Chapter 2


 正直、堅気を無法者アウトローの流儀に巻き込みたくない。

【ワイルドバンチ強盗団】というかつての縁で繋がり合える者であっても。堅気としての安寧と所帯を得た者であれば、尚更。


「お前らが【ピンカートン探偵社】にとっ捕まることがあれば、それは俺の落ち度でしかねぇんだよ。それだけじゃねぇ。俺ぁもう、誰かと戦争するなんざ嫌だってばね」

首魁ボス!」

「嫌だってのは、戦争だけに限らずだ。闘争も、紛争も、抗争も……その、全部が全部」

首魁ボス……!」

「俺は手前の理想と教義のために盲目の殉教者を求める、エセ司祭ブリガム・ヤングじゃねぇからな」

「そ、そんな、首魁ボス……!」

「嫌だ嫌だの繰り返しで、俺に失望したか? じゃあ聞くけどよ……お前は、俺にこれ以上、なにを喪わせる気だ? 俺はこれ以上、なにをどれだけ喪えばいいってんだ?」


 国だとか州なんてケチなものに区分されず、誰もが自由に生きて死んでいくことが当たり前であった新大陸フロンティアは、一つの時代の斜陽に飲み込まれつつある。

 そんな場所に変わりつつある新大陸フロンティア――果たしてそこに無法者アウトローが、誰よりも純粋を愛する連中が生きられる場所など、あるのだろうか? 

 あったとしても、生き続けることが果たして出来るのだろうか?

 ブッチは断言する。出来やしないだろうと。


「レイ、ローガン、ベン、ハンクス、ローラ、ニュース、デカ鼻、ミークス……それに、キッド。俺と【ワイルドバンチ強盗団】そのものを信じ、忠誠を誓ってくれた仲間、数多くの部下と協力者シンパがどうなったか……お前、知らねぇわけじゃねぇだろうな」


 ある者は拿捕された、官憲や探偵に。

 ある者は殺された、騎兵隊や賞金稼ぎに。

 ある者は自ら命を絶った、信じた女や友人に裏切られて。


「それだけじゃねぇ、過去も現在も未来も、昨日も今日も明日も……俺が俺であるっていうことですら」


 挙句の果てが、【不死者】だ。唯一無二の相棒の【存在】ザ・サンダンス・キッドを、虚構じじつにさせられて。


「だから、必要ねぇってばね。分ったら、さっさとアトリを呼んでこい。これ以上の問答は」

首魁ボスは」


 だから、発せられたケサダの言葉は、弾劾の弾丸となる。


「結局、首魁ボスは……なにをなさりてぇってんです? 首魁ボスは、結局……どこに征こうとしなさっているんです? アタシらみたく無法者アウトローじゃねぇはずの、あのお嬢さんを巻き込みお連れになって」

「どこにも征こうとなんかしちゃいねぇよ」


 ブッチは答える、己が真意を。


「少なくとも俺は、アトリを連れてどこかに征こうとなんかしちゃいねぇよ」


 ブッチは答える、己が思惑を。


「そもそも、アトリの存在ってのは、暫定的なモンでしかねぇってんだよ」


 ブッチは答える、己が意向を。


「いずれにしても、俺はそうとしか思っちゃいねぇ」


 ブッチは答える。己が本懐を。己が自身ブッチ・キャシディにおける唯一の純粋な願いでしかないものを。


「俺にとってアトリってのは、俺が望む時が叶う瞬間、アイツが……キッドが俺の隣にもどって来るってことへの希望であり拠り所でしかねぇんだよ」


 アトリという少女は。ブッチが愛し生きる新大陸フロンティアが存在するこの世界とは全く異なる世界の少女は。

 されど、理解者である。【不死者】ブッチ・キャシディ、唯一の。

 ザ・サンダンス・キッドの【存在】を虚構じじつとして認識しない、ブッチ以外の唯一の存在。

【不死者】へと堕ちぶれたブッチが抱える孤独を、理解し得る唯一の存在。

 故に、手許に置くのだ。


「けどよ、それだけでしか……アトリはただそれだけでしか有りえねぇんだよ」


 ブッチは、胸中全てを吐露する。


「アトリはただ、希望ってだけでしか有りえねぇんだ」


 瞬間――ばぎぃッ!











 ともすれば引き攣ってがちがちに固まってしまいそうになっている身体を叱咤して、アトリは戸口へと向かう。

 背中の向こう側からクラリスとクラレントが悲しげな嘶きを上げたのにも、マックスのつぶらな黒い眼から気遣う視線を向けてきているのにも、気付かぬまま。

 アトリを支配するもの、それは恐怖だった。なにかが怖いとかなにを恐く感じるとかじゃなかった。そのどちらかも、アトリには分からなかったのだから。

 もっとも、アトリはそんなことすらも自覚なんて出来ちゃいなかったのだけれども。

 うまやから出て、外の空気を吸いたかった。

 冷たくなくてもいいから、水を飲みたかった。

 薬を飲んだ方がいいかもしれなかった。

 多分、どこか身体の具合が悪いのだろう。でなけりゃ、こんな状態になんてなるわけない。

 だから、戻ってなにか薬を貰おうと思ったわけだ。エメさんあたりに言えば、何かくれるかもしれないから。

 でも、カロメルだったら流石に飲みたくないなと、漠然と思う。西部開拓時代じゃメジャーな常備薬だったっていうけれど、カロメルって水銀のことだし。

 そんなことを思いながら厩を出る。出て少しのところにエメさん夫妻の酒場サルーンの裏口があるのだけど、何故か異様に距離を感じてしまう。

 それでも、なんとか辿り着く。

 ドアノブに手をかけて、少し開きかけ――


「嫌だ嫌だの繰り返しで、俺に失望したか? じゃあ聞くけどよ……お前は、俺にこれ以上、何を喪わせる気だ? 俺はこれ以上、何をどれだけ喪えばいいってんだ?」


 開き掛けた扉の隙間から、ブッチの声が洩れ出てくる。

 帰ってきてくれたんだ! という安堵で胸が膨らむ――ことはなかった。


「どこにもこうとなんかしちゃいねぇよ」


「少なくとも俺は、アトリを連れてどこかに征こうとなんかしちゃいねぇよ」


「そもそも、アトリの存在ってのは、暫定的なモンでしかねぇってんだよ」


「いずれにしても、俺はそうとしか思っちゃいねぇ」


 それもこれも、ブッチが言うことをきちんと聞いてしまったためだ。

 全部じゃないけれども、でも、それがブッチの本音なのだと。

 それが、ブッチがアトリに対して抱く、本音でしかないのだと――思い知らされる。

 ぎちっ。

 ぎゅっと握りしめた掌の中から、断末魔が上がる前兆じみた軋りが上がる。

 それもこれも、聞いてはいけない言葉を聞いてしまったために。

 違う。そうじゃない。本当は、そうじゃない。

 けれど、本当は。


「俺にとってアトリってのは、俺が望む時が叶う瞬間、アイツが……キッドが俺の許に還って来るってことへの希望であり拠り所でしかねぇんだよ」

「……分かっては、いましたよ。それぐらい、ですけれど、でも……」


 びきっびきり、と――軋みは強まり、揺れる。


「……結局、わたしはブッチさんにとって、そういう存在でしか……なかったわけなんですね……」

「それだけでしか……アトリはただそれだけでしか有りえねぇんだよ」

「……そうですよね。そうなんです、よね……」


 ぎぢっぎぢり、と――軋みは強まり、震える。


「……結局、わたしは……ただ」

「アトリはただ、希望ってだけでしか有りえねぇんだ」


 そして、計らずとも、顔を合わせずとも成立してしまった、お互いのやりとりの最期、べきゃっ! と。軋みの強まりの果て、壊れる。

 アトリの胸の中にあるはずの柔らかい部分も、また同じく。

 でも、本当はそんなことぐらい分かっていたはずなのだ。

 アトリが、所詮代わりでしかないってことぐらい。

 ブッチにとってアトリのなんていつか帰還すかえってくるはずのブッチにとっての唯一無二の相棒ザ・サンダンス・キッドの、代わりでしかないってことぐらい。

 ただ、それを認めたくなかっただけだ。だから、今の今まで都合よく忘れていただけ。


「……ばかみたい」


 けれども。吐き出した声は、みっともなく湿っていた。


「……ばかみたい、じゃなくて、ばかじゃないですか……実際、わたしは」


 浅倉アトリ――ただ、平凡に生きていただけの普通の少女。

 ブッチ・キャシディ――無法者アウトローであり、かつては【ワイルドバンチ強盗団】の首魁ボスであり、今は【不死者】たる存在の男。

 本来であれば、出会うことはずなどなかった二人。

 本来であれば、どうあったって運命が交わることなどなかった二人。

 互いに生きる世界が全く違うため、互いに生きる世界が文字通り全く異なるため。

 けれども、二人は出会ってしまった。どういうわけか、分からないけれども。

 そんな二人を繋ぎ止める存在。唯一の楔であり、絆であり、切っ掛けたる存在。

 その名を、ザ・サンダンス・キッドという。

 だけど、今は――













 ザ・サンダンス・キッドは、実在の人物である。時のアメリカ大陸の西部開拓時代に実在し、その名を馳せた無法者アウトローの一人だ。

 本名はハリー・アロンゾ・ロングボーといい、ザ・サンダンス・キッドというのは通り名――その由来は、一時期収監されていた刑務所でのあだ名だったと言われている。

 残念ながら、日本では知っている人は知っているけれども知らない人は全く知らないっていう、超マイナーな人物だ。

 けれども、本国アメリカにおいてはローカルヒーローの扱いを受けているぐらい有名人である。一九六九年に公開されたアメリカン・ニューシネマの傑作、【明日に向かって撃て!】の題材になったことでも有名だ。

 西部開拓時代において最大規模の無法者アウトロー集団であった【ワイルドバンチ強盗団】の一員であり、その主幹的立場の一人。

 特筆すべきは、首魁ボスであるブッチ・キャシディの相棒であったことだ。

 相棒は相棒でも、終生の――おそらく最期を遂げるまで。

 もしかすれば、全てが終焉しおわった後も。

 史実によれば一九〇八年十一月、官憲や探偵といった追跡者から逃れるために潜伏していた南米ボリビアの小さな山村の小屋で、ブッチ・キャシディとザ・サンダンス・キッドの二人は見つかるのだ。通報を受けて駆け付けた騎兵隊に追い詰められ、その果てに自ら命を絶った物言わぬ骸になり果てて。

 と、これがアトリが元いた世界における、彼らの――史実と記録が語る、事実におけるブッチ・キャシディとザ・サンダンス・キッドの最期だったとされている。

 とはいえ、一応【生存説】があるから「これが絶対確かな真相だ!」とはいえなくて、結局うやむやなのだけれど。


 だけど、【異世界】ではそんな史実と記録から大きく反するのだ。


 一九〇八年十一月、ブッチ・キャシディとザ・ザ・サンダンス・キッドの二人は、ボリビアの地で死んでなどいなかったのだから。

 騎兵隊に囲まれ、逃れられない最期を悟り、二人は自ら命を絶とうとする。

 しかしその際、ブッチ・キャシディは人間から【不死者】へと堕ちるのだ。

 代償として支払うには、決して望まぬ代価――ザ・サンダンス・キッドの【存在】が、過去・現在・未来に関わらず世界から失われることと引き換えに。

 かけがえのない【存在】を、虚構じじつと化させてしまうことと引き換えに。

 けれども、そんな絶望的状況の真っ只中のブッチは、なんの因果か出会ってしまうのだ。

 虚構じじつではないザ・サンダンス・キッドの【存在】を知り得るアトリと。

 この【異世界】における矛盾点を共有し合える、アトリというという唯一と。

 でも、よくよく考えてしまえば、ブッチにとってアトリの存在っていうのは、ただそれだけでしかないのだ。

 ザ・サンダンス・キッドに関する情報を正確に共有し合えている唯一の存在――いくら仲良くなったつもりになったって、ブッチにとってアトリはただそれだけでしかないのだ。













「……ッ!」


 唐突に、ずきずきとしたものが走り抜ける。

 アトリの胸中に収まるもの全てに向けて、錆びた針が押し込まれたかのような痛みが。

 痛い。

 途方もなく、痛い。どうしようもなく、痛くて痛くて痛くて痛くて。

 アトリは思わず、口元を押さえこんだ。

 その際お守りが落ちて、地面に転がる。

 首にかけて通していた紐は、もうとっくに切れてしまっていた。

 けれど、アトリはそんなことになんて気付くことはなかった。

 痛い。

 とにかく、痛い。どうしようもなく、痛い。

 胸の中が――どうしようもなく、どうしようもないぐらい、どうしていいのかわからないぐらい、どうしていいのかもわからないぐらい。

 痛い。

 胸の中のどこか、どこだか分からないけれど、でもどこかが。

 たまらないぐらい、途方もないぐらい、痛い、痛くて、痛くてたまらなくて。

 思わず、よろめいてしまう。幸い、転倒はしなかった。

 その際、アトリは取り返しのつかないことをしてしまう。

 よろめいた際、踏み潰して、ぐしゃぐしゃに壊してしまったのだ。

 ブッチから貰った大切なお守りを。

 もっとも、今のアトリが、そんなことに気付くことなんてなかった。

 ばぎぃッ! という、お守りが上げた断末魔ですらも。

 胸中を襲うわけのわからない不快な痛みのため、アトリはこの時、完全に自分を見失ってしまっていた。

 なにより、ブッチにとっての自分の存在価値を思い知らされてしまった恐怖のためだ。

 涙が溢れ出る。まぶたの裏を火で炙るような熱を持つ、それが。

 見開かれた、アトリの眼から。

 けれども、どうしていいのかなんて、アトリには分からなかった。

 だって、アトリが縋れるものなんて、もう、なにもないのだから。

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