異世界転生物語の終盤に転生してしまった件について

りらっくす

第1話 死因:ユンボ

 深夜、誰もいない工事現場跡。俺、畑山はたけやま義人よしとはユンボに潰されて死んだ。


 ◇◆


 30分ほど前


 仕事を辞めて半年が経過しようとしていた。その半年の中で「そろそろ働かないと」と思っていた時期もあったが、「もうちょっとこのままでいいか」と上塗りされ、今では働く意欲はほぼゼロの状態だ。特に熱中できるものも見つからず、だらだらと過ごす日々に後ろめたさを感じてはいた。

 だけど、義務も責任も叱責もない毎日があまりにもストレスフリー過ぎて、労働意欲も次第に薄れていき、正直、本当に気楽で仕方がない。

 無職は最高だ。好きなときに起きて好きなことをして好きな物食って眠くなったら寝る。堕落に堕落を重ね、腹回りの贅肉が目立ち始めていた。だが、これこそが人間の本来のあるべき姿なんじゃないだろうか。労働とは人の営みを歪ませる悪しき慣習なのだ。

 そんなクズみたいなことを考えながら毎日を送っていたのだが、さすがにこれではまずいと思い、俺は衝動的に外に出て散歩をしていた。ただいま真冬の深夜2時である。

 暗い静けさの中をひたすら歩く。ここら辺はそこそこの田舎で、遠くのほうで鉄塔や民家が切り絵のように黒く並んでいる。草木がこすれ合う音。アスファルトを踏みしめる感触。全てが心地よく感じる。

 心のおもむくがままに歩いていたら、工事現場跡の前を通っていた。

 数年前に町の活性化をどうたらとのたまって開始された土地開発工事だったが、役員の汚職が発覚して計画は頓挫。もともと管理も杜撰ずさんで現場はそのまま放置――確か、そんな顛末てんまつだったはずだ。

 たまにはいいか。そんな軽い気持ちで、俺は工事現場跡に這入った。

 敷地内に踏み入った瞬間、そこはまるで別世界のように陰鬱とした空気が漂っていた。

 辺りは工事で使われていた機械や資材が野晒し状態になっている。行き場を失い、さまようこともできない重機たちが俺を羨むように見つめているような、そんな気味の悪い錯覚までしてしまう。加えて、無職になる前はこういった場所で働いていたからか、苦い記憶が蘇ってきて気分は激下がりだ。

 やっぱもう帰ろうかな。でもここで帰ったら尻尾振って逃げるみたいでやだなあ。  そんな謎のプライドが邪魔をして、なんやかんやで奥の方まで歩を進めていた。

 奥に進めば進むほど、足場はデコボコと悪くなり、必要以上に体力が奪われていく。敷地内には人工的な灯は一切ないため、月明りのみが頼りなのだが、今日は生憎あいにくのため曇り空だ。夜闇と静寂に覆われ、得体の知れない巨大な怪物に飲み込まれたかのような想像をしてしまい、背筋がぞわっと冷たくなる。

 息切れが深くなって、もう限界だと足を止めた目の前には、土砂の山があった。

 三メートルほどの大きさで、周辺には重機や土嚢どのうが乱雑に放られている。死体が死屍累々と転がっているような、そんな風に見えてしまい、思わず体が強張ってしまう。視線を感じたと思って振り向くと、そこには誰もいない。が、代わりに背後で転がる鉄骨やブルーシートたちが「よくも俺たちを捨てたな」と怨嗟えんさの声を吐き出している気がして、吐き気が込み上げてきた。捨てたのは俺じゃないと、心の中で必死に反論する。

 ああ、思い出したくないのに。

 俺がこいつらに乗ってた記憶が激流のように脳裏で溢れだしそうになるが、寸前で仕切りをした。思考を止めて、捨てられた資材たちから目を背けた。

 思い出巡りにここに来たんじゃない。ただの散歩の一環だ。結構な奥まで来たことだし、これなら俺は何にも負けてない。何からも逃げてない。だからそろそろ帰ろう。

 自分でも何と戦っているのか分からないまま、ここを出ようときびすを返した時――


 にぇ~


 背後から猫の鳴き声が聞こえてきた。

 鳴き声がしたほうを見るが、何もいない。

 幻聴か何かかと思ったが、もう一度目を凝らして見渡すと、それは見つかった。

 土砂の山の頂上。山に蓋をするように居座っている青塗りの重機の陰から、黒猫が半身だけひょっこりと出し、じっとこちらを見つめている。

 俺がおかしくなったり、おばけの類でなかったと安堵し、ふうと息を吐く。


「おい、そんなとこにいると危ねえぞ」


 言葉が通じないのは分かっているが、黒猫に向かって忠告する。

 ほぼ廃棄に近いほったらかしのため、重機たちは器具で固定もされておらず、ちょっとした拍子で倒れてきてもおかしくない。そんな不穏さを孕んでいた。野良猫だろうと、これに潰されて死んで、万が一それが俺の耳に届いたとしたら、相当目覚めが悪い。

 野良猫ならちょっと近づけば勝手に離れていくだろう。そう思い、土砂の山を登っていく。

 黒猫が隠れてる青塗りの重機を見て、一瞬、懐かしい感情が俺の中で広がった。

 半年前、俺はまさにこういった工事現場の作業員として働いていた。重機の扱いには自信があり、特に頂上にいるこいつ――ユンボの操縦は会社で一番上手かった。

 だが、ちょっとした人間関係のほころびが原因で、俺は会社を辞めた。よく聞く話だ。

 土砂の山にそびえ立つユンボを見上げる。闇夜を背景に冷たく重々しい空気を被ったそいつは、妙に物々しく感じると同時に、どこか哀愁あいしゅうを漂わせていた。「俺はまだやれるのに」と、一人しょんぼり立ち往生おうじょうしているようにも見えた。

 さっきから変な想像力を働かせてしまう自分に気づき、やだなあと思ってしまう。 無職が続いて一人の時間が多くなったものだから、妄想力が身についてしまったのだろうか。 

 ひゅうと風が吹き、思わず身震いしする。歯もカチカチと鳴り、寒さで頬に鈍痛が居座っている。寒すぎる。あったかい風呂に入りたい。さっさとこの猫をどかして帰ろう。

 土砂の山の頂上に辿りつくと、膝に手を置いて中腰姿勢をとり、できるだけ猫と視線を合わせる。すると猫は警戒するように後ずさり、ユンボから少し離れた。よし、もうちょっとだ。


「おい、危ねえからそこから――」


 再度声をかけようとするが、それを見てしまい、俺は思わず息を飲んだ。

 信じられないことが、目の前で起きたのだ。

 猫が隠れていた重機――正確にはユンボなんだが、それが突如バランスを崩し、ぐらぐらと揺れ始めたのだ。

 軽く三トンは超えるサイズのものだ。そんなモノが転倒してしまったら……。

 悪い予感が脳裏に浮かび、それは的中してしまう。

 ユンボはすぐに揺れに耐えられなくなり――


「――――ッ!」


 ちょうど黒猫がいる場所めがけて、その巨体を傾けさせはじめた。

 体の中で火花のように何かが弾け、気づいたときには、体が動いていた。


 次の瞬間、轟音。


 ◇◆


 思い出したくない記憶が滝のように流れてくる。

 俺を指さして必死の形相で罵詈雑言を浴びせる先輩。蔑んだ目で見てくる同僚たち。俺を避けるようになった同期。辞めると伝えたときの社長の憐憫の目――。

 消えてくれ。そう念じたら、簡単に掻き消えた。



 目を開ける。体が動かない。視界が狭い。頬がひんやりと冷たい。

 倒れている。すぐに気づけた。ユンボの下敷きになっていることにも、すぐに気づけた。

 痛みはない。けど体は動かない。血がたくさん流れている。死。

 さっき出会った猫のために、俺は死ぬのか……まあ、それもなんかカッコよくていいんじゃないのか?

 視界が暗闇に包まれていく。夜の暗さではない、本能的な恐怖を与えてくるような、そんな気味の悪い暗さ。

 なんか嫌な感じだなあと思っていると、遠くから猫の鳴き声が聞こえてきた。その声に肩の力がふっと抜け、テレビの電源がいきなり切れたかのようにプツンと俺の意識は途絶えた。

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