異形の匣庭 第一部
久賀池知明(くがちともあき)
第1話 【邂逅】
確かに、正面から一目見ただけでもかなり広い屋敷だとは思っていた。ただ幾ら広いからと言って、トイレに行ったくらいで家の中をさ迷うとは思っていなかった。外国にあるなんとかって家はどんどん増築しまくっているらしく、階段の先が天井だったりドアを開けたら二階から真っ逆様に落ちる、なんてふざけた作りをしているそうだ。理由は呪いから逃げ続ける為だとか、そんな感じだった気がする。
まあ、それを思い出しても何の解決にもならないのだけれど。
とにかく真っ直ぐ進み続ければ家の四辺にぶち当たるだろうし、そこから壁伝いに行けば元の位置に戻れるはず。念の為訪れた部屋の襖は開けているから、同じ所をぐるぐると回る事もない。
どうして部屋の明かりが点かないのかとか、どれだけ大声を出して助けを呼んでみても一切の返答が無い事とか、携帯の電池が無くなりそうな事とか。色々と焦る要素はあるけれど、そんな些細な事は今はどうでも良い。歩き続けなきゃいけない。
適当な部屋を開けまくって着いた先の部屋から今の今までずっと、「あれ」が付いて来ているのだから。
本当に自分でもどうしてかと不思議に思う、と言うかどうかしている。何重にも掛けられた扉の中に保管してあって、象形文字みたいな文字がびっしり書いてある布で包んであって、しかも部屋のど真ん中に置かれている。そんな意味不明な代物を触ったのだから、本当にどうかしていると言うしかない。
解かなきゃって強烈な欲求が私の脳みそを揺さぶって、私はそれに従ってしまった。普通こういうときに起こる感情って「怖い」とか「触ってみたい、中に何があるんだろう」みたいな欲求だと思う。それがどうしてか私には「解かなきゃ」だったのか。多分その気持ちの起点は今日一日で散々聞かされた話に関係していると思うけれど、今更後悔しても遅いんだから逃げる事だけ考えなきゃ。
中に入っていたのは小ぶりの箱だった。一目見てヤバイやつだって分かった。何で?って聞かれてもそう思ったんだから突っ込まないで欲しい。強いて言えば布の結び目を解いて出てきたその箱が、独りでに開き始めたから。
そして「あれ」が突然目の前に現れた。
そんなに速度は速くない。精々元気めな赤ちゃんのハイハイぐらいしかスピードを出せないみたいだから、私が早足で歩いている限り追い付けない。でもあれは確実に私を追って来ているし、ここから抜け出せない限り最終的には捕まる。捕まった後一体どうなるのかは分からないけれど、絶対に良くない事になる、それは間違いない。
「あれ・・・・・・?」
もう何枚目になるか分からない襖を開けて、違和感を覚えて立ち止まる。
物憂げな女性が佇む水墨画の掛け軸、上部が深藍色で下部が黒柿色の花瓶。枯れた一差しの白百合。
そうだ、この部屋・・・・・・あれが出てきた部屋だ。掛け軸の女性が見つめる先、注視しても気付けない隠し扉があってそこからあれが這い出してきて・・・・・・。
私はこれだけの時間を彷徨い歩いて、何枚も何枚も襖を開け続けてぐるっと家を一周して、結局元の場所に戻ってきてしまった。どうして帰れないのか? どうして私なのか? 一体あれは何なのか? 私は、このまま死ぬのだろうか? こんな事になるんなら来るんじゃなかった。疑問と焦りが頭の中を更に大きく渦巻いて、私は正常な思考が出来なくなっていく。いや、こんな状況で正常な思考なんてそもそも出来てなんか
すすすすっ・・・・・・トンッ
「ひっ」
背後で小さく聞こえた何かと何かがぶつかる様な乾いた音に、反射的に悲鳴が漏れる。・・・・・・全身に鳥肌が立って、私の中のありとあらゆる器官が警鐘を鳴らしてくる。音の正体は確かめなくても分かってる、振り向かなくていい、早く足を動かしてとにかく逃げて。絶対に捕まらないで。
進む道はまだ通っていない右とあれが出てきた部屋、そして大分前に通った真っ直ぐの三択。真っ直ぐ進んでも結局同じ所に戻って来る可能性の方が高そうだし、あの部屋は論外。じゃあ右に行くしかない・・・・・・いや、右に行くしかないって言っても本当にそれでいいのか? こんな意味不明な何かに、理屈とか理論とかそういうものが通じるなんて到底思えないし。あの人は何て言ってたっけ、案外彼らには・・・・・・よく思い出せない。
襖の引手に指を掛けて、一度大きく深呼吸する。
「よ、よし・・・・・・」
鼓舞しようと絞り出した声は情けなくなるくらい震えていて、それと同じくらい引手に掛けた右手も震えている。ついでに皮肉混じりの引き攣った笑みが溢れているのを、自分ではどうにも抑えようがなかった。幽霊とか悪魔とか全然信じないし無宗教だし、今までずっと心の底で笑ってきたのは私の方だった。今じゃこの怯え様、本当笑える。
本当・・・・・・私の事なんか放っておいてくれればいいのに。
思い切り開けた右側の部屋も予想通り外とは繋がってないらしく、携帯のライトを吸収するくらいの真っ暗闇が充満してる。携帯の充電はあと三分の一も無い。このまままた歩き続けて、いつか充電が無くなって、朝日を見る前にあれに捕まる。
ダメだ、そんな悪い想像ばっかりしてちゃ。それこそ思う壺ってやつだ。もっとポジティブに、なんだったら鼻歌混じりにいくくらいが丁度いい。最近お気に入りの洋楽を口ずさめば完璧だ。
踏み出した私の身体と意識は、その暗闇に呑み込まれた。
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