7.君を待つ


 姉が『ヘドロ棒の悪魔』と呼ばれるようになった、数年前の事件。


 あれはそもそもREDに責任があった。


 REDは学校でいじめられていて、そのいじめの主犯格が鍛冶屋の息子だった。


 どうしても我慢できなくなって、仕返しのため、鍛冶屋の息子に化けることに。この姿で悪いことをすれば、あいつが叱られるだろう。


 ――ナイスアイディア!


 鍛冶屋の息子は下膨れの顔をしたワンパク坊主である。栗色の短髪を、角みたいにツンと立てている。


 REDは顔や背丈もそっくりに変えたし、自分の赤毛もちゃんと茶色に変えた。


 それからあちこちで悪戯しまくった。


 やつの評判を下げるのが目的だったので、女の子のスカートを端からめくっていく。


 ふふん――これで鍛冶屋の息子は明日から、「ド変態、痴漢野郎」と呼ばれるようになる。


 スカートをめくられる女の子が可哀想だから、ちゃんと意地の悪い女の子だけを狙った。ターゲットにしたのは、REDのことをしつこくいじめてきた子たちだ。


 そうしたら予想外に男子から褒められてしまったので、まずいと思い、作戦変更。


 男子のズボンもずり下ろしてやったぜ。これまた意地の悪い子だけを狙った。


 ざまーみろ! REDがへへん、と良い気分になっていると、廊下でばったり、鍛冶屋の息子本人と会ってしまう。鏡を覗き込んだように、同じ姿をした子供がふたり。


「――ぼ、僕が目の前にいる!」


 こちらを指差し、叫ぶ鍛冶屋の息子。


 し、しまったぁ、まさかの本人と対面――このパターンは予想していなかった!


 REDは慌てた。動揺したせいで、変身が部分的に解けて、髪の色が赤く戻ってしまう。


「あ、その赤髪は――さてはお前、パン屋の子供だな! 魔法で僕に変身したんだ!」


 ば、ばれたー!


 ――で、そこから追いかけっこが始まる。


 REDにスカートをめくられた女の子、ズボンを下ろされた男の子、鍛冶屋の息子と手下たちが加わり、どえらい騒ぎに。


 まさかそのあと助けに入ってくれた姉が、『ヘドロ棒の悪魔』と呼ばれるようになるなんて、予想外だったよ……。


 REDは自分が悪いことをしたのは分かっていて、あとで叱られるのを覚悟していた。


 けれど姉はREDにこう言ったのだ。


「私は怒っていないよ」


「でも、お姉ちゃん……私、悪いことをした。そのせいでお姉ちゃんにも迷惑をかけちゃった」


「あなたは自分が悪いことをしたって、ちゃんと分かっているのよね? それなら私から注意することはないわ」


「ご、ごめんなさい……」


 叱られなかったからこそ、REDの胸が痛む。


 正直に言うと、いじめっ子たちに対しては、仕返ししたことを『申し訳ない』とは思っていなかった。だってあの子たちは大勢でよってたかって汚い言葉をたくさん投げつけてきたし、卑怯だった。やり返さないと、やめてくれないと思った。


 だけどやり返した方法がまずかった――それは確かだ。もっと頭を使って、姉に迷惑をかけないよう、上手に仕返しすべきだったと思う。


 上手に仕返しする――それは正しくない考え方かもしれないけれど、REDはいじめられて、傷ついていたのだ。


 REDはぐす……と鼻をすすった。


 自分が皆の人気者だったらいいのに……そう思った。そうしたらもっと明るい気持ちで過ごせたし、お姉ちゃんにも自慢の妹だと思ってもらえたはずだ。


 しょんぼりするREDを見つめて、姉が優しく声をかける。


「ねぇRED、これだけは覚えておいて――あなたが世界一素晴らしい人であることを、私は知っている。――ね、それで十分じゃない? 皆があなたのことをなんと言おうと、そんなのは関係ない。愚かな人が大勢であなたをけなしても、あなたの価値は下がらない。あなたは特別――あなたが大好きよ」


 REDの目から大粒の涙が零れ落ちる。姉の胸に抱きつき、大声で泣いた。


 なぜだろう……いじめっ子たちに仕返しした時よりも、胸がすっとして、幸せな気持ちになれた。


 私は生きていていいんだ……心の底から安心できた。


 大勢が私をけなしても、そんなのは気にせずに、生きていていいんだね……だって私の価値はそれで下がらないんだもの。


 お姉ちゃんはたぶん、私が魔法使いでも、そうでなくても、同じことを言ってくれたと思う。


「お、お姉ちゃん、私もお姉ちゃんが大好き! 一生大事にするからー!」


 心から伝えたら、


「あら、プロポーズみたいね」


 姉はふたたび優しい顔で笑って、髪を撫でてくれた。


 ――ところで、このやり取りを物陰からこっそり聞いていた、パン屋の主人は。


 腕組みをしながら、難しい顔でため息を吐いていた。


 妹に対して、なんだかいいことを言ってる空気だが、『ヘドロ棒』とやらを振り回して、年下の子供たちを二時間しつこく追い回した件――そしてその『ヘドロ棒』とやらが、なんとこの父が大事にしていた麺棒だった件――許すわけにはいかない。


 あとで長女には、きつめに説教をする必要があるな。




   * * *




 ――現在、王都では珍しく、バケツをひっくり返したような大雨が降っている。


 パン屋の裏手で、ジャガイモの入った木箱に腰かけながら、REDはざぁざぁ降り続く雨をぼんやり眺めていた。ここは軒下だから濡れはしないが、湿りけを帯びた匂いが、なんともいえない気だるい空気を運んでくる。


 今日は陛下、来ないかなぁ……雨だし。


 初めて会ったあの日以来、陛下は毎日やって来る。よほど下町での快適グルメライフがお気に召したのだろうか。


「……お城にいたほうが、美味しいものが食べられそうだけどなぁ」


 そう――実はRED、あのネズミの正体が『王様』だということに、最初から気づいていた。だからあだ名も「陛下」にしたのだ。


 だってさ……香の匂いを漂わせた品の良いネズミなんて、いるわけないもの。


 魔法使いが化けているんだな、ってすぐに分かったよ。


 そうなると、だ。


 動物変化、そしてめちゃくちゃ難しい縮小変化――こんなことができる人間は限られている。偉大な魔法使いである、王様以外にありえない。


 偉い人だから、おっかないかなぁ……なんて思いながら話しかけてみたら、すごくいい人だった。


 陛下と初めて会ったあの日、『どうせこれっきりだろう』と思った。だって身分差がありすぎるし……今回きりだと思うと遠慮も消えて、自由にやらせてもらった。


 王様は「もっと礼儀正しくしろ」と怒るかと思ったのだけれど、全然そんなことなかったな。


 当たり前のように自分を受け入れてくれた王様に、REDはすごく驚いてしまったのだ。


 それに王様は『平民の魔法使い』に対して偏見がなかった。


 パン屋の末っ子が魔法使いだと知ったあとも、もらったパンを食べて、「すごく美味しいね」と喜んでいた。気味悪がったりしなかった。


 王都の人たちは、「悪魔のパン屋のパン? 気持ち悪い、毒でも入っているんじゃない?」と嫌なことばかり言うのにさ……。


 ぼんやり考えごとをしていると、濃い緑の葉っぱが、石畳の上をすごいスピードで移動して来るのが見えた。


 ハート型をしたその葉っぱは、イモの葉のようだ。人の手のひらより大きなサイズのそれが、ふたつ並んでこちらに近づいて来る。


 イモの葉がREDの前でピタリと止まった。その下から、見慣れた灰色ネズミがひょっこり顔を出す。


「こんにちは、RED」


 王様が葉っぱを肩にひょいとかつぎ、木箱の上に飛び乗って来た。


「……やぁ、陛下」


「なんか元気ない?」


「今日は雨だし、陛下はもう来ないと思っていたんだ」


 REDがいつもより小さな声でそう言うと、王様がくすりと笑った。


「なんで? 雨でもお腹は空くよ」


「そりゃそうだな。ええと……その葉っぱの傘、格好良いなぁ」


「これ、REDのぶん」


 ふたつあったイモの葉の片方をスッと手渡され、REDはなんだかくすぐったく感じた。


 なんだかこれって、仲の良い友達みたいじゃない?


 REDは照れくさくなって、ネズミヒゲをヒクヒク動かしながら、二本足で立ち上がった。そしてイモの葉を元気に肩にかつぐ。


「気の利く弟子だ、お前の働きを評価して、褒美をやる! ――今日は串焼き祭りだ! ついて来い!」


「やったー! だからREDって好き」


 二匹はイモの葉を肩にかついで雨よけとし、石畳の上に飛び出した。葉っぱに雨粒が当たってはねるたび、茎に振動が伝わってくる。


 REDは楽しくなってきて、笑い声を上げた。


「――なぁ陛下、雨もたまにはいいもんだなぁ!」


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