鹿トンネル

大塚

第1話

 当地は山に囲まれていて、その関係もあってかトンネルが多い。過去に大きな事故──交通事故だったり、トンネルを作る際に起きた事故だったり、崩落事故だったりと種類は多種多様だが──が発生した関係で、幽霊が出るという噂があったり、心霊スポットとして有名になってしまっている場所も少なくない。学生時代には肝試し〜なんて言って友だちとそういう場所を覗きに行ったこともあるが、実際に幽霊を見たことはないし、逆に、事故が起きたのは10年以上も前だというのに今でも真新しい花束が供えられているのを見て、なんだか悪いことをした気持ちになって帰宅した記憶もある。


 前の会社の同僚に、釣りが趣味の男がいる。ひとりで夜釣りに行くこともあるし、SNSで知り合った釣り仲間と一緒に遊びに行くこともあるという。その日は、SNSの釣り仲間とともに朝早くから県外の人間にはあまり知られていない穴場で渓流釣りを楽しみ、釣った魚をその場で焼いて食い、酒を飲んで──と楽しい一日を過ごし、日付が変わる直前に帰路に着いたと言っていた。

 行きはSNSの釣り仲間が運転してくれたから、帰りのハンドルは元同僚が握った。釣り仲間は既に大層酔っ払っていて、助手席で半分眠っていた。元同僚は、県外から遊びに来ていた釣り仲間をホテルに送り届けるために、普段は使わないトンネルを通ることにした。普段は使わない──といっても、別にそこが心霊スポットだからではない。古いのだ。ひどく古いトンネルで、いつ崩落事故が起きてもおかしくない、と言われながらも何年も放置されているトンネルだった。長さはそれほどでもない。ゆっくり走っても、3分もあれば通り抜けることができる。


 異変が起きたのは、トンネルに入ってすぐのことだった。助手席で寝ていた釣り仲間が不意に目を開けて「明るいな」と言い出したのだ。

 先述の通り、古いトンネルである。明かりの整備も、さほどされていない。なので、夜にこのトンネルを使おうという者は、ほとんどいない。

 だが、釣り仲間の言う通りだった。奇妙に明るい。トンネルいっぱいに、橙色の光が満ちている。「綺麗だな」と笑う釣り仲間を尻目に、元同僚は嫌な気持ちになっていた。このトンネルを使うのは初めてではないが、こんな光を目にしたことはない。何かおかしなことが起きるのではないか──。


 嫌な予感は、すぐに的中した。

 窓の外を眺めていた釣り仲間が「あっ!」と大声を上げたのだ。

「鹿! 鹿がいる!」

 ──いるはずがない。

 古くて狭いトンネルだ。一方通行の標識が出ているわけではないが、正面から車がやって来たら行き交うのにはお互い苦心する。そんな狭いトンネルに、野生の鹿がいるはず──

「なあ! いっぱいいる! 鹿が!」

 釣り仲間は都会の人間だ。野生の鹿を見たことがないのだろう、と元同僚は思った。だから、自動車の影を鹿だとか、動物と勘違いをしているに違いない。

 そんな風に思いつつハンドルを握り直し、ちらりと横目で助手席側の窓を見た。


 そこには、鹿がいた。


 釣り仲間の言う通り、鹿の大群が、自動車の左側を

 巨大な鹿だった。一頭一頭が、大型バイクと同じぐらいのサイズだ。その鹿たちが、真っ直ぐ前を向き、自動車と同じ速度で走っている。


 おかしなことは、もうひとつあった。


 トンネルが終わらないのだ。もう5分以上走っている。橙色の光の中で、元同僚と釣り仲間と鹿の大群は、終わらないトンネルを前へ前へと走り続けていた。

 ブレーキを踏むべきか迷った。この鹿たちと同じ方向に向かって、果たして正しいのだろうか。混乱する同僚はハンドルを強く握り、車の速度を落としながら再び助手席側の窓を見た。


 視線が合った。

 鹿と、目が合った。

 全力疾走する鹿の中でも一際大きな一頭が、車の中を覗き込んでいた。

 そこで同僚はブレーキを踏み込んだ。停止した自動車を追い抜かして、鹿の大群は走り去って行った。


 気が付くと、橙色の光はなくなっていた。いつも通りの薄暗い、寂れたトンネル。そのちょうど真ん中に、元同僚と釣り仲間はいた。

「今何時?」

 元同僚は釣り仲間に尋ねた。釣り仲間はポケットからスマートフォンを取り出し、時刻を告げた。トンネルに入ってから、まだ1分も経っていなかった。


 その後元同僚は車をUターンさせ、山を降り、下道を走って釣り仲間を宿泊先のホテルに送り届けた。後日、明るい時間にひとりでトンネルの様子を見に行ったが、別に崩落もしていなかったし、周りの人間に話を聞いても、事故や事件が起きたという情報は得られなかった。


 ただ、あのまま鹿の大群と並走してトンネルを抜けていたら、とんでもないことになっていたのではないか、と元同僚は言った。

 たとえば、黄泉の国に招かれていた──とか。


 根拠は何もない。

 また、件のトンネルで巨大な鹿の大群に並走されたという話は、元同僚以外からは聞いたことがない。


 おしまい

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鹿トンネル 大塚 @bnnnnnz

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