最終章 ラストカタルシス

4-1 スノードロップと紫苑の花

🍦


ベンチの近くに1匹の犬が座っている。


その犬に膝を屈みながら話しかけている1人の少女。


彩葉いろはちゃん」


雛菊 彩葉ひなぎく いろは


白い肌、鮮やかなピンクの髪に金色の瞳。


デイジーの花のように可憐な子。


見た目は幼いがこの子もれっきとした涅槃師。


「あっ、五十夜さん」


「調子はどう?」


「ん〜、だいぶ弱ってますね。早くしてあげないと消えちゃいます」


そっち?


彼女はあまり身体が強くない。


幼いころから入退院を繰り返し、義務教育もあまり受けられないまま病院で亡くなった。


彩葉ちゃんを気にかけたつもりだったが当の本人は犬の心配をしていた。


白いモフモフとした犬の身体は徐々に薄くなっている。


彩葉ちゃんは生まれつき共感力が高く、人の感情に敏感なエンパスという能力の持ち主で、人の話を聞いていると自分の感情がわからなくなったり、嘘を見抜けたり、動物の気持ちがわかったりするみたいで、他の人よりもとくに強いが故に睡眠障害やうつになりやすくなる体質だったようだ。


涅槃師になったいまでもその強いエンパスは消えていないため、動物に関する案件がよく回ってくるみたい。


背中を撫でながら心配そうにしている彩葉ちゃん。


すると、横から駆け足で飼い主が現れた。


死んでもなな感じるその神々しいオーラに思わず声が出た。


「い、今泉さん⁉︎」


今泉 美羽。


アパレル業界で成功し、その美しいルックスからモデルとしても活躍している福岡が生んだカリスマ。


「あなたは?」


この人の担当は彩葉ちゃんなので私のことを知らないのは無理もない。


むしろこの状況で出会えたことは好都合というかラッキーだったかもしれない。


憧れていた人を担当するってなったらきっと感情移入してしまうから。


それにもし生きている状態で出会っていたら興奮しすぎて爆死していたかも。


福岡の話や旦那さんと馴れ初め、成功の秘訣、あなたに憧れて同じ世界に行こうと上京したことなど、聞きたいことは山ほどある。


ただ、それには時間が足りなかった。


なぜなら美羽さんの腕の数字の“1”が点滅していたからだ。


そう、この人が顕現できるのはあとわずか。


犬も消えかかっているということは2人ともあと半日もないかもしれない。


憧れの人を目の前にして高鳴る気持ちを抑えつつも焦燥感と使命感に駆られた。


絶対に浄化させてあげたい。


「五十夜 アステルと申します。今泉 美羽さん、あなたを浄化させるために全力で協力させていただきます」


彩葉ちゃんと一緒に浄化させることを伝えた。


「私なんかのために、ありがとう」


その言葉には綺麗な顔立ちからは想像できないくらいの深い闇を感じた。


一体何があったんだろう?


「モコ、どこにおったと?探したんよ」


モコ、それがこの犬の名前。


尻尾を振りながら駆け寄るモコは愛らしかった。


美羽さんは犬用のウォーターボトルを持っている。


おそらく水を汲みに行ったときにリードを離してしまって逸れたのだろう。


それにしてもなんで美羽さんがここに?


いつの間に亡くなっていたの?


彩葉ちゃんにリストを見せてもらった。


リストには、

『最期にモコと思い出の場所を歩きたい』


そう書かれていた。


「私ね、モコと一緒に死のうと思ってたの」


一緒にに死ぬってどういうこと?


仕事でもプライベートでも充実していたはずじゃ。


「世間からは成功者とか言われとったけど、実際はそんなんやない」


「旦那様は?」


若手イケメン映画監督として注目されていた三日月 太陽さん。


そんな美男美女が結婚したことは当時大きな話題となり、福岡でも特番が放送された。


「モコの面倒はせんし、毎日お酒と女にお金使って貯金もなかった」


こんなに綺麗な人をつかまえてどういうつもり?


尊敬する人の旦那さんということで応援していたけれど、一瞬で嫌悪感に変わった。


「上京して夢叶えて欲しいもの全部手に入れて、幸せになれたと思っとったけど、心はまったく満たされんかった。何もかも嫌になって、モコと一緒に無人島で死ぬ予定だったけど、向かっとる途中にチャーター機が墜落してしまって、それが最期やった」


ふと頭の中で愛犬のノアの顔が浮かんだ。


もし同じ状況になったとき、愛しすぎるが故に私も同じことをしていたのだろうか?


「結果的には死ねて良かったのかもって思ったときもあったんよ。やけん煉獄におるときに気づいた。これは私のエゴやったんやって。モコまで巻き込む必要なかったんやないかって」


画面越しに観ていた美羽さんとは別人格とも思えるそのやつれたような雰囲気に複雑な心境になった。


しかし、いまここで私がやるべきことは1つ。


「彩葉ちゃん、モコちゃんの浄化の条件は何?」


「『美羽と思い出の場所でもう一度散歩すること』のようです」


「思い出の場所?」


私の疑問に美羽さんもピンと来ていない様子。


「思い当たる場所はありますか?」


「ありすぎてわからんよ」


「彩葉ちゃん、その場所を聞くことはできんとかいな?」


「やってみます」


手当たり次第では間に合わない。


人との会話がままならない犬や猫といった動物は、煉獄には行かずにそのままこの世界にやってくる。


そのためリストには何も書かれていないことが多い。


彩葉ちゃんのような特殊な能力を持ったごくわずかな涅槃師だけが浄化させられるため、毎回動物を浄化させるのは苦労するらしい。


彩葉ちゃん曰く、最初の数日間モコちゃんはまったく心をひらいてくれなかったそうだ。


人見知りとかではなく、この世界のことを理解できていなくて不安だったのかもしれない。


美羽さんは美羽さんで精神状態が安定しなかったから、1人では手に負えず私に相談してきた。


美羽さんとモコちゃんの言っている思い出の場所が同じであればいいけれど、もし違った場合、同時に浄化させるのはかなり難しくなる。


「思い出した!」


突然大きな声を出した美羽さんに驚いた。


「何をですか?」


「思い出の場所よ」


美羽さんが上京してすぐのときにはじめて住んだのが参宮橋駅。


神社のようなたたずまいの作りに感動して住んだらしく、近くのペットショップにいたモコちゃんに一目惚れしたらしい。


はじめて散歩したのは名前も知らない道だった。


参宮橋から代々木公園へと続く道。


車が多く走る道は犬の散歩道としてはベストではないだろうけれど、モコちゃんはお気に入りの道らしく、よく駆けるように歩いてたみたい。


美羽さんの指先はすでに消えかかっている。


チャンスは一度のみ。


2人のどちらかが先に消えてしまえば浄化させることはなくなってしまう。


「五十夜さん、モコちゃんも同じ場所に行くことを望んでいます」


モコちゃんも美羽さんとはじめて散歩した道を歩くことを望んでいるようだ。


早速参宮橋駅へ移動する。


木造りの神秘的なその駅は本物宛らだった。


2人の邪魔をしないように私たちは少し離れたところから見守るように歩いていく。


美羽さんがモコちゃんのリードをしっかり掴んで代々木公園に向かって歩いていく。


残りの時間を噛み締めるようにゆっくりゆっくりと。


それにしても美羽さんのオーラは折り紙つき。


無地の白Tシャツにインディゴブルーのデニムというシンプルコーデなのに色気が半端ない。


どうやったらあんな風になれるのかわからなかった。


しばらくすると代々木公園に着いた。


おかしい。


2人の望む場所で望むことをしたはずなのに浄化されていない。


何かが足りなかったってこと?


すると突然モコちゃんが勢いよく走り出した。


リードを持つ右手を離さないよう必死に追いかける美羽さん。


私たちも見失わないよう後を追う。


辿り着いた先は国立競技場体育館のロビーだった。


中に入るとモコちゃんがそこで立ち止まったので、彩葉ちゃんがモコちゃんに何か話しかけている。


すると、

「今泉さん、いますぐモコちゃんを抱きかかえてください!」


血相を変えて彩葉ちゃんが叫ぶ。


「えっ?」


「そしてそのままアリーナまで走ってください」


「ちょっと雛菊ちゃん。どういう……」


美羽さんの戸惑いを食い気味に被せて急かす。


「早く!時間がありません!」


優しく温厚そうな顔からは想像できないくらいの強い意志の混ざった声色が美羽さんに鋭く突き刺さる。


同時に私にもそれは伝わってきた。


モコちゃんの白い肌は触れるとすり抜けてしまいそうなくらい透き通ってきている。


美羽さんの身体も色を失いつつある。


言われるがままモコちゃんを抱き抱えると、アリーナまでノンストップで走った。


そしてアリーナに着いた途端、まるで今泉 美羽の人生を物語るかのような光景が包み込む。


「ここって」


「私のブランドがはじめてTGCで披露された特別な場所」


美羽さんプロデュースのアパレルブランドがこの場所で披露されたとき、私は嬉しくてテレビ越しに思わず泣きそうになったことをいまでも覚えている。


「準備とかあるけん、前日からモコを友達に預けとったんやけど、普段は大人しいモコが珍しく吠え続けるけん、近くまで連れてきとったんよ」


それでこの場所を知っているんだ。


でもモコちゃんはどうしてこの場所に来たがっていたのだろう?


彩葉ちゃんに理由を聞いてもらおうと一瞬思ったけれどやめた。


2人だけの時間を邪魔したくなかったから。


抱き抱えられたモコちゃんが美羽さんの顔を見ながら嬉しそうにベロを出して尻尾を振っている。


それを見た美羽さんも破顔している。


すると、アリーナを見ながら2人は静かに消えていった。


「間に合って良かったですね」


「彩葉ちゃんの能力があってこそやと思うよ」


「手伝ってくれてありがとうございます」


「それにしてもモコちゃんの願いって何やったんかいな?」


「実はあのとき……」


ロビーで彩葉ちゃんがモコちゃんに話を聞いた内容を話し出した。


「モコちゃんが急に『美羽に抱き抱えられてそこのアリーナに行きたい』ってそう言ったんです」


「どうして?」


「これは私の推測ですが、きっとモコちゃんは今泉さんに輝き続けてほしかったんだと思います」


若くして成功を収め、有名になったことの代償は大きく、人よりも幸せそうに見える一方で支えてくれるはずの存在に裏切られ、『普通』という概念が崩れてしまった。


足元にある小さな幸せに気づかずに深い暗闇から抜け出せなくなってしまった。


きっとモコちゃんはどんどん窶れていく美羽さんを見ているのが辛かったのかもしれない。


だから最期くらい美しい状態で浄化させてあげたかったのだと思う。

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