。父親が行方不明になったのだ。

 いわゆる蒸発というやつで、最初は何かの事件に巻き込まれたのかということで、警察に捜索願を出したが、正直、警察に捜索願を出したくらいでは、警察は動いてくれない。

「自殺の可能性がある」

 あるいは、

「何かの事件に巻き込まれてしまった」

 などという、確固たる証拠があれば、警察も動いてくれるが、警察は本当に、事件性がないと動いてくれない。

 当然、父親の働いている会社に行って、会社の人に聞くと、

「ああ、鈴村さんなら、もう辞めましたよ。ご存じなかったんですか?」

 と言われて、何が何やら訳が分からない状態だった。

 社長に詰め寄ると、社長は、かなり落ち着いていた。こうなることは最初から分かっていて、了承したわけだから、毅然とした態度で臨むしかなかった。

「社長さんは、どうして止めてくれなかったんですか? お友達じゃなかったんですか?」

 と母親に言われて、苦虫を噛み潰したかのような表情になり、

「ええ、説得もしました。ですが、本人が拒否反応をするというんです。それを無理に止めることは私にはできませんでした。でも、彼は、ゆっくり静養すると言ったんです。まさか行方不明になるなど、最初話をした時は、そんな感じはありませんでしたけどね」

 ということであった。

 だが、それを聞くと逆に、今度は嫌な予感がしてくる。

 父親が、覚悟のうえで会社を辞めたのだとすれば、急にしかも、いきなり何の前触れもなくいなくなるというのは、解せない気がする。

「やっぱり、何かあったのだろうか?」

 ということで、もう一度警察に行って、話をした。

 この時には、会社の社長も一緒に行った。

「どういうことなんですか?」

 と、刑事から聞かれて、

「ええ、彼は行方不明になる理由がちょっとよく分からなくてですね。最初は休養すると言っていたのに、急にいなくなったのは、急激な何かによる気持ちの変化によるものか、それとも、何かの事件に巻き込まれたのではないかと思いまして」

 といって、刑事に、父親と話をした時のことを明かした。

「なるほど、ご心配は分かります。こちらとしても、捜査範囲を広げてみましょう」

 といっていた。

「どうせ、今まで捜査などしてもいなかったくせに」

 と思ったが、口には出さなかった。

 そんな警察を当てにしなければいけない自分たちが情けなく感じられるほど、警察というものがあてにならないということが分かってきたのだ。

 本気で探してくれているのか、まったくもって分からない。正直、鈴村が、

「自分で探した方が早いのではないか?」

 と思い、街はずれの、ホームレスが屯しているところを探してみると、意外と簡単に見つかった。

「お父さん」

 と声を掛けると、父親は、バツの悪そうな顔をしたが、思ったよりも元気そうなので、子供としては安心した。

 あまり見たこともないような父親の、人懐っこそうな表情を見ると、それまで心配していた自分がバカに思えてきた。

 しかも、こんなに素人が探して簡単に見つかるものを、警察は、一体何をやっているのか?

 この期に及んで、まさか、まだまともに捜索をしていないのではないだろうか?

 そんなことを考えていると、

「なるほど、こんな世の中嫌になるお父さんの気持ちも分からないわけではないな」

 と感じたのだ。

「お父さんはどうして、いなくなったりしたの?」

 本当であれば、いきなり聞くことではないのだろうが、人懐っこそうな表情を見てしまうと、どうしても、一言言っておきたくなったとしても、無理もないことだろう。

「そうだなぁ、お父さんが、前、会社の犠牲になって、辞職しなければならなかったことは知っているだろう?」

「うん、知ってる。でもお父さんは、何も悪くないんだよね? 会社の上役の命令通りになっていたんだからね」

 というと、

「そうなんだけど、お父さんは、そんな自分がつくづく嫌になったんだよ。自分でやりたくもないことを、会社のために、誰かがしないといけないなどと言われて、結局お父さんになったんだけど、あの時、家族を路頭に迷わせてはいけないと思ったんだ。お前だったら分かるだろう?」

「うん、分かるよ」

 というと、

「だけどさ、それって、自分の家族を言い訳にして、他の家族を壊そうとしているわけで、本当だったら、会社の経営陣が、すべての責任を取ればいいのに、社員をリストラしたりして、自分たちの責任を少しでも軽減しようとしていたんだ。ひょっとすると、他の会社に行くことになった時、前の会社の危機を、自分がどのように救ったのかということを手土産にして、自分だけが助かろうとしているんじゃないかと思ってね。お父さんは、そんな連中の犠牲になったんだよ。今まで会社に尽くしてきたのにね。本当なら会社が報いてくれる番のはずなのに、一体どういうことなんだってね。会社なんてそうさ、景気のいい時は、経営陣の成果であり、悪くなってくると、責任を社員に押し付けて、リストラなんかもどんどんやる。自分が表に出るとまずいとでも思ったのか、誰かを生贄にして、自分たちの保身を図ろうとする。そんな会社に嫌気が刺して、前の会社は、定年前に辞めたんだ」

 というではないか。

「お父さんがどうして定年前に辞めて、友達の会社に入ったのか、理解できなかったけど、話を聞いていると、少しは分かった気がするんだ。もちろん、すべてが分かるわけではないけど、気持ちは分かる。僕だって、今は社会人になっているわけだからね」

 というと、

「だったら、少しは分かってくれるだろう。世の中で一人が頑張ったって、結局、何も変わるわけではない。家族は確かに大切なんだけど、家族という足枷が、自分を苦しめているのも確かなんだ。つまりは、会社に、家族を担保に取られているようなものだよ。それなのに、家族はまったく分かってくれない。お前たちのことを言っているわけではないのだが、ここのホームレスの人の話を聞いていると、だんだんわかってくるのさ。ここにいる人の中には、元大会社の社長だったり、学者の先生だっているんだ。別に彼らであれば、こんなところにいなくても、ちゃんと世間を渡っていける。本当なら、一般の人を引っ張っていってほしいくらいの人なのに、まったくそういう感じがないんだよ。皆いい顔をしているし、あの顔を見ていると、ここに来る前が何であったのかなんて、関係ないって思えてくるよね」

 という父を見ていると、もう、世俗に返すのは気の毒な気がしてきた。

 それは、父親に対しても感じることであるし、

「いまさら父を世俗に返したとして、何になる」

 というのもあった。

 しかし、気になるのは母親のことである。果たして母親は父親のそんな気持ちを分かってくれるであろうか?

 鈴村が考えるに、

「それは無理があるのではないか?」

 と感じたのだ。

 父は正直、ホームレスとして、仲間もできたようで、そっちの世界で平和にやっているようだ。しかし、母親が見ればどうだろう?

 ホームレスというよりも、浮浪者にしか見えない。言葉の意味は同じなのだろうが、表現の仕方でここまでイメージが変わるものもない。

 ただ、よく考えてみると、鈴村には、ホームレスよりも、浮浪者の方が、何となく馴染みがある言葉のように感じる。

 ホームレスというと、そのまま直訳すれば、

「家なき子」

 とでもいうか、

「家のない人」

 である。

 だが、浮浪者といえば、浮浪という言葉に、どこか自由さを感じるのは、鈴村だけだろうか。

 これを、

「ふろう」

 と読むから、そう感じるのであって、

「はぐれ」

 と読むとどうだろう?

 昔、マンガで

「浮浪と書いて、はぐれと読ませる」

 ものがあったではないか。

 マンガはかなりの長寿であったし、昔、テレビ化もされたということで、再放送で見たこともあったが、何とも自由人の生き方をしめしていた。

 さらに、

「はぐれ」

 という言い方を使った刑事ドラマシリーズもあり、はぐれというものが、まるで自由の象徴のような雰囲気を醸し出していたのだった。

 ただ、これはあくまでも、言葉の遊びであって、実際に今の父親を見て、母親が一体どう感じるのか、分からない。とりあえず、母親には気の毒だが、父親の身元が分かったことは、父親と二人だけの秘密にしておくことにした。

「どうせ、そのうち、警察が見つけてくることだろう」

 と思ったが、やはり、警察は真面目に探している様子はないようだ。

 日本の捜査能力を考えれば、こんなにかかるはずはない。それを思うと、

「やはり、警察なんて、しょせんそんなものなんだ。期待するだけバカを見る」

 というものだった。

 今回に限ってはそれでよかった。どうせ母親も、警察にも見つけられないものを、息子が探せるなどとは思ってもいないだろうからである。

 そんな鈴村だったが、父親とは、定期的に様子を見に行くということで、とりあえずは、「もう、気にしないでおこう」

 と思うようになった。

 そして、やっと、自分の仕事に戻ることにしたのだが、鈴村が勤めている会社も、実はいろいろ厄介なことに巻き込まれるようになっていた。

 最初は、他愛もないことだったのだが、その他愛もないことから、少しずつ、問題が大きくなっていく。

「大きな山も、アリの巣のようなものから崩れていくというからな」

 ということなのであろう。

 もっとも、今の世の中、順風満帆で世間を渡っていける会社など、そうあるものではない。

 その会社も、大なり小なり問題を抱えている。

 そのことは誰もが分かっていることであり、何も鈴村の会社に限ったことではない。

 ただでさえ、コンプライアンスや、個人情報保護など、法律や、世間の風でがんじがらめになっているところに、自然現象の波が襲ってくるなど、思ってもいなかったからだ。

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