第2話 花咲く時

仲の良い4人だった。本当に仲良くて、友達というか、きょうだいというか。家族みたいだったかもしれない。

俺が、岐阜市内の工業高校の機械科に通ってた時、俺はその人たちに出会った。

西島結実先生と、岩崎徹先生。2人とも機械科の先生だった。出会った時は、2人はPowerPoint実習を受け持ってた。その後、岩崎先生とはフライス盤の実習や機械製図の授業でも会ったし、西島先生とは機械設計の授業で接点があった。

PowerPoint実習は、自分の好きなものを発表するもので、俺はネタに困ってたんだ。趣味の写真にしようにも、俺は好きな写真家とか特にいないし、撮ることが好きだから発表までには至れない。自分の好きなカメラーNikonのデジタル一眼の魅力なんて何もわからない。スマホのゲームだってそんなやらないし。好きなユーチューバーがいるわけでもない。困った・・・。他のみんなは、自由に好きなものを発表できることに喜びを隠しきれないのか、どんどん編集していく。

どうしよう・・・。俺はため息を吐いた。何でって俺は時代に沿った人間じゃないからだ。そりゃあ、スマホやタブレットくらいは使うし、TwitterやLINEもやる。そういう意味じゃない。俺が好きなものは近代文学や歴史小説、神話。昔の映画、特に洋画。そしてクラシック音楽やサウンド・トラックだ。クラシックは、中でもロシアの作曲家のクラシック音楽が好きだ。大抵の人にクラシックが好きと言うと、モーツァルトやらベートーヴェンを連想されるけど、俺はメジャーなものがあまり好きじゃない。それが多分へそ曲がりだと思われているのかもしれない。そして、サウンド・トラックはパーシー・フェイス・オーケストラだったりヘンリー・マンシーニ楽団だったり、絶対今の高校生は興味がないものばかり好んで聴いてる。そんなの発表したって、ドン引きされるのがオチだ。どうしよう・・・。

早田、どうしたの?後ろから声がして、俺は振り返った。ダークグレーの長袖作業着姿の西島先生が、心配そうな顔をしていた。

大丈夫そ?ううん、全然大丈夫じゃありません。

ネタが浮かばないんです。ネタ?別に何でもいいと思うよ。他人の反応なんて点数に入らないし。うん・・・。

要は早田が、きちんとPowerPointを駆使して分かりやすいプレゼンを私達にしてくれれば、他の生徒のことなんか考えなくていいの。全く好きなものがないってわけじゃないでしょ?そうですけど・・・。

ねえ、何が好きなの?その時の西島先生の瞳は、屈託のない、好奇心だけでキラキラ輝いて見えた。

早田、ありのままでいいんだよ。そこに、カーキ色の長袖作業着姿の岩崎先生も加勢する。

別に他の子たちがドン引きしたって、そこをフォローするのが僕たちの仕事だし。よほど過激なものじゃないといいんだけどね。穏やかな口調で言った。

クラシックとか、サウンド・トラックでもいいですか?

別に全然いいよ!西島先生が言った。クラシック好きな高校生だって全然いるし、古い映画マニアの高校生だって世の中いるんだから、心配しなくて全然いい。面白そうじゃん、やってみてよ。

ラフマニノフとかチャイコフスキーでもいいですか?あと、ショスタコーヴィチも・・・。って分かりませんよね?

ううん、私も好きだよ。ラフマニノフとかチャイコフスキー。それに、岩崎先生は古い洋画好きみたいだよ。あとで話してみなよ。

マジですか?うん。ね、岩崎先生。岩崎先生は静かに頷いた。

先生、俺、中学生のとき、NHKFMでラフマニノフのピアノ協奏曲第3番聴いたんです。その時オーケストラとピアノの絶妙なハーモニーがめっちゃエモくて胸に刺さって。

うんうん。

そう、俺がクラシックにハマったのは、ラジオの影響だった。もともと俺は、テレビよりラジオを聞くのが好きで、深夜のFMラジオとかよく聴いてた。ラジオは、テレビでは見られない芸能人の話とか、音楽とかいっぱい聴けて得した気分になってたし、音がガチャガチャしてなくて心地良いからだ。まあそのせいで朝寝坊して何度も学校に遅刻しかけたのはさておき。テストで早帰りの際、俺はいつものようにラジオを点けた。いくつか周波数を飛ばして、適当にチャンネルを選んで聴いていて・・・、NHKFMにたどり着いた。そして、その時やってた番組が、クラシック音楽の番組だった。CDだったけど、ロシア音楽特集。そしてラフマニノフピアノ協奏曲第3番。メロディーはしっとりしているのに、なぜかそこまで暗い気持ちにならない。しっとりとした流れのオーケストラを気にすることなく、むしろそれさえ引き連れながら、階段を駆け上がるようなピアノのリズム。時にゆっくり、時に焦るような、スペクタクルな展開。その音楽には、胸が高鳴り、体が熱くなるようなものがあった。

曲が終わったとき、俺の心には、静かながら感動というものが溢れていた。14歳のボキャブラリーでは表せない、感動。

またある時は、夜にあるクラシックの番組を聴いた。しかもコンサートの中継。生まれてこの方一度もコンサートなんか行ったことのない俺にとって、オーケストラのコンサートは全くの未知の世界だった。この時はショスタコーヴィチの交響曲第5番。今までCDやYouTubeなんかで聴いたものとは訳が違った。生の弦楽器、生の演奏。ラジオだったけど、純粋にクラシックに感動を覚えていた俺には衝撃的だった。生の弦楽器と、録音されたものってこんなに音違うの・・・?

そして、音楽は、まるでエレクトリックミュージックみたいに低音がビシビシ効いてて、当時インストルメンタルも好きだった俺は、すぐにショスタコーヴィチが好きになった。

以来、俺は聞き専だけどラジオやCDでクラシックを聴くのが大好きになった。スマホにラジオアプリを入れて、毎週番組表をチェックして、時間が合えば家に早く帰ってラジオを聴いた。お気に入りの音楽が放送される日は、早く帰りたくてずっとウズウズしてたし、土曜日の夜はジャズの番組も聴いて、俺の音楽道楽はますます変な方へと進んでしまった。しかも、そればっかりしていたもんだから、入ってた吹奏楽部で演奏したい曲の候補を述べたとき、みんなは流行りのJ-popばかり希望したけど、俺は時代遅れの、しかも大人数編成じゃないとできない曲ばかり言うもんだから、呆れられて部活の中で浮いてしまった。音楽の黒川先生だけは唯一話せる人だったけど。それで俺はますますクラシック鑑賞にのめり込み、3年生に上がると受験を理由に部活をやめた。でも勉強も結局ラジオを掛けながらするもんだから、集中なんかできない。

だから俺は成績がそこまで良くなくて、工業高校の機械科に入った。まあ、早くお金を稼げるようになって、コンサートとか行きたいのもあるから、別に苦ではないけど。

まあ、確かに、工業高校の電子科で電子工作を学び、ラジオのメンテナンスや実際にラジオに関わる仕事をしようかなって思ったときもあるけど、中学校の先生が、理科で習ったオームの法則とか電気系統が一生つきまとうと言うもんで、電気とはあまり縁がなさそうな機械科にしたんだけどね。

俺はそこまで西島先生に語った。

へえ、面白いじゃん。西島先生はクスッと笑った。それなら、そのことをプレゼンすればいいじゃん。ラジオ鑑賞ってしてさ。

ふむふむ。

何で好きになったのかは今の話にして、ラジオ鑑賞の魅力とか、おすすめ番組とかおすすめの音楽とか紹介すればいいじゃん。

そんなのでいいんですか?

もちろん。無いよりはいいでしょ。

それなら・・・。それで、やってみます。いいよ。また分からないことあったら声かけてね。

俺がこんなに風変わりなのに、めっちゃしっかり話を聴いてくれて、俺を持ち上げてくれて。西島先生がいると、俺は俺でいいんだって、小さな自信が芽生えた。

そのおかげで、俺は俺が思うままにPowerPointの編集をすることができた。

さらに、岩崎先生が、俺にFMラジオ番組のJET STREAMって知ってる?って話題を振ってくれて、俺がただクラシックが好きってならないようにフォローしてくれた。

もちろん俺はJET STREAMが大好きだし、もともとイージーリスニングが好きになったのは、この番組のおかげだ。何せ新聞の広告の、JETSTREAMのCD全集をクリスマスプレゼントに欲しいってねだったこともあるからだ。普通の中学生だったらゲームとか服とかタブレット、音楽プレーヤーなんかをねだるだろうに、まったく風変わりだと親は苦笑いしていた。まあ、そのCD全集は、俺の高校入学祝いになったんだけど。恋はみずいろとか、ムーラン・ルージュの歌とか、男と女とか色々、音楽自体は短いんだけど、なんかこの世ではない世界を想像させてくれるものにうっとりしてしまった。それに、JET STREAMを面白いと思うことに、俺は密かな優越感を感じていた。同世代とは違う感性が俺にはある。一見近寄り難そうな大人な空間でも、俺にはちょうどいい。それは、歴史の授業中、学校では習わない深さの歴史の流れを知ってるときに感じるような、ちょっと大人びた感情。みんなが知らないことを俺は知ってる。小さな自惚れだった。まあそれも、遠藤周作や、司馬遼太郎を読みふけってたからこそのことなんだけど。

でも、そういうのを加速させたのは、学校で浮きっぱなしだったからだと思う。勉強も大してできなかったし、元々俺は病弱だったから、季節が移ろう時はよく体調を崩した。それで学校を休みがちになってしまって、ラジオから離れられなくなってしまった。

岩崎先生も、元々ラジオでクラシックやジャズを聴くのが好きらしい。そして、自分の親が大の洋画好きで、小さいときはよく映画館に一緒に行ったそうで、そこから色んなものを好きになったんだって。

SF映画やアドベンチャー映画を見て、作品に出てきた乗り物がプラモデルで販売されるようになるとプラモデル作りに熱中した。ロマンス映画のサウンド・トラックにハマると、レコードを買いまくって聴きまくった。やがてラジカセを買ってもらうと、自分で電子基板をいじってメンテナンスをした。そうして手先が器用になり、電子工作がもっとやりたいと思った時、岐阜市内の工業高校の電子科に入った。

なんか、似てますね。俺は岩崎先生に言った。そうだね。先生は静かに微笑んだ。その微笑みは、何かを噛み締めるような微笑みだった。ひょっとしたら先生も長く独りぼっちだったのかもしれない。

そう思うと、不思議な親愛感が湧いてきた。

それで、俺は無事にPowerPointでのプレゼンを成功させることができた。たった数分の発表だったけど、ラジオで聴く音楽の魅力について頑張って語った。

中々そのための画像が見つからなかったことが唯一大変だったけど、魅力は先生たちに伝わったなって確信した。だって、他の奴らのプレゼンの時よりめっちゃ楽しそうに聴いてたから。

「早田、良かったよ」西島先生は満面の笑みで拍手してくれた。私も、JET STREAM聴いてみようかなって思った。ね、岩崎先生。先生はどうですか?

僕はもう毎日聴いてますよ。あ、そういえばそうでしたね。私がNHKFMから抜け出せてなかっただけか。はい、ぜひ聴いてみてください。聴いてみたいけど寝不足になっちゃうか寝落ちして全部聴けないかだな〜。クスッと岩崎先生が笑った。そこは頑張って。いや、そこで頑張ったら翌朝寝過ごしちゃいますよ。俺も、クスッと笑った。

何かこの二人の絡み、ずっと見ていたくなる。2人の先生と一緒にいる間は、どんな実習であっても授業であっても退屈しなかったし楽しかった。

PowerPoint実習が終わってからも、岩崎先生とはフライス盤実習で会えた。

フライス盤は、旋盤と違って材料を自動で削る時間がすごく長い。だから、機械が自動で削るのを見守りながら、JETSTREAMのことをよく話した。

時には喋りすぎて他の先生に注意されることもあったけど…、俺にとってJETSTREAMの情報交換は、大切な音楽仲間との大切な時間だった。


放課後、俺は所属している写真部の部室である物理室に向かった。

吹奏楽部もあったけど、他の部員たちとのミスマッチはだいたい予想がつくし、土日も練習なんかしたくないからだ。土日はそれこそ、好きな音楽やラジオを聴きながらゆっくりしたい。

物理室に入ると、「お疲れ」と、同じクラスの八代結月が手を上げて迎えてくれた。

結月は俺と違ってすごく活発だし、流行りに敏感だ。1年生の時は、陸上部にいた。しかし、1年生の秋に足を故障して競技の練習さえできなくなり、それで転部を余儀なくされた。図書部か写真部かの2択を迫られたけど、図書部は明るくて何でも積極的な陽キャの結月には合わなさ過ぎた。だから消去法で写真部に来たというわけだけど・・・。

「真澄、この写真見てくれ」結月の隣に近づいた瞬間、俺は結月に一眼レフを差し出された。

その写真は、滝から水が勢いよく流れ出ているものだったり、咲きかけの花だったり、日を受けて輝く木の葉だったり、わりとこいつはセンスある。

週末に、ちょいと馬籠まで行ってきたんだ。最寄り駅から歩きで行くんだ、楽しかったぞ。

馬籠ってどこ?

んー、ここが岐阜市内だから、と言うと、結月は制服のシャツのポケットからスマホを取り出して、Google Mapを開いた。

ずっと右、てか東の方。長野県の近くじゃないかな。やっぱり足はなまらせたくないからさ。

走ることを止められても、結月のアクティブさは失われなかった。走るのがだめなら歩けばいいじゃん、と考え、週末は山登りやサイクリングによく行く。そして、そこで写真を撮ってくるのが今の結月の趣味なのだ。

というのも、陸上部だった時にはただひたすら走ることしか考えてなかったし、ドクターストップがかかった時はこの世の終わりだと思った。まじで人生終わったって思った。けど、写真部入って、根尾谷行ったとき、何か変わったんだ。とか。

根尾谷というのは、本巣の奥の方にあるところで、日本に3本しか無いと言われる、薄墨桜が有名なところだ。

結月ははっきり言って、入部当初はあまり写真には興味がなかった。しかし、写真部の顧問である西島先生が、土日に写真を撮る場所がない生徒のための撮影会を企画してくれて、俺は結月とそれに行くことにした。というか、ほとんど西島先生と俺が無理やり引っ張って行ったのだけど。

でもまあ、撮影会というのは口実で、結月を写真部に慣れさせるためのトレーニングだった。

勿論、つまんねー、とか土曜日無駄にした、とか言われることは、西島先生も俺も他のメンバーも想定済みだった。

しかし、実際は違った。淡いパステルブルーの空に、スッと軽く絵筆を伸ばしたような雲。柔らかな太陽の光。その光が、風に舞い散っていく薄墨桜の花びらをキラキラ輝かせて、幻想的だった。結月はその景色の虜になり、花びらが散る瞬間に合わせて持ち前の瞬発力を使い、何回もシャッターを切った。初心者だったから、ピントとか明るさはめちゃくちゃだったけど、結月はこの時、深く感動を覚えたらしい。「この瞬間をずっと何回もリプレイして見ていたいって思ったら、写真に残すしか無いって思った」帰りの電車の中で、結月は熱く語った。

「俺、もっとああいうエモい瞬間を残せるようになりたい」「結月、それが写真ってやつだよ」俺は言った。

走れなくても、ああいう瞬間瞬間の美しさっていうか、ずっとリプレイしてたいって思えるものを撮って、ピントも合わせられるようになったら気持ちいいんだろうなあ。

うん、そうだと思う。何か、どっかトレッキングでも始めようかな。あとサイクリングとか。そうすれば、まためっちゃエモい景色取れるじゃん。それに、友達の大会の写真撮ってやるのもいいな。写真って可能性でかいな。「うん、そうだよ」俺は言った。西島先生や、一緒に引率してくれた岩崎先生も、嬉しそうにしていた。

結月が写真やる気になってくれて良かった。西島先生が言った。

それなら、次はどこかに登山しに行った写真を見てみたいな。岩崎先生が結月に要望を出す。

えー、いきなり登山っすか?いきなりは無理っすよ。結月は苦笑いした。山って言っても、そんな登ったこと無いし。

結月は岐阜市に住んでるんだよね?岩崎先生が聞いた。はい。それなら、金華山や百々ヶ峰といった低山はどうかな。金華山ならロープウェイでも登れるし。足を慣らすにもちょうどいいと思うけど?

そう言われると、やらざるを得ませんよ。結月は笑った。

結月はミラーレスでしょ?早田みたいな一眼レフなら持ち運びはしんどいけど、ミラーレスなら手のひらサイズで軽いからイケるわよ。西島先生のひと押し。結月は、西島先生の押しに弱かった。じゃあ、天気のいい時にやりますよ。真澄と一緒に。というと結月は俺を見ながらニヤッと笑った。

えっ道連れ?遭難したら怖いから、一緒に行こうよ。バカか、金華山なんかで遭難したら笑いもんだぞ。

「それはどうかな?前ニュースで、金華山に登ろうとした登山客が遭難したってやってたよ」と岩崎先生。

まじで?と俺と結月は聞く。

何でも、20人体制のグループだったらしい。そのうちの一人がはぐれて・・・、ということだそうだ。しかも、見つかった時は亡くなっていたそうだよ。

絶対自分勝手に行動したやつやろ。と結月。

山とかよく知ってて、変な抜け道使おうとして迷ったやつだろ。それね。と西島先生。でも、どうしてそんなの許したんだろう?20人体制で1人違う行動したら、はあ?って思うでしょ。と結月。うーん、言ったら聞かない人なのかも。自己中心的というか、ねえ。結月はそんなことしちゃだめだよ。と西島先生はクスクス笑いながら言った。

てか、結月だったら真澄を置いて先に行っちゃいそう。確かに。と俺。大体2人で登山したら想像つく。「おせーよ」って結月がキレて、俺はボロボロになりながら後を追う。

仕方ないだろ、俺は結月みたいに鍛えてないんだ、ヒョロガリなんだから。そんなことを言いながら登ってそう・・・てか俺マジで登るの?ハッとして俺は結月に聞いた。

マジ。はあ?やめろよ、俺の好きなラジオ番組に間に合わなかったらどうするんだよ!

そんなの、radikoとかで再放送聴けばいいじゃん。再放送がないやつだったらどうするんだよ!親に録音してもらえよ、てか動画配信とかじゃなくてラジオ?アナログだなー。うんざりした顔をしながら結月は言った。

うるさい、ホント。あーあ、俺は結局結月に巻き込まれていく。陽キャはめんどい。山登るのか。はあ、と俺はため息を吐いた。

その後の帰りの道中も、俺たちが登山しに行くか否かで何度も揉める度に、西島先生や岩崎先生にからかわれた。まるで兄弟喧嘩してるみたい、って西島先生に言われて余計ムカついたけど。

だけど、普段の俺は、機械科のクラスでほとんど浮いてる状態だったから、仲間と一緒にいる結月には珍しいやつと絡める良い機会だったのかもしれない。

俺も、正直普段喋らないやつと喋れて、疲れたけど何か高校生って感じがして楽しかった。

この日から、俺と結月は仲間になった。

その後、5月の連休中に、案の定、「おせーよ」とさんざん突っ込まれながら俺は結月と金華山に登った。途中、野生のリスを見かけて大はしゃぎしたものの、あとは俺にとって苦行でしかなかったけど。結月は、そんな俺をネタにして写真を撮りまくった。「頑張るバディってタイトルにして出そうかな」と言われてさすがにブチギレた。

そんなことしたら、テスト前に機械設計教えないからな。結月は座学が苦手で、機械工作とか機械設計とか全然できないやつだった。だから弱みを握っていった。赤点取って写真部の活動できなくなっても知らないからな。

さすがにそれは嫌だよ、勘弁してくれ。じゃあ写真消去しろ。頂上でな。ゼーゼー言いながら登った。

しかしその道中でも、結月は写真を撮りまくっていたらしい。後で知るんだけど、結月は色んな花やリスの写真を撮っていた。

からかいはムカつくけど、こいつは分かるやつだった。


今日の部活動は、学校の近くにある美術館の庭や、近所の公園での撮影だ。

まあよく行く場所だから、被写体やアングルはいつも似たりよったりになってしまってマンネリ化している。

公園の遊具で遊ぶのもありかもしれないけど、さすがに高校生がそれはない。結月は美術館の庭にある小川を飛び越えようと必死になっていた。

他のメンバーも散り散りになって、俺だけ暇を持て余していた。

でも、ネタないし・・・今は秋も終わりの頃だ。紅葉は枯れた。だんだん暗くなるのが早くなってきて、ますますネタがない。

首から下げたNikonのレフが重く感じる。フラフラ散歩して終わろうかな。と思ったその時だった。

真澄。西島先生が声を掛けてきた。撮らないの?うん、何かネタないし。それ、この前も言ってたじゃん。クスクス笑われた。

だって、1年生のときから同じ場所ですよ?さすがに飽きますって。

まあね。と先生。大きく見れば飽きるかもしれないけど、もっと小さいところを見てみたら?

どういうこと?花は枯れてるし木も葉っぱは散っている。

ほら、結月がさっきからバカやってるじゃん。あれを撮れば良いんじゃない?

結月はまだ小川を越えようと必死になっていた。でも、制服のパンツが濡れるのが嫌みたいで、何度も川辺で幅跳びみたいなことをしていた。

逆光を使って見るのはどう?影絵みたいになるじゃん。

うーん。俺がカメラを構えようとしたその時、そろそろ日が暮れるから今日はここまでにします。と、部長の声がした。

また土日頑張るしかなさそうだ。俺はヘコみながらカメラをカバンに閉まった。学校に戻る。

帰りに岐阜駅の夜景でも撮ってネタにしようかな。それこの前もやったよ。と先生。たまには遠出してみたら?

そんなお金も時間もないですよ。と俺はふくれっ面をする。時間は捻出しなきゃ。ラジオ番組の間に近所で撮るとかさ、どうせ実習も終わってないし、実習レポートはまだ書かなくて良い段階なんだから、多少時間取れるでしょ。

えー・・・。

じゃあ、また撮影会やる?そのほうが良いかも。

どこにしよう?明治村はこの前行ったし、各務原市民公園は物足りないかなあ・・・。

人混んでますしね。そう。養老の滝は遠すぎるし、かといって岐阜公園もね。うーん、と先生は考え込んだ。あんまり遠くだと交通費かかるし、どうしたもんかな。また岩崎先生に相談しなきゃね。

中途半端なんですよね、岐阜市自体が。

そう?私は岐阜市が一番好きな街だよ?

そうなんですか?うん。と先生は頷いた。

私はね、あの美術館の庭、大好きなんだ。私にとって、あれは地上の楽園みたいなもん。ほとんど人もいないから、生徒と私だけでいられる幸せな空間なんだ。

そうなの?うん。

私ね、今まで教員やってきて、今の学校に来るまであんまり良い思いしたことないんだ。だけど、この学校に来て、本当に良い先生たちに出会って、良い生徒に出会って、今が一番幸せかな。だから、見る景色も真澄とは違うのかもしれない。ひょっとしたら美化されてるかもしれないけど・・・私は愛おしい場所なんだ。

同じ場所でも、人によっては思い出深い大切な場所だったり、気を引き締めるパワースポットだったり、忌み嫌う場所だったり、場所って人によって全然感情が違うの。だから、同じ景色ばかり見てウンザリするんじゃなくて、そこにいる人の表情に着目してみたらどうかなあ?人の表情は毎回違うし、アイデアも毎回違うと思う。だから、景色に飽きたら他のものにすればいいのよ。先生のアドバイスはめちゃくちゃだったけど、なるほどって俺は思った。

確かに、俺達の前を歩く他のメンバーの足取りは、人によって違う。やっと帰れることから軽い足取りの人、友達と話しながら歩くからゆっくりとした足取りの人、色々だ。俺はカバンからカメラを取り出し、小さなグループになって話しながら歩いている人たちにフォーカスを当てた。

街灯が薄暗くなった道路をやさしく照らす。その下を、楽しそうに話しながら歩く数人。明るさを確かめて、シャッターを切った。

街灯の明かりが、花を添えるようだった。「花咲く帰り道」なんてタイトルつけようかな。

おっ、さすが良いもの撮るじゃん。カメラを覗き込んだ先生が微笑んだ。これ、次のデータ提出の時出します。うん。

その後は、2人で並んで歩いて校舎に帰った。短い距離だったけど、いつものように音楽の話で盛り上がった。

楽しかった。幸せだった。機械科の面倒なことも、写真部のマンネリ化も、先生といると吹き飛んだ。そして、毎日がキラキラ輝いていた。

この日常が、俺が卒業するまでずっと続くと思っていた。岩崎先生も西島先生も、今の学校に来て2年目だと言うし、異動とかもないと思ってた。

2人は俺にとって、なくてはならない人たちだった。


「ご退職、ご転出される先生方を紹介します」3学期の終業式のあと、離任式が始まって。

ステージの前に現れた数人の先生の中に、2人がいた。岩崎先生は飛騨へ、西島先生は中津川へ行くらしい。

突然の別れの宣告に、俺は目の前が真っ白になった。2人が別れの言葉を述べても、俺は何も聞き取れなかった。俺はこれから、独りになるーそのことで胸がいっぱいだった。

2人がいなくなったら、これから俺は、行き詰まった時、誰に相談すればいい?まだまだ相談したいことがたくさんあった。話したいことがたくさんあった。西島先生がこっそり貸してくれたショスタコーヴィチの交響曲全集だってまだ全部聴けてない。撮影会だって、春休み中に薄墨桜を撮りに行く予定だった。なのに・・・。

失意の中、俺は、帰りに結月と一緒に岐阜駅のスターバックスで新作のフラペチーノを飲む約束を忘れたまま(この時春休み中にどこへトレッキングしに行くか話し合う予定だった)家に帰った。カバンを床に投げ捨て、制服のままベッドに倒れ込んだ。

いなくなっちゃうって・・・。泣くとかそんなガキみたいなことじゃないけど、心にぽっかり大きな穴が空いた。もう会えなくなるー進路相談はできなくなるし、勉強のことから写真部のこと、ラジオのこと、音楽のこと・・・。何かすべてが急にバカらしく思えてきた。俺はただ甘えたかっただけのガキだったんじゃないか。何かと口実を作っては甘えるー何か俺ってすごいクズだったのかもしれない。その羞恥心と情けなさで、俺は自己嫌悪に陥った。つらい、寂しい、苦しい。友達が誰もいない空間で、俺はどう生きれば良いんだ。生きなくちゃいけないけど、独りでどうやって・・・。

と思ったときだった。ショスタコーヴィチをまだ西島先生に返していないことを思い出した。先生、いつまでいるんだろう?さすがに明日すぐにいなくなるってことはないよな。年度が変わるのは4月だし。明日返しに行こう。その前に、例え徹夜でもいいから全部聴いてやろう。

そう思って、俺はオーディオのスイッチを入れた。


「あー、覚えててくれたの?ありがとう」

翌日、俺は機械科の職員室に行って、西島先生にCDを返した。

まさか貸したの覚えてたなんてね。返ってこなかったら、もうあげようと思ってたよ。だって今はYouTubeとかですぐ聴けるし。

いや、借りたものは返さなきゃって思って。

そっか、ありがとう。

先生、中津川に行っちゃうんだよね?そう。講師の任期満了でね、次は中津川に空きができたから、そっちに行って欲しいって。でも、中津川は写真部がないみたいなの。寂しくなるな。というと先生はため息を吐いた。

そういや、岩崎先生は?

他の先生に色々引き継ぎがあるから、そっちで忙しいんじゃないかな?え、何で疑問系?だいたい先生はいつも岩崎先生と話してたじゃないか。

最近忙しくて、なかなか話せなくてさ。と言う先生も何か元気がなかった。やっぱり、異動が悲しいのかな。

先生。俺は言った。県美術館、行こうよ。えっ、今から?

うん。だって先生、県美術館の庭好きだったんじゃないの?そりゃ好きだけど・・・、今?困惑した顔。そりゃそうだ。でも、俺はどうしても先生と県美術館までの道を歩きたかった。

一緒に、行こうよ。

仕方ないな。少しだけだよ。そういうと、先生は外に出る支度を始めた。でも、先生の顔は晴れないままだった。


ごめんね、こんなことになっちゃって。まさか異動だなんて思ってなかったの。美術館までの道を並んで歩く。

外は暖かくて、薄い水色の空に雲が柔らかく浮かんでいた。

2年勤めたから今年もいけるかなって思ったらまさかの打ち切りで、その後中津川を勧められたの。さすがに仕事がなくなるのは嫌だから、従うしかないよね。

教員の世界は意外と残酷だ。

まあ、岩崎先生もまさか飛騨になるとは思ってなかったみたいで、引っ越しの準備とかでてんやわんやしてるみたい。ゆっくり別れを惜しむ時間もなさそうね。

そっか。

なぜだろう。いつもけだるかった美術館までの道のりが、今日はすごく短く感じる。こんな近距離を、あんなにべちゃくちゃ喋りながら歩いてたなんて信じられない。俺と結月と、西島先生と岩崎先生の4人で、いつかの薄墨桜の帰りみたいに。いつかの明治村やセラミックパーク、花フェスタ記念公園やアクア・トトのように。バカみたいに騒いで、アイデア探しでひいひい言って、結月の無茶振りに巻き込まれそうになって喧嘩して。それを楽しそうに見ていた2人が・・・、ひょっとしたら今回のことで結月は写真部をやめるかもしれない。3年生になると、部活を続ける生徒はがくんと減る。それに結月は大企業の学園生を目指して、最近そのための勉強に必死になっていた。

もし結月が部活をやめたら・・・俺はまた学校とラジオ番組だけの生活になるかもしれない。でも、そんなの嫌だ。せっかく誰かと接する楽しさを知れたのに、これから先、俺はどうすれば良いんだ?色々考えてたら、「真澄」その声でハッとした。俺たちは、いつの間にか美術館の庭に着いていた。

今日も誰もいない。県立の美術館なのに。

真澄、本当は私に連絡先聞きたかったんでしょ?そう言うと、先生はグレーのジャケットからスマホを取り出した。

実はショスタコーヴィチを返しに来た理由には、1%その可能性もはらんでいた。やっぱり俺は、どこかでつながっていたかった。

今なら誰も見てないから。そう言ってLINEのQRコードを差し出された。すぐに制服のポケットからスマホを出して、コードを読み取る。Yumi.N、間違いなく先生の連絡先だ。

真澄、どうせなんかあっても話せる人いないでしょ?本当は、結月もそこまでじゃない。

見抜かれてた。

何かあったら連絡なさい。そう言うと先生は微笑んだ。良かった、いつもの先生だ。

ありがとう、と俺は言った。

ううん、ありがとうは私の方。幸せな2年間をありがとうね。何か、明日死ぬみたいな言い方だ。

中津川でも、幸せだと良いね。どうかな。写真部無いし、文化部少ないんだよね。学科もまだ分からないし。

そんなテキトーなの?うん。それより、真澄は勉強ちゃんとしてる?春休みの宿題、ちゃんとやりなよ。

そんなの分かってるよ。てか入試休みの時ずっとやってた。暇だから。ふーん。それならいいけど。

先生はクスクス笑った。いつものように。

ねえ、先生。何?

また、会えるよね?多分ね。

約束しようよ。また来年、薄墨桜が咲いたら会うって。薄墨桜を、俺と先生と結月と岩崎先生とで撮りに行くって。

え、岩崎先生は飛騨だから難しいと思うよ?じゃあ、3人で。

できるかなあ。

やろうよ。俺は言った。それは俺が卒業するための希望でもあった。でも、先生は・・・。

できたらね。どこか寂しそうな顔をしていた。

うん。

じゃあ、ね真澄。CD返してくれてありがとう。またね。そう言うと先生は校舎へと帰って行った。

先生の茶色のローファーの音だけがアスファルトに響く。茶色の長い髪が春風になびいて美しかった。本当に先生は明日死んでしまいそうなくらい、儚かった。

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