第2話 日送り
その昔、この世界に初めての転生者が現れた。
その者は人ならざる力を行使して人々の暮らしを支配していった。
世界は転生者による選別によってごく少数だけが贅を尽くし転生者に依存して文明の歩みを止め、転生者の目に止まらなかった者を差別し蔑むようになった。
人々の文明は転生者によって破壊されたのだ。
人々は団結し転生者を、またその力に侵された者を消して世界を浄化した。
それから幾年月が経ち人々の文明が再び己が足で歩み出した頃、二人目の転生者が現れた。
人々は必死に再興した文明が再び破壊されることを恐れ、転生者を
第三、第四の転生者を送り返すうちに転生者が召喚される神殿を突き止め、要となる宝具を無人島へ移送、隔離。
その島を転生者を送り込む天上の存在に『手向かう』島。『テムカイ島』と名付け、転生者を即座に送り返す為の拠点を構えた。
二度と侵略者に我らが文明を侵されない為に歴史と怒りの念をここに記す。
怒りに震える拳を抑えながら本を閉じて大きく息を吐いた。
「個人用に簡略化されたものとはいえ、文明を侵される苦しみ、同胞が変質してしまった悲しみ、それらをもたらした転生者への憎しみが痛い程に伝わってくる」
目頭が熱くなると同時にこの『テムカイ島』を防衛しなければならないという意志が一層強まる。
「フィーネお姉ちゃん、いる?」
ちょうどよく一区切りしたところでツィオネが訪ねてきた。
まだ幼く妹のように可愛がっているツィオネはたびたび私の元へ言伝を預かってくる。
「ええ、こっちへどうぞ」
私の膝の上に乗るように促すと嬉しそうに駆け寄ってきてピョンと飛び乗ってくる。
こうなると私は無意識的に小さな頭を撫で、二つに結った黒髪の一房をもう一方の手で梳いてしまう。
「えへへ……あっ、わすれるとこだった!」
双方あまりの心地良さに本来の目的を忘れかけたところでツィオネが気付いてくれた。
「しょーかんのちょーこーが出たってさ。たぶんゆうがたくらいになるって」
これは僥倖。どうやらより堅固になった意志を試す舞台が用意されたようだ。
その日の夕方、兆候の通りに転生者は召喚された。
物陰に隠れて宝具が安置された部屋の様子を伺う。
前回の転生者に比べて図体が大きい、というか丸々としている。しかし、体格差の分直接的な措置は慎重に取らなければならないだろう。
「暗っ、なんだここ。てかこんな能力渡されてもどうしたらいいんだよ」
転生者は宝具が放つ薄ぼんやりとした青い光の中でぶつくさと文句を垂れている。今回の転生者は独り言が多いらしい。このまま身を潜めて情報を漏らして貰えれば好都合だが。
「ひとまず外に出れる場所を探さねーと」
駄目か。
「ようこそ、いらっしゃいませ転生者様」
「うおっ、あんた誰だ?」
物陰から私が姿を現すと驚いた様子で転生者は数歩飛び退く。
どうやら今回の転生者も攻撃性はかなり低い。まるで弱い個体ばかりを選別して送られてきているようにすら思える。
「私はフィーネ。この神殿の巫女でございます。転生者様をお迎えすることが私の勤め、どうぞこちらへ」
転生者の手を握り暗く狭い通路を進んでいく。
この場で闇討ちしてしまいたいが、人ならざる力によって防がれた場合に敵対が確定する。物事は慎重に運ばなければいけない。
汗ばんでいく転生者の手が気色悪い。だが、身体的接触は転生者の油断を誘える。我慢だ。
「うおおお、キャンプ場みてーだ!」
転生者は太陽の元に出るや否や野獣のように勢いよく神殿の石段を駆け降りていく。
気色悪い転生者の汗まみれになった手を服で拭いながら見失わないように駆け足で追いかける。
石段を降りきると数歩先で肉団子がゴロゴロと草の上を転がっていた。
「大自然って感じだな〜。きもちー!」
見知らぬ環境に怯える様子もなく、無警戒に草花に接触する始末。今回の転生者はあまりにも知性が足りていない。
「転生者様、お召し物が汚れてしまわれます」
「いーのいーの、小難しいことは後で考えよーぜ」
駆け寄った私の警告を聞き入れる様子もなく転生者は歯を見せて笑う。
「ふふっ、可愛らしい方」
私が愛想笑いをして見せると転生者は即座に立ち上がり服の汚れを払うと先程とは打って変わって落ち着いた様子で歩き出した。
今回は少しばかり容易に事が運びそうで安心する反面、私が“その”役割を受け持つ事になりそうで辟易する。
「こちらの席へどうぞ、転生者様」
当初の計画通り転生者を宴の席へ案内し終えると、
「あのさっ、これ、食べてみてくれねーか」
顔を赤らめ俯き加減で転生者が何も無いはずの手のひらから取り出してきたのは謎の物体だった。
下半分は滑らかな材質のものに包まれ、上半分は茶色くひび割れた謎の物質。そこに黒い粒がいくつかめり込んでいる。
言葉から察するに食べ物のようだが決して食べたくなる見た目をしていない。しかし、転生者の好意を無碍にすればせっかく惚れさせて作った油断を失ってしまう。
それに、鼻腔に届く甘美な香り。果実に群がる獣のように誘き寄せられそうだ。
「よろしいのですか?転生者様」
「もっちろん!俺の大好物のお菓子チョコチップマフィンだ。絶対気にいるぜ」
転生者は満面の笑み。断る道は絶対に無い。
「では、あーむっ♪」
意を決してオカシを口に含む。
甘い。
今まで食べたことのない甘さ。柔らかい食感に黒い粒の硬い食感が良い刺激となっている。
「ん〜❤︎」
これは美味しい。次から次に頬張り、あっという間に完食した。
「へへっ、こんな能力何に使えるんだって思ったけどよ、フィーネさんがそんなに笑顔になってくれるなら良かった」
「ありがとうございます。私も腕によりをかけて美味しい料理をいっぱいご馳走しますねっ♪」
私は転生者の心の底から嬉しそうな笑顔に見送られ、調理場へと向かって駆けて行った。
「んごっ、おごっ、おえっ、えぐっ、おえっ!」
転生者から見えない物陰に隠れた瞬間に右手を拳ごと口へ突っ込み嘔吐を促す。
勢い余り爪が口内を傷付けたのか血の味がするがオカシよりマシだ。
喉を刺激して数秒、焼け付くような酸味が喉の奥から口内を満たす。強烈な不快感が血とオカシの味を上書きしてくれる。
完全にとはいかないがどうにか大部分を吐き出すのに成功しただろうか。
「だ、大丈夫?フィーネ」
心配そうに声をかけてきたのはバリエラだった。
「き、気を付けて、あいつ、食べ物を出してくる」
「げっ、マジか。なるべく被害者を減らせるようにサッサと酔い潰そう」
息も絶え絶えな私の警告を受けてバリエラは酒樽を両脇に抱えて出て行った。
「はぁはぁ、これが侵略の味」
こんなものがばら撒かれては我々が築いてきた食文化はあっという間に淘汰される。そうなれば食を、つまり命をあの転生者に握られる。
我々は我々の足で、我々の速度で歩みを進める。最悪の侵略者を大陸へ踏み入れさせてはならない。
「絶対に送り返さなければ」
燃え上がる憎しみの心を
「ちょちょちょ、退いて退いて」
すっかり出来上がっていた転生者だが、私の姿を確認するや否や侍らせていた四人もの少女を遠くへやった。あくまで私一筋だと振る舞いたいらしい。軽薄な男だ。
「お待たせしました転生者様、鶏肉の蒸し焼きです。お口に合うとよろしいのですが」
「合う合う、絶対に合う!フィーネさんの料理ならなんでも合っちゃう!」
「ふふっ、ありがとうございます」
この転生者をオトシた時のように愛想笑いしてやるとニヤニヤと口角を釣り上げて表情が制御出来ずにいるようだ。
「では、あーん」
「えっ、あっ、あーん」
たったこれだけで目を瞑り大口を開けて隙を晒している。単純な男だ。
一口大に切った鶏肉の蒸し焼きを口の中へ運んでやる。
転生者は口の中へ入れられた鶏肉を咀嚼するーーのを躊躇った。
そうだろう。あの禁忌の味を普通と感じる世界に生きていた者には我々の食事は味気なく感じるだろう。だが、これが我々の食べ物だ。それを壊させはしない。
「
それ以上の虚言は紡がせない。
私は木皿の下に隠し持っていた短剣で転生者の首筋をひと裂き。
鮮血が迸り辺り一帯を赤く染めていく。
真っ赤な視界の中で悲しそうな目と目が合った。
その悲しみは恋した私に裏切られたから?最期の晩餐が異世界の劣等な食事だったから?
そこにどんな感情があろうと我々は転生者を送り返す。
「あぁ……」
その場にいた誰もが聞き逃さなかった。
私を含めた三人が即座に声の主を取り囲む。
「残念ね、ツィオネ。貴女の口からはあのオカシのような甘い香りがするのに嘔吐物の刺激臭はしない」
「ま、まってーー」
弁明も言い終わらぬうちにツィオネの胸に短剣を突き立てる。
ツィオネの顔が苦痛に歪んでいく。派手に転んで右膝から下を血塗れにして帰ってきた時だってこんなに苦しそうではなかったのに。
「転生者の世界の食べ物に魅入られてしまった貴女はもうこの世界には戻って来られない。貴女を救うには転生者の世界へ送るしかないの。ごめんなさいね」
私にもたれかかるように斃れたツィオネを抱き止める。力無い身体に反してまだ暖かい血の滴りが同胞を失ったのだと実感させる。
それから我らが同胞ツィオネの
その後、手を下す事になってしまった私自らが率先してまだ暗く危険な日の出前からツィオネの埋葬を行い、美しい朝焼けと共にツィオネが転生者の世界で幸福である事を皆で日が高くなるまで願い続けた。
※日送りとは
転生者によって命を落とすこと。及びその者を日の出日の入りに合わせて埋葬し、二つの世界を行き来する太陽に乗って転生者の世界に渡り幸福に暮らすことを願い、朝焼けや夕焼けに祈りを捧げる事。
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