第1章 僥倖/邂逅

1-1 |邂逅《かいこう》

☕️


自動販売機の横にあるベンチの端。ここが俺の定位置。


ワイヤレスイヤホンで、音楽を聴きながら缶コーヒー片手に駄菓子を食べるのが仕事終わりの楽しみのひとつ。


昭和の景色と香りを残してくれる駄菓子屋。


店内にはいつも険しい表情をしている白髪混じりの猫背のお婆さん。


両腕を背中に回しながら、すげない態度でレジ横に立っている。


ここ滝沢商店の店主だ。


「買わないなら触らんで」


眼鏡の奥に見える黒く鋭い瞳は、ベテラン万引きGメンの如く険しくも冷静だ。


このキラーワードは地元では有名で、手に取ったら買わないといけない暗黙のルールがあるため、小学校のボス的存在の子ですら毎回店主の一挙手一投足にオーバーリアクトしていた。


二十代になってからこの店に行く人はそういない。


このご時世に好き好んで駄菓子屋に行く理由がないからだ。


この街は多くの人がイメージするような東京という感じはあまりなく、下町の中でもとくに平和で静かなエリア。


近くにはコンビニやスーパーくらいしかなく、大きな買い物をするには池袋の方まで行かないといけない。


それもあって、同世代で地元に残る人は少なく、みんな都心部へ移ってしまう。


でも俺はこの街が好きだ。


だから引っ越す気はない。


職場から近いわけでもないし、誰もが憧れるような魅力的な家に住んでいるわけでもない。


それでも見慣れた景色や街並みは落ち着く。


滝沢商店は住宅街から離れた大通りにポツンとあり、外観にはつたが生え、大きな地震がきたら一瞬で崩れてしまいそうなほどボロボロだ。


店の前には国道につながる道があり、その奥には大きな公園がある。


坂を登った先に図書館があり、その奥にはサイクリングコースやテニスコート、野球場が併設されている。


小学生のころ、兄さんが所属していた地元の野球チームに入った。


最初はあまり興味がなかったが、当時生きていた父親に薦められたこともあって、軽い気持ちではじめることにした。


兄さんは当時チームのエースピッチャーで、近所では結構な有名人だった。


きっと将来はプロに行って活躍するんだろうと思っていたけれど、いまはどこで何をしているのかわからない。


そんな兄さんと野球終わりによく滝沢商店に来ていた。


小遣いを握りしめ、チョコバットやうまい棒などをよく買っていた記憶がある。


昔はこの辺にも駄菓子屋がよくあったらしいが、少子化やドーナツ化現象の影響もあって、残っているのはこの店だけ。


店の入り口を出て右にあるカプセルトイとレトロゲームが数台。


左側には3人掛けのベンチと自動販売機が1台置いてある。


仕事終わりの落葉時、帰り道にひと息つこうとあの定位置を目指す。


ここに足繁く通うには理由がある。


1本10円のふ菓子と20円のねじり棒ゼリーだ。

コンビニにはなかなか売っていないハイスペックでハイクオリティな駄菓子界のツートップ。


ふ菓子のサクサク感と同時にやってくる黒く色付けされた砂糖と飴の甘味。


端っこを歯でねじって破り、穴の空いた箇所からチューチューと吸い、冷たくても常温でも楽しめるねじり棒ゼリーは童心に帰った気分にさせてくれる。


大人になったいまでも地元の子供たちに混ざり、狭い店内で決まったお菓子を手に取ってまとめ買いする。


いまでは何でもネットで買える時代だが、直接足を運んで、その場の雰囲気や風情を楽しむようにしている。


それに、ここに通う理由はもう一つある。


彼女との出会いは、去年の春だった。


駄菓子屋の閉店時間は早い。


地元の子どもたちしか買いに来ないから当然っちゃ当然だが、この店は比較的遅くまで開けてくれている。


とは言っても店主の気分次第なところはあるが。


この日は仕事が早めに終わったので、真っ直ぐ店に向かえばギリギリ間に合う。


口の中はコーヒーと駄菓子を求めていた。


店に近づいていくと、自動販売機にもたれかかりながらベンチに座っている1人の若い女性がいた。


ウェーブのかかった茶色く長い髪と綺麗な睫毛まつげ、フレアスリーブのブラウスから見える細く白い腕は、彼女の美しさをより引き立てている。


その透き通った瞳は、アスファルトに咲く一輪の花のように光り輝いていた。


アイスを食べる彼女の表情はどこかはかなげに見えたが、あまりに魅力的なので思わず見入ってしまった。


撮影の合間のモデルか何かだろうか?

だとすると、周りにスタッフがいるはずだが周囲には誰もいない。


この辺では見ない顔だが最近引っ越してきたのだろうか?

そうだったとしてもこの街を選ぶのはだいぶ酔狂すいきょうだと我ながら思う。


これと言って目立つものもないし、とりわけ家賃が安いわけでもない。

利便性から見てももっと良い街はたくさんある。


強いて言うなら自然が多く人が少ないところくらいだろう。


店に入る前、一瞬彼女と目が合った……気がしたが、俺は思わず目をらしてしまった。



🍦


地元福岡の高校を卒業し、デザイナーになるため上京してから早二年。


今日は久しぶりに予定がなかったので、昨日たまたま観た散歩番組の影響を受けて1人ぶらり散歩することにした。


場所は十条銀座商店街。


東京三大銀座の1つに入るほど大きな商店街で、私の通う専門学校の近くにある。


クローゼットを開けて服を選ぶ。


頭の中でイメージをして、フレアスリーブのオーガンシースルーブラウスにハイウェストスカートとミニブーツにした。


専門学校の合格祝いにお母さんからもらったショルダーバッグを肩にかけて駅に向かう。


今日は快晴という感じではなかったけれど、暑くもなく寒くもない春らしいすごしやすい日。


最寄駅の東池袋からメトロに乗って池袋に乗り換える。


この辺は相変わらずの人混みで酔いそうになる。


乗り換えの駅へ向かう途中、

「すみません、ちょっとだけいいですか?」


背後にいた恰幅かっぷくの良いスーツ姿の男性から声をかけられた。


何か困っているのかなと思い、足を止めてその男性の方を向く。


目が合うと口調が変わった。


「お姉さん超美人だね。スタイルも良いし、お姉さんくらい美人だったらタレントとしてすぐ活躍できるよ。タレントに興味がなくても給料の良いバイトもたくさん紹介できるし」


胡散うさん臭い。


このパターンのスカウトは芸能界と偽ってキャバクラや風俗の世界に連れて行かれる流れだ。こんなの事前に事情聴取済み。

私は芸能人になるために上京したわけじゃない。


「急いでるんで」


冷たくあしらってイヤホンをつけて乗り換え方面へと足早に進む。


背後から「チッ」という舌打ち音が聞こえた気がしたけれど、『芸能界』や『お金』というワードだけで女子が簡単に引っかかると思わないでほしい。


埼京線に乗って十条駅北口改札で降りる。


駅前の工事が進むなか、アーケードの入り口を入ると多くのシニアの人たちや地元の人たちが歩いている。


携帯ショップや薬局を抜けた先の十字路を曲がったところの店に行列ができていた。


あれは何だろう?


見に行くと、

『チキンボール1個10円』というポップが目に止まった。


10円という安さにも驚いたけれど、チキンボールという名前を聞いたことがなかったのでネットで調べてみた。


粗挽きの鳥の挽肉と雪花菜おからが混ざったもののようだ。


「いらっしゃい」

店員さんの明るい声が私の身体を包み込む。


「すみません、チキンボールください」


「いくつ欲しいんだい?」


初見だったため控えめな数にした。


「じゃあ10個ください」


「あいよ、毎度あり」


実際に食べてみるとふわふわとしていてあっという間になくなってしまった。


並んだ甲斐があった。


そういえば朝から何も食べていなかったので、お腹の中が中途半端になってしまった。


久しぶりにラーメンを食べたい気分。


そう思っていると、ちょうど中華そば屋のショーケースに並ぶラーメンのサンプルを見つけた。


そこは関東圏では有名なチェーン店らしいのだけれど、私は行ったことがなかった。


口の中は完全にラーメンを求めていたので一切の逡巡しゅんじゅんもなく店内に入った。


店内には、野球帽を被ったお爺ちゃんがビールを飲みながら餃子を食べ、向かいには土建の人たちがラーメンとチャーハンを食べていた。


その姿を見て、とんこつラーメンと半チャーハンのセットを頼んだ。


上京してからラーメンを食べる機会が極端に減った気がする。


プライドが邪魔しているとかそういうことではなくて、大都会の刺激に興味と好奇心が追いついていないだけ。


毎週のように新しいお店の情報がやってくるから、行きたいところリストが溜まり続けていく。


久しぶりに食べたとんこつラーメンに感激しながら店を出る。


外の空気が気持ち良かったので、少し散歩することにした。


目的地は設定せず、地図も見ない完全なぶらり旅。


カフェでコーヒーをテイクアウトしてのんびり歩く。


この辺は東京とは思えないくらい長閑のどかで落ち着く。


坂を越えたあたりで日が落ちてきた。


もうこんな時間?

ずっと歩いていたのでそろそろ休憩場所を探そうと思っていた矢先、『滝沢商店』と買いてある駄菓子屋を見つけた。


自動販売機の横には使い古された様子でところどころ色落ちしているが、晴れた日の空のような鮮やかな水色のベンチが店の外に置いてある。

その横にはゲーム機のようなものも置いてあって、まさに昭和レトロって感じ。


ばりエモい。


外観を撮ってSNSにアップした。


店内を覗くと、アイスが敷き詰められたショーケースが見えたので早速入った。


私は昔からアイスが大好き。

アイスだったら毎日食べられるくらい好き。


何でそんなに好きなのか聞かれたら困っちゃうけれど、とくに理由なんてない。


私にとってアイスはなくてはならないもの。


「どれも美味しそう」


他の駄菓子には目もくれず、フロントガラス越しにアイスを選別する。


冷静になってみると、駄菓子屋に1人ガラスを見つめながらアイスを選ぶ姿は、店内の少女たちよりも少女かもしれない。


迷いに迷った結果、当たりつきのバニラ味の棒アイスを買うことにした。


レジ横に立っていた店主らしき白髪のお婆さんに商品を渡して会計を済ませる。


お婆さんは無言のままだったがやけに目つきが鋭く怖かった。


(私、何かしたかな?)


いぶかしんでいても仕方ないので外のベンチに深く腰掛ける。

ふと顔を上げると、目の前に大きな公園が見えた。


「ここは……」


地元の大濠おおほり公園を思い出した。


実際には全然似ていないけれど、なぜか既視感に近いものを感じた。


お祭りやイベントがある度によく遊びに行っていた場所。


公園をずっと眺めていると、急に不安が襲ってきた。


(私、このまま東京でやっていけるのかな……)


地元が恋しくなった。


愛犬のノアは元気かな?


アイスを食べながら軽いホームシックになっていると、お婆さんが店のシャッターを下ろす準備をしている。


もう閉店の時間?


スマホで時間を確認すると、夕方の6時を回っていた。


すると、革靴のコツコツという音がこちらに近づいてくる。


音の方を向くと、ツーブロックに黒縁のハーフリム眼鏡と顎髭あごひげを生やした男性がいた。


セットアップのグレースーツにYシャツから透けて見えるライトグリーンのインナーが強面の印象を柔和にゅうわさせている。


何よりもスタイルが良かった。


私もスタイルには気を使っている方だけれど、彼の痩躯そうくさはモデルのよう。


左手には小さめのバッグを持ち、高そうなシルバーの時計をしている。


『ミナミの帝王』のような目つきで歩く姿に少し驚いたが、よく見ると精悍せいかんな顔立ちをしている。


その彼と一瞬目が合い、店内に入っていった。


なんだろう、この気持ち。


恐怖感とかじゃない胸がざわつく感じがした。


少し経つと、彼は大きなビニール袋を持って去っていった。


地元の人かな?

もしそうならおすすめのスポットとか聞けたかも。

なんて、いきなり話しかける勇気などない。

そんなことしたらチャラい女って思われるかもしれない。


でも、この胸の高鳴りはなんだろう。


頭の中で色々考えていたらなんか疲れた。


今日は色々巡れたしもう帰ろう。


夕日を浴びた店はとてもノスタルジックだったので、外観をもう一度撮って帰宅した。

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