はい、タカミナツスターク株式会社宇宙技術開発統括部製品技術開発部です
金嵩 宙三
第1話
薄ぼんやりとした空間が赤く明滅しているのが見える。周囲があまりはっきりと見えないのは、光源が少ないからか、自分の意識が曖昧だからか。
もう少し情報を集め様と周囲に焦点を合わせると、細かく黒いチリの様な物がどこかへ向かって流れていてるのが見える。視界の下の方には、10年程前から締まりが無くなって来た自分の腹が見える。どうやら、ずっと体に対して下方に頭を向けていたらしい。何となく肩や首の辺りが、一日中パソコン作業をしていたときの様に痛い。
と言うか、僕の仕事は基本的にパソコンでの作業だ。よく覚えていないが、今日もそうだったはずだ。それなら、少しストレッチをしてほぐした方がいいだろう。
頭を上げようとして、視界の上方、つまり体に対して正面の方に、何かが動いているのが見えた気がする。
ちょっと見るのは止めておこうかな。それを凝視するのは、何と言うか、怖い様な気がする。
何だったろうか。状況を良く思い出せば、それが何か分かるはずなのに、何も思い出せない。そもそも今いるのはどこだっけ?
考えても答えは出ないし、流石に首の痛みも限界に思えてきた。
やむを得ないし、視線を上げてみるか。
結局良く見えない。何と言うか、所々突起があって、布の様な物が巻かれている何か、は見える。自分が見ようとしない為か、周囲が暗すぎる為か、いやもしかして最近視力が落ちたせいか?パソコンの使い過ぎか、老化のせいか、最近は細かい物が二重、三重に見えてしまって、識別出来ないことがある。一応手を伸ばしてもギリギリ届かない程度の少し離れたところに浮かんでいるのに、その物体が何かは認識できない。
その代わり首の痛みだけは認識できる。軽く頭を回してみても治らないとは。こんな時に優しく揉み解してくれる家族でもいればと思うが、残念ながらこの薄暗い空間に漂っているのは自分一人だ。
そう言えば、重力が無くなっている。手足を動かしても身体は何かに触れることもなく、壁が近づく気配もない。
むしろ、どの面が壁だ?不味い。このままだと、何も出来ないまま死ぬ可能性もあるんじゃないか?
焦り?緊張?して来たお陰か、ようやく色々思い出してきた。
ここはスペースコロニー「銀翼」に開発拠点を構える企業「タカミナツスターク株式会社」の製品を評価するための部屋だ。部屋はそこそこ広く、ちょっとした屋内運動場の様な広さがある。1チーム5、6人程度で行われる球技を2~3面分確保しつつ、その周囲に観客を入れることも出来るだろう。
つい一月程前に、課長に就任したのに合わせて、転勤になったばかりだ。
先ほどから明滅している赤い光は、タカミナツスターク社がある研究開発区画一帯に重大な問題が発生したことを意味する。場合によってはこの区画からの退避が必要になる事態を示す物だったはずだ。可能な限り避難の準備を進めておかなければ。
どうやって?
周囲の様子からすると、僕は部屋の中心部に浮かんで、ほぼ停滞している様だ。小さなチリが動いていることから、空調は生きているのかもしれない。それならば、多少は僕も流されるだろうと思うのに、さっきから一向に壁面が近づく気配を感じない。
避難口はどこだっけ?
確かにもともと広い空間ではあるが、こんなにも壁が見づらい程だっただろうか?
パソコンの使い過ぎ、と言うか、テレビゲームのやり過ぎか?なるべく、部屋を明るくして、離れてやる様にしているつもりなんだけど。目を細めたりしても、何故か霞んで良く見えない。
手足をバタバタ動かしていたら、ふと気になることが視界に入って来た。
あれ?なんでズボンを履いていないんだっけ?
今日ここには仕事で来ているのだから、履いていないはずない。
トイレに行った際にでも置いてきただろうか?確かに、飛び散らない様に座ってしているけど、全部は脱がないよ?
それとも、作業着に着替えたっけ?この部屋は、製品の評価用の作業場だから、忘れているだけで着替えただろうか?ならその時に履き忘れた?
と、変なことに気を取られたが、まずは避難が優先だ。退避する方法を考えなければ。
するとようやく周囲の明るさが1段階上がった。ただ、この明かりはますます不味い。
明滅の間隔が長くなり、数回明滅すると昼白色の照明が点灯、数秒ほどで消灯すると、また赤い明滅に代わる。これは研究開発区画で起きた問題が、居住区や他の重要区画に及ばない様に、区画の切り離しを行う合図だ。
滞在者が避難時に周囲を確認しやすい様、通常照明を点灯するが、非常時であることが分かる様に非常灯のみのタイミングが設けられている。非常灯の明滅の間隔で切り離しまでの凡その時間が分かり、現在は30分以上は猶予があることを示す。このまま避難解除になることもあるらしいが、ならない可能性を考慮して避難は必須だったはずだ。
研究開発区から居住区へはそこそこ距離がある。重力が殆ど喪失した今の状況だと、どの程度でたどり着けるか不透明だ。そもそも、まずは何とかして非常口までたどり着きたい。再度周囲を見渡すため首を動かすが、どうにも肩回りが痛い。
そう言えばさっきの物体、何かに使えないだろうか?
有効に活用出来ないかと手を伸ばそうとして、手が止まる。
よく見れば、こちらに向かって伸びている帯の様な部位の先が、5本に分かれている。そのことで、ようやくそれが何であったかを認識した。
ゴン、という音を立てて額を机に打ち付けた。どうやら、寝ていたらしい。
今いるのは、だだっ広い微重力の空間ではなく、8畳程の自分の部屋の机の前。部屋には他にシングルサイズのベッドがあるのみ。薄暗い空間では無く、部屋中の明かりが付けっ放し。手元のノートパソコンもだし、机の上に置かれたライトスタンドも、テレビゲームと専用モニターもだ。そう言えば、今日一日の作業で分かったことを記録するために、パソコンに向かっていたのだ。終わったら昨日のゲームの続きをやってから寝るつもりだったのに、先に眠ってしまった様だ。
頭が垂れ下がっていたためか、肩回りが痛い。寝ている最中も痛みがあったのに、脱力して額をぶつけるまで起きなかったのだから、相当疲れているのかもしれない。
時計を見ると起床予定の時間まで4時間ほどしかない。にもかかわらず、まだまだ眠い。
今日は仕事を諦めて、さっさと寝支度を整えて寝よう。明日は、確か朝から会議の予定だ。そこそこ面倒くさい案件についてで、今から気が重い。
それなのに、さっき夢は非常に嫌な夢だった。額や鼻頭は、触らなくても分かる程に、イヤな汗がまとわり付いている。襟周りからも、揚げ物をやって、数日放置した様なイヤな、臭いがする。
いや、これは歳のせいか?以前は、ここまでじゃなかった様な……。
昔から、この手のどうにも抗えない眠気に襲われて、重苦しい気分になる夢を見ることがある。それ以外では、非常に眠りが浅い質なのだが。こういうことがあった翌日は、大抵ろくな事がない。ただの夢でした、になればいいのだが。
パソコンを閉じて立ち上がると、そのまま向きを変えて、ベッドにうつ伏せに倒れこんだ。
枕、くさ……。
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