居場所

響谷 ゆう

第1話

 高円寺駅の改札を出る。彼女の姿を探すが見当たらない。ズボンのポケットからスマホを取り出し「改札の外で待ってるよ」とメッセージを送っておく。顔を上げるとロータリーにバスが止まっている。けれども利用する人はいないようだ。そういうバスを見かけるたびに、運転手の給料-僕が想像するところでは30万円くらいなんだけれど実のところは分からない、やバスの維持費、ガソリン代とかそのほか色々を賄っていけるのだろうか、と思う。だれも乗り込まないままバスは扉を閉めて走り出す。人のいない車内は、太陽に照らされている世界とは隔離されて見える。影を運びながら誰がいるかも分からない次のバス停へ向かっていくのだろう。


 電車の時刻を示す掲示板によると次の電車はすぐには来なさそうなので、まだ彼女は来ないだろうと思い、改札の真向かいにあるコンビニに向かう。自動ドアが空いて店内に入るとすぐに彼女から返信が来た。「あと3駅で着く!」あと10分くらいだなと思いながら「おっけー」と返す。

飲み物を買おうと思っていたけれど、思っているよりも早く彼女が到着するようなので少し迷う。しかし何も買わずに店内を出るというのは躊躇われる。どうしようかと店を見渡すと、飲み物が並んでいる棚の反対側の通路に本が並んでいる。大半はよくあるように雑誌なのだけれど、コンビニには珍しく文庫本が数冊並んでいる。置かれている本には規則性はなさそうだ、まるで誰々の好きな本特集とでも言っているかのように。

 彼はその内の1冊を、ほぼ無意識のうちに手に取っていた。表紙には夜の森に生えてる分厚い葉っぱのように深い緑に象徴的に赤い字が縦に並んでいる。村上春樹の『ノルウェーの森』。1度読んだことはあるのだけれど、家の本棚に並んでいる誰かの手垢が付いたものを思うと、コンビニ特有の照明の白さも相まってか、違う本のように思える。夜景の見えるホテル-そこには金持ちばかりが泊まっている-の高層、暗い部屋の中で白いバスローブに身をくるんで、ワイングラスを傾けながら持っていても違和感がないような、そんなイメージを抱いた。

 新書だから普段彼がよく買う古本よりは少々高い。それに何より彼が同じ本を2冊買うなんてことは今までになかった。しかしそのどちらのことも、彼の意識のうちに居座ることはしなかった。彼は本を買ってコンビニを出る。


 駅の時計が目に入る。午後1時57分、5分としないうちに彼女が来るだろう。




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