残暑厳しい折ですが、
水神鈴衣菜
夏の香り
ふと、夏が終わる、と思った。八月ももう下旬。きっともう、いわゆる「暦の上では」そろそろ秋なのだろう。まだまだこんなにも暑いのに。こんなにも暑いからこそ、夏の終わりが分かりにくいのだとも思った。秋は涼しいものだという先入観、九月からが秋であるという意識。そんなものが、僕たちを季節という事実から切り離している気がした。
夏。暑いけれど、素敵な季節だ。夏だけにあるものはたくさんある。花火とか、お祭りとか、浴衣とか。夏は他の季節に比べて、色とりどりだ。華やかで、けれどそれでいて儚くもある。
そんな中僕は、この夏を過ごしていた。──はずなのだが、実際どうだろうか。夏らしいことを、僕はしたのだろうか。こうして思い返そうとしてこれをしたな、あれをしたなと出てこないのだから、もう既に駄目である。せっかくの夏、季節の四分の一を、僕は無駄にしようとしているのだ。これが、どれだけもったいないことであるか。日数に換算すれば大体九十日である。時間で換算すれば二千百六十時間。こんなにも猶予があったのに、僕は暑い暑いと嘆き室内に篭っていたのだ。
今からでも夏を満喫しなければ。僕は思い立った。
だから僕は、ひとまず外へ出てみた。日差しは暑いけれど、少し風が吹いていて心地よい。思っていたよりももう暑くないんだ、と僕は少し拍子抜けした。ありがたいことだ。
そして近くのスーパーへ向かった。夏を買い出しに行くのだ。今日くらい、貯金を崩したって許される。花火のセット、ラムネ、蚊取り線香、小さめのスイカ、あとは水鉄砲。そういえば火を付けるものがないと思って、ライターと蝋燭も買った。
僕はるんるんとした気分で家へ帰った。まるで子供の頃に戻ったような気持ちだ。家に帰れば──否、手元にあるのだけれど──夏が待っている。これがどれだけ嬉しいことか。夏は暑くて嫌だけれど、やはり素敵な季節なのだ。
夕方までスイカとラムネを冷やしておいた。午後三時。昼下がりのおやつ時。冷蔵庫を開けて、スイカを切る。小玉スイカとはいえど、僕の手のひらよりもよっぽど大きい。とりあえず四つ切りにして、一つだけ食べることにした。あとは明日のために残しておく。夏を取っておくのも素敵なことだ。
「いただきます」
皿を敷いて、その上でかぶりつく。シャク、と小気味いい音がして、口に甘みが広がる。美味しい。砂糖で演出されたあの甘さではない、自然ままの甘み。スイカも久しく食べていなかったと思った。種は皿に出した。一人で食べているけれど、なんとなくべ、と吐き出すのにはやはり抵抗感があった。そのまま飲み込んでしまうのも嫌だから、汚いというところには今日は目を瞑ることにする。
そして次にラムネを取り出した。淡い水色が暑さを吸い取ってくれるような気がした。瓶の中では泡がぷくぷくと消えは現れ、現れは消えを繰り返している。頬に当てると冷たい。ラムネの瓶をこの色にした人は天才だと思った。これ以上に夏に似合う瓶の色があるだろうか。
プラスチックの蓋開けを取り出して、僕はビー玉の上に押し当てる。ぐっと押し込むと、からんと音が鳴って、しゅわしゅわと泡が零れてきてしまった。まずい、と手を蓋から外して口を付ける。これもラムネの醍醐味ではあるが、やはり零れてしまうのはもったいない。
改めて瓶を持って、呷る。泡の弾ける感覚。ビー玉で飲み口が塞がる鬱陶しさ。冷たい甘さ。スイカの甘さとは違う作られた甘さだけれど、ラムネのスッキリした甘さも、久しぶりに味わうものだった。勢いよく飲みすぎて少々噎せてしまったが、それも夏だから許してやるのである。
勢いのままに買ってきてしまった水鉄砲だが、風呂の時に遊ぶことにした。夕飯の前に風呂に入る。わざわざ水を入れるのも面倒だが、お湯は入れてはいけないかもしれないので、念の為冷たい水道水を蛇口を捻って補給する。買ってきたのは手のひらサイズの小さなもの。よくある蛍光色のあれだ。引き金に指をかけ、少し引いてみる。ぴゅ、と少し水が飛び出した。ふは、と笑みがこぼれる。子供心はいつまでも消えないというけれど、僕も例に漏れずそうなのだとなんとなく分かった。壁に向けて打つ。置いてあるシャンプーやリンスのボトルに向けて打つ。バスチェアに向けて打つ。射的をしているような感じで楽しい。風呂場に似合わない騒がしい情景が一瞬重なる。お祭りも久しく行っていない。来年は……誰かを誘って、花火大会にでも行こうかと自分に約束した。
風呂に入った後夕飯を食べ、それから花火をしようと思った。だが僕の家は生憎アパートなので、花火なんて家でやっていたらまずいことに今更気づいた。近くの河川敷にでも行こう。僕は花火とライター、蝋燭、蚊取り線香、それと水を入れておけるバケツを持って、ああそれと貴重品を一通り持って、家を出た。夜の風が涼しい。
河川敷に着いた。水辺はより一層涼しい気がした。大人数で大騒ぎする訳でもないから、近所迷惑にもならないだろうと半ば希望的観測も含まれるような結論を出した。きっと大丈夫だ、もし何か言われたらそそくさと退散すればいい。バケツに川の水を汲む。蝋燭にライターで火を付け、蚊取り線香にも火を付ける。煙がくゆり、懐かしい匂いがした。おばあちゃんちで、よく嗅いだ匂いだ。
蝋燭立てに蝋燭を刺して、花火を取り出す。袋から取り出して、大量のセロハンテープでぐるぐる巻きにされた花火たちを解放していく。なぜこんなに面倒な包装の仕方にするのだろう、と小さい頃から思っていた気がする。改めて手伝ってくれる人がいない時にやると、大変さが身に染みて分かる。
大分時間が掛かって、やっと花火を取り出すことができた。小さめのものを買ってきて良かった、それでもこの量なのだから。ざっと数十本はある気がする。二本持ちしてやろう。適当に二本持って、蝋燭の火に近づける。芯に触れてしまうと消えてしまうから注意しなければ。しばらく火に当てていると、じゅ、と音がして光が零れた。しゅわしゅわと言いながら、光のシャワーが地面に降り注ぐ。金色の眩い光。
「綺麗……」
思わず声が零れる。ほう、と息をついた次の瞬間、光は消えてしまった。呆気ない。こんなに、こんなにも一本は短かっただろうか。もう一回。次は赤色と緑色。偶然クリスマスカラーだ。薄のように先が垂れ下がり、地面に落ちていく。少々振り回したい衝動に駆られたが、火傷しては笑えないのでやめておく。次の二本もあっという間に消えてしまった。
こんなふうに次、次と火を付けていったら、いつの間にか手持ちの普通の花火はもう無くなってしまっていた。残るは線香花火のみ。夏の一夜は短いけれど、その間に行われる色々もまた短いものだとなんとなく思った。線香花火の一つ目に火を付ける。チャンスは三回。最後まで落とさずにいられるだろうか。確かコツは、少し斜めにすることだったはず……。微かな記憶を頼りに、少し斜めにしてみる。しばらくすると、赤々とした丸からぱちぱちと火花が弾け始める。枝分かれして線を描くそれを『花火』と形容した昔の人は、本当にぴったりな名前を付けたと思った。花の中心から花弁が広がるように見える。どんな花よりも儚い花だ。綺麗だと思っていると、ふと少し風が吹いて、玉が落ちてしまった。
「あちゃ……」
もう一本。次こそは上手く行くといい、と思いながら火を付けたが、蝋燭の上から外す時に手元がぶれてしまい、すぐに玉が落ちてしまった。やらかした。
最後こそは。意気込んで火を付ける。角度を四十五度程にし、じっと息を呑んで火花を見つめる。ぱちぱち、と小さな火花。段々続くに連れて、しゅぼ、しゅぼという大きめな火花が散る。幾重にも枝分かれして、複雑に広がる。赤と黄色を曖昧に混ぜたような色は、僕の目の前で弾けては消えていった。もうすぐで終わるかな、と思った時、玉は大きいまま落ちてしまった。石に当たって、弾ける。ばちっ! と大きな音がして、火花が散った。一瞬呆気に取られる。それから状況が飲み込めた後、自然と笑い声が零れた。こんなことも起きるのだ。この歳になって初めて知った。結局最後まで残しておくことはできなかったけれど、新たな発見ができたので良しとしよう。
買ってきた夏が無くなってしまった。僕の夏はきっとこれで終幕なのだろう。一日でこの夏の全てをやり切ったとは言えないと思うけれど、それでも半分くらいは満喫できただろう。懐かしい匂い、懐かしい味、懐かしい音。全てが僕にとって癒しであった。もうじき戻ってくる日常も、きっと少しは楽になるはずだ。夏を浴びるだけでこんなにも幸せな気持ちになれたのだから、やっぱり夏は素敵な季節なのだ。
花火の後始末だけは、少々面倒だったことを除けば。
残暑厳しい折ですが、 水神鈴衣菜 @riina
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