第5話 【悲報】魔王が強すぎる

 あらためて、三人を見渡す。確かに、ボロボロの勇者たちに対し、魔王にはかすり傷一つ付いていない。彼我ひがの差は圧倒的だと見てとれる。

 苦々しい表情を浮かべるだけで何も言い返せない勇者を見ると、そういうことなんだろう。


「う、うおおおおおおおオオオオッ!」


 その時、勇者が駆けた。不安を掻き消すかのような、自分を鼓舞するかのような雄叫びをあげながら。

 勇者は重厚な鎧をものともせず、ただ一点、魔王に向かって疾走する。

 そして標的が刃圏に入ったとき、上段に構えた大剣を力の限り振り下ろした。


「……ッ!」


 しかし、その刃が魔王に届くことはなかった。

 魔王の眼前にまで迫った渾身の一撃は、まるで見えない壁に阻まれたかのように、止まった。

 文字通りピタッと、大剣は魔王の目と鼻の先で微動だにしない。傍から見たら勇者がパントマイムの類でもしているんじゃないかと疑ってしまうほどだが、今そんなことをする意味はどこにもない。つまり、本気で斬りかかり、本当に刃が届かないということだ。


「何度やれば分かるのだ。そろそろ食傷気味にもなるな」


 抑揚もなく、ゲームで雑魚敵をひたすら狩っているような、そんな作業的な無表情のまま、魔王はただ立っている。

 そう、指一本も動かさず、ただそこに立っているだけなのに、当然のように大剣を止めてしまった。一体何が起きているのか、俺には全く分からない。


「そろそろ新しいものを見せてみろ」


 パアンという破裂音を立てて魔王の周囲で何かが弾け、次の瞬間に勇者が吹っ飛んだ。


「ぐ、ぐわあああああアアアアッ!」


 叫び声と共に勇者は数メートルほど先の床に打ち付けられた。鎧が床に擦れ、金属音が響き渡る。


「ミノル!」


 女が勇者に駆け寄る。俺もついていく。


「ミノル! 大丈夫!? ミノル!」


 女はミノルを抱き寄せ、必死に呼びかける。そうかそうか君の名前はミノル君というのか、と俺も心の中で呼びかける。


「うっ……うぅ……だ、大丈夫だ、ユイ」


 ミノル君は苦悶の表情で呻き、いっぱいいっぱいといった声を絞り出す。こっちはユイちゃんというのか。俺の名前は畑山義人だ。

 完全に蚊帳の外にいた俺だったが、不意にミノル君と目が合った。

 ドキッとしてしまう。魔王討伐に手を貸してくれと、そう言われると思ったが、発せられた言葉は予想だにしなかったものだった。


「に……逃げてください」

「え……?」

「あいつ――魔王〈リオン・エンドアース・ブラッディハート〉は見ての通り攻撃が通らない。あなたも転生してきたならスキルをもらったはずだけど、恐らく……奴には通用しないです」


 拳を強く固め、無念といった表情で話す勇者ミノル君。

 こんなボロボロになっても他人のことを気にするとは、とんだお人好しのようだ。

 かっこいいなと、俺よりも一回も若い青年に敬意を抱いてしまう。無職でくすぶっている自分が恥ずかしく思えてくる。

 だからというわけでもないが、俺は首を横に振る。


「こんな場所じゃあ逃げ場なんかないだろ。それに、俺もあいつを倒さないとまずいしな」


 やろう。俺ごときがどこまで力になれるか分からないが、やれることはやろう。どうせここで死んだら地獄行きだ。

 細かい事情を説明している暇はない。早急に何か策を練らねばならない。


「確かに、そうですね……分かりました」


 ミノル君は諧謔かいぎゃく的な笑みを作って起き上がると、魔王についての情報を話しはじめた。


「奴の能力――万象の拒絶コーサリダッド・リチャーゾは魔力が通っているあらゆる物質や現象を無条件に無効化にしてしまいます。なので、俺の剣――神の両断サント・オスクリダ・ビセクシオンはもちろん、この世界に一日でもいたらどんな物にも魔力が定着してしまうため、生身の攻撃も通らないです」


 難しい単語や用語は置いておいて、ようするに一定時間以上この世界にいたら魔王にどんなも攻撃が通じなくなってしまうと。そういうことなんだろう。

 え、じゃあ俺の攻撃は通るんじゃね? 俺さっき来たばっかだから魔力ってのも定着する暇もないし。

 すぐに攻略法を思いついてしまい、内心でテンション爆上がりの俺だったが、そこでミノル君は「仮に」と表情を一段と曇らせた。


「仮に奴に触れられても――」


 ミノル君の言葉はそこで途切れた。斜め上を見上げ、強張った表情のまま硬直している。


「随分と悠長に長話をしているな」


 重々しく冷たい声が、背後から聞こえてきた。

 振り向くと、魔王リオンがすぐそこまで来ていた。相変わらずの無表情で、何にも興味がなさそうな目をしている。


「ままごとに付き合っているほど我も暇ではない。もう手が尽きたというなら、そろそろ貴様らの息の根を止めるとしよう」


 何トンもの重しが背中に覆いかぶさったような、そんなどうしようもないほどの圧力を持った声は、俺の冷静さをいとも容易く剥ぎ取った。

 恐怖で半ばパニックを起こしていた俺は考える間もなく、魔王に殴りかかっていた。

 俺に魔力が通ってないのなら、さっきの見えない壁みたいなのもすり抜けて俺の拳は命中するはず――その仮説を信じて、不細工で不慣れな手つきで拳を振るう。

 だが、そんな希望は飴細工のように簡単に打ち砕かれた。 


「珍しいな。魔力を帯びてない肉体か」


 ぱしっと乾いた音だけが聞こえてきた。

 次に、温度のない声が聞こえてくる。


「だが、こんな羽虫程度の力で我に噛みつこうとするとは……無様を通りこして哀れだな」


 振るった俺の拳は魔王の手の平に綺麗に収まっていた。

 魔王に触れることはできた。だが、ただそれだけだった。

 抵抗する間もなく、次の瞬間には俺の体は床に叩きつけられていた。


「ぐぁ……あァ……!?」


 肺の中の酸素は瞬く間に外に吐き出され、激痛が身体中を駆け巡った。

 何が起こったのかすら認識できなかった。気づいたら床に体を打ち付けられていて、まるで動画のカット編集のように、途中経過がなかった。

 仮に触れられても、こうなってしまうと、ミノル君はそう言いたかったのだろう。そもそもの膂力フィジカルに差がありすぎて喧嘩にすらならない。大人と子供の差どころではない。奴の言ったように、人間と羽虫くらいといっても過言ではないほどの差だ。


「つまらん。劣等種はこうも惰弱なのか」


 ボロボロの絨毯じゅうたんのように這いつくばる俺を見下ろす魔王の目は、言葉にせずとも語っていた。「お前は無力で、いないに等しい存在だ」と。

 嫌いな目だった。職を失う前に、嫌というほど見てきた目だ。苛立ちが込み上げてくる。

 何か言い返してやりたいという気持ちが俺の中で芽生え、気づけば口を開いていた。


「運動不足だったしよ……全員が全員、俺みたいに非力ってわけじゃねえよ」


 苦痛で歪む顔を無理やりニヤケ面にし、かすれた声でずれた反論をする。

 誰がどう見ても負け犬の遠吠えにしか聞こえない。自尊心だとかプライドだとかいうものがまだあったのかと、自分でも驚いてしまう。

 しかしそんな新しい発見も束の間、魔王の表情が一層冷酷なものになった。


「目障りだな。お前から消えろ」


 雑草でもむしるような無遠慮さで、魔王は俺の首を掴み、そのまま持ち上げた。呻き声が出る。


「うっ……うぁ」

「魔力を持たない虫けらなんぞに、魔法を使うまでもない」


 魔王の握力が徐々に強まる。

 俺は情けなく開いた口からよだれを垂らし、呻き声をあげることしかできない。

 死の予感が、不愉快に俺の体にまとわりつく。

 頭の中では警報が鳴り響いているのに、指一本動かせない。息もろくにできず、全身から力も血の気も引いていく。肩から力が抜けていく。

 ここまでか。全く力になれなかったが、無職にしては頑張ったほうか。

 そうやって俺自身、生を手放そうとしたときだ。


「神の一刀 天の両断 雷鳴の如く奏で轟かせよッ――!」


 ブツブツと、何かを唱えるミノル君の声が聞こえてきた。


「――雷神天槌簫イルミナディオス・シェロマーゾ・フーガッ!」


 ミノル君叫ぶと、遥か頭上で轟々と雷鳴の唸り声が聞こえてきた。


「フン。これが噂の」


 魔王は若干弾んだ声で空を見上げ、邪魔だと言わんばかり腕を振り、俺を遠くへ投げ飛ばした。まともに受け身も取れず、味のなくなったガムのように俺はべしゃりと地面に這いつくばり、足りなくなった酸素を何度も懸命に吸い上げる。

 次の瞬間、暗紫色の空が割れ、魔王の頭上に眩しいほどの雷が落ちてきた。

 目をまともに開けられないほどの眩しい閃光が、天が怒りの鉄槌をくだすかの如く号哭ごうこくを鳴り響かせ、魔王を呑み込む。

 今のうちに逃げないと。そう思い起き上がろうとするが、腕に力が入らず、動くことができない。逃げる体力すら、俺には残っていなかった。


「じっとしてて!」

「え? のアっ!?」


 まともに反応する間もなく、俺はまるで見えない巨人に持ち上げられたかのように体ごと宙に浮きあがり、そのままぽいっと投げ飛ばされてしまった。

 何が起きたのか理解もできず、俺は宙を舞ったが、すぐに地面に向かって落下がはじまる。落下先には固い岩盤。ちょ、これ、頭からいっちまうって。

 しかし、顔面を地面に打ち付けるようなことはなかった。ミノル君が落下地点に先回って俺を受け止めてくれたのだ。

 助かったが、ミノル君の胸にダイブした形になり、硬い鎧が顔面に激突し、「ぶげバぁ」と間抜けな声が出てしまう。


「大丈夫ですかッ!?」

「あ、ああ。なんとか」


 鼻を押さえ、潰れた声で俺はなんとか答える。血は出ていないようだ。


「助かったよ。ありがとうな」


 何はともあれ、窮地に一生を得た。礼を言うと、俺はミノル君から離れて起き上がる。魔王にやられた痛みはまだ引いておらず、動くと鈍痛が走る。鉛でも背負っているかのように、体が重い。

 さっきまで俺がノされていた場所を見ると、雷鳴はぴたりと止んでいて、あの眩しいほどの雷もきれいさっぱり消え去っていた。

 だが、魔王だけが、変わらずそこに佇んでいた。あれだけの雷撃を受けたのに、まるでサウナ上がりの整ったおじさんのように泰然自若とした空気を醸し出している。


「つまらん」


 一言、吐き捨てるように魔王が言う。たった四文字の台詞なのに、周囲の空気を絶望の色に染め上げるには、十分すぎる言葉だった。

「魔法は通用しないと、何度言えばわかる。抗うならせめて新しいモノを見せてみろ」

 魔王の言葉の裏には、物分かりの悪い子供に算数でも教えているかのようなうんざりとした感情が混ざっている。魔王さんにも感情が芽生えてきたようだ。


「いや、貴様、俺の魔法でこの人から手を離したじゃないかッ! 攻撃が効いたんじゃないのかッ!」


 ミノル君が鋭く指摘する。そうだそうだと俺も心の中で追従する。


「噂の雷魔法がどの程度か全身で味わってみたくてな。つい虫けらを捨ててしまっただけだ」


 当然のように魔王は言う。確かに、そんな台詞を吐いてわざと俺から手を離していた。強がりでも何でもない。実際、奴の身体は傷一つ付いてないのだ。

 だが、と魔王は首を鳴らし、


「期待外れだったな。神にも匹敵する威力と聞いていたが……それとも、我がとうに神など超えてしまっているということか」


 飽きたようにこちらを見やる目は、興味の失せたドラマでも眺めているかのようだ。

 神を超えているかどうかは知らないが、あんなすごく痛そうな攻撃を受けて無傷でいるのは事実だ。こんなの、どうやって倒せば――。

 ――『抗うならせめて新しいモノを見せてみろ』

 さっき魔王が言っていた言葉が頭の中でこだまし、ハッと、そこで閃いた。いや、思い出したのだ。

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