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🍦


バイトの休憩中、私たち4人は休憩室のテーブルに座りながら喋っていた。


私の向かいに座っているのは童顔で垂れ目が特徴的な東北出身の渡良瀬 恋わたらせ れんちゃん。


服の上からでもわかるくらいのふくよかな胸が羨ましい私たちの癒し系。


その恋ちゃんの横にいるのは三白眼でボブヘアーの濱岡 里帆子はまおか りほこ


私は里帆っちと呼んでいて、いつも元気なムードメーカー。


明るくて可愛いのに恋愛になると超奥手。

あと、酔うとちょっと悪ノリが面倒くさい。


で、私の横に座っているのはここのバイトを紹介してくれた優梨。


私たちの仲で一番しっかりしているリーダー的存在。


一見クールに見られがちだけれど、誰よりも友達想いで行動派。

仕事もできるし頭も良い。


みんな同学年ってこともあってすぐに意気投合した。


池袋にあるオシャレなカフェ。


テラス席も入れると100席近くあり、平日も満席になる。


みんなが仲良くなってすぐ、私たち4人だけのグループLINEを作ることになった。


グループの名前を決めるとき、里帆っちがみんなの頭文字(神法のKA、渡良瀬のWA、濱岡のHA、荒川だけRA)を取って『KAWAHARA』と勝手に名づけた。


最初はその名前に否定的だったけれど、他に候補がなかったこともあってなんだかんだでそのまま。


休憩中の話題は例の彼、慶永くんのことで盛り上がっていた。


「それ絶対好きじゃん」


この前のデートで彼から返事が全然返ってこなかったことを話したら優梨にそう言われた。


「まだ好きとかそんなんやないよ」


まだ好きという確信はない。と思う。


「でも気にはなってるんでしょ?」


それは事実。


彼から返事がくると胸がドキドキするし、なんて返そうかすごく迷う。


「で、どこまで進んだの?チューは?」


里帆っちは身を乗り出しながら色々すっ飛ばして聞いてくる。


「彼の唇柔らかかった?」


恋ちゃんがそれ前提でさらに聞いてくる。


「1回ご飯行っただけやし、まだ何もわからんよ」


そう言うと、里帆っちと恋ちゃんは残念そうな顔をしていたが、あなたたちは一体何を期待していたんでしょうか?


「せめてもう1回は遊ばないとね。焦っても何も見えないし」


優梨の言うとおり、まだ彼のことをよく知らない。


「で、その人はどんな人なの?」


「写真とかないの?」


彼はインスタやツイッターなどのSNSを一切していない。


LINEのアイコンも初期設定のままなので情報が極端に少ない。


里帆っちと恋ちゃんが立て続けに質問してきた。


この前の写真を見せる。


スマホに映るのは、つい先日2人で渋谷のカフェで撮ったもの。


片手に青いボトルのロゴが入ったカップを持ったツーショット写真。


アプリで加工しているとはいえ、彼の厳つさは残ったまま。


「えっ?この人?チャラくない?」


里帆っちが驚きの表情をしている。


「大丈夫?騙されてない?」


恋ちゃんが真剣な顔で心配してくれた。


「多分、大丈夫」


「多分って、絶対遊ばれてるよ」


里帆っちは少し男性不審なところがあるのかな?


「簡単に身体許したらダメだよ?男なんて1回ヤッたら簡単に捨てるんだから」


「そうそう、付き合った途端冷たくなるんだから慎重にね」


話が逸れた気がするけれど、一応参考にさせていただきます。


「でもこの笑顔可愛くない?」


彼の良さを知ってほしいという気持ちがあったからなのか、もう1枚の写真を見せる。


くしゃっとなる笑顔はギャップがある。


あのとき風邪を引いていたとは思えないくらいの笑顔だ。


「可愛いかも」


「なんかギャップあるね」


「そうったい!この人笑うとばり可愛いっちゃん!」


里帆っちも恋ちゃんも共感してくれたことが嬉しかった。


「紫苑、ベタ惚れじゃん」


「まだそんなんやないし」


「まだ?」


優梨には彼の話を何度かしていた。


だからもてあそぶかのように私をいじってくる。


「ハッキリさせた方がラクじゃない?」


それはそうなんだけれど、まだ知り合ってからそんなに経っていないからわからない。


ただ、彼といると居心地が良いのは事実。


これが恋愛感情なのかはわからないけれど、もっと彼のことを知りたい。


「で、あっちはどうなの?」


恋ちゃんが聞いてきた。


「どうって何が?」


「だから、彼の気持ち確かめたの?」


そんなことできっこない。

まだ出会ったばかりだし。


「男の人って付き合うまでは優しいけど、付き合ってから急に冷たくなるものだから気を抜かないでね」


優梨の言うとおりかもしれないけれど、信じたいという気持ちもある。


「マッチングアプリとかやってみたら?」


里帆っちが唐突に言ってきた。


「ムリムリ。ああいうところって変な人しかいなさそうやし」


「じゃあ一緒にやってみる?」


「里帆っち可愛いんやし、登録せんでもすぐに彼氏できるよ」


「そ、そうかな?」


「里帆、単純だね」


優梨の言うとおり里帆っちは単純だった。


でもこの素直さが少し羨ましい。


下手に勘ぐったり悩んだりしなくて良いから。


程なくして、店長の声がした。


「お前たち、そろそろ休憩終わりだぞ」


**


話し足りなかったのでバイト終わりにKAWAHARAのみんなで飲みに行くことにした。


「カンパーイ!」


駅前にあるイタリアンのお店でお酒を飲む。


「今日忙しかったね」


「ピークタイムにレジが急にフリーズするけん、マジ焦ったっちゃけど」


「あれはガチでテンパるよね」


「ってかいきなりタメ口で話しかけてくる客って何なんだろうね」


「わかる。なんであんな偉そうなわけ?」


「レジで『コーヒー』しか言わんし」


「ホットかアイスかもわかんないし、イートインかテイクアウトかもわかんないから本当やめてほしい」


里帆っちと私がバイト中の愚痴をこぼしながらお酒を飲んでいると、


「優梨ちゃんは最近彼氏とどうなの?」


さっきまで黙っていた恋ちゃんが唐突な質問をする。


優梨には高校生の頃から付き合っている彼氏がいる。


よくインスタで写真を見るけれど、彼も優梨と同じくらいモデル体型のイケメン。


「別れそう」


優梨の言葉にみんなが一斉に反応する。


「えっ?なんで?」


3人の中で一番驚いていたのが、普段物静かな恋ちゃんだ。


予想していなかった返答に戸惑っている様子だ。


「まさか、浮気されたの?」


「ううん、そうじゃない。なんかお互いのことを知りすぎたっていうか、最近刺激がなくなってきてて」


「あんなに高スペックなのに?」


私からしたら、いや、誰が見ても優梨の彼氏は超優良物件。


アイドルグループにいてもおかしくないくらいのイケメン。


「カッコイイけど面白みがないっていうか、デートしてても話盛り上がらないし、昔みたいに好きって言ってくれなくなったし」


優梨のこんな切ない顔はじめて見た。

本当は別れたくない。付き合いたてのころのように好きって言ってほしい。そんな表情が見え隠れしていたような気がする。


「付き合ってから長いし、家族みたいになっちゃってるんじゃない?」


2人は中学時代の同級生。

付き合ってから今年で6年になる。


これだけ長く付き合っていると家族のような感覚になるらしい。


私はそこまで長くお付き合いした人がいないから、その気持ちはよくわからないけれど。


「恋愛って本当難しいっちゃんね。せっかく付き合えたと思ってもどっちかが冷めていくんやもん」


「わかる!付き合うまでの間が一番楽しいよね」


「そうそう、彼って私のこと好きなのかなって考えとる時間が一番ドキドキする」


「ときめいたり傷ついたり振り回されてる感じがたまんない」


「ときめきっぱなしやったら最高やのにね」


私と里帆っちで盛り上がっていると、


「傷つかない恋愛なんてないよ。だから、相手をどれだけ信じられるかが大事だと思う」


恋ちゃんがいつになく真剣な表情でそう言う。

そこに意志の強さを感じた。


「恋ちゃん、急にどしたと?」


「最近失恋でもした?」


「ううん、なんでもない……」


含みありまくりな言い方なんですが。

いつものほほんとしている恋ちゃんが優梨に連鎖されたみたいに落ち込んでいる。


「ってか恋も彼氏いなかったっけ?」


優梨がそう聞くと、


「私も別れそう」


恋ちゃんにも彼氏がいる。


掛け持ちのバイト先で知り合った人だ。


恋ちゃんによると、その人はカッコイイというより面白い人で、いつも冗談ばかりで笑わせてくれるそうだ。


一緒にいて飽きないタイプの人なのに、どうして別れそうなんだろう。


「全然抱いてくれないの」


その言葉を聞いた里帆っちが、飲んでいたハイボールを変なところに詰まらせてゲホゲホとせていた。


「この前付き合ったばっかりやなかったと?」


「来週で3ヶ月目になる」


「3ヶ月も経って何もしてないの?」


里帆っちが大きな目をさらに大きくして驚いている。


「手は繋いだけど、それ以上はまだ何も……」


3ヶ月も一緒にいて手を繋いだだけって逆に恋ちゃんすごいと素直に思った。


「いや、昭和の恋愛かよ」


漫才師のようにツッコミを入れる優梨。


「その彼って恋ちゃんが初カノ?」


「私で3人目」


「元カノたちは長く続いたと?」


「前の彼女は半年。その前の彼女は4ヶ月」


「じゃあこれからやない?」


「そうだといいけど、キスもハグもしてこないのって彼女として魅力ないってことかな?」


「逆にれんれんから攻めてみたら?」


里帆っちは恋ちゃんのことを『れんれん』と呼んでいて、2人は大の仲良し。


恋ちゃんの不安のこもった疑問に応える里帆っち。


「できないよ。それで引かれたら嫌だし」


「じゃあ私のどこが好きって聞いてみようよ」


「えっ?」


驚きと戸惑いが混在する恋ちゃんをたのしむかのように、アルコールですでに顔が真っ赤な悪ノリ里帆っちを止められる人はいなかった。


「スマホ貸して」


里帆っちが恋ちゃんのスマホを強引に取って、恋ちゃんの彼氏に電話した。


「ちょ、ちょっと里帆ちゃん」


スピーカーにしてコールする。


2コール、3コール鳴っても出ない。


恋ちゃんが困惑している。


「里穂子もうやめなよ。恋が困ってるよ」


優しくも強い口調で里帆っちを止める優梨の言葉は、子供のイタズラを注意する母親のようだった。


「れんれん、ごめん……」


「ううん、いいの。付き合ったら飽きられちゃったのかな……」


「それ、カエル化現象ってやつやない?」


「ちょっと、紫苑」


失言だった。

落ち込んでいる恋ちゃんの心をえぐってしまったようだ。


「ごめん」


「でも、どうして男の人って付き合った途端態度変わるのかな」


答えの出ない問題に悩む恋ちゃんの表情は行き場を失っていた。


カエル化現象か。

私もそうなるのかな……


どうしようもない不安に駆られてきた。


「はい、私の話はおしまい。もっと楽しい話しよ」


恋ちゃんが手をパンッと叩いて話題を変える。


すると、私のスマホが鳴った。


バイト先の砂金いさご先輩からだ。


「はい、もしもし」


「神法いま何してる?」


「いまバイト先のメンバーで飲んでます」


「マジ⁉︎俺もバイト終わったから清田きよたとそっち行っていい?」


砂金先輩と清田先輩は私たちと同じバイト先で2人とも同じ大学に通っている。


いつもニコニコしている明るい砂金先輩。


私が新人のときから気にかけてくれていて、たくさんフォローしてもらった。


清田先輩はバイト先のリーダー的存在で、ピークタイムも冷静に店を回してくれる頼れる人。


見た目も爽やかで優しいが、彼女の自慢ばかりするからたまに面倒くさいときがある。


「おつかれ」


「おつかれさまです」


遅番終わりの2人が合流し、ハイボールを注文して乾杯し直す。


私の隣の座った砂金先輩が話しかけてきた。


「神法最近どう?」


「楽しいですよ。みんなとシフトも被ってますし」


「いや、バイトの話じゃなくて」


笑顔でツッコミを入れるも細くつりあがった目の奥は笑っていなかった。

私には先輩が何を知りたかったのかわからなかった。


「良い人とかいないの?」


そう聞かれて彼のことが浮かんだ。


でもまだハッキリと好きかどうかはわからない。


色で例えるならくすんだ緋色。


熱を帯びた燃ゆる赤には届かない|靄がかった色。


「いるけどいないです」


だからなんとなくそう答えた。


「なんだよそれ」


またも笑顔でツッコミを入れられて苦笑いするしかなかった。


「紫苑ちゃんは~、いま楽しい時期なんだよね~」


横に座っていた恋ちゃんが私に寄りかかりながら、そう言った。


それは娘を自慢する母親の感じだった。


「ちょっと恋、飲みすぎ。大丈夫?」


「らいりょ~るぅ~」


優梨の心配をよそにワインをぐびぐびと飲んでいる。


こうなるともうダメだ。


恋人ちゃんと里帆っちの家は近くだからどっちかが酔ったときは家まで送るようになっている。


里帆っちは実はお酒が強い。


顔が赤くなるだけで酔っているわけでない。


だから安心して預けられる。


「里穂子、恋のことよろしくね」


「ラジャ」


酩酊めいてい状態の恋ちゃんはすでに爆睡していたので里帆っちが連れて帰った。


その流れで私たちも店を出ることにした。


時間は23時を回っていた。


「二次会行く?」

と先輩たちに誘われたが、優梨と一緒に私も帰ることにした。


☕️


梅雨のニュースと同時に気持ちが少し憂鬱ゆううつになる。


毎年やってくるあのジメジメ感。


曇天の空から降る雨と湿気のダブルパンチのおかげで着ているシャツすらも邪魔に感じる。


身体を起こすことすら億劫になり、帰宅と同時にすべての行動を停止してしまいたくなるような嫌な時間だ。


寝る前の習慣、いや、くせになっていたスマホいじりをやめて強引に眠ろうとするがなかなか寝つけない。


睡眠アプリを開き、よく眠れるというソルフェジオ周波数の音を流す。


何度か寝返りを打っているうちに眠っていた。


(グサッ!)


その音で目が覚めた。


大量の汗と同時に吐き気がした。


またあの夢だ。


身に覚えのない部屋で誰かに何かで刺される夢。


さっきの音と言いこの夢は一体何なんだ……


**


扉を開けると湿度の高いモワッとした空気が俺の眼鏡を曇らせる。


改札に入り電車に乗ると、再び湿気に攻撃される。


曇った眼鏡を拭いてかけ直す。


今度曇らない眼鏡を買いに行こう。


彼女とやりとりしている中で最近話題の映画、『最も近い遠距離恋愛~美しきリノス~』を観に行くことになった。


数年前ネット小説で話題になり、そこから映画化されたものだ。


そういえば映画を観に行くのなんていつぶりだろう。


中学生のとき地元の友達と行った以来だ。


駅前でスマホをいじりながら待っていると、


「おはよ」


その明るく元気な声は彼女だ。


スマホを仕舞って目を合わせる。


挨拶を交わしたとき、あることに気がつく。


「アイライン変えた?」


メイクのこととかよくわからないけれど、前回よりも少し目元が明るくなっていた気がした。


彼女は下を向きながら、


「うん」


そう答えた。


この反応はどっちだ?


喜んでいるのか?それとも嫌がっているのか?


彼女の頬が少し赤くなっている。


エレベーターを待っているとき、彼女がバッグから見覚えのあるものを取り出して渡してきた。


「返すの遅くなってごめん」


サネカズラのハンカチだ。


そんなに重要なものでもなかったから貸したことをすっかり忘れていた。


「また必要になったら言ってね」


これは個人的見解だが、エレベーターの中って何もしゃべってはいけないような独特な威圧感というか雰囲気がある。


だから何を話そうかというよりもすぐ横にいる彼女が退屈にしていないか気になってしまう。


休日ということもあり、中には多くの人がいた。


コーラとポップコーンを買い着席する。


話題の映画ということもありシートはほぼ埋まっていた。


ポップコーンをシェアしようとカップを渡そうとしたとき、彼女の手が触れてしまった。


「ごめん」


「う、うん」


何だろう。

今日はやけに彼女の反応が薄い気がするが、その瞳はしばたたいていた。


一瞬ではあったがその白く透き通った肌は俺の鼓動を瞬時に早めた。


緊張と動揺で身体が熱を帯びている。


その動揺を抑えるためにコーラをがぶ飲みした。


しかし、程なくすると、


ヒック、ヒック。


吃逆しゃっくりが止まらなくなってしまった。


タイミング悪くもうすぐ上映時間。


その前に止めないと。


吃逆は横隔膜の痙攣けいれんによるミオクローヌスが主因と言われているが、定かではない。


だから人によって止め方が違う。


両耳に指を入れたり、強い衝撃を与えたり、膝を胸につけて前屈まえかがみになるなどあるが、ここは過去の成功体験を踏まえて、息を数秒間止めてみよう。


……ヒック。


ダメだ、止まらない。


このままだと映画どころではなくなる。


「ねね、良い止め方があるけん、ちょっと屈んで」


彼女はどこか楽しそうな表情をしていた。

不敵な笑みというよりも新しいゲームを始めるときに似たワクワクしたそんな感じに思えた。


背に腹は変えられないので、言われるがまま前屈みになる。


すると、


ドンッ!


背中に大きな衝撃を受ける。


驚きと痛みが同時にやってきて声が出なかった。


彼女が背中を平手打ちしたのだ。


急な騒音に周囲から冷たい視線を浴びて、すいませんと小さな声でお詫びする。


しかし、驚いたおかげで横隔膜の痙攣が止まった。


「ありがとう」


「どういたしまして。お母さんが吃逆出たときにようやっとった」


吃逆が止まったと同時に照明が暗くなった。


スクリーンに集中していると、NO MORE映画泥棒のカメラ男とパトランプ男が出てきた後、本編が始まった。


上映が終わり館内が明るくなると、両手を天に向けて、うーんと言いながら背伸びする人やジュルジュルとはなすする人、あーだこーだ言いながら映画館を後にする人などがいた。


横に座る彼女を見ると、その目は充血していた。


彼女がなみだを拭くのを待って映画館を出た。


「面白かったね」


「普通に面白かった」


「最後の展開は意外でびっくりした」


「ホント、伏線回収もすごくてばり泣けた」


「紫苑ちゃん、クライマックスのとき号泣して洟ジュルジュルいってたよ」


「最後切なすぎやし。ってか慶永くんもちょっと泣いとったよね?」


「いえ、泣いてませんけど」


本音を言うと泣くのをこらえていた。


会いたいのに会えない。

想いあっているのに気持ちを伝えられない。


そんな切なすぎる展開に涙腺が崩壊しそうだったが、眼鏡を拭くフリして誤魔化した。


「ホントかなぁ?」


本当に泣いていないのか確かめるようにこっちを覗き込む彼女の顔がすぐ目の前にある。


恥ずかしさのあまり思わず顔を背けると、それに気がついた彼女も顔を赤らめていた。


「またハンカチ借りることになっちゃったね」


クライマックスのとき、ヒロインが主人公の腕の中に亡くなったくらいから彼女の洟を啜る音が聞こえはじめた。


俺も落ちてきそうな泪を必死に戻しながら、返ってきたばかりのサネカズラのハンカチを渡した。


それを手に取った彼女はそこからずっと泣きっぱなしだった。


「いつでもいいから」


「すぐ返すけん」


その後感想を言いあいながらカフェに向かっている途中、信号待ちをしていると塀の上にいた1匹の猫に目がいった。


「ねぇ見て。この猫ちゃんばり可愛い」


塀の上に立っていた猫は大型でクルミ型の釣り上がり気味の目でこちらを見ていた。


仏頂面で気だるそうにしている。


「これ、ラガマフィンかな?」


「ラガマフィン?紫苑ちゃんもレゲエ好きなの?」


「いや、ラガマフィンはこの猫ちゃんの品種のことやけど」


猫のラガマフィンは『いたずらっこ』という意味があり、レゲエのラガマフィンは『レゲエ好きな不良の若者たち』を総称して呼ぶ。


同じ呼び方でも意味が全く違う。


普通に考えていきなりレゲエの話になるわけないよな。


「猫のこと詳しいんだね」


「昔、猫ちゃんを飼おうと思ったことがあって色々調べてたことがあったんやけど、お父さんが犬好きやけん飼うの諦めた」


猫の品種と音楽のワードを勘違いして1人暴走したことが急に恥ずかしくなり、強引に話題を変えた。


「紫苑ちゃん、いつか福岡に帰りたいって思う?」


「東京は良いとこやけど、いつかは帰りたいかな」


友達、家族、景色、思い出。


それがたくさん詰まっている地元。


それを易々と捨てられる人はそういない。


返ってくる答えはわかっていたはずなのに、少し悲しい気持ちになった。

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