5:最後の夕日の向こう

「またな」「ああ——またね」


 そう言って別れるのは、何度目だろう。思い出すと、ずいぶん昔のことのような気がした。


 去っていく君を見送って、わたしはひとり残される。当たり前のことなのに、いつしか当たり前ではなくなっていた。そのことを悲しいとは思わない。けれど少しだけ、胸の奥が痛いような——そんな感覚に襲われる。


 けれど、『それは決して願ってはいけないこと』だ。


「またな、銀葉」


 君は笑う。いつものように、わたしのそばにあった笑顔のままで。

 だが、。そうしなければ、わたしは君を——



「銀葉?」


 目を開くとなぜか、彼の顔があった。何度か瞬いていると、目の前で手を振られる。どうやら意識がなくなっていたらしい。しかし、どうしてそんなことになっているのか意味がわからない。


「おい、大丈夫なのかよ。幹の間にはまったまま動かなかったけど」

「うーん、たぶん。わたしもよくわからない」

「まさかなんか変な病気とかじゃねえだろうな。オレさすがに樹の病気とかわからんぞ」

「大丈夫だと思うよたぶん。……たぶん」


 珍しく不安げな彼に笑って見せ、わたしは幹の間から立ち上がる。我ながら謎だが、なぜこんなことになっていたのだろう。こうなるまでの記憶がないのが不気味ではある。


 首をひねっていると、彼は無言で根に腰を下ろした。じっとこちらを見つめる目は、不安というか不満げでどうにも居心地悪い。わたしが軽く目をそらせば、少年の指が突きつけられる。


「な、何かな?」

「お前さあ、なんか隠してねぇ?」

「え?」


 突然問われ、わたしはぽかんとしてしまった。隠しているとは一体何のことか。

 本当に意味が理解できず、じっと彼を見返してしまう。すると彼もわたしを見つめ返し、しばらく無言でお互いの顔を眺め——結局互いに何もつかめず首をかしげる。


「なんだよ、ホントに何もないのか」

「ないと思うよ。というか何でそう思ったの。かなり唐突だったけど」

「いや、何となくそんな気が……べ、別にいいだろそういうこともあるって!」


 あるんだろうか。わたしにはよくわからない話である。しかし今に限って言えば、わたし自身に心当たりはない。だからそれは勘違いだと思うのだけど。


 疑問符だらけのわたしを横目で睨んで、彼は不満げに鼻を鳴らした。涼しい風が長くなった灰色の髪を揺らし、その下の黒い瞳が一瞬だけ遠くを見つめる。


「……どうかした?」


 何気なく尋ねると、黒い色をした瞳がわたしを見た。わずかに瞳の奥で形のない何かが揺れる。けれど彼は捉えどころのない笑みを浮かべて、ゆっくりと首を横に振るのだ。


「いや? ……気づいたら、夏ももうすぐ終わりだなって思ってさ」

「嫌いじゃなかったの? 暑いの」

「暑いのは嫌いだけどなぁ。夏自体は嫌いじゃないじゃねぇよ。なんていうか……日差しの下にいると、生きてるって気がするもんな」

「そういうもの?」

「そういうもん、だなー。……それに、夏の間は『アイツ』がいないし」

「……『アイツ』?」


 わたしが首を傾げた時だった。ぱきりと、枝が折れるような音がした。わたしたちが同時に視線を動かすと、そこには——


「……え」


 。穏やかに微笑みながら、黒い瞳がこちらを見つめている。思わず傍を見れば、は現れた少年を睨みつけていた。


「やあ、。久しぶりだね、元気だったかい?」

「……


 瓜二つの少年は、対照的な表情で見つめあう。一人は穏やかに、もう一人は剣呑に。だがそれでも二人はどこか似通った雰囲気を持っている。灰色の髪、黒い瞳。そして、わずに掠れた声。


 わたしが戸惑っている間に、そばで彼が立ち上がった。険しく寄せられた眉の下で、漆黒の瞳が強い輝きを帯びる。もう一人の少年は、笑みを浮かべたままそれを受け止めた。


「なぜ、ここにいる。父上と王都に向かったはずのお前が」

「予定が変わっただけさ。……夏の間に帰ってこられて良かった、とは言ってくれないんだね。相変わらず冷たいな、エンは」


 エン。そう呼ばれた彼は、忌々しげに舌打ちした。どうしようもないほどに、似通った二人の少年。だが二人の心は、決定的なまでにすれ違う。


「オレが、わざわざお前の心配をすると思うのか。お前がいなければ、オレが今より不幸になることもないっていうのに?」

「僕は君のことが心配なんだよ。……二人きりの兄弟じゃないか。たまには双子らしく、素直に話をしてもいいと思うけれどね」


 わたしは何も言えなかった。いや、言ったとしても無駄だっただろう。彼らには彼らの事情があり、ただの『樹』でしかないわたしには、踏み込むこともできない。


 それに——たぶん、はこの場では無意味だ。だから何も言えない、何もすることができない。そして彼も、わたしに助けを求めたりしない。


「双子らしく……ね。その事実がオレを『無いもの』として扱わせているってのにさ。それでもお前は、オレと『話』をしたいって仰るわけか?」

「それについては、済まないと思っているんだ。エン、君にとっては不本意な状況だと理解している。だけど、それとこれは話が別だろう? 僕と君が兄弟であることは事実だし、僕が君と対話することを望んでいるのも本当のことだ」


 少年は笑みを浮かべながら一歩近づいた。しかし彼は、そのぶん一歩後退る。わたしはそれを見ていることしかできない。それほどまでに彼らの間には、何者も入り込めない何かがあった。


「オレはそんなこと望んでない。オレの意志をお前に縛られる覚えなんてない……!」

「君が望むかどうかは関係ない。僕が望んでいる、そのことが重要なんだ。……わかるだろう、エン。君は僕にとって必要な存在なんだよ」

「……オレに、お前は必要ない。いい加減、オレにこだわるのはやめろ。エル……!」

「それは、『ソレ』がいるからかい?」


 すっと、少年が何かを腰から抜きはなった。鈍く輝く、鋭い刃——その切っ先を、彼と瓜二つの顔で少年は笑う。


「だったら、『ソレ』は必要ない。エン、君は」


 ……僕だけのそばにいればいいんだよ。その言葉の意味を、わたしは理解できなかった。


 緩やかに、剣先がわたしに向かって突き出される。逃げなければ。そう思ったところで、わたしの体は指先も動かない。迫る刃を前に、わたしが見ていた光景は——


「やめろ……っ!」


 飛び出してくる小柄な姿。突き出される剣先は止まることなく、ただわたしは。






 ——時が、過ぎても。忘れ得ぬものには何の意味があるのだろう。



「守ってやるよ、絶対にな」



 最後に見た夕日の赤さ。人が流した血のように、鮮烈だったその色彩。その向こう側で笑っていた君の顔を、——




 零章「二度目の出会いと、もう一つの答え」了



 →next 真章「最後から二番目の夕日」


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