構造の話をしている

鍍金 紫陽花(めっき あじさい)

第1話

 私には人生計画がある。

 高校を卒業したら自殺することだ。この世界は私を失望させる要素が多すぎる。まずは、身内がくだらない。

 父親は私が大学進学することを許してくれない。『お前は馬鹿だから金の無駄だし、家に置いてやる。女が一人暮らしを始めるなんて危ない』という意見を改めない。そもそもうちの家は男性の権力が強く、古臭い考えを息子に肩代わりさせて継承させてきた。父親がどれほど時代錯誤な発言を行っていても、その不自由な海を泳がなければ勘当される。

 それに、母親になる気も起きない。家庭という男に奉仕する機関を満足させるために、奴隷扱いされたくなかった。私が女だから家事のことを強制させられる。兄貴にも手伝わせたらいいのに、廊下に落ちる靴下を無言で拾っていく。そのみすぼらしさに自分を重ねられない。家事は自分の分だけで十分だ。

 それに、行いによる結果を推測できない子供は嫌い。一度も可愛いと思ったことがなかった。歳を取ればほうれい線も出てくるし、出会いやチャンスもなくなる。この狭い街はバイトもさせて貰えない。秘密裏にバイトしたら噂が広まる。そしたら、父は殴ってくる。

 この街に生まれた時点で、将来は誰かに舗装されて、心を殺すしかない。既に詰んでいる。私の人生は圧迫されていた。このことを親友に話しても考えすぎだと笑われてしまう。プライドが傷つくくらいなら、この考えすぎた頭と心中する。

 私はいま友達達と通学路を歩んでいる。近くに住む幼なじみたちは、顔の整った男子の話題に事尽きない。


「てか有咲は気にならないわけ?」


 私の名前を呼ばれてしまった。会話に入らなかったせいで気を使われる。彼女らのムードを壊さないように言葉を選ぶ。


「ならないかな。私にはSSSがいるから!」

「有咲はぶれないね。なんか安心する」

「それどういうこと? SSSのライブ映像みてよ! 沼るから」

「はいはい。私はアイドルのことわかんないから」


 彼女らの正解を引き出した。このグループではアイドル好きで夢見がちなコメディ担当だ。無闇にプライベートを踏み込まれる心配がないけれど、恋愛に対するアドバイスをうけることがある。


「でも、有咲も好きな人見つけられたらいいね」

「え、なんで」

「何でって、ねぇ……」


 話を聞いていないふりをするために、私は彼女らから目線をそらす。すると、前方の方にハーフツインの女子を発見した。


「あ、りん」

「え、本当だ」

「うわ、生きてたんだ」

「いや酷いってそれアハハ」

「アハハ」


 高校生でハーフツインの髪型を崩さない。彼女はりんという名前で、ノートを写してくれる友達がいない。


「ちょっとりんのところ行ってくる」

「わたしあの子と絡みたくないんだけど」

「すぐ戻るから」


 駆け足の隣に到着し、挨拶する。彼女は1度無視をして、私だと分かったらイヤホンを外した。


「おはよー、りん。もう登校してきて平気なの?」

「喉は痛むけど平気。学校行かないと親に怒られるし」


 彼女は喋るのが苦しいのか喉を鳴らす。咳き込むために、唇に手を置くけれど、彼女のなかで落ち着いたようだ。


「引きこもりのりんが感染するなんて、もうマスクしても変わらないよね」

「そうだよ。ふらふらと男のケツを追っかけてる有咲は既に感染してるかもよ」

「えー、男のケツなんて追っかけてないよ」

「あのよくわかんないアイドルだよ。週刊誌でグラビアモデルと不倫しているって書いてあった。あんなふしだらなグループが好きなんて、どうかしてると思う」


 私はあのアイドルグループは好きじゃない。教室はエンターテインメントのコンテンツみたいなわかりやすさを個人に求めてくる。わたしは男性アイドルのことが好きではないけれど、”好き”と振る舞うことで、何も好きではない不審な人物というレッテルから逃れた。


「りんはみんなが好きな物が嫌いだよね」

「違うよ。みんなが雑に好きなんだよ。好きならもっと相手のことを知るべきだと思う。知ってた上で出てくる欠点を愛せるかどうかを好きと呼べると思う。隅まで知り尽くしていないものは好きではなく、興味があるだけだよ。蟻を棒でつついている状態と一緒」

「そうかな。複雑な人間をコンテンツ化することで、コミュニケーションを図りやすくしてるだけで、好きをツールにしてるだけだと思うけど」


 りんとの会話は好きだ。

 私の内部が整頓されていく心地良さがある。だけど、うちのクラスに合わない。彼女らは雰囲気を保たせるだけの中身のない会話だけを優先している。個の感情を優先する仕草を好かれていない。なんで皆は本物を愛さないのだろう。こんなに痛々しく、若い時こそ許されるものを。


「有咲。今日は電話出来る?」

「良いけど」

「無理だったらチャットに戻そ」


 りんのことが好き。夢の中でセックスしたこともある。深夜まで電話する時間が、この世に残る未練だ。彼女は高校を卒業したら遠くの大学に行く。それまでは死ぬ事が出来ない。



 りんは自分を押し通す強さと同時に、人から好かれたいという弱さも持っている。性格が柔軟ではないから、いつも発言で空回りしていた。彼女はクラスの人と関わることを諦めない。


『有咲。今日はあなたの友達と話そうと思う』

『どの?』

『朝、一緒に来てた子』

『たしかわたしと同じアーティストが好きだったよ』


 わたしは携帯を閉じる。りんに目を向けると、彼女は決意を表すように頷く。そうして、机から立ち上がり、私のもとまで歩む。友達たちは、突然の来訪者に警戒する。りんは余計な一言を放った前科があるせいだ。


「あ、ああの」

「何?」

「昨日の金ローみた?」

「みてない」


 わたしはインスタの投稿を見逃さない。彼女は金ローを見てるし、好きなアーティストの主題歌に感動していた。


「そ、うなんだ。だったら、話は終わり」

「ねえ、りん。私謝ってもらってないんだけど」

「ご、ごめん」

「何に対して?」

「……」

「有咲の誘いからあなたと一緒に勉強会したのに、あなたが私の失点をずっとバカにするからでしょ」


 3人で勉強会を開催した。彼女は中間テストの失点を中心に勉強していたら、りんが『そこ間違うなんて、勉強中寝てるからだ』となじった。正論をぶつけるタイミングこそ気をつけないといけない。それをりんは知らない。


「あれは、バカにしてない。でも、間違えたのはあなたでしょ?」

「それが失礼だって言ってるの!」

「ご、ごめん」

「もういいよ。こっちに入ったら」


 りんに気づくよう微笑む。それを返すようにありがとうと口パクして見せた。白い奥歯が記憶の片隅に刺さり、そのエロさに興奮する。

 そうして彼女は私の輪に戻ってきた。ここまではいつも通りだ。私たちの会話に彼女は頷いたり微笑んだりする。同調も上手くなり、意見をあまり言わない。グループの空気に流されるように、私たちはココダ珈琲店に行くことにした。期間限定の芋フェスを食べに行くためだ。

 友達たちは前方で進む。わたしとりんだけは背後の方で、彼女らの話を傾聴しながら、私たちで会話を続ける。


「りんって芋が苦手だよね」

「よく覚えてるね」

「深夜の電話で話していたよ。私の苦手なものは覚えてる?」

「肉でしょ。でも、焼肉屋の雰囲気はすき」

「そうそう。そこまで話したんだっけ」

「深夜って気持ちが大きくなって、心の隙間まで話してしまうよね」


 どうして彼女は私の心の柔らかいところにまで手が届くのだろう。恥ずかしくて、忘れてほしいぐらいだ。もうりんに好きだと伝えてしまいそうだ。


「ねえ、有咲。あれ見て」


 わたしはりんに誘導させて、目を向かせる。すると、父親がいた。コンビニエンスストアの制服を着て、ゴミ出しの袋をまとめている。背中はじんわりと汗をかき、サングラスをかけた若者の邪魔になっていることに気がついていない。道を塞いだままで、作業を続けている。


「ねえ、有咲の父親じゃん」

「うん」


 りんが父親を発見できているなら、前方の彼女らも認知しているはずだ。確認するように顔を前に向けられない。横向いたままで、素知らぬ振りを演技する。スマホを取りだし、調べたくないようなゴシップで、頭に情報を詰め込む。どうして、通学路で転職したのだろう。私への嫌がらせとしか思えない。


「りん。手を握ってくれる?」

「うん」


 彼女と手を繋いだままで、店に到着した。



 わたしは店内で地獄の空間に漂っていた。芋フェスのフラペチーノを注文し、皆は映えるような写真を試行錯誤で撮影する。友達に顔と飲み物を写してもらったところで、味に移った。


「有咲のお父さんさっき居たよね」

「よくわかったね」


 やはり、りん以外も分かっていた。彼女は芋が入っている飲み物をストローでかき混ぜている。


「たしか、前は近くでディーラーやってたよね。儲かってたんでしょ」

「さぁ、どうだろ」

「わたしの親が言ってたよ。それに、高校の集まりとか顔出しして顔も広かったよね。大人から見たら良い奴って感じの。でも、実際はクソじゃん」


 父親は私のことを支配的に教育する。そのために、親同士の連絡網を積極的に広げる人だ。自主的にBBQを開催するため、1部からは疎ましく思われていた。でも、りん含め親しい友人には、家庭の事情を愚痴っている。父親に眠る有害さは、私たちだけで共有していた。金があって、私たちの苦労を知らない暴力的な父親。


「クソ親父が、仕事を追われて良い気味じゃない?」


 そんな彼がリストラされた。周りからの支援があって、今はコンビニで働いている。


「生活のこともあるから、かんたんに言えない」

「ああごめんそうだよね。でも、前から言ってたじゃん。偉そうに仕事してるから殴ってくんだよって」

「うん」


 死にたい。

 今すぐ誰かに殺されて、跡形もなくなりたい。

 私から始めていない私のプライベートな情報を話題にされたくなかった。不可侵されたくないから、アイドルが好きな振りをしたし、取り繕っている。


「大丈夫だよ。わたしは有咲の味方だから」

「ごめんトイレに行く」


 隣の座席が鳴った。目がたどり着く前に、りんはすでに御手洗へ駆け足している。私は返事をしなかった。

 その後、友達たちは満足したように、別の話題に移行する。取り残された自意識を弄ることにした。友達らは何も悪気がない。だからこそ、行き場のない憤りがある。


「気分悪くなった」


 帰ってきたりんは椅子に着くなり蹲る。お腹を抑えては腰を曲げていた。友達は心配して、声がけする。


「え、大丈夫?」

「うう、おえっ……」


 彼女はその場でもどした。私の友達たちは席から立ち上がり、悲鳴をあげる。私だけが反応できなかった。自分のことに囚われているあまり、りんの奇行を止められなかった。

 そのあと店員が駆けつけて対応してくれる。私と友達たちはしきりに謝罪した。りんは後から芋が苦手という告白をする。みなは呆れて追求することもしなかった。彼女はよく空回りをした。それでも、私の友達は善人であることを誇りにしてるために、受け入れる努力をしている。そんな中で、りんは吐いた。



 帰り道にわたしとりんは公園に居る。ほかの人たちは既に帰宅していた。Twitterを検索したら、りんのことを呟かれている。性的消費を促すツイートが流れてきて閉じた。私は潔癖すぎるのだろうか。


「有咲。私はどうして間違ってしまうのかな」


 でも、私は彼女が嘔吐したから自分の落ち込んでいた気持ちをぶっ飛ばすことが出来た。


「いつも誰かと仲良くなりたい。一緒に遊びたいのに、なにもかもうまくいかない。好きにしたら、徐々に嫌われていく。どうして何もうまくいかないんだろ。どうしたら良いのか分からなくなってきた」

「どうして我慢したの?」

「だって、仲良くしたかった。みなと一緒にいればいいってネットに書いてあった」


 顔を両手で覆い、先程と同じ姿勢で、りんは閉じこもる。


「普通になりたい。人に優しくして、誰かと話せることが出来て、恋をして、働いて、そんな普通の未来に行きたい。でも、なれない」 

「普通には、私もなりたい」

「有咲は普通に見えてるよ。嫌味に聞こえる」

「私は普通に見せている。けれど、何も上手くいかない。両親は普通の人間なんだと思う。悪い面を強くとらえすぎて、憎むことしかできない」


 普通だとしても、父親は教育で殴ってくることはダメだ。


「有咲は完璧に見えた。だから、私から話しかけた。貴方と友達になれたら私の生活は満たされると思った」

「わたしはりんと深夜の電話をすることで生き長らえているよ」

「それは私もそうだよ。あの熱に浮かされたような恥ずかしい夜がなければ、既に死んでいた。有咲がいないと、私は死ぬと思う」


 遠くに行く理由を聞き出せなかった。

 どうしても遠くに行く理由を話してくれない。わたしは心が不安定になっている。近くに居ると思わせるだけなら冷たく扱って欲しかった。距離をとる想像をするだけで、まぶたが涙で濡れる。


「りん以外は何もいらない。歳も取りたくない」


 彼女は不意に抱き寄せた。その温もりが私を動揺させ、誰にも触れられたくないところまで撫でられた。


「私ね、歳をとって死にたくないの。このままがいいよ。世界に折り合いをつけて、自分に諦めをつけるのが成長と呼ぶなら、一生未熟のままがいい。苦しいよ」


 私は人生の複雑さを背負うことができない。傷つくことが苦手で、人に完璧を押し付けてしまい、たちまち自分の短所を棚に上げる。そのことを後に思い出しては後悔した。


「私はもう生きることに耐えられない。明日は朝になりませんようにと祈っている。そうしたら、学校に行かなくていいから。全てが嫌な私に会わなくても良くなるから」

「私は有咲のことで覚えていることがある」

「何?」

「卒業まで死ぬこと。私と最初にあった時、死ぬ事が話題だったね。そう思うと、あなたは普通じゃないね」

「そんなこと覚えてくれていたんだ」

「実は私も卒業したら死のうと思っていたの。だって、私は他人に迷惑をかけて生きていくしかないから。そんなことなら、いっそのこと姿を跡形もなく消し去りたい」

「だったら、いま私と一緒になってくれる?」


 つい告白してしまった。わたしとりんが死に対する共通点がある喜びで、本音が漏れてしまう。


「いいよ。一緒に、いこう」


 私の片手は震えていて、身体が死ぬことに抵抗を示す。りんは両手で包み込んでくれて、眠気を誘う。

 わたしとりんはラブホテルで朝までセックスした。その後、彼女の買ってきた大量の睡眠薬を服用する。


 週刊誌は私たちを2週間ほどコンテンツ化した記事を投稿した。その後、思い出す人は誰一人としていなくなる。

 そうして、私たちは死ぬことが出来た。

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