第2話 はじまり

 仕事を辞めた。

 結婚後旦那さんと同じ職場だったため、私は退職した。その後祖母が痴呆症だったこともあり、実家の近くに新居を借りて古本屋さんでパートをしていた。

 働いて2年足らずで、知り合いに誘われ大工の技能専門学校に契約社員として就職。契約期間終了が平成二十年の三月末。

 その年の四月二日には、家の近くの市民病院で医療事務として働き出した。何年か働いた後、それまでの派遣社員から病院直雇用の臨時職員になった。

 そのまま令和四年の七月末まで。ずっと医療事務として働いてきた。子どもが居なかったこともあり、残業も問題なかった。働かないで家に居る、という選択肢を考えたこともなく、当然のように外で働く日々。

 ある時から身体に異変を感じた。更年期障害というやつかな、と思った。頭がふらふらする。仕事が出来ないほどではなかったが、耳鼻科に行ったり整骨院に行ったりしてみたがあまり状況は変わらなかった。そのうち腕がしびれ出した。足が痛くなった。それでも仕事が出来ないほどではないと無視し続けた。

 

 春が来た。仕事やコロナでお花見にも行かなかった。体調の関係で、それまでいた会計業務から病棟クラークに部署異動して2年ほどが経っていた。

 6階のナースステーションで入退院の会計を算定する毎日。ふとパソコンから視線を窓の外に向けた。

 

 綺麗だった。春の空。遠くに桜が見えた。ああ、春が来てる。

 その時初めてその年の春を感じた。 

 

 急に私は何をしてるんだろうと思った。外はこんなに美しい景色が広がってるのに……毎日毎日パソコンだけを見つめて季節が知らない間に過ぎていく。もったいない……もっとこの美しい景色や季節を感じたい、そう思った。 

 本当は4月の終わりには決心が固まっていたが、せっかくのゴールデンウィークを邪魔したくなくて、お休み明けに上司に退職したい旨を伝えた。

 契約では、辞める三ヶ月前に言う決まりだったので八月末までは働く予定だった。上司は休職にしてまた戻って来いと言ってくれたが断った。

 引き継ぎが上手くいったので7月の初めには有給消化期間になった。8月まで有給は残っていたが、もう職場に行くことが苦痛だった。仕事内容も、人間関係も何も不満はなかったのに、もうこれ以上は無理だと何故か思った。

 同僚は私が精神的にヤラれてるんじゃないかと心配してくれた。急に辞めると言い出して迷惑しているだろうにみんな優しかった。最後の出勤日には花束や大量のお酒(私がアル中並にお酒が好きなのを知っているので)をくれた。一升瓶まであったので、私は自分ひとりで持って帰れず、たまたまお休みだったウチのおっちゃん(旦那さん)に車で迎えに来て貰ったほどだった。自転車で5分程度の距離なのに……

 自分に何が起こったのかわからないが、そんなこんなで唐突に仕事を辞めてしまった。

 

 有給消化期間から私はウロウロし始めた。

 まず最初はハイキング。

 近くの山のハイキングコースを一人で歩いてみた。死ぬかと思った。

 ハイキングを舐めていた。こんなキツいんかーいとゼイゼイ言いながら、誰もいない山の中でしゃがみ込んだ。 

 目の前には川が流れていた。ぼーっと流れを見つめた。見上げると木々の隙間から青空が見えた。名前も知らない花が日の光を浴びて輝いていた。

 キレイやなぁ……

 うっとりした。ゼイゼイも治まっていた。川のせせらぎが聞こえる。

 世界はとても美しかった。

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