1-3
☕️
ここはどこだ?
見覚えのない部屋。
目の前には髪の長い女性が両手に何かを持って全身を震わせている。
俺の後ろには誰かが立っているが誰かはわからない。
そして俺は右の脇腹を抑えていた。
そこからぽとぽとと赤いものが
これって、血?
まさか殺された?
とてつもない恐怖感に襲われ布団から飛び起きた。
大量の汗でTシャツはびしょびしょで吐き気もする。
誰かに何かで刺された感じの夢。
あの夢は一体何だったんだ?
この恐怖感は目が覚めてからも当分消えることはなかった……
**
心の
会社がかなり力を入れている大事なプロジェクト。
休日返上で土日も朝からリモートで仕事。
こういうときはストレスもカフェイン摂取量も倍になる。
-プロジェクトは無事成功した。
メンバーと一緒に居酒屋で打ち上げをする。
普段飲まない酒を飲んで気分が悪くなってくる。
二次会は課長の悪ノリでワインと熱燗祭りとなっていた。
店を出ると、太陽の光は俺に寝るなと嫌味を言っているかの如く見事に晴れていた。
思考が停止してしまいそうなほど頭が痛い。
そのまま家に倒れ込んだ。
活動できる状態になったのは夕方だった。
休みを無駄にしたくないので目的もなく出かける準備をする。
神法さんとは連絡先を交換してからしばらくはテンポ良く続いたが、最近はお互い忙しいのもあって返信はまちまち。
昨日送ったLINEにまだ既読はついていない。
それでもたまにあの店に行かないと気も
これは一種の病気なのだろうか。
『良い歳していつも同じのしか買わない』と店主に思われるのがイヤだったので、今日はスーパービッグチョコ、ビッグカツ、甘イカ太郎の3品にしようと頭の中で決める。
でもその前に行かないといけないところがある。
駅前にあるスーパーで日用品のストックを買っておかないといけない。
帽子を被って駅までロードバイクを走らせる。
坂を下っていると、途中でラーメン屋を見つけた。
地名に
カウンターはすでにいっぱいで結構待たないと食べられない感じだが、香りに魅了され並んで食べることにした。
調べてみると、ここは百名店にも選ばれているような店で優しいスープの味が二日酔いの身体を一気に癒してくれる。
身に
麺もスープもあっという間に平らげて再びサドルに
高架下を抜けると駅前に人だかりができていた。
並んでいる9割が女子大生。
まさかアイドルでも来ているのか?
ロードバイクに乗ったまま近づくとそこには新しいカフェができていた。
白を基調としたシックな造りで可愛らしいスイーツが並んでいる。
個人的には1人で立ち寄るにはなかなか勇気のいる場所なので、通り過ぎようと思っていたら、
「あれ?慶永?」
聞き覚えのある声がした。
この声は、
「梨紗?」
「やっぱり慶永だ。どうしてここに?」
梨紗の手には紙袋があった。
「俺の家この辺だから」
「そうだったね」
「何か買ったのか?」
「この店知らないの?」
そう言うと、スマホを見せてきた。
森の中を
梨紗によると、オープンしてからすぐにインスタグラマーが拡散した影響で一気に火がつき、そこから連日行列らしい。
「せっかくだし一緒に食べない?」
手に持っていた紙袋を自分の顔まで持ち上げながら俺を誘ってきた。
ベンチに座り、袋の中からスイーツを取り出す。
パン生地に生クリームとマスカルポーネチーズを使ったものらしいが名前はわからない。
「どっち飲む?」
紙袋の中にはミルクティーとアイスコーヒーも入っていた。
「なんで2つ買ってんの?」
「どっちも飲む予定だったの。悪い?」
「いや、全然」
ちょっとだけむすっとしたようにも見えたが、これが七海 梨紗だ。
欲に対して
俺はアイスコーヒーをもらい、少し飲んだ後、「珍しいな。梨紗が1人で行動してるなんて」
梨紗はいつも誰かといる。
飾らない性格が故に女友達が多く、ルックスも良いので異性からの誘いも絶えない。
彼女は良くも悪くも異性との付き合い方がドライなので、勘違いする男も少なくない。
「今日みんなデートなんだって」
「梨紗も彼氏とくれば良かったんじゃね?」
「別れた」
他人の恋愛事情には動揺しないと思っていたが、元カノだからなのか少し動揺した。
「なんで?」
「浮気された。ほら、私ってあまり感情を表に出さないじゃない?連絡もマメじゃないし、好きじゃないと思われてたみたいで」
「まぁ梨紗はクールだからな」
「いま思うと、慶永優しかったな」
「過去形かよ」
「ごめんごめん、出会った頃から優しかった。でも、いま全然接点ないよね」
「まぁ部署が違うからな」
「うん、そだね」
「新しい部署に良い人とかいないのか?」
「微妙。言い寄ってくる人は大抵下心見え見えで、私のこと良い女だと勘違いしてるみたいで嫌になる」
「梨紗、良い女じゃないもんな」
「元カノを目の前にしてよくそんなこと言えるよね。そういうのは本人だから言っていいセリフなんですけど」
「梨紗って見た目に反して冷たいとこあるから」
「わざと言ってない?」
「悪りぃ悪りぃ」
お互い軽口を言いながらスイーツを食べる。
「この感じ、久しぶりで楽しいね」
「だな。お互いくだらないことで盛り上がって、くだらないことで喧嘩してたもんな」
「そだね。なんで別れちゃったんだろう……」
反応に困った。
付き合って2ヶ月も経つとお互いの気持ちが少しずつ薄れていき、喧嘩することすら
「俺、フラれた側なんですけど」
「じゃあもっかいやり直してみる?」
「酒でも飲んでんのか?」
「
「わかってんだろ?梨紗と俺は恋人同士だとうまくいかないって」
梨紗はたしかに可愛い。
あまり愛情表現をしない梨紗と愛情表現をしてほしい俺では釣り合わない。
特別な感情がない状態だと気楽でいられるから俺たちはこの関係の方が良いと思う。
「慶永の恋愛観、
「そんなに重くねぇから。むしろ梨紗が軽すぎるんだよ。風船くらい軽いじゃん」
「そんなにすぐ割れないし。例えるなら綿飴とかにしてよ」
軽いってことは否定しないんだな。
「慶永、好きな人でもいるの?」
「急になんだよ」
「気になって聞いてみただけ」
気になる?
元カレの俺のことがか?
梨紗に限ってそれはないだろう。
急に気まずくなった。
数秒間無言が続く。
「私、会社辞めることにしたから」
「セクハラでもされたか?」
「そしたら
やり方は間違っていないがもう少しオブラートに包んでくれ。
相変わらず表現がストレートだ。
「私ね、夢があるの」
梨紗の夢、そういえば付き合っているときにも聞いたことがなかった。
「聞いてもいいか?」
「秘密」
🍦
家の扉を開けると差し込む眩い光。
寝不足の身には太陽の存在感が増す。
毎週のように課題や提出物があり、バイトする暇なんてないくらい睡眠不足が続く。
通常の専門学校は二年制だが私の通うデザイン科は四年制。
すなわち4年間はこれを続ける必要がある。
でも、あの人だってこの道を通ってきたのだからなんとしてもやり切ってみせる。
あの人とは、同じ福岡の
美羽さんはこの学校のOGで、卒業と同時に会社を立ち上げ、オリジナルブランドを手がけながらモデル活動もしている。
最近、
彼は次世代のアニメ映画界を担うと言われていて、見た目も爽やかで異性からの人気も高い。
入学してすぐのオリエンテーション。
周りを見渡すとオシャレな人がたくさんいた。
デザイン科というだけあって色々なファッションの人がいる。
我が家では代々言われ続けていることがある。
『人は人とでしか成長できない。どんなに見た目が良くても中身は話さなきゃわからない。見た目を気にすることは大切だが、それ以上にもっと大切なのは人間性。小さなことを大切にする人間は強く、自分の弱さを知り、その弱さを出せる人間はもっと強い』
そう言い聞かされてきた。
だから人を見た目で判断しないように心がけている。
「横良いですか?」
優しく話しかけてくる1人の女性。
隣に座ったその人は本当に同じ人種かっていうくらい綺麗だ。
「その服、ナラランですよね?」
“Narrative Land”
ナラティブ・ランドとは、美羽さんが立ち上げたブランドでナラランの愛称で親しまれているアパレルブランド。
シンプルなデザインが多く、若い世代に愛されている。
今日はこのナラランの新作シャツとスカートを穿いてきた。
「ナララン知っとーと?」
「もちろん知ってるよ。ってか福岡の人?」
思わず博多弁が出てしまった。
これを契機に私たちはすぐ仲良くなった。
この人の声や
「私、
「私は神法 紫苑。よろしく」
優梨は東京出身で、私と同じようにファッション関係の仕事に就きたくて入学してきたそうだ。
モデルのように背が高くスタイルも良いので、シンプルなカットソーとデニムというコーディネートがそのスタイルの良さを際立たせている。
女優さんのようにすべすべの肌に
同じ女性とは思えないほどの美しさに見惚れてしまう。
サバサバした彼女の性格も相まって、私たちはすぐに仲良くなった。
気がつけばオリエンテーションはあっという間に終わり、そこから毎日のように一緒にいるようになった。
1ヶ月も経つと優梨には何でも話せる関係になっていた。
☕️
カーテンの隙間から差し込む日差し。
昨日のどんよりとした曇り空とはうって変わり、待ち構えていたかのように朝日が挨拶してくる。
あまりの眩しさに思わず目を
昨日の徹夜も重なり、まだ頭が起きていない。
枕元にあったスマホで時刻を確認すると、すでに8時を回っていた。
やばい、遅刻する。
地面に引っ張られて重たかった
ベッドから飛び起き、急いで顔を洗う。
歯を磨き、朝ご飯も食べずにスーツを着る。
玄関で革靴を履こうとする。
いつもならスムーズにいくのにこういうときに限って上手く履けない。
靴べらを使って強引に履いて最寄り駅まで走る。
ネクタイが緩んだままオフィスに駆け込みなんとか朝礼に間に合ったが、体温と息が上がる一方で、鼓動も一向に収まる様子がない。
久しぶりに全力疾走したせいで脳も身体もびっくりしている。
「雪落がギリギリに出社なんて珍しいな」
課長の言葉は嫌味ではなく心配してくれた感じだった。
キャリアを重ねるにつれ、仕事が増えていき、ときには休日返上のときもあったが、それだけ信頼されている証拠だと思った。
そんな俺の癒しは仕事終わりのコーヒーと彼女からくる返信。
他愛のない会話から恋愛話、無意味なスタンプの応酬まで内容は何でも良かった。
気がつくと、いつしかお互いを下の名前で呼び合うようになっていた。
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