3-9

☕️


「雪落くん、ちょっと休憩しない?」


近くにあったベンチに腰掛ける。


アキレアは出会ってからほぼ付きっきりいてくれている。


でも彼女のことを何も知らない。


7日間しかいないから知る必要などないのかもしれないが、なんとなく気になって聞いてみた」


「アキレアは何で涅槃師になったんだ?」


「ちょっと話長くなるけどいい?」


「じゃあいいや」


「殴っていい?」


「すみません、ぜひ教えてください」


💊


「そんなんじゃ良い企業に就職できないわよ?」


ママの口癖はそれだった。


いつも私のためって言うけれど、結局気にしているのは世間体。


良い大学に行ったからって将来が安泰なんて限らない。


学歴に拘泥こうでいするママが嫌いだった。


自分だってまともに学校に行ってなかったくせに。


何かと理由をつけてパパのせいにするママが嫌いだった。


授業参観は一度も来たことなかったし、イベントも何かと理由をつけて断っていた。


ママが不倫していたことは知っている。


夜中にこっそり抜け出して不倫相手に会いに行っているところを見たことがあるから。


ママは家では一度も見たことがない女の顔をしていた。


家族揃っても会話はなく、わたしとパパが会話すると机をドンっと叩いて会話を強制終了させる。


喧嘩すらしない家の中の空気はディソナンスにもならない牢獄のような環境だった。


それなのに世間体を気にしてか、外では愛想を振り撒き、私の自慢話ばかりする。


見栄っ張りで内弁慶のママはアイロニカルでシニカルなペテン師のような人。


実の母親とは思えないくらいやることなすことが理解できなかった。


そんな環境でもいつも優しいパパが好きだったけれど、離婚してからはいまどこにいるのかわからない。


親の前では勉強している風に見せたが、そんなのも付け焼き刃で結局不登校になった。


高校を中退して親から逃げるように上京しバイトを掛け持ちして生活してきたけれど、1人っ子の私には頼れるものはお金しかなかった。


ママを見返そうと、1人で生きていこうとたくさん稼いだ。


ママに何も言われないために、何も言わせないために勉強した。


でもそんなある日、知り合いの人に騙された。


東京で唯一と言っていいくらい信頼していたはずの人にお金を全部持っていかれた。


帰る家もない私はすべてを投げ出そうかと思っていたちょうどそのとき、プッシャーの募集を見つけたの。


生きるためのお金が欲しかった。


キャバクラや風俗よりも手っ取り早くお金が欲しかった。


DMでやりとりしたのは『ウォンス』と名乗る男。


簡単に抜け出せる。


そう思って手を染めた。


私はウォンスに指示された通り、部下の男とカップルを装い白昼堂々街中で売りさばいた。


いままで真面目に働いていたのがバカバカしくなるくらい簡単に稼げた。


同じプッシャー仲間には元保育士や介護士、クスリの快楽から逃れられない人、暇つぶしにやっている老人もいた。


「これ以上は危険だ。お前はまだ若いしこの世界から身を引け」


ちょうどプッシャーの仕事に慣れて味をしめてきたころ、心配してくれた1人の先輩にそう言われた。


でもいまさら戻れないし、途中で抜け出そうとすればきっとウォンスに何かされる。

そう思うと怖くなってきた。


結局抜け出すことはできなかった。


いつもと違り渋谷の路地裏でクスリを売ろうと待ち合わせしていたとき、私服警官に職質されてそのまま捕まった。


「そのとき気づいたの。私が稼いだお金は誰かの人生を狂わせていたんだって」


「言い方が合ってるかわかんないけど、捕まってよかったのかもな」


「そうね。おかげでここで償うことができる」


「この道を選んだのはアキレア自身なのか?」


「煉獄にいたときはそのまま地獄に堕ちると思っていたんだけど、私はチャンスをもらえた。穢れた心が完全に浄化されることがなくても対象者を浄化させることで涅槃師としての役割を全うするつもり」


「後悔はなかったのか?」


「後悔のない人生なんてないわ。どんなに金持ちでもどんなに良い人でも人は生きている限り何かしらの過ちを犯すでしょ?それと向き合っていくしかないと思うの」


向き合うとか受け入れるとか口にするのは簡単だけれど、やっぱり実行するのは難しい。


どんなに強い人でも成功者と呼ばれている人たちでもそれは変わらない。


マザー・テレサの言葉を借りるなら、

『思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから』


人の行動の動機は思考からはじまる。


もちろんそんなこと普段から考えているような人はいないけれど、それでも多くの傷を背負った人ほど強く美しい人になれると思う。


私は彼に言っておかなければならないことがあった。


彼がちゃんと浄化されるためには絶対に必要なことだから。


「1つ言っておかなきゃいけないことがあるの」


怪訝そうな表情を浮かべる雪落くんだったが私は続けた。


「私がプッシャーになるときにやりとりしてたのって、あなたのお兄さんなの」


☕️


「連れてってくれ」


「本気で言ってるの?」


「あぁ、直接会って真意を確かめる」


何十年も音信不通だった兄さんと再会する絶好の機会を逃すわけにはいかない。


実際会ったところで何を話せば良いかは正直わからない。


準備していくようなものでもないが、これだけ時間が経つと積もるような話もそうない。


もしかしたら印象が大きく変わっていて会ったとしても気がつかない可能性すらある。


それでも後悔しないために会う必要があると感じた。


もしウォンスが兄さんだとするなら裏社会の人間ということになる。


その真意を確かめたい。


アキレアに案内されたのは開放感のある街並み。


そこに少し懐かしさを感じた。


生前、海が見たくなったときや海風を浴びたくなったときによく訪れていた湘南近郊の街。


駅前にあるテラスモールは日常との乖離かあかりを優しくなだらかに感じられる場所で、ベンチで転寝うたたねすることに罪悪感を感じさせないくらいの魅力的な場所でもある。


少し強い風を浴びる度、死んだことを忘れそうになる。


やってきたのはその街から少し離れたところにあるアパートの一室。


築年数の長いボロアパート。


ここに兄さんが?


「私はここで待ってるから」


アキレアの気遣いに感謝しながらインターホンを押す。


部屋に入ると、ラフな格好をした兄さんがコーヒーを飲みながらソファに座っていた。


マグカップを持つその腕には曼荼羅の刻印が刻まれていた。


久しぶりに会った兄さんの外見は昔のままだった。


変わっていたのは俺の方で、幼い頃に抱いていた尊敬の念は微塵もなかった。


「プッシャーやらせてたってどういうことだ?」


「久しぶりに会った第一声がそれかよ」


飲んでいコーヒーのマグカップをテーブルに置き、少し呆れたような表情で腕を組む。


挽きたてなのか部屋中にコーヒー豆の良い香りが漂っている。


「慶永も飲むか?」


「いや、いい」


コーヒーを飲みたいという気持ちよりも、目の前にいる実の兄が犯罪に加担していたのではないかという猜疑心さいぎしん。そして涅槃師になっているという事実確認をしたかった。


「ウォンス」


まるで俺が訊きたいことを知っているかのように自らゆっくりと言葉を発する。


「あの赤い髪の子から訊いたんだろう?」


「やっぱり兄さんがウォンスなのか?」


「あぁ。その場で偽名を使わなくちゃいけなくて思い浮かんだのがウォンス。雪の“snow”を逆さにして“wons”だったってだけだ」


なんともテキトーというかやっつけというか。


勘の鋭いひとならすぐに気がつきそうだが。


「俺は組の下っ端だったからプッシャーの斡旋あっせんをしていた。そのときにあの赤い髪の子と知り合った。仕事のできる子だったから助かったよ」


「それが犯罪だってわかってやってたのか?」


「裏社会にいる時点でそれは覚悟の上だ」


そこにいたのは俺の知っている兄さんではなかった。


人を騙して生きることに対して割り切っているというか何の感情もない。


これも病気が関係しているのかとさえ思えた。


「パラノイアってのは嘘だったのか?」


「嘘じゃねぇよ。ただ、ある人に出会って奇跡的に治ったんだ」


治った?

何年も治らなかった精神疾患が?

そんな話聞いたことないぞ。


「俺はな、その人に恩返しするために組にはいった」


恩返し?


「いつだったかな、たまたま外に出たときがあった。なぜだかはわからないがなんとなく出たい気分になって出てみたんだ。そのとき偶然出会ったのが恩師のマサヨシさんだ」


兄さんがパラノイアになってすぐのころは外に出ることも多かった。


一緒に公園で遊んだりしていたので俺も病気のことにはすぐに気がつかなかった。


時間が経つにつれ、人との交流がなくなってきたと同時に症状が悪化し蟄居ちっきょするようになっていった。


「マサヨシさんは行き(生き)場所のない俺に居場所をくれた。それが裏社会だってこともわかってた。ただ、あのころの俺にとってはマサヨシさんが親父の代わりで心の拠り所だった」


行き場所も生き場所もないというのを実の兄から聞かされるといたたまれない気持ちになる。


「マサヨシさんは早くに離婚し、子供にも恵まれず、家族というものがうまくいかなかった。そんなときに出会った俺を息子のように可愛がってくれたんだ。毎日接していくうちに俺たちは家族以上の存在になっていて、いつの間にか病気も治ってたよ」


それぞれの故郷があるように人によって心の居場所があるのはわかるが、それでも裏社会の人間であることに変わりはなく、詭弁きべんやこじつけにしかならない。


少なくとも俺と母さんはこの兄さんによって家庭を壊されたといっても過言ではなかったのだから。


「でもな、組に入ってそう経たないくらいにマサヨシさんが組を抜けると言い出した。だから俺もついていくことにした。いま思えば俺のことを思ってくれたのだろう。このまま裏社会に染めてしまえば二度と戻れなくなると思ったんじゃないか」


その人は本当に兄さんのことを息子のように可愛がっていたことが伝わる。


本当の家族じゃないが故に芽生える家族愛というものなのだろうか。


「もちろんそんなすぐに抜けられるほど甘くはなかったけどな。俺はまだしもマサヨシさんは長く組に属していたからだいぶ時間がかかってたよ」


裏社会に一度属してしまうとそこから戻るのは相当厳しいと聞く。


クレジットカードは作れないし、携帯も契約できない。


家も借りられないから真っ当な生活をするのはほぼ不可能らしい。


「知り合いの好誼こうぎもあってこの家に住ませてもらったある日の夜、構成員から襲撃された」


淡々と語る兄さんの表情は固いままで、そこには複雑な感情が入り混ざっているようにも思えた。


「どうして襲撃されたんだ?」


「詳しくはわからない。ただ、マサヨシさんのことを良く思わない構成員もいたことは事実」


「結局マサヨシさんは?」


「俺を庇って亡くなったよ」


雨の降る夜、2人で買い物をした帰り道に背後から襲撃された。


エントランスに落ちる野菜と真っ赤な血の残像がいまも消えないでいるそうだ。


組を抜け改心した兄さんはボランティア活動や介護のバイトで生計を立てていたらしい。


そこから数ヶ月間は平穏な日々を過ごしていた。


「で、何で涅槃師に?」


ある日兄さんがボランティア活動をしているとこを構成員が偶然見かけ、その帰り道に襲われてそのまま亡くなった。


「マサヨシさんのこと恨んでないのか?」


間違った質問かもしれないが訊いてみた。


もし出会っていなければ組に入ることもなかったし、命を落とすこともなかった。


人は命の最期の瞬間を選択することはできないが、仮に病気が治らなくても施設で友達を作ってそこで平和に暮らすこともできる。


「恨んだところであの人は喜ばないだろ」


復讐ほど意味のないものはない。


どう足掻いても自分の心と体を汚すだけ。


「この家もあの人がのこしてくれたんだ」


ソファに座りながら見つめる兄さんの視線の先にはきっとその人の姿が浮かんでいるのだろう。


「俺の居場所はあそこしかなかった。表社会に雪落 英治ゆきおち ひではるという人間は存在していないに等しかったんだよ」


勝手に決めるなよ。心の中でそう叫んだ。


複雑ではあったけれど、同じ血の通った家族であることに違いはないのだから。


「相談してくれれば良かったじゃねぇか」


「精神疾患になった兄の言葉を誰が信じる?」


「それでも実の兄弟だろ」


「実の弟だから言えないんだよ」


父さんが死んでから雪落家は本当にめちゃくちゃになった。


誰かのせいにしてはいけないし、兄さんは兄さんで苦しんだのだと思う。


人が死ぬことは絶対に避けられない。


しかし、家族が裏社会に入っていたことを死後に知るなんて何とも言えない心境だ。


「父さんが死んだときどう思った?」


その質問の答えは1つしかない。


ショックだったに決まっている。


家族が急にいなくなったのだから。


「俺はな、一緒に死のうと思った」


はっ?

なぜ?


「葬式の後、じいちゃんから『これからはお前が支えるんだぞ』って言われてな。何かある度にあの言葉が重くのしかかって頭から離れなかったんだ」


きっとじいちゃんは何の他意もなかったんだと思う。


人の言葉は時にひどく残酷なもので、ふとした瞬間に強く重たい矢が突き刺さって抜けない。


兄さんはその強くて重たい矢が刺さった状態でずっと生きてきたんだろう。


結局俺は兄さんに何を求めていたのだろうか。


**


気づけば半日が経っていた。


余命宣告されている感覚だが正直実感がない。


しかし、目的を果たさないとここにいる意味はない。


父さんと母さんはどこにいるのだろう?


当てのない雲の道、前を歩いていたアキレアが立ち止まった。


考え事をしながら歩いていたためぶつかりそうになったが、ギリギリのところで足を止めることができた。


「おい、急に止まんなよ」


「ごめん。だけど、ここにいそうな気がするの」


「誰が?」


「あなたのご両親」


その言葉に一瞬疑問符が出てきた。


いそうな気がするってどういうことだ?


「なぁ、前から思ってたんだけどさ」


「何?」


「アキレアって俺の担当だろ?なのになんでそんな曖昧なんだ?」


「リストには浄化対象者の簡単な情報しかないの。さすがに相手の居場所まではわからないわ。だから他の涅槃師と情報共有する必要があるの」


「シンギュラリティの時代が近いときにやけにアナログだな」


「あのね、ここは死後の世界で天国に行くためには自らの意志で魂を浄化させないといけないの。ただでさえあなたの情報が少なくて困ってるのに居場所がわかってたら寄り道なんてしないでとっくに浄化させてるわよ」


「兄さんに訊けばわかるだろ?」


「あの人は早くに家族のもとを離れてるからあなたの情報が古くて参考にならないの。これ以上言うと毒づくから」


すでに毒づいているかと思うのですが。


彼女なりに色々と試行錯誤してくれていたのに失言してしまったようだ。


「ごめん」


「私の方こそごめん。わかってくれればいいの」


ちょっとだけ気まずくなったので近くにあったベンチに座ってコーヒーを飲むことにした。


遠くに見える空は果てしなく、呼吸することを忘れさせるほど圧倒的だった。


暑かったわけではないが腕周りが少し窮屈に感じたのでジャケットを脱いだそのとき、あるものが落ちた。


それを拾おうとしたとき、アキレアがひどく驚いた。


「ねぇ、それ!」


赤い刺繍がされたそれは、いつもポケットに入れていたサネカズラのハンカチだった。


しかし、なぜアキレアがそうも驚く?


ただのハンカチだぞ。


「なんで持ってるの?」


「なんでって俺のだから」


「そうじゃなくて、どうしてここにあるの?」


そんなこと言われても、いつもポケットに入れてるから理由などない。


「ありえないわ」


一体何がだ?


横でぶつぶつと独り言を呟く姿に疑問を抱きつつも先に進むことにした。



真っ直ぐ歩いていくと、1人の女性がとある施設に入っていくのが見えた。


この後ろ姿に見覚えがある。


真っ黒な球体が雲海に埋まっているような少し不気味なその施設。


「あの施設は?」


「あそこは『ヴァニタス』よ」


禍々まがまがしく薄気味悪い見た目にぴったりな名だ。


「入っても良いか?」


「また寄り道するの?」


さっきの黒いオーラはおそらくあの子だ。


まだちゃんと思い出せないが、きっと彼女は……


ヴァニタスの中は何とも異様で異質だった。


お化け屋敷のように薄暗いその壁にはたくさんのトランジと髑髏しゃれこうべが飾られている。


「ここはこの世界で罪を犯した死者たちを収容し、強制的に地獄へ送る場所」


死んでもなお罪を犯すってどんな神経しているんだよ。


それにしても悪趣味だ。


中央には大きなステージがあり、目隠しとマスク、手錠をかけられた下着1枚の人たちが首に番号をつけられ、まるで商品のように並んで立っている。


それは閲覧者のいない罪人の品評会のようだった。


その中に1人だけ何の拘束もされていない女性が立っていた。


さっき外で見かけた真っ黒なオーラの女性。


間違いない。栞菜だ。


話しかけようとステージに上がろうとすると、


「それ以上近づいちゃダメ!」


強い口調でアキレアに止められる。


程なくして、ステージを囲むように赤い光が境界線を引いた。


これ以上は近づくなというラインだろう。


「栞菜ちゃん!」


何も応えない彼女。


「そこにいたら堕ちるぞ!」


「もう、いいの」


何を言っているんだ?


「堕ちたいの」


まったく想像していなかった言葉に耳を疑った。


自ら望んで地獄へ堕ちたいと思うことなんてあるのか?


「せっかくのぶくんと再会できたのに、彼は私のことなんて気にも留めなかった。1人でワクワクしてドキドキしてバカみたい」


「天国に行ったら会えるわよ」


「テキトーなこと言わないで。彼の瞳に映ってないのなら、どれだけ待っても何をやっても傷つくだけ」


その表情は、飛び方を忘れた鳥のように切なさと虚しさが滲み出ていた。



「待って。まだ間に合うわ」


「もういいから」


その声に覇気というものは微塵みじんもなく、体内にあるすべてのものを唾棄だきするように言い放った。


地獄に行くくらいならここで終えた方が良いというのは全ての人に通ずるわけではないということだ。


「こんな世界、消えちゃえばいいのに」


そう言い放った直後、ステージに大きな漆黒の穴が開き、縛られた人たちが吸い寄せられていくように次々と堕ちていく。


栞菜も目を閉じたまま倒れ込むように背中から堕ちていった。


口角の上がる彼女の口元は、一瞬だけだったがなぜか満たされているように見えた。


結局彼女を止めることはできなかった。


これで本当に良かったのだろうか。


なんとも言えない複雑な心境のままヴァニタスを後にした。


**


足早にこちらへと向かってアキレアに話しかけている人がいる。


その彼はアキレアたち女性涅槃師とは色違いで、黒い司祭服のような衣装を身に纏っている。


おそらく女性が白で男性が黒ということだろう。


「ちっす。アキ姉、お久しぶりっす」


「竜胆くん、久しぶり」


竜胆くんと呼ばれるその青年はアキレアのことを『アキ姉』と呼んでいる。

良き弟分なのだろうか。


茶髪に紫紺の瞳。

アイドル並みに整った顔と高い身長。

軽い口調とは裏腹に無骨さは全く感じなかった。


彼は俺の方に身体を向け、軽く会釈をしてきた。


「ども、はじめまして。自分は深山 竜胆みやま りんどうって言います。雪落さんのことはアキ姉やアス姉から予々かねがね聞いてます」


何を聞いていたのかよりも彼の名前が気になって仕方なかった。


みやま りんどう。


なんじゃその仏のような名前は。


「名前カッコイイね」


思わず心の声が出た。


「あざっす。本名はめっちゃ普通の名前なんすけどね」


涅槃師はみんな涅槃名と呼ばれる名前を与えられ、本名を名乗ることや必要以上の情報を漏らすこと、涅槃師自身の感情を入れることは固く禁じられているということをアキレアから聞いていた。


だから彼女の生前のことはこの前話してもらったこと以外知らない。


もちろんこの彼のことも。


かといって知りたいわけではない。


もともと深く詮索はしないタイプというのもあるが、俺がこの世界で意識を保てるのはあとわずか。


冷たく聞こえるかもしれないが、他人のことを知る必要がない。


それよりも両親を見つけなければ。


ってかアス姉って誰?


「ごめんね、急に呼び出して」


「アキ姉のためならいつでも飛んで行くっすよ」


「ありがと。でね、お願いがあるんだけど」


「さっき聞いたっすよ。雪落さんのご両親わ顕現させれば良いんすよね?」


「うん、そうだったね」


「今回はちゃんと内容聞いといて良かったっす」


「どういうことだ?」


「アキ姉が自分を呼ぶときって、高いものを取ってほしいとか、厄介な対象者がいるから仲介に入ってほしいとかそんなんばっかなんす」


イケメンの無駄遣い。


救急車を緊急以外で呼ぶ無粋な人みたいに呼んであげるなよ。


「ごめんごめん。そんな優しくて頼もしい竜胆くんが好きよ」


「自分も飾らないアキ姉が大好きっす」


口元が緩みながら言い合うその雑なやりとりが2人の仲の良さを伺える。


「要は俺の両親を同時に顕現させるには、2人の涅槃師の力が必要ってことだよな?」


「えぇ。私たちのような一般涅槃師が1人が一度に顕現させられるのは1人だけなの。今回は同時に2人顕現させないといけないから彼に手伝いに来てもらったってわけ」


だんだん涅槃師がサービス精神旺盛なホテルマンに見えてきた。


「ただし、ご両親を同時に顕現させるってことは一気に2日分消費するってことだけどいい?」


前言撤回。そんな都合よくいかないよな。


ただ俺の目的を果たすにはこれしかない。


「やってくれ」


残り約3日間の猶予がある。

両親に再会することでようやく浄化できる。


「……そう、わかったわ」


なぜかアステルのテンションが低い。

何か問題でもあるのか?


「確認だけど、本当にいいのね?」


ここにきて何を逡巡する必要がある?


一生会えないと思っていた両親に再会できるなんてこんな幸せなことはない。


「頼む」


「じゃあ目を閉じて心を無にして」


アステルと竜胆くんが同時に手を翳すと曼荼羅の刻印が光を放った。


ー滝沢商店の近くにある都営住宅。


驚くほど忠実に再現されている。


そこの304号室。


生前、家族4人で住んでいた場所だ。


扉を開けて部屋へと入る。


ふすまで仕切られ畳のある3DKほどの家に2人の人がいた。


雪落家が揃ったのは何十年ぶりだろう。


「慶永、久しぶり。こうして顔を見るのはいつぶりだろうな」


父親の幸寧だ。

背は決して大きくないが、相変わらず背中は大きい。


「あんた、ちゃんとご飯食べてる?」


母親の由乃が続く。


死んでからも心配するなんてどんだけだよ。


身体は小さいけれど、父親の代わりを何年もしてくれた偉大な母親。


「もう死んでるから食べたくてもいいんだけど」


「あんたは昔から少食だったからね、お母さんは心配だったんだよ」


「毎日ご飯食べなさいってうるさかったもんな」


「親っていうのはそういうものなのよ」


こんな他愛ない会話が1番落ち着く。


何より生前は喧嘩ばかりしていた2人が仲睦まじくしているのは心が安らぐ。


「そういえば英治はどうしたの?」


母さんの言葉に何て返すべきか迷った。


しかし、嘘をく理由がないので有体を話した。


「……そうか」


父さんは思っていたよりクールな返しだった。


「英治は、元気だった?」


母さんは選んで選んで選び抜いたような言葉だった気がする。


「2人を恨んでいる様子はなかったし、それなりに楽しそうだったよ」


家族が揃うことはなくてもこの世界を通じてつながることができた。


兄さんの姿はないが、久しぶりの再会に自然と会話が弾む。


父さんの影響でアメフトが好きになったことや、母さんが一瞬だけヴィーガンになりかけたこと。


父さんの好きだったジャマイカ産のビターコーヒーを淹れ、母さんの好きだったダージリンティーを注ぎ、3人で食卓を囲む。


こんなにも時間は早いのかというくらいにあっという間に過ぎていった。


物思いにふけっていると両親の魂は消えていた。


建物も消え、目の前にあるのは暁の空のみ。


何とも言えないこのあっさりとした感じ。


とどのつまり会者定離えしゃじょうり


これでようやく浄化される。

そう思ったらどっと疲れた。


雲海の上に座り込んだら眠くなってきた。


しかし、いくら経っても消えることはなかった。


俺の浄化の条件ってこれじゃなかったのか?


部屋を出て外で待っていたアキレアに問いかける。


「どういうことだ?浄化の条件を満たしていないってことか?」


「やっぱりね」


「やっぱり?」


「本当の条件が違うってことよ」


「ってかこれって俺自身の問題だよね?生前の未練がまだあるから消えないってことでしょ?」


「雪落くん生前って未練しかなかったんじゃない?」


いまさらながら自分に腹が立ってきた。


自分自身のことなのに生前のことを思い出せないなんて。


あと1日を残して振り出しに戻ってしまった。


俺は何かものすごく大切なことを忘れてしまっている気がする。


やり残したことって何だ?


思い出そうとすると激しい頭痛に襲われる。


しかし、それでも思い出すことはできなかった。

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