剣聖マン

寝る犬

前編・ある日の幽霊

 巣鴨。

 某ショップでほしかったプロレスラーのマスクを購入した俺は、ウキウキしながら帰路についた。

 予定よりちょっと予算オーバーだったし、せっかくだからトレーニングもかねて板橋本町の自宅まで軽く走って帰ろうとしたら、嫌なものを見てしまった。

 高架下で、寄ってたかって一人の高校生を殴る蹴るしている時代錯誤のヤンキーたち。

 そのうちの一人が振り返り、木刀を担いで俺に近づいてきた。


「オイコラ、テメェなに見てんだよ」


「あ、いや、えっと……なんも見てないっす……」


 体は鍛えているが、格闘技経験はない。

 そもそもただのプヲタ(プロレスヲタク)だ。

 俺は視線を外しただけで体が震え、足は恐怖で動かなくなった。


「ケッ、シャバゾウが。散れ散れ」


 何を言ってるのかはわからないが、見逃してくれるようだ。

 俺はとにかくひきつった笑いを浮かべたまま、次の曲がり角を超えるまでそそくさと逃げた。


「……ヤバかったー」


『なにがヤバかったのだ?』


 しゃがみこんだ俺の頭上から、突然声がかけられる。

 驚いて見上げると、そこには時代劇のような着流し姿のおっさんが、ひげづらのあごを撫でながら立っていた。

 おっさんはそのまま、角から向こう側を覗く。

 ヤンキーを見たのだろう、『ほう?』と一言面白がっているような表情をすると、なんだかそわそわし始めた。

 俺の方はそれどころじゃない。


「え? ええ?! なんで? 今、通り抜けたよね?!」


『あぁ、まぁ拙者は幽霊なんでな。というか、おぬし、声が聞こえておるのか?』


「幽霊? 拙者? はぁ?」


『それより助けに行かんのか? これ以上殴られればあの小僧、さすがにただのケガでは済まんぞ?』


 それはわかってる。

 さっき見た時点でもうどこか骨折くらいしててもおかしくないくらい殴られてた。

 それでも、俺には彼を助ける力もないし、そもそもあの大勢のヤンキーに立ち向かう勇気がなかった。


「む、ムリっすよ。俺には」


『ふぅむそうか。せっかくよい身体をしておるのにもったいない』


「身体鍛えるのは趣味なんで……それとケンカはまた別の話っすよ」


『よしわかった。おぬし、ちょいと身体を貸せ。拙者が相手いたそう』


「身体貸せってどういう……うわ」


 言うが早いか、その幽霊は俺の身体にまた重なり、今度は同じポーズをとる。

 一瞬ぞわぞわとした感覚が体に走ったが、次の瞬間には俺の意思とは無関係に、体が立ち上がった。


『ほう。久々の肉体だが……悪くない。不思議となじむ』


 手のひらを何度か握ったり開いたり。

 体のなじみ具合を確かめるようにストレッチ。

 そのまま散歩でもするかのようにヤンキーに向かって歩き出した俺の身体と幽霊に、あわてて待ったをかけた。


「ちょっと! 何勝手に身体乗っ取ってるんですか!」


『細かい男だのう。傷一つ付けずに返すゆえ、少し我慢せい』


「いや、せめて顔隠してくださいよ! 後で報復されたら俺身を守れないっすよ!」


『面倒だのう。今後も拙者が守護してやるゆえ、気にせずともよかろう』


 はたから見たら、ひとりごとで会話するヤバい人に見えただろう。

 今後も守護するっていうけど、それって結局俺がこの幽霊に取りかれるってことじゃないだろうか。

 それは嫌だ。早いとこ開放してほしい。

 ただ、もし助けることができるのなら、あの高校生は助けてあげたかった。


「あ、マスク! その手提げ袋の中にマスク入ってますから、それつけて!」


 新日コラボのエコバッグ。

 袋から取り出した黒いマスクを見て、幽霊は俺の顔で笑った。


『なんだこれは? さても面妖な……しかし格好良いな』


「わかりますか! そりゃそうですよね! エル・サムライの試合用マスク(実使用品)ですから!」


『ほほう、さむらいの……』


 幽霊はマスクをかぶる。

 上下ユニクロのスウェットに身を包み、エル・サムライのマスクをつけた俺は、悠々と角を曲がり、不敵な笑みすら浮かべてヤンキーたちへと立ち向かった。

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