3-6

ー保育園からの帰り道、母親と一緒に青信号の横断歩道を渡っていたなづなちゃんは、信号が点滅したため駆け足で渡ろうとしていた。そこを曲がってきたトラックにかれてそのまま亡くなったそうだ。


「ねぇママ、はやくおうちにかえってアニメみようよ」


なづなちゃんはいますぐにでも飛びつきそうな勢いで身を乗り出しながら母親に話しかけている。


一方の母親はまだ状況を理解しきれていないようで、何度も目を擦りながらなづなちゃんの顔を確認している。


「ママ、なんでしゃべらないの?ぐあいでもわるいの?」


「あのとき、ママがなづなの手を繋いでいたら……なづなを先に行かせなければ……」


母親はほぞを噛むように慟哭どうこくしている。


「ママどうしたの?なんでないてるの?」


幼いなづなちゃんにはこの状況を理解するのは難しい。


落ちゆく泪を堪えながら母親が質問する。


「なっちゃん、そこはどこ?」


「ん〜とね、よくわかんない。あおいおそらとしろいくもがあってきれいだよ」


それを聞いた母親はさらに泣いている。


目元は赤く腫れ上がっていた。


「ごめんね、ママもうなっちゃんには会えないの」


母親は両手で顔を隠しながら激しく泣いている。


「どうして?やだ、やだ。ママにあいたい」


首をブルブルと横に振りながら駄々をこねるその姿に俺は居ても立ってもいられなくなった。


水晶から少し離れた場所で見守っているアキレアのもとへと向かう。


「アキレア、どうしてなづなちゃんに説明しないんだ?夭折したことはいま言うのがベストだろ」


「お母さんはまだ生きてるの。この世界のことはどんな理由があっても外へ漏らしちゃいけない。だからお母さんが映っている限り私たちが介入することは許されない」


たしかに生前はこんな世界があるなんて知らなかったさは、最初は夢か何かだと思っていた。いまここで俺たちが出ていって説明したところで逆に話がややこしくなるだけ。


しかし、こんな非情なことがあっていいのか。


母親が溢れ出る泪を何度も何度も拭いながら決心した様子で、


「なっちゃん、元気でね」


その言葉と同時に、光輝いていた水晶はただの石になっていた。


急に姿が見えなくなった母親に動揺したなづなちゃんが目に大粒の泪を溜めながら、石をドンドンと叩き続ける。


「ママ、ママ、どこにいるの?ねぇ、ママー‼︎」


本当に最期の別れだとは知らずに金切声の如く泣き続ける。


泣き止むのを待ち、アキレアがなづなちゃんに優しく話しかける。


「なづなちゃん、ここは雲の上の世界なの?」


「くものうえ?」


いぶかしげな表情のなづなちゃん。


「ここはね、特別な人だけが来られる夢の国なの」


言葉の意味を理解できない様子でいる。


「もうママにはあえないの?」


「良い子にしていればきっと会えるよ」


少しの沈黙の後、言葉を選ぶように笑顔で答えた。


「ほんと?」


「えぇ、本当よ」


「うん、わかった。なづな、いいこにしてる」


アキレアが頭を撫でてあげると、なづなちゃんは笑顔のまま静かに消えていった。


もう一度会いたいという親子の強い思いが、なづなちゃんの浄化に結びつけてくれたのかもしれない。


「なんか、ごめんね」


アキレアに急に謝られたがピンとこなかった。


「何が?」


「本当はこの世界のことを見せるだけのつもりだったの。まさか貴重な1日を差し出してくれるなんて思わなくて」


1日を差し出すという感覚が正直わからなかった。

きっと寿命のようなものなのだろうけれど、とくに身体に影響は感じていないし、あの状況で見過ごすなんて真似はできなかった。


おかげでなづなちゃんもお母さんも報われた。


俺の左手の数字は“6”になっていた。



アキレアと家族を捜しているとき、何もないところを一点に見つめている人を見つけた。


「アキレア、あの人」


俺が指を差した先にいたのは若い女性。見たところ20代前半くらいだろうか。


後ろ姿だけだがとんでもなく暗い空気が伝わってくる。


「あの子ね、担当の子も手を焼いているの」


周囲に涅槃師はいるが、その子の周りには誰もいない。


まるで避けるかのように一定の距離を保っている。


「担当はいないのか?」


「涅槃師は1人で何人もの人を見るからね、状況に応じて動き方が変わるわ。きっと先に違う人を浄化させに行ってるんでしょうね」


「かといってあのまま放置するのはどうなんだ?」


「気持ちはわかるわ。私も何回かお願いされて手伝ってみたけど、目も合わさないし会話すらしてくれないの」


一体何があった?


あのどんよりとした空気が気になった。

背中から真っ黒いオーラのようなものが見える。


その子は右斜め上をじーっと見上げながら静かに立っている。


「あの子ね、誕生日に彼氏にフラれたの」


「誕生日に?」


「そう、そのショックで住んでいたマンションから飛び降りて自殺未遂しちゃってね。その後病院に運ばれて一命は取り留めたんだけど、どうしてもフラれた理由が知りたくて、夜中に病院を抜け出して彼の家まで向かっていた途中バイクと車の衝突事故に巻き込まれて亡くなってしまったの」


そこまでするなんて、その彼のこと相当好きだったんだな。


「煉獄にいたときも地上への扉を開けようと必死だったらしいわ。ソルトーさんも相当苦労したみたいだけど、うまく説得できたみたい」


さすが塩爺。


「あの子はここに来てからどれくらい経つんだ?」


「もう4日よ。あの状態から一歩も動かずにね」


「とりあえず話を聞いてくる」


「無駄よ。4日間ずっとあのままでまともに会話もできないし」


それで放置されてるってわけか。


「だけど、あのまま放置しても浄化されないじゃないか」


「いいの?無関係な人を手助けするとまた1日を失うわよ?」


「大丈夫。話を訊くだけだから」


アキレアの言う通り、下手に関わると貴重な1日を失ってしまう。


だから話だけ訊いて終わるつもりでいた。


話しかけようと近づいていくと、


「あそこがのぶくんの部屋」


まるで俺が来ることを待っていたかのように口を開いた。


銷魂しょうこんに似たその瞳と口調には覇気が感じられなかった。


のぶくんって言うのが彼氏の名前だろう。


彼女が指を差す先には部屋なんてなかった。


見えるのは果てしない空だけ。


この子にだけ見えている何かがあるのだろうか?


彼女の左手の数字は“3”になっていた。


残り3日間ずっとこのままでいるつもりなのだろうか。


もしそうなったらこの子は浄化されずにただの霊魂となってしまう。


「のぶくんはね、私のためを想って別れたの。あの402号室、あそこで私とのぶくんはたくさん愛し合ったの」


この子に聞こえないよう後ろにいたアキレアに話しかける。


(おい、アキレア。どういうことだ?この子、クスリでもやってたのか?)


(彼氏への想いが強すぎて幻覚が見えてるのよ)


(じゃあどうやって浄化させるんだ?)


(彼に会わせる以外方法ないでしょ)


(会わせるって言ったって、彼氏はまだ生きてるんじゃないのか?)


「のぶくんとはね、結婚も考えてたの。大学卒業したら一緒に住んで、1年くらいしたら籍を入れて。でも20歳の誕生日にフラれた。付き合って2年間一度も喧嘩せずにいたのに急によ?」


彼女は俺たちの会話が聞こえているのかいないのか、独り言を続けている。


「でもね、これは何かのサプライズなの。のぶくんは優しい人だから私を裏切るようなことはしない。きっと別れたってテイにしてるだけなの」


口元は笑っていたが、その瞳の奥は枯れていた。


「アキレア、この子の浄化の条件って彼氏とよりを戻すことか?」


「私にもわからないわ。対象者の情報を漏らすことは禁じられているから」


「この子の担当涅槃師はいつ帰ってくる?」


「どうだろ?」


それなら強行するしかない。


お節介かもしれないが、こんな状態のまま消えていくなんてやりきれない。


「ちょっと、雪落くん」


アキレアの言葉を無視して彼女の元へ向かう。


「きみ、彼氏に会いたい?」


「会わせてくれるの?」


真っ黒いオーラが白く輝くオーラに変わったような気がした。


「あぁ、約束する。ちょっと待っててくれ」


アキレアのもとに戻ると、話を訊いていたのかその表情は強張っていた。


「彼氏を顕現けんげんすることはできるか?」


アキレアの双眸そうぼうが大きく開いている。


「できるけど、正気なの?」


相手に幻覚を見せることで一時的に再会させることは可能らしい。


「このままだと彼女は浄化されずに永遠にここで彷徨い続けるってことだろ?そんなの可哀想だ」


「気持ちはわかるけど、他人のために時間を無駄に使う必要はないわ」


「アキレアって結構ドライなんだな」


「あなたのためを思って言ってるの。お人好しも過ぎると自分を見失うわよ」


そうかもしれない。


それでも納得できない状態でまた死ぬなんて俺には耐えられない。


「やってくれ」


「生者を顕現させられるのなんてせいぜい10分程度よ?そのために1日分失ってもいいの?」


「あぁ」


「仮に再会できたとしても、彼女の思い描く展開にならないと思うけど」


その可能性は大いにある。


もしそうだったとしても彼女は彼と会うことを望んでいると思う。


「頼む」


「本当に良いのね?」


「あぁ」


「わかったわ」


左手を俺の方に向けるアキレア。


すると、腕に刻まれた曼荼羅まんだらが閃光を放つ。


「目を閉じて心を無にして」


言われた通り目を閉じて心頭滅却する。


何か吸い取られたような感覚になった。


「……終わったわ。目を開けて」


目を開けると、目の前にはさっきまでなかったはずのアパートがあった。


そしてそこの402号室から彼が出てきた。


気がついた彼女は大きな声で彼の名を叫ぶ。


「のぶくん!」


しかし、その声が聞こえていないのか彼女に気がついていない様子だ。


耳にはワイヤレスイヤホンをしている。


彼女は階段を降りる彼を追いかけるようにアパートに向かって走っていった。


エントランスで待つ彼女に気がついた彼。


その表情はひどく驚いていた。

何度も目を擦っては目の前に立つ元カノの存在を確認している。


「か、栞菜かんな?どうしてここに?生きてたの?》


「私ね、のぶくんこことずっと待ってたの。ずっと、ずっと……ねぇ、これは何かのサプライズだよね?それともドッキリ?」


そうであってほしいかのような口調で彼に確認する。


「……いや、違う」


強く太く冷たい声で否定する彼の言葉には強い意志を感じた。


「じゃあどうして?」


「疲れたんだ」


「疲れたって何に?」


「栞菜といても幸せになれないし、幸せにしてあげたいって思えなくなった」


「……何よそれ」


「栞菜、付き合う前のこと覚えてる?」


「うん」


「付き合う前の栞菜は正直全然脈ないと思ってた。連絡もまばらだし、話しかけても素っ気ないし。だから同じサークルに入って栞菜のこと知りたいって思った」


「それは付き合う前だからだよ。そんな簡単な女じゃないし」


「ようやく付き合えたと思ったら別人のようになった。毎日追いLINEしてきて何をやるにしてもつぶさに説明しなきゃいけなくて、すごくほだされてる感覚になった」


「それは好きで好きで不安になったからだよ。でも誕生日にフる必要ないじゃん」


「僕だって迷ったさ、だけど栞菜は僕の誕生日に何かしてくれた?」


そう言われた彼女は言葉を失っている。


「付き合ってから2回目の誕生日、栞菜は何もしてくれなかった。普通のカップルだったら後日にずらしてでも祝わない?でも栞菜は僕から言わないと祝ってくれなかったよね」


「のぶくんのお誕生日を忘れてたことは謝るよ。でも後日ちゃんと祝ったじゃん」


「当日じゃなきゃ意味ないし」


「女々しい。そんな人だと思わなかった」


「そういうところだよ。自分の都合の悪いことは全部曖昧にしてさ、そのくせ僕には説明させる」


「いまどきの彼女はそういうものだよ。のぶくんは他の女の子知らないからわからないだけ」


「だから浮気したの?」


「えっ?」


「他に男がいたから誕生日祝わなかったんでしょ?」


その炯眼けいがんは優しそうな彼の顔からは想像もできないような強く鋭いものだった。


「何言ってるの?」


「おかしいと思ってたんだ。この1年、記念日や僕の誕生日が近づくにつれて予定が合わなくなったって言われて、クリスマスのときだってだいぶ前から約束してたはずなのに急にバイトが入ったって言ってるキャンセルされた」


「本当に忙しかったの」


「サークルの1個上の先輩とホテルから出てくるの見た」


核心をつかれたのか、栞菜は何も言い返せないでいる。


「これがお互いのためだったと思う」


「そんなの身勝手だよ」


「身勝手はどっちだよ。浮気しておいてよく会いに来れるよね」


「だって……」


「もういいかな?これからバイトなんだけど」


そう言うと彼は去っていった。

振り向こうとする様子すら見せずに。


「待って、のぶくん!のぶくん!」


彼女の声もむなしく、彼とその周りにあった建物や景色はただの空へと戻った。


どうやらタイムリミット。


はじめての喧嘩が別れの言葉になるなんて切ないというか哀しいというか。


「なぁアキレア。これってちゃんと浄化されるのか?」


「どうかしらね。彼に会うことが目的なら問題ないけど、縁を戻すってなると浄化はされないかもね」


徒労とろうに終わった感じでなんだかモヤモヤする。


それでも1日分を代償にした俺の左手は“5”になっていた。

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